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さて、ルシールは意味ありげな視線には気づくことはなかった。少し前から気になっていたことを女性たちに尋ねた。
ルシールはフィッシュボーンチップスをかじりながらスパークリングワインを飲むという習慣ができた。
と言っても、休みの日かその前日のことだ。仕事の疲れを癒すひそやかな楽しみだ。
ただ、懸念があった。
「ねえ、これってオヤジくさい?」
敬語を使わなくて良いと言われてそうすることにした。
「え? 働く女の人ってそんなものでしょう?」
「ねー。エビチップスとかルーピン豆でビールを飲むよね。仕事で疲れて家事をする気力がないわ」
「でも、その、男の人から見て幻滅されるのかな、って」
ただでさえ、リオンはスペックが高い。恋人に求める理想が高くてもお釣りが出る。
「あー、そういう男の人もいるわよねえ」
「でもね、ルシール。あんたは別にいいわよ」
「ああ、ねえ。リオンは気にしなさそう」
「というか、フィッシュボーンチップスを買って来くれそう」
「「ありえる!」」
リオンがどうしたかは、ルシールのみが知る。
フィッシュボーンチップスをいっしょにつくって、冷えたスパークリングワインとビールのおともにする。塩コショウや柑橘系の果実を搾ることもある。食べるとき、高確率で「あーん」をされる。
さて、あまりにも人が集まってきたので、その中の飲食店勤務の者の勤め先に場所を移動して飲み会となった。
「これ、いつものパターン?」
女性たちと打ち解けて話していたルシールも当然のようにいっしょに連れていかれた。
「そうなんだよ。なんだか、いつもこんな風にどこかになだれ込む感じなんだ」
それだけリオンの顔が広く、また人が集まりやすいのだろうとルシールは考えた。
「いつもうるさくてごめんね」
「ううん。リオンがどんな付き合いをしているのか知れて楽しい」
ルシールはふだん、大人数でわいわい騒ぐことはあまりないが、デレクの素材工房で行う新年祭のような感じだと思えば楽しい。
「売上に貢献してくれー!」
「おー。じゃんじゃん頼むぞ」
先ほど、相談した女性たちに家でリオンに教わってフィッシュボーンチップスを作ったと言ったら、しみじみと頷かれた。
「分かるわ。だって、リオン、めっちゃマメで労力を厭わないもん」
「しかも、器用でなんでも軽々とやってのけるからねえ」
だから、女の子たちはリオンに夢中になるのだという。
「でも、誰か特定の人にやさしいってことはないよね。たいてい、淡々としているというか、」
だから、女の子たちは「リオンの特別」を夢みるだけになるのだという。
「わたし、まだ魚を捌くのは上手くないからリオンに教わるばかりだったんだけれど」
そのリオンも取引のあるレストランの厨房で何度か見かけただけですんなりできるようになったというのだ。
「すごいよね」
「ねえ? アランもルイスもそんな感じよ。リオンよりは多少時間がかかったり手こずるでしょうけれど」
彼女たちはほかの採取屋も知っているようだ。アランもルイスも腕の良い採取屋だから注目されやすいのだろう。
「でも、できるようになるのよね?」
「なるのよ。同じ人間とは思えないわよね」
「本当ね」
ルシールが尋ねると、女性たちは口々に同意した。
「だから、わたし、自分の彼氏がそれほど器用になんでもできなくても、いいんだ」
女性たちのうちのひとりが「その方がなんだか安心する」と言って首をすくめて笑った。
「ふふ、可愛い」
ルシールが思わず漏らすと、ほほを染めた。
「えー、なによう」
「なんだか、いいわね」
「それはこっちのセリフよ。予想はしていたけれど、やっぱりフィッシュボーンチップス、作っていたかあ」
「予想通りですみません」
ルシールが言うと、周囲の女性たちが吹き出した。
「やだ、謝られちゃった」
さて、後日、加工屋の職人たちがアランやルイスにルシールに会ったと話す。
「ようやく恋人を紹介してもらえた」
「あんなリオン、初めて見た」
「なあ! とにかく、リオンが可愛くて仕方がないって感じで」
「でもさ、なんか良かったって気になったわ」
「うん、分かる」
「リオンにあんな顔をさせる人と出会えたんだなって」
「うん。良い子みたいだしな」
「そうか。とうとうお掃除妖精と出会ったか」
「は?!」
「え、お掃除妖精って都市伝説の類じゃなかったんか?」
「なんだ、知らないのか」
「だってさあ、カーディフの名だたる加工屋がこぞってかわいがるってさあ」
「あのローマンさんですら、自ら説明するくらいなんだろう?」
「あの無口を喋らせるって、誰がいるんだ?」
「それにさ、」
「なあ?」
「「辛辣なデレクが可愛がるなんて!」」
「ありえねえよな!」
「でも、メロメロなデレクさんって見てみたいかも」
「今度、うちに来る?」
「いやあ、なあ?」
「遠慮しておきます」
キスが長くなるとどんどん頭がぼうっとしてきて、足に力が入らず、いつの間にかリオンに抱きかかえられるような形になっている。
「あ、ご、ごめん」
「構わないよ。もたれていて。というか、」
そこで言葉を切ったのでルシールはリオンを見上げた。上目遣いになるルシールの額にキスを落とす。
「くっついてくれて嬉しい」
ソファの上で身を寄せ合って座る。
「アランさんもルイスさんもなんでもできちゃうから、リオンってすごいのよね、っていう話をすることができてすっきりした」
「なに、それ」
リオンがおかしそうに笑う。
ルシールは、女性が言っていた「自分の彼氏がそれほど器用になんでもできなくてもいい、その方がなんだか安心する」というのが分かる気がするのだ。
なんでもできる恋人に対して自分は、という思いがどうしても湧き起こる。
ルシールは市場で買い物をしている際、オスカーと出会った。
「マグロは種類によって旬が違うから」
赤身魚で数百キロの重さがあるものまである。この流線型の魚は大きさによって名称が変わる。
「内海のヘダイには額に銀の三日月があるんだ」
ヘダイのずんぐりした体形は金色や銀色を帯びていて、風格を漂わせている。
そんな風にして、店の人の話を熱心に聞いていたルシールに、声を掛けて来た。
「ルシールは魚を捌けるのか?」
「オスカーさん。こんにちは」
夕方の時分でこんばんはと言うには少し早いかなという頃合いだ。
「最近、教わったので練習がてら捌こうと思ったんです」
まるごと一尾買ったら骨を得られる。骨まで美味しくいただく。というより、フィッシュボーンチップス目当てである。
そう言うと、オスカーは目を細めた。
「好きこそものの上手なれと言うが、好きなもののためにする努力も苦労にならないのかもしれないな」
「以前、ご馳走になったタチウオのフィッシュボーンチップスも美味しかったです」
「タチウオは捌くの自体はそう難しいことはないと聞いたな」
それを聞いて、ルシールは塩焼きならば自分にもつくれるだろうかと思った。
「上達したら、ぜひご馳走してくれ」
そう言われ、以前、他人に食べさせるほどの料理の腕前はないと答えたことを思い出す。
そんな風に話していると、背中を強く押されてつんのめった。
「アニタ、なにをするんだ!」
たたらを踏んで振り向けば、縮れた金髪を後ろで括った女性が青い瞳に怒りを燃やして睨みつけている。
「やっぱり、そういう関係じゃないの! なによ、ちょっと料理するからって! 大人しそうな顔をして、やることがあざといのよ!」
以前、タチウオ料理を食べた店の前で遭遇した女性だ。
「アニタ、落ち着け。彼女はわたしとはなんでもない。べつに恋人がいるんだ」
「なんですって! ほかに恋人がいるのに食事に行くなんて! オスカーが格好良くて堅い職に就いているから、乗り換えようとしているんでしょう! なんて計算高いの!」
アニタは肩に下げていた鞄を両手でつかんでルシールになんどもぶつけた。
「嘘つき! 嘘つき!」
オスカーは鬼気迫るアニタはもはやどんな言葉も届かないと悟り、間に割って入った。アニタは無我夢中で鞄でぶっていたため、それがオスカーだと認識するのに時間がかかった。
鞄を振り下ろすのをやめ、ぜいぜいと肩で息をつきながら眦を吊り上げる。
「なんで、その子を庇うの! 騙されているのよ、オスカー!」
後ろへ回り込もうとしたアニタからルシールを逃そうとして、無理な体勢を強いられたオスカーは彼女の勢いをまともに受け、倒れ込んだ。運悪くそこにあった木箱に頭をぶつけて気絶した。




