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シンシアには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。とても世話になっていたのにもかかわらず、迷惑をかけた。なのに自分だけ逃げるのかという思いがあった。
不義理で頭を悩ませるルシールを、シンシアは笑い飛ばした。
「ルシール、いいこと? 以前、工房主になるのは大変だって話したじゃない。それがパトロンになってやろうという人が現れたのよ? しかも総督よ! 身元は確かな上、世界有数のお金持ちよ。気が変わらないうちにさっさと工房をもらっておしまいなさい」
けしかけるような物言いに、思わずルシールは声に出して笑った。そうして笑うと、気持ちがほぐれた。そして、決断した。
「はい。わたし、工房主になります」
シンシアは満足気に頷いた。
「ルシールがいなくなるのは寂しいわ。でも、コールドウェルなんてエイベル橋を渡ればすぐだしね」
なにかあったら協力し合おうと話した。もうすでに【ブモォォの湯沸かし器】で協力をしてもらっている。今後もその予定だ。
「正直なところ、シンシアさんがいなければ必要台数の確保が難しいです」
「正直なところ、コンスタントに注文があるのは喜ばしいことだわ」
ふたりで顔を見合わせて笑う。
シンシアはクリフォードの誹謗中傷の否定宣言のお陰で逆に客が増えたと話した。
「それより、わたし、ルシールを本当に頼りにしていたんだと実感したわ。忙しくて手が回らないの」
ルシールはふと思いついて、クレアを雇うのはどうかと勧めてみた。
「いいわね! クレアだってお母さんの工房を継ぐにしろ、一度は別の工房で働いた方が良い経験になるわ。見習いとは違ってね」
シンシアは乗気になり、すぐにクレアとその母親に打診し、とんとん拍子に話はまとまった。
「ルシールほどのことはできないけれど、頑張るわ」
意気込むクレアにルシールは言う。
「結婚の宴にも来てほしいの」
「もちろんよ。結婚祝いはなにが良いかしら」
三人でお茶を飲みながらあれこれ話す。お茶請けはクラークが市場で買って来て差し入れしてくれた焼き菓子だ。
「そんなに肩に力をいれなくても大丈夫よ」
クレアにそんな風に言いながら、シンシアは以前いた見習いのことを話す。
「道具を取ってちょうだいと言ったら、道具袋を逆さにして出したの」
ルシールは焼き菓子をのどに詰まらせそうになり、クレアはお茶が気管に入ってむせた。
「そりゃあ、そんなやり方じゃあ、壊れるでしょうよ。その見習いはちゃんと謝ったのよ。考えなしでしたって。そこに、「でも」がつくの。「でも、手を突っ込んで取りだそうとしたら怪我をするかと思って」ですって。怪我をしないようにきちんと納めるものでしょうよ。袋の中でごちゃごちゃになって、道具が破損しちゃうわ」
「そんなことがあったんですね」
「いろんな方がいるんですね」
ルシールは詳しいコメントを控え、クレアはかろうじてそんなことを言った。
「クレアはそんなことはしないってお母さんから聞いているわ」
「わたし、要領が悪くて」
「あら、そうなの? でも、要領の良さなんて、やっていくうちに身についてくるものよ。自分なりのやり方を分かるようになっていくのね。それより、きちんと丁寧に仕上げることの方が重要よ」
その重要さを、クレアは持っているのだと聞いているとシンシアは言う。
真っ赤になって口をつぐんだクレアを見て、ルシールとシンシアは顔を見あわせてほほ笑んだ。
ルシールはシンシア魔道具工房で女性工房主の手腕を目の当たりにした。
様々な工夫に感心させられた。運営が順調であってなお、常に学ぶ姿勢を崩さない。
そして、若手の魔道具師、素材屋、加工屋との交流において、自分がいかに恵まれた環境いたのかを思い知らされた。
良いものを作ること、コストと品質の兼ね合い、といったことだけを考えていては駄目なのだと気づかされた。
そこには色んな者の思惑が絡み合う。個々の立場やプライド、こだわり、望みといったものは、取るに足りないものだとかちっぽけなものだと軽く扱うべきではない。人を動かすもの、価値観はそれぞれだからだ。
誰だって自分の意思を通したい。望みを果たしたい。それができなければ不満に思う。人が集まって暮らすのだから、多くの思惑が入り組む。
デボラの言葉を思い出す。
女性の身で魔道具の工房主になろうとするのなら、お金持ちとの結婚するのが手っ取り早いと言っていた。それ以外に、支援者を得るというのもある。
他人を頼りにしながら工房主になるのは、いずれ破綻を迎えそうな気がした。自力でやってみて、運営がうまくいかなかったとしても、それは自分の問題だ。しかし、他人の思惑でそうなったとしたら、納得がいかない気がする。それを仕方がないと受け入れるには、ルシールは狭量なのかもしれない。けれど、不安要素が色濃くある未来に突き進んでいこうとは思えない。
シンシアの工房でルシールが働き始めたら、何度も色男の採取屋がやって来た。デレクやハワードも、そして総督なんていう雲上人までもが訪ねてきた。
そんな総督が工房を与えてくれるという。こんなチャンスはない。
シンシアも女性魔道具師として、そして工房主として散々苦労してきた。だから、自分が預かった見習いに無体な真似はすまいと考え接して来た。
マーカスはそれを見越してルシールをシンシアに預けたのだと思う。
自身が育て上げた魔道具師見習いがいいだけ使い倒されないように細心の注意を払ったのだ。その見習いは魔力回路や魔道具の構造に詳しい上に、加工や素材といったさまざまな知識を身につけていた。
見習いのしたことに責任を持つということは、見習いの功績を工房主が一部受け取るのは常識とされていた。だから、ルシールは免許取得せずに見習いでいたままの方が良いと思う工房主もいるだろう。
「そんなことをしてごらんなさい。デレクさんが飛んでくるわ」
ただ、そうなる前にルシールは相当な苦労を強いられる。そんなことがないように、マーカスはシンシアならばと思って託してくれたのだ。
正直に嬉しい。
実際にいっしょに働いてみて、シンシアは見習いを抱えたというよりも同僚を得たという気持ちになった。
教えることはあるし、確認もしなければならない。監督責任もある。
だが、シンシアが教わることもあった。加工に関して知識も技術もシンシアを凌駕する。
接客もできて整理整頓の重要性を知っていて、修理も作成もできる。一流の加工屋や素材屋、採取屋との伝手もある。
「見習いじゃないわね」
魔道具師の駆け出しでもなく、ベテランの域である。しかも、加工屋に持ち込まなくても修理ができることもあるものだから、優位な特性を持つ魔道具師だと言える。
そして、魔道具開発をした。
その時点になってシンシアはルシールはもう工房主になるべきではないかと思い始めた。
魔道具師は得意な作成魔道具が決まって来る。だから、「【録音機】のトーマス工房」などといった特定魔道具を冠した工房名の看板を出す者もいるくらいだ。魔道具開発をしたのならば、そうするべきだ。
ただ、大きな壁がある。
「資金ね」
駆け出しのころからあれだけ腕が良いのだからすぐに貯蓄できるだろうと思った。
ルシールはそれをクリアしたのだ。
「しかも総督ふたりから信頼が厚いなんて」
盤石だと言える。
「さらには出資者は工房主の方針に口を出さないと言っている」
そんなことはあり得ない。だが、総督ならばあり得るのだ。
「もう、工房主になるしかないわ」
リオンは以前から採取屋をしつつ、素材工房を開くことを視野に入れていた。
リオンはさまざまな一流の加工屋や素材屋とも取引がある。七つ島すべてにおいてである。
「自身で採取できなかったから、知り合いの素材屋に頼んで調達してもらった」
そこまで言われて感謝しない人間がいるだろうか?
利用するだけ利用しようと思う者もいる。だが、それが続くことはない。一方的に搾取されるほどお人よしでも、不器用でもないのが採取屋だ。
ならば、素直に感謝して相応の対価を支払い、いい付き合いをして次もいい取引を願いたいものだ。また、一流はほかではできないことを依頼されるものだ。そんな折、必要になるのは手に入れるのが難しい素材であることもある。だから、一流の加工屋や素材屋は一流の採取屋と取引きを結ぼうとする。
そして、リオンの「知り合いの素材屋」と言えば、真っ先に挙げられるのはカーディフでもツートップのふたり、ダグラスとデレクだ。
トラヴィスほどではないが、そのふたりが手に入れられないものであれば、ほかのどの素材屋でも無理だとまで言われているほどだ。そんな素材屋の伝手を使ってまでも手に入れてくれるのだ。
リオンという伝手を大切にするのは明白だ。
もはやそれは採取屋の範疇を超え、素材屋の領域の采配だった。
そんなリオンが構える素材工房はアランと共同経営という形を取る。リオンは採取屋と素材屋を兼任する。元々、リオンひとりでも工房を構えられる資産はすでにあった。アランもまた腕の良い採取屋だったから、それなりの資産を持っている。
腕の良い採取屋ふたりはカーディフの採取屋協会から惜しまれつつ、コールドウェルの採取屋協会に大歓迎される。
「俺、採取屋を廃業するってなったとき、カーディフの採取屋協会から運営側にならないかってスカウトされたよ」
先約があるからと断ったとアランは言う。
アランのように怪我をして廃業を余儀なくされた採取屋は協会で働くことが多い。
素材屋になるのにも様々な条件があるが、カーディフの採取屋協会の後押しと七つ島でもその名をとどろかせるふたりの素材屋の推薦を受け、リオンとアランは晴れて素材工房の主となる。
ふたりとも採取屋としてコールドウェルでも活動していたため、当地の素材屋とも伝手がある。
そして、リオンとアランを知るカーディフ、コールドウェルの採取屋らがこぞって協力した。
ルシールはリオンやアランから、コールドウェルの加工屋、素材屋、採取屋を様々に紹介してもらった。
「あの【ブモオオの湯沸かし器】の発明者!」
「よくぞ我がレアンドリィ島で工房を開いてくれた!」
「よろしくお願いします!」
魔道具師協会のみならず、加工屋、素材屋、採取屋たちもルシールを歓迎した。




