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素材屋ダグラスは以前からキャラハンの加工屋の一部に不審感を持っていた。
妙に羽振りが良く、大きな態度を取っていたからだ。実情に見合わない大きな態度を取る者は多いが、それに連動して羽振りが良いというのが気にかかっていた。
「だから、探っていた」
「後手に回っていたのではないですね」
「探索が追い付かなかったんだから遅い」
デレクは感心するが、ダグラスの声は苦り切っている。
「素材屋トラヴィスは偉大だった。それだけに、抑止力を失った後、キャラハンのものづくりに関わるものたちの箍がはずれたのだ」
ダグラスは忸怩たる思いだ。父の偉大さ、翻って自分の不甲斐なさを実感する。
「それでも、自分なりにやっていかなければならない」
できない、うまくいかないと嘆いてばかりいてはその場からまったく動けない。
キャラハンの加工屋のなかにもアーロンに心酔する者がいるから、話は簡単だったという。
「このままではいけないと思っていたんだとさ」
志のある者はいるのだ。
「だが、それが上手く作用せず、空回りしたままだった」
そのままでは、諦めてしまう者もいるだろう。どんな事象も働きかけてやらないといずれ熱は失われる。
「それを調整するのが素材屋というものさ」
なんらかの製品の作成だけでなく、もの作りの環境を整える、それも職種を超えて行う。
軽々と言うが、それは一流の領域だった。また、一流はそれだけのものを要求する。ただ良いものを作り世に生み出すだけではだめなのだ。さまざまな職種の一流の者たちが、力を存分に発揮することができる環境を整備しなければならない。
「わたしたちはトラヴィスさんからそう教わりましたね」
「ああ。だが、親父殿の思想は古臭くカビが生えていると考える者たちも増えてきたからな」
「自分たちが得られる利益しか考えず、どれだけ手間を省き、時間をかけずにできるかに終始する者たちですね」
そういう考えだからこそ、まがい物を混ぜて、あるいは他者をだまし、そして、他人の功績を掠め取って、コスト削減、時間短縮だと言う。
「犯罪をしている意識がない、あるいは薄いのが問題だな」
みんなやっている。これくらい。
そういった意識が根底にある。
「抑止力と見せしめが必要ですか」
「その辺は総督にお任せできるだろう」
なにしろ、総督府に納品した魔道具の改善版だという主張で売り込んだのだ。
「総督を欺こうなんて、そんな大それたことをよく思いついたものだ」
「連中はそこまで考えていない。他人の功績を少々アレンジしたものをよりよく見せたつもりなんだ。後は大手だということがすべての根幹となっている」
その道の権威だと思い込んでいる。
「だからといって、他人が苦労して生み出したものを我が物として持ち込めるなんて、相当な神経ですね」
「大手工房としての販売実績があるからね。改良品ならばその先の納品は奪えると思ったのさ」
魔道具師だけでなく、総督を馬鹿にしているということには気づいていない。
「わたしたちも相応の対応をしなければ、総督の怒りを免れませんよ」
「おや、そんなにかい?」
「もともと納品していた魔道具師には総督との伝手がありますから」
ダグラスは絶句した。
この世界、伝手は重要なものだ。その裏には信用がある。金銭を支払う信用、要求した性能を発揮する商品を納品する信用、なにか気づいたことがあれば報告する信用、などというものだ。
総督の信を受けているということは、その島民からも認められるということだ。総督の信はそれだけ絶大であるからだ。
「ああ、それは、」
「はい。大手工房はこれ以上ないほどの見せしめとなるでしょうね」
相手は総督だ。与しやすしとみなされれば、同じようなことが続出する。それを食い止めるためにも、生易しい処置ではいけない。
人は、全員が清い心を持つ聖者でも善人でもないのだから。
「ねえ、リオンのおうちに持って行く手土産はなにが良いと思う?」
「なんでもいい」がリオンの本心だったが、ここでそう答えてはいけないということは明白だ。
最近、夏の売り出しのほか、ふたつの総督府に納品する魔道具をつくるのに大忙しで、ルシールは先んじて手土産を用意しておくことができなかったという。
ルシールと市場を歩きながら、リオンは素早く考えを巡らした。
「以前買ったパンは?」
「手土産になると思う?」
「うん。美味しいって何度も言っていたし、あまりこちら側へは来ないから、喜ぶんじゃないかな」
「じゃあ、そうする」
言いながら、リオンを見上げる。
「リオンの家に行くのに、わざわざ迎えに来てくれなくても良かったのに」
あまりこちら側へ来ないのは少々、離れた場所であるからだ。買い物などは近場で済ませられる。
ルシールはそう言ったとたん、もっと上手い言い方があったのに、と後悔する。我ながら、可愛くない物言いだ。
けれど、リオンはそんなことは感じさせないほど爽やかに笑う。
「母さんに買い物がてら迎えに行けって家から出されたんだよ」
言いながら、片手に持っていた袋を少し持ち上げる。ルシールの家に来る前に頼まれたという買い物を済ませていた。
「何度も料理を教わってくれてごめんね」
「教わってくれて」というフレーズに、ルシールは思わず笑いを漏らす。
レイチェルは張り切って教えたブイヤベースが「なんちゃってブイヤベース」だったことに驚き、申し訳なさそうにしていた。だから、ルシールのリクエストでふたたび料理を教えられることに喜んだ。
それを期せずして指摘した息子であるリオンもまた、胸をなでおろしたらしい。
「気にすることないのに」
「気にするよ。好きな人のことだもの」
さらりと言われ、ルシールは絶句する。ちらりと見上げれば、歩く方向へ視線を向けた横顔がある。ルシールの視線を受けて、「うん?」とこちらを見る。
リオンにとってなんてことないことなのだと分かる。ルシールはちっとも可愛くないのに、リオンはこんな風に爽やかに言ってのけるのだ。自分の不出来さを痛感する。
だが、口にしたのは別のことだった。
「前回もそうだったけれど、材料を全部用意してもらうのは悪いわ」
ならばと食材の料金を支払おうとしたが、笑って受け取られなかった。
「前回は花を持って来てくれたじゃないか」
「食材の代金と比べたら大したことないわよ」
「そう? 母さん、嬉しそうに毎日花瓶の水を代えているよ」
そう言われれば、ルシールも嬉しい。
今回の手土産のパンもとても喜ばれた。
「なんで、今日もいるんだ?」
「ちゃんと兄さんの言いつけ通り、メッセンジャーやら新聞社やらにお使いしてきたんだから、いいじゃないか」
家に着いたとたん、出迎えたカイルにリオンが顔をしかめる。
「カイルは次はカーディフの外へ出されるんじゃないか?」
「父さんまでいるし。仕事で人に会うって言っていなかった?」
「会って来たよ。すぐに終わったから帰って来たんだ」
「……姉さんはいないよな?」
リオンはため息をついた後、はっと顔を上げて周囲を見渡す。
「来そうだな」
「俺はなにも言っていないよ」
ダスティンが唇だけで笑い、カイルは肩をすくめる。
さて、そんな男連中を他所に、ルシールはレイチェルとともに台所にいた。
「今日はね、鶏とオクラのトマト煮込みをつくろうと思うの」
料理を皿に盛るときに鶏肉を除けば良いのではないかと言うレイチェルにルシールは頷いた。
「鶏肉をよそわなければエキスだけ摂取できるわ。レモンを入れればさっぱりするしね」
オクラを塩ずりし、軸の処理をする。
「オクラは今がちょうど出荷最盛期だな」
リオンもやって来て、採取屋らしいことを言う。
「オクラはね、塩ずりで色と口当たりよくなるの。茹でるときはたっぷりの沸騰したお湯で塩がついたまま入れるのよ。茹でたらすぐに氷水にとって、粗熱をとる」
そう説明しながら、レイチェルが息子に催涙の作業を任せる。
「タマネギをみじん切りしてちょうだい」
タマネギみじん切りは縦半分に切り、さらに、縦に細かく切り込みを入れる。奥側先端は切り離さない。次に、その切込みと直角になるように、横にも切り込みを入れていく。
「後は包丁全体で細かく刻んでいくんだけれど、まあ、でも、細かくなったらなんでもいいわよ」
詳細に説明しつつ、レイチェルは最後にはそう締めくくった。
「なんでもいいなら、それまでの説明はなんだったんだ」
思わずリオンが噴き出す。
方法を教えつつ、結果が同じならたどる道はいくつあっても良いということなのだろう。
ルシールはこういうレイチェルの大らかさがいいなと思いながら、つぶしたニンニクをオリーブオイルで炒める。
「ルシールちゃんのフライパンにタマネギを入れて」
タマネギが透き通ったら鶏肉を加えてさらに炒める。
「それと、トマトペーストとオクラを入れるの」
そして、トマト、塩コショウ、水を加え、とろみが出るまで煮込む。
煮込む間、ルシールはレイチェルと色んな話をする。
「カリフラワーは酢を加えたら白く仕上がるわよ」
「どのタイミングで酢を入れるんですか?」
「茹でるときよ。熱湯にほんのわずかに塩と酢を入れるの。カリフラワーは水に取ると水っぽくなるからね」
オクラとは違って茹でた後、水にさらさないのだという。
そんな風に話していると、鍋がくつくつと音をたてはじめる。
「レモンを搾ったりヨーグルトといっしょに食べるのよ」
鶏を入れない場合もあるという。
「あっさりしていて美味しいの」
体調が優れない者にも食べやすい料理をと言ったから、レイチェルはそう教えてくれた。
リオンが危惧したアデラの来訪はなく、五人での食事となった。
「お肉が柔らかいわ」
「トマトにレモンも加わって酸っぱいかと思ったら、それほどでもないな」
「鶏の脂が中和しているんだろうな」
ルシールとリオンの言に、ダスティンが言う。
カイルはパンで皿に残った汁を拭い取って食べる。
「ルシールちゃんが持って来てくれたパン、今日も美味しいわ」
レイチェルはにこやかにパンを食べた。
デザートには前もってレイチェルが作って冷やしておいたというカッサータが供された。
今年の新年祭のとき、デレクの妻アマンダや妹セルマとともにつくったことを思い出す。早いもので、あれから八カ月が経とうとしている。
夏ももう終ろうとしていた。




