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マクミランは人の集団の中、護衛対象の女性の斜め後ろに位置を取る。
マクミランと同じように人の隙間を縫って前へ進む者がいた。ちょうど護衛対象の女性の真後ろにつく。さらに進んで行こうとする素振りを見せるが、人混みはより過密となり、塊になっていた。
「見たことがあるやつだな。ああ、採取屋の若造か」
見知った顔だった。名前はなんだったかと思い出す間もなく、マクミランは見た。
その若造は、前の女性をぐいぐい押した。だが、女性は動けない。当然だ。前後左右、どこもかしこも人がいるからだ。
「こんなに人が多い場所でなんてことをしやがる」
体勢を崩したら、周囲を巻き込んでの大惨事になる。なぜそれが分からない。
人混みがさばけた。
ひとまず、マクミランは安堵した。だが、それは尚早だった。
採取屋の若造はなんと、マクミランの護衛対象者の後を追い縋り、「老人を押すなんて」と話しかけた。
ぎょっとしたのは女性だけでなく、マクミランもだ。
女性は足早に歩くが、若造はぴったりと付いて行く。
「逃げるということは自分が悪いと分かっているんだよな? 謝れよ」
この人の多さで押す押さないを言っても、仕方がない。彼女もまた、逆側から押されているのだから。小さくなっていろとでも言うのか。後ろから押した人間が。第一、正義を振りかざすのなら、なぜその場で制止しない。
「弱者を虐げた」ということにかこつけているだけだ。自分がされたことでもないのに、自分こそが正義の陣営だとして相手を攻撃する。
なぜか。自分の邪魔になったから、それに腹が立てたからだろう。怒りをぶつけなければ気が済まない。謝罪させなければならない。
そして、機会があれば、弱者をいたぶろうというのだ。
若造は執拗に付きまとう。
自分は正しいことをしている。正義の鉄槌を下すのだ。自信をもって正義を行うことができる。だって、相手が悪いのだから。
エスカレートしていき、「警邏を呼ぼうか?」と言い出す。つきまといをしているにもかかわらず、警邏を呼ぶというのは、完全に自分が正しいと思い込んでいるからだ。
自分は「正義の陣営」側にいると思い込んでいること、おとなしそうな女性、という二重の安全性を確保していたぶろうとする。
マクミランは割って入るかどうか迷った。そうすれば、護衛対象者に自身の姿をさらすことになる。
迷ううち、付きまとわれた女性は警邏が立っている方へ向かった。
事情を話したが、若造が横から口を出して、「老人を押したからだ」と言う。
自分が正しいとばかり思っていたから、自分が警邏に訴えかけられる側に回ると思わなかったのだろう。彼の口調は言い訳じみたものとなる。
ところが、警邏は「それはいけないことですね」と言った。
マクミランは警邏の短絡さに驚き呆れた。
自分が押されたのでもないのに執拗に付きまとって謝罪を要求することは、確実に故意であり、悪辣だ。警邏はなぜそれに思い至らないのか。付きまとわれて謝罪を要求されていると訴えているのに。
まずは被害者と引き離すべきなのに、双方から話を聞く必要があるなどいう、暢気すぎることを言っている。起きていることを認識する能力に乏しすぎる。
マクミランは腹を据えて割った入ることにした。
「他人が押されているのを見たからって、なんでお前が謝罪を要求するんだよ」
「先輩?!」
マクミランの登場に、まずいところを見られた、とつい今しがたまでの得意げな勢いがしぼむ。
「ていうか、悪い悪いって言って謝るまでしつこく付きまとうって怖えよ。そりゃあ、関わりたくなくて離れようとするだろうよ。それを、「悪いと分かっているから、逃げるんだ」って? なにをするか分からない人間だと思われたんだよ」
マクミランは聞きたくて仕方がなかったことを問う。
「悪いことを見過ごせないんなら、なんでその場で制止しないんだよ? なんで後から付きまとって押された当事者でもないお前が謝罪を要求するんだ?」
お前には相手を非難する権利はないと言われ、若造は言葉に詰まる。女性は表情をこわばらせていたが、マクミランが自分を擁護しているのだと気づいて成り行きを見守る姿勢を見せた。
「暇だな、お前。大抵の人間は瞬間的に腹を立てたとしても忙しくてそんなことでつきまとったりしねえよ。つきまとって謝罪を強要する方が悪質だよ。異常だよ。押された本人ならともかく、なんでお前がそれをできると思うんだ?」
「お、俺はただ、こいつが悪いことをしたから、」
自分に都合の悪いことを指摘されれば、とたんに理解力が落ちる。理解できなくなる。
あるいは、自分の正当性を示すために針小棒大に言う。なんなら、なかったこともでっちあげる。とにかく、その場を切り抜けることが大事なのだ。自分が攻撃されないことが重要だ。
「若い若いと思っていたけれど、考えなしだよなあ。それでいて、自分を正当化するのはお手の物だ」
自分は攻撃的で、執拗に攻撃するが、攻撃されるのには弱く、被害者意識が強い。自分の感情が大事で傷つきやすく繊細だ。自分本位で、「正義の陣営」にいる限り、悪の陣営側にはなにをやってもいいと思っている。
警邏が戸惑いながらマクミランと若造、そして女性を交互に見やっていると、リオンが駆けつけてきた。
「おお、リオンじゃないか!」
登場しただけで趨勢が決まる。そんな人間もいるのだな、とマクミランは妙な感心をしつつ、その名前をわざと呼んだ。効果はてきめんだった。
「は? リオンって、もしかして、」
すでに腰が引けていた若造は、男前の登場に唖然とする。
「お前の憧れの採取屋リオンだよ」
「いや、聞いてくださいよ。この女が!」
愕然としていた若造は勢いを盛り返し、主張しようとした。
「ルシールがなにか?」
リオンは半ば女性を背中に隠すようにして若造に対峙する。女性が安堵して身体の力を抜くのが分かる。これほどまでに怯えさせたということに、リオンは憤っている様子だ。
「その女性にしつこくつきまとっていたんだよ。自分がされたことでもないことに対して謝罪を要求していたんだ。それってどういう感情なんだ? 正義の味方なのか? お前が相手になにかを要求できる権利があるのか?」
「急いでいるのに、どかないからだ!」
語るに落ちた。
結局は、自分の思い通りにならなかったから腹を立て、そして、自分の思い通りにならなかったことが相手を攻撃する材料としては弱いと理解しているから、まったく別のものを持ち出す。自分とは関係なくても、弱点を見つければ攻撃材料とする。
「こんな人混みでなにを言っているんだ。それに、急いでいるというのに、粘着していたのか?」
マクミランの言葉に、もめ事に足を止めて注目していた者たちがひそひそと囁き合う。
「単にいちゃもんつけたかったんじゃないのか?」
「痴漢の亜種?」
「あれじゃないか? 女性蔑視。女性を押さえつけたい、支配したいっていう欲求」
「なんていうんだっけ、」
当然、周囲の話は彼の耳にも届いた。
「お前のせいだぞ!」
女性に指を突き付ける。そのうち地団太を踏みそうな雰囲気に、マクミランは辟易しながら言う。
「それよりお前、採取屋を続けられると思うなよ?」
「は? なんで?」
もはや先輩への敬語も忘れ去っている。
なぜなら、この女性はふたつの総督府から護衛がつくほどの人物だからだ。
「そのうち分かるさ」
加工屋素材屋などにそっぽを向かれるだろう。だれだって総督府に睨まれたくはない。
「なんだよ、それ!」
憤る若造を他所に、マクミランはリオンとルシールに向き直り、きっちり頭を下げた。
「すまない。俺の教育不足だ」
「そんな、先輩は悪くない! 悪いのはこいつだ!」
まだ言うのか。
自分の感情は自分で収まりをつけなければならない。恐らく、警邏なりマクミランなりが若造が正しいと言い、女性を謝らせたら気が済んだかもしれない。
でも、現実は違う。自分の感情に向き合わなければならない。自分がしたことに向き合わなければならない。
ただ、できないだろうとマクミランは思う。そして、できなければそれまでだろう、それも理解することができないのだろうとも。
自分の感情を消化せずに、相手に気軽に悪意をぶつけることで溜飲をさげようとしたというのを分かっていない。自分が正しい陣営にいて有利な立場で相手を攻撃しようとしたことを分かっていない。なぜなら、「自分は正しいことをした」だけなのだから。
そこから一歩も動かない。
そして、相手に非があればなにをしてもいい、という大義名分を得てどこまでも攻撃的になる。
「俺は弱者のためにしたんだ!」




