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 恋心ばかりはやっかいだ。

 アニタは島外の男に本気になって北の大陸へ帰って行ったのを追いかけていったものの、妻子がいたという。よくある話だ。


 逆にひと夏のアバンチュールを楽しんでいたら、人妻だったというケースもある。島民の若い男性は騙されていたのだが、逆上した夫が刃物を振り回した。


 傷心のアニタは島へ戻って来たものの、婚姻届けを握りしめたまま市庁舎へやって来て、泣いて取り乱すばかりだ。窓口の上役が不在だったため、オスカーへ協力要請が来た。話を聞き慰めていたら、いつの間にか好きになったと言い寄られるようになったのだ。

 そのことからも分かるように、アニタはとにかく思い込みが激しい。


 ルシールは過去の出来事から浮気はしないとオスカーも知っている。そんなルシールに、オスカーとは仕事上の関係でしかないアニタが嫉妬するのもおかしいことだ。

 だが、恋心に支配された彼女にはその理論は通用しない。


 目が覚めたら病院の一室で、事情を聞いて頭が痛かった。

 あの後どうなったのか、とにかくルシールが巻き込またことだけが悔やまれる。

 もはやこうなっては、オスカーは担当から外れるだろう。そうならなくてもオスカーがそう働きかける。

 そんな風に思っているところへ、ルシールが恋人とともに見舞いにやって来た。


「巻き込んでしまってすまない。君は無事だったか」

「はい。オスカーさんが庇ってくださったので」

 ルシールの無事な姿を見て安堵したオスカーは、彼女の恋人が表情には出さないものの、憤っていることは感じた。

「悪かったな」

「ああ」

 それだけで済んだ。


 アニタはやって来なかった。彼女に会わないまま、退院し、仕事に復帰した後、担当替えを打診して受理された。

 本当に、恋心ばかりはやっかいだ。

「巻き込んだというのに、まだ諦められないか」

 決まった相手がいるというのに、思い切ることができない。

 オスカーはアニタから離れることを選んだが、彼女を軽蔑することはできなかった。自分も同じようなものだからだ。




 ルシールは恋愛沙汰に巻き込まれた後、食い意地につられてアプローチされた人間と食事に行ったことを自省した。

「ルシールを釣るのには魔道具のほかには食べ物か」

 オスカーの見舞いについてきたリオンがからかうように言う。


「食い意地が張っていてみっともないわね」

「どうして? 俺も美味しいものを食べるの、好きだよ。大体の人がそうじゃない?」

 リオンが心底不思議そうにする。


「でも、それで理性を失うって、」

「理性を失うほどじゃないでしょう。単に食事に行ったくらいで焼きもちを焼いている恋人が狭量なだけで」

 でも、やはり、過去に気がある素振りを見せた人とふたりきりで食事に行ったことは軽率だった。


「七つ島では真面目すぎるくらいだよ。嫉妬深い恋人にはちょうど良いくらいの対応だけれどね」

「ごめんなさい。やっぱり気持ちの良いものじゃないわよね」

「俺の方こそ、焼きもち焼きでごめんね。でも、正直、そんな風に俺の気持ちを慮ってくれることが嬉しい」

 タチウオが美味しい店でご馳走することで手打ちになった。


 その日は市場でムール貝をお勧めされ、ピラフにすることにした。そのほか、新鮮なバジルとトマト、チーズを買ってカプレーゼとサラダもつくる。

 ムール貝を洗って足糸を抜く。

 白ワインを加えてふたをして貝の口が開くまで加熱する。これを()して、貝と蒸し汁に分ける。

「飾り用に殻付きのものをとっておいて、残りは身を外しましょう」


 ルシールがトマトは皮をむいて種をとり、ざく切りにする隣で、リオンがニンニクとタマネギをみじん切りする。

 オリーブオイルを加えて加熱し、塩コショウをする。米と蒸し汁、調味料を加え、加熱する。ムール貝の身を加えて蒸らす。


「うん、ムール貝の蒸し汁が良い出汁になっている」

「カプレーゼも美味しいわ」

「最近、魚ばかりだったから、違うものもいいね」

 骨目当てで魚ばかり買っていたルシールは首をすくめた。




 夜半、霧が出た。霧はすぐに濃くなった。

 ボーッと汽笛の音がしたと思ったら白い霧の中からぬっと巨大な船が現れる。

 激突の衝撃はすさまじかった。世界が終わったかのようだった。そして、船は海に沈んだ。


 沈没した場所によっては、サルベージするのに他国の了承が必要な場合もある。また、発見者が引き揚げることができず、放置されることもある。個人が引き揚げても、発見場所のの領有権を主張し、国が大半を徴収することもある。


 サルベージした物品から導き出される歴史を覆す事実に、都合が悪い国が存在することもある。ナショナリズムに抵触することがあるのだ。史実を覆す発見は常に歓迎されるとは限らない。


「サルベージには様々な思惑が付きまとう」

 それでも、人々は沈没船から得られるものを夢みる。一獲千金だけでなく、その時代に得られない代物が出てくることもある。密閉された金庫の中から宝石、絵画などが、木箱の中から芸術価値の高い陶器が。

 あるいは、失われた大陸の痕跡を見出すかもしれない。


 魔道具は仕上がり品なので、どれほど工夫しても回路は露見する。

 製法などは特許を取得するが、回路は取り締まれない。

 魔道具とはそういうものなのだ。無数の名もなき者たちから名もなき者たちへ連綿と知識と技術を継承していく。

 ところが、たまにその流れから途切れた古い魔道具が発見されることがある。

 遺産相続の際に倉庫や倉から、あるいはサルベージされた船から発見される。

 その時代の魔道具師から見て驚く知識と技術が詰まっていることがある。

 そう聞いて、ルシールはわくわくする気持ちを抑えることができなかった。


 魔道具師の調査は魔道具師協会の会議室で行われた。以前、若手交流会に参加したときの部屋だ。

 あの時は新人魔道具師として参加した。今はベテラン勢に混じっているのだから、不思議なものだ。


「このたびは協力に応じてくれて感謝する」

 そんな言葉から始まり、大まかに引き揚げ品から船がどの時代のものかを説明される。

「なんだ、百年前か」

 もっと古いものを想定していたのか、集められた魔道具師からそんな声が挙がる。

 広い会議室には長机がいくつも並び、召喚された魔道具師らが壇上で協会の人間が話すのに向き合う形で座っている。ひとりにひとつの机が宛がわれている。


「前置きはこんなところで良いだろう。道具の貸し出しもしているが、必要な者は職員に声を掛けてくれ。では、サルベージした魔道具を配ろう。存分に調査してくれ。くれぐれも壊さないように」

 手袋をした職員が慎重に魔道具を運び、各机に一台ずつ置いて行く。


 ルシールの前にはひと抱えもある金属の箱が置かれた。

 まず、外側を丹念に眺める。長方形の奥行よりも高さが低い箱だ。海に浸かっていたとは思えない腐蝕性を持っている。

 外面に特になんの仕掛けもないことを確認したルシールは蓋を開けた。その祭、「ブヒブヒ」という鳴き声を確かに聞いた。


 ルシールは息を呑んだ。

「鳴き声シリーズの魔道具」

 どんな役割を果たす魔道具なのか。ルシールははやる心を抑えて中を確認する。


 箱はなにも入っていなかった。魔道具回路が備えられているだろうところだけ、カバーをかぶせられデッドスペースとなっている。

【ウッキウキの手袋】を填め、カバーのネジを外して中を開く。

「すごいわ」

 それは長期保存を可能にする箱だった。今、この技術があるかどうかルシールには判断がつかない。少なくとも、ルシールは知らない技術だった。

「空気を抜くのね」


 筐体(きょうたい)に用いられる金属がなんなのか、ルシールには見当もつかない。これは加工屋と素材屋にも確認してもらうべきだと考え、報告書にその旨を記載することにする。

 メモを取りながらひと通り確認した後、周囲を見渡せばまだ解析に時間がかかりそうだ。


 ルシールがそれを思いついたのは、やはりその魔道具が鳴き声シリーズのものだったからだ。

 この魔道具もまた、なにか「抱えて」いるものがあるだろうか。百年も前の魔道具だ。海の底に沈んでいて、もしかすると、失われた技術が用いられている可能性もある。

 最近、そういった魔道具に出会うことがなかったということもある。


 悪戯心を出してつい、【ウッキウキの手袋】のスイッチを切って、魔力溜器に魔力を注いだ。

 予測通り、その魔道具も「抱えて」いた。

 けれど、予想だにしなかったのは、魔道具が「抱える」ものはうつくしい、あるいはやさしい、切ない記憶だけではないということだ。

 その魔道具が「抱える」ものは異様だった。


 魔道具は開いているのだから、蓋は大きく開けられている。

 なのに、魔道具の蓋が勢いよく開く。映像だ。

 魔道具の中にどんどん吸い込まれる。手あたり次第、近くにあるものから全て。紙もペンも、机も椅子も。もちろん、サイズ的に魔道具に入ることができない。なのに、吸い込まれていく。そして、人も。

 ルシールも引き寄せられそうになって椅子を抑えつけるようにしてその場に踏ん張った。


 と、今度はなにかが身体の中に入ってくる。目に見えない。けれど冷たいものがすうと入り込んでくる。

 ルシールの体内に入って来て、中から冷たく支配していく。徐々に勢力を増して占領せんとした。

 恐ろしかった。

 得体の知れないものが体内に増殖し、膨らんでいく。

 言いようのない気持ち悪さがせり上がって来る。

 乗っ取られる。

 怖い。

 それは、取り込めないのであれば、体内から、というように思えた。憎悪にまみれたものだ。あまりにも暴力的で圧倒される。


「大丈夫ですか」

「っは、」

 ルシールは瞬いた。いつの間にか、荒い息を繰り返している。

 そこは、魔道具師協会の会議室で、話しかけてきたのは協会職員だ。

 そうと知った直後、ルシールは気を失った。




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