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毎年恒例の友人たちとの新年祭だが、今回は日にちをずらしてほしいと打診した。
総督一家は総督家どうしの催しで不在となる。レアンドリィ総督家に滞在するルシールまで出かけてしまえば、エスメラルダひとりが残ることになる。
「だから、いっしょに過ごしたいの」
自分の都合なので、日にちをずらすことが難しいようなら、不参加になるかもしれないと思いつつ、ルシールは言った。
「もちろん、そうすべきだわ」
「じゃあ、わたしたちは、今回はそれぞれの恋人と過ごしましょうかあ」
「こ、恋人と新年祭を?!」
ジャネットが即座に頷き、ネリーが提案し、ライラが驚いた。
「なにをすればいいの?」
「いつも通り、美味しいものを食べて、今年の目標を話し合うのよお」
困惑するライラに、ネリーがにやにやする。
「そ、そうよね。それに、ブライアンだって家族と過ごすという先約があるかもしれないし」
「恋人に誘われたら、そちらを取るわよ」
「そうよねえ。恋人になって初めての新年祭だものお。わたしも今から楽しみだわあ」
ライラの言をジャネットが笑って否定し、ネリーも浮き浮きする。
ルシールの勝手な都合を前向きに捉えて柔軟に対応してくれる。よい友人に恵まれたと思う。
「結婚の準備は順調?」
「うん。決めることがたくさんあるのね」
ひとり暮らしをするときとは比べ物にならないのは、工房主となる用意と並行しているためであり、なにより、ふたりで暮らすからだ。
「暖かくなるころに結婚するのね」
「よい時季よねえ」
「楽しみね」
忙しいという気持ちばかりだったが、そう言われるとそんな気がしてくるものだから不思議だ。
「うん」
ルシールの笑顔を見て、ジャネットたちもまたにこやかになった。
「早いわ。もうあれから一年経つのね」
エスメラルダはそう言って、今年の新年祭でもまた、ルシールがつくった料理を食べたいと言った。
メニューを総督家の料理人リクハルドと相談し、ガスパチョに決めた。
ガスパチョは飲むサラダと言われているほど、たくさんの野菜でつくるスープだ。
高級飲食店では濃厚なものを提供することもあるが、一般家庭では薄く、ゴクゴクと飲むものだ。これならば、エスメラルダも飲みやすいのではないかと思った。
冷たいスープと思われがちだが、ガスパチョにはいろんな調理法がある。
「ニンニクを使って身体を温めましょう」
ルシールは良い発案だと思ったが、リクハルドがニンニクは少なめにするようにと言う。
「ニンニクは身体に良いものですが、効力が強すぎるのです」
弱っている身体には逆に障りとなるという。
そういうものなのかと教わりながらも、ルシールは唇を噛む。ことあるごとに突き付けられる。もうあまり時間は残されていないのだと。
エスメラルダのために細心の注意を払う周囲に感謝しつつ、自分もそうでなければならないと気を引き締めながら、料理に取り掛かる。
庶民は硬くなったパンを美味しく食べるためにスープにする。今回はエスメラルダが摂取しやすいようにパンを液状にする。
トマト、タマネギをざく切りにし、ニンニクとクミンを木鉢で潰し、それらとワインビネガーと塩を加え混ぜ合わせる。水を加えて【冷蔵庫】にひと晩置く。
それらの野菜と細かく刻んだバケットとを、鍋に入れ火にかける。
「パプリカパウダーは軽く炒めて香ばしさを引きたててから、液体で伸ばすと良いですよ」
直接煮汁に加え混ぜるよりも豊かな香りが生まれるのだとリクハルドが教えてくれる。
「パプリカパウダー自体は焦げやすいので、気を付けてください」
「はい。ありがとうございます」
三度の食事をつくるのにさまざまな工夫を凝らす料理人だ。下ごしらえも十分に時間を取るだろう。そんな風に忙しいのに、ルシールに付添ってアドバイスをくれる。とてもありがたい。
パプリカパウダーを別のフライパンで軽く炒め、水を加えて伸ばす。それを入れると鍋が赤く染まる。
このパプリカパウダーが風味とコクを生み出す。燻製と非燻製のものがある。また、甘口、辛口、半甘口の三種がある。
「鶏の出汁はこちらをお使いください」
さまざまな出汁を常備しており、そのうちのひとつを融通してくれた。
「レストランのスープストックみたい」
ルシールのつぶやきを拾ってリクハルドが頷く。
「レストランで販売されていますね。あれ、便利ですよね」
自分で多様な出汁を常備している料理人は、市井のことにも詳しかった。知っているだけでなく、実際に買って用いてもいるという。
「せっかく売り出してくれているんだから、買わない手はありません」
その道のプロの味を知ることができるのだから、教わらない選択肢はないという。
時間短縮や手間を省くために用いる自分とは違う、とルシールは感心する。
「もちろん、そういう使い方をするのも良いでしょう。要は美味しいものを楽しめたら良いんです」
そんな風に話しながら、鍋に鶏の出汁と水を加え、パンをふやかしてくずしながら煮る。
「もう少し、水を足しましょうか」
本来はドロリとしているが、エスメラルダが食べやすいようにさらりとした液体にする。
そうして出来上がった料理はエスメラルダと祝う新年祭の食事の席で供された。
「美味しいわ」
エスメラルダはひと口飲んで、笑顔になった。
「良かったです」
ルシールも安心して、リクハルドがつくってくれたサルスエラに手を付ける。魚介類をふんだんに用いた料理だ。リオンとともにマーカスを訪ねて行ったアパネシーでも食べた。
強熱で加熱して、複数の魚介類の香りを生き生きと仕上げることがポイントだというリクハルドの言葉を思い出す。
浅く広い皿の上に、見事な盛り付けがなされている。
オマールエビを縦半分に切り、中身を見せつつ、残りの半身を甲羅側を上にし、双方を交差させてずらして被せ置く。鋏の角度も重要だ。
オマールエビを前面に、その背後や隣には輪切りのイカ、アカエビ、バナメイエビ、ムール貝といった様々な魚介類が種類ごとのエリアを持つ。まるで魚介類の共演だ。それぞれの味わいとともに様々なエキスが交じり合い、調和する。
見た目も味も一流のひと皿だった。
オマールエビは夏が最も収穫量が多いというが、冬でも食べられるように半養殖がされているのだという。
サルスエラは他国のブイヤベースだ。ブイヤベース憲章から外れるのだろう。ルシールはふと、レイチェルの「なんちゃってブイヤベース」のことを思い出し、ふふっとため息交じりに笑った。
「どうかして?」
「実は、」
エスメラルダに「なんちゃってブイヤベース」のことを話すと大いに面白がった。
「とても楽しい方ね」
「はい」
エスメラルダにほほ笑み返しながら、リオンの母親がレイチェルで良かったとしみじみ思う。
さて、ルシールから聞いた話を、後日、エスメラルダはヒューバートに話した。ヒューバートはたくさんの具を食べられなくても、そのエキスが詰まったスープは摂取できるだろうと考え、ルシールにつくってくれないかと頼んだ。
ヒューバートから持ち掛けられたとき、あっとなった。
エスメラルダは話を聞いてとても楽しそうにしていた。そして、「自分も食べたい」と思うのは自然なことだ。けれど、口には出さなかった。どれだけ興味を持っても、食べられないからだ。
ルシールは目に力を入れ、ぎゅっと奥歯を噛みしめて堪えた。
泣いてはいけない。
自分よりももっと強い悲しみに苛まれている人の前で、簡単に涙を見せてはいけない。
ルシールは瞬きを繰り返して水分を飛ばしながら、「はい」と辛うじて答えた。
「傍にいるのが辛かったら、別の住まいを用意するよ」
ただ、結婚の準備だけは引き続き、エスメラルダにも手伝わせてほしいとヒューバートは眉尻を下げた。
「いいえ、いいえ。わたしもいっしょに過ごさせてください」
ルシールは懸命に言った。傍にいるのが辛いのではない。遠くない未来の離別が切ないのだ。だからと言って、離れてしまってはきっと悔いが残る。それよりも、もっといっしょに過ごしていたい。
「そうかい? そうしてくれると嬉しいな。わたしもエリーズも、ほかの家族もみんな日中は出かけてしまうから」
エスメラルダはひとり館で過ごすことになる。
「では、わたしがひとり占めします」
翡翠色の瞳を湿らせながらルシールがそんな風に言うと、ヒューバートはエメラルド色の瞳をわずかに丸くする。
「それはうらやましいな」
「ふふ。総督をうらやましがらせられるなんて、光栄です」
内緒話をするようにくすくす笑い合う兄とその娘同然の女性を、パトリスが少し離れたところで眺めていた。
傑物の兄は自分の能力の及ばない領域で苦しんでいた。ヒューバートは最愛の妻を延命させるために奔走した。その苦悩を分かち合い、あんな風に柔らかい表情をさせることができる存在ができて、パトリスは安堵していた。
そんなパトリスは妻エリーズに言った。
「君は本当に素晴らしい。ルシールさんを兄上や義姉上に引き合わせたんだから」
次期総督の母、総督夫人代理という重責を担う妻に、もうひとつ感謝することが増えた。
「わたくしもこんな風になるとは予想もしなかったわ。でも、素晴らしいことね」
そう言ってほほ笑む最愛の女性を、パトリスはそっと引き寄せた。




