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 駅の改札を出る前に切符を渡すとき、リオンが駅員に言った。

「切符を記念にもらってもいいですか?」

「もちろん。出場のスタンプを押しておきますね」

 切符は回収されるものばかりだと思っていたルシールは感心して眺めていたが、はっと我に返って言った。

「わ、わたしのも!」

「はい、じゃあ、スタンプを押しますね」

 鋏痕のある切符にはその日の日付が印字されている。


「記念に取っておこう」

 まるでルシールの考えをなぞるかのようにリオンが言い、ルシールは小首を傾げた。

「リオンは何度も列車に乗っているんじゃないの?」

「うん。でも、ルシールと初めていっしょに乗った記念に」

 ルシールは目を丸くした後、ほほ笑んだ。

「わたしも記念に残しておくわね」

 切符を両手で握りしめるルシールに、リオンは破顔した。


 駅を出ると、リオンが言った。

「ちょっと良い宿を取ったから、荷物を預かってくれるよ」

「じゃあ、先に宿に行きましょうか」

 宿はあらかじめ予約していた。橋のたもとの大きな都市だから、宿泊施設も多い。

 大通りから少し入った場所に建つ宿は、駅からもそう遠くなく、落ち着いた雰囲気があった。

 フロントで予約した旨を話すと、部屋にもう入れるということだった。

「少し休んでいく?」

「わたしは大丈夫よ」

 ふたりは荷物だけ預け、宿泊施設を出た。


「陶器市は市庁舎前の広場でやっているって」

 身軽になったふたりはまず目当ての陶器市へと向かった。

「おお、リオン! ダンドロへ来ていたんだな」

「採取屋協会には寄るの?」

「いや、今日はプライベートだ」

 広場へ行く道中でも声を掛けられるが、リオンはきっぱりと仕事ではないと断る。


「なんだか、せわしなくてごめんね」

「ううん。人気者ね」

「今は取引先を絞っているんだ」

 ルシールと再会したころには営業活動にいそしんでいた。

「あのときは一年間のブランクがあったからだよ。帰って来たというのと、あまり行かなかった場所に顔なじみを作っておこうと思って」

 一年間の研修旅行から帰って来たことを周知させた後は、取引先を限定しているのだという。

 アーロンやドム、グレンたちと同じく、リオンもまた一流なのだ。取引先を選ぶ必要がある。なんでもかんでも引き受ければ、仕事の質が落ちる弊害が生じる。


 広大な広場はそうは思えないほどぎっしりと露店が軒を連ねていた。暑い地方特有の色とりどりの日よけの布が庇をつくり、その影を踏むようにして客が思い思いに足を止める。

 青空に日よけの布がはためくのは遠目から見ても心躍る光景だ。ふたりはさっそくその中へ飛び込んだ。


「陶器だけじゃないのね」

 陶器のほかにもいろいろな物が売られていた。布、かばん、衣服、靴、花や食べ物もあった。

 陶器はコップ、椀、皿、深皿、ボウル、壺、ティーカップにティーポットなどさまざまなものがあった。形態も色味も多様だ。


 ルシールはペアの皿、深皿、カップのセットを見つけて買うかどうか迷った。

「リオン、これ、どう思う?」

「落ち着いた雰囲気で良いね。大きさも具合が良さそうだ」

 リオンも気に入ったようなので思い切って提案してみた。

「うちにあったら使う?」

 ふたりで揃いのものを使わないか、というルシールの案に、リオンは破顔する。

「うん、良いね」

 言って、すぐに購入してしまった。


「ま、待って。わたしが言い出したんだから、わたしが買うわ」

 結局、リオンは列車の運賃も受け取ってくれなかった。

「どうして? 俺も使うんだから、払うよ」

「だったら、半分は払うわ」

 リオンはセットの食器を受け取って、そっとルシールの手を引く。通行人の邪魔になりそうだったことを知って、ルシールは促されるままに歩いた。

「リオン、代金を受け取って」

「気にしないで」

 リオンは笑っていなす。


 リオンからしてみれば、ルシールの家に揃いの食器が置かれているのだ。自分とルシールとで使うことを想像すれば顔が自然とほころぶ。思いがけなく、自分も気づかなかった望みを叶えてくれたようなもので、金銭を支払うことなど、大したことではない。

 押し問答をしたいわけではなく、自分の意思を押し付けたいのでもないルシールはそれ以上、言えなかった。


 陶器市はふだん使いができるものから高価なものまで多様な陶器が並んでいる。ティーセットを見て、ふとエスメラルダを思い出す。またお茶会をしたい。


 陶器市には物品のほか、食べ物も売られていた。

「屋台が出ている。クロケットはレプトカルパ島名物だね。ペルタータ島ではクロケタと呼ばれていてもっと大きいよ」

 クロケットは小さな丸い揚げ物だ。

 島ごとに少しずつ響きが違う名称なのは、南北大陸の文化を柔軟に取り入れて来た証である。


「揚げた料理? 中身はなにかしら」

「うちのはマッシュポテトにひき肉を混ぜているよ」

 ルシールの声に気づいた店員が気さくに声を掛けてくるから、食べてみることにした。小さな紙袋をひとつ買ってふたりで分ける。


 別の屋台では魚介類や野菜などを香辛料やソースと組み合わせたクロケットを売っている。

「魚介類のも食べよう」

 違うクロケットをまたひと袋買って、ふたりで食べた。

「いろいろあって楽しいわね」

「北の大陸では「バリバリ音を立てて噛む」料理なんだって」

「あちこちにあるのね」


 屋台はクロケットだけではなく、ほかのものも売っていた。

「エビチップスがあるわ」

「ダンドロのエビチップスだね」

 当然、買って食べた。別島のエビチップスを食べることができて、ルシールは大満足である。


 陶器市の片隅にメッセンジャーの出店もあった。

「別島への配送も承っていますよ」

「痒い所に手が届く仕組みね」

 ルシールが感心して呟く。

「総督府の発案で最近始めた試みなんですよ。みなさんに重宝していただいています」

 店員が如才なく答える。


 陶器はかさばる上、重く、衝撃で割れやすい。旅行の最中には持ち運びたくないが、こうやって送ってしまえるのであれば、ある程度の量を買おうとする者は少なくないだろう。しかも、家族用にと個数を揃える。となれば、陶器を販売する側も願ったりかなったりだ。

 リオンはさっそく、ペアの食器をルシールの家宛てに送ることにした。


 ルシールはシンシアやデレク、アーロン、ドム、グレンたちの家族の分の食器と、ジャネットたち友人と自分を含めた分の揃いのカップを買ってひとまずカーディフの自分の家に配送する手配をした。

 エスメラルダを始めとするレアンドリィ総督一家の面々にも、とも思ったがやめておくことにした。あのすべてがうつくしく調和が取れた館では皿一枚たりとも選び抜かれている。それこそ、トルスティほどの人間でなければ、あそこにふさわしい食器類を贈れない。


「リオンのご家族の分も送っても良い?」

「喜ぶと思うけれど、気を遣わなくても良いよ」

 それでなくても、すでにルシールは友人のほか、五家族分の食器を買っている。さすがにお世話になった人たちへの土産を買おうとするルシールに、横から支払うわけにはいかない。

「食器って使う人の好みがあるからやめておいた方が良いかしら」

 レイチェルから料理を習ったときに見た食器棚を思い出しながら悩むルシールに、結局リオンは助言するのだった。


 その後、ダンドロの街を観光した。

「メッセンジャーって本当に便利ね」

 陶器市であれこれ買ったものを送ってしまえる手軽さに、ルシールは感心しきりだ。

 リオンはそれに頷き返しながら、そのメッセンジャー制度と列車設備導入を果たした総督のことを思わずにはいられない。これだけの偉業をたったひとりの人間が成し得たのだ。当然のことながら、多くの者の協力を取り付ける必要があったが、発案、計画、統率といった中核をなしたのはヒューバート・レジティ・レアンドリィだ。

 もう、別次元の世界の人間であるとしか思えない。

 そんな人物を認めさせなければならない。


「リオン、どうかした?」

「いや。なんだか、不思議な気がして」

 見上げてくるルシールに意識を切り替えて別のことを口にしてみれば、実感が湧く。

 ルシールが十一歳のころから、カーディフの街並みを、手を繋いで歩いていた。小さかった女の子はすらりと背が伸び、うつくしく成長した。目指していた魔道具師にもなった。なったとたん、新発明をした。

「今までずっと、ルシールとはカーディフをいっしょに歩いていたから」

「そうね。今はレプトカルパ島のダンドロをいっしょに歩いているのよね」

 ルシールも感慨深げに周囲を見渡す。


 宿泊施設に向かう前に夕食を摂るためにレストランに入った。

 牡蠣(かき)が美味しいというので、煮込みを頼む。

 昔ながらの製法でつくられているという牡蠣の煮込みの調理法をリオンの巧みな話術に寄って教わる。


「牡蠣を熱湯に通してよく洗うんだ」

 それをひと煮たちさせ、水気を切り、揚げタマネギと混ぜる。パン粉と牡蠣の煮汁、ワインに浸す。

「エンドウ豆のピュレを使っても良いよ」

 シナモン、クローブ、サフラン、ヴェルジュと酢に浸けておく。ヴェルジュは熟していないブドウを絞ったジュースで酸味がある。

「昔は火の通りが悪いからって牡蠣もつぶしていたそうだよ」

 そうして煮込むのだ。


 牡蠣の煮込みと付け合わせに頼んだバーニャ・カウダを食べながら給仕の話を聞く。こんな風にして、リオンはあちこちから教わり、知識を蓄えているのだな、とルシールは感心する。

 テラコッタ製の鍋の中にオリーブオイルを含んだディップソースがくつくつと煮えている。そこに野菜を浸して食べる。


「そろそろ夜は冷えてくるからね。温かいものを食べたくなるんだ」

 わりにおおざっぱで、焼いた肉や魚、あるいは茹でた肉などもつけて食べるのだと言う。

「美味しければなんでも良いのさ」

 言って、給仕は片目をつぶってみせる。島民ならではの大らかさだ。


「ソースが残り少なくなったら、卵を割り入れてスクランブルエッグにして食べるところもある」

 今度はリオンが教えた。

「へえ、そうなんだ!」

 給仕がうちでもやってみようかな、と言う。こうやって知識や情報はさまざまに繋がっていく。


 給仕がほかのテーブルへ行ってしまうと、ルシールは居ずまいを正した。真剣な表情でリオンを見つめる。

「リオン、あのね」

「うん」

「わたし、魔道具を発明したでしょう? ふたつの総督府に納品して、その代金を受け取っているの」

 しかも、納品はこの先定期的に続くから、代金の受け取りも「第一回目」だ。二回目以降がある。

「だから、それなりに稼いでいるの」

「ああ、」

 リオンは頷いた。


「ルシール、君のプライドを傷つけたのなら謝るよ」

 ちゃんと稼いでいるのに、「いいから、いいから」で支払いをさせられないというのは、なんだか認められていないような気がするのかもしれない、とリオンは考えた。

「そういうわけではないの。ただ、リオンがわたしのために色々したいと思うように、わたしもリオンにしたいわ」

 してもらってばかりでは据わりが悪い。

「ありがとう」

 ルシールのその気持ちが嬉しい。


 そんな風にして、旅行初日は過ぎて行った。




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