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 ルシールは浮き浮きしていた。

 まばゆい陽射しの中、リオンといっしょに美味しいものをつくるために市場に行き、良い買い物ができたのだ。

 家に帰る道すがら、スキップしかねないほど足取りが軽かった。


市場に出始めたアジは背が光沢のある緑で、腹はうっすらと紫や青みがかった虹色をしていた。

「きれいね」

「だろう? お勧めだよ」

 覗き込みながら思わずルシールが漏らすと、すかさず店員が言う。


「小ぶりだな」

「これから大きくなるんだよ。その分おまけしてやるって」

 リオンが上手に交渉してアジを一尾余分にもらった。


「これでフィッシュボーンチップスをつくるのね」

「うん。小さい方が食べやすいよ」

 ルシールは呆気にとられた。なのに、リオンは小ぶりだと言ってまけさせたのだ。きっと、この季節から成長すること魚だということも知っていたのだろう。


 家に着いた後、荷物を置いてまず、窓を開ける。とたんに心地よい風が吹き抜ける。

「暑いね」

 リオンはシャツのボタンをひとつ外し、首元をくつろげた。実家だったら躊躇(ちゅうちょ)せずにシャツを脱ぎ去っていただろう。


「シャワー、使う?」

 ルシールがうちわであおいでくれた。

 涼しい。可愛い。やさしい。

 リオンは即座にそんな考えを巡らした後、ふと気になって「俺、汗臭い?」と聞いた。

「ううん、そんなことないわよ」

「じゃあ、魚を(さば)いてしまおう」

「うん」

 ルシールはいそいそとキッチンに向かう。

 ずいぶん、フィッシュボーンチップスが気に入ったんだな、とリオンは笑いをかみ殺しながら後に続く。


 ルシールは元々、今年は魚を捌くのに慣れようと思っていた。ルシールに乞われればリオンはいくらでも教える。

「まずはウロコとりだな」

 リオンの指示に従って尾から頭の方へ包丁を滑らせる。


まな板の上に大きな葉を敷いてその上でとりのぞく。

「終わったら、葉をくるんで捨ててしまえば片付けが楽だから」

「なるほど」

いちいち感心するものだから、リオンの心が満たされる。また、だからこそ、貪欲に知識を収集する。もちろん、ルシールが興味を持ちそうな知識だ。魚を捌くことも見聞きすることで覚えた。そうしておいて良かった。


ウロコを取り終えたら頭を包丁で落とす。

「胸ビレの下、背ビレを一度に除ける位置で切れば良いよ」

「ここ?」

「うん、そこらへん」

 リオンはルシールの手元を覗き込んで答えた後、髪を結い上げたため丸出しになった首筋に汗が一筋流れ落ちたのを見て、慌てて視線を逸らす。包丁を使っているのだから、うっかりキスしてしまったら大変だ。


「大きいアジだったら反対側にも切れ目を入れて切り落とすんだけれど、今回は大丈夫そうだな」

 ルシールが頭を落とすのを見守りつつ、リオンは言った。自分ができるからと言って、ルシールがそうだとは限らない。力の差がある。


「腹側に切れ目を入れて内臓を取り出すんだ」

 魚を捌くのはこれが嫌だという女性も多いと聞く。ルシールは特に忌避感なく行った。


 水洗いする際、リオンが上から下にこすると指を怪我するかもしれない、と教えてくれる。

背骨に溜まった血をこすり洗い流しながら、こういうちょっとしたことを教えてもらえるのがいいなとくすぐったく思う。


なお、ジャネットも同じことを教えてくれたのだが、一度に複数の料理を並行して行ったため、多少のことを忘れてしまっている。

そんなルシールは、いつだったか、いっしょに料理をするどころか、買い物をして片付けまでしてくれる恋人というのは珍しいとネリーが言っていたことは思い出した。

リオンは確かに見た目も頭も気性も良い。でも、たぶん、ルシールはリオンのこういうところが好きなのだと思う。


「次は水切りだ」

身の外と中の水分を拭き取る。

「ぜいご取りなんだけれど、俺がやろうか?」

「ううん。ひと通り全部自分でできるようになりたい」

「アジ特有のトゲ状の硬いウロコがあるからそれを切り取る。で、これは尾の先端からじゃないと包丁が入らないんだ。こんな風に、」

言いながら、リオンは包丁を滑らせ、水平にそぎ取ってみせた。

ルシールも尾の先から包丁を入れる。包丁を水平に使ってそぐ。

「うん。そんな感じ。ひっくり返して反対側も同じようにする」

 すべての最中のぜいごを取り除いた後、今度は三枚おろしだ。


「包丁の刃を背から入れる。中骨に沿って水平に尾の方へ包丁を骨の上をすべらせるように押し込む感じかな」

尾に着くまで包丁を入れ、尾の手前で切り落とす。

 やや時間がかかったものの、全て骨と身、三枚に解体する。

「できたわ!」

 ルシールがリオンを振り仰ぐ。


「じゃあ、身はフライにして、骨は、」

「フィッシュボーンチップスね!」

 ルシールが目をキラキラさせて言う。言葉を途中で遮られ、奪われたにもかかわらず、リオンは可愛いなあ、としか思わなかった。

 食べたいというのもあるが、きっと、自分で作ってみたいというのだろう。


「揚げ物ばかりだけれど」

「たまには良いわよ」


 内側の腹骨を包丁で切り取る。

「真ん中にある骨を骨抜きで取るんだ。これが面倒なんだよな」

「あ、結構硬いのね」

「頭に近い方は特に硬いから気を付けて」

 一列に並んだ血合い骨を抜く作業に、ふたりはしばし没頭した。


 両面に塩コショウして味をなじませるために冷蔵庫へ入れてしばらく置く。

「三枚おろしの骨も同じように塩コショウして冷蔵庫へ入れておこう」

その間に衣の準備をする。

 小麦粉、溶き卵、パン粉の順でアジの身に付ける。


 熱した油にアジをそっと入れる。

「途中でひっくり返すんだ」

「きつね色になるまで?」

「うん。取りだしたら油を切る」


 さて、フィッシュボーンチップスの衣は片栗粉(ポテトスターチ)を使う。

「両面に軽くつけて、」

 これは二度揚げする。

「こちらも油を切ったら完成だ」


そのほか、フレッシュチーズでつくる「セルヴェル・ド・カニュ」も用意した。

「フロマージュ・ブランを水きりして、ハーブやニンニクを混ぜる」

「味付けは?」

「オリーブオイルと塩コショウ、あとはワインビネガーかな」

 これをパンにつけて食べる。

「美味しい!」

「だろう? パンをどれだけも食べられる」

「アジフライもサクサクで美味しいわ」


 リオンは喉を鳴らしてビールを飲んだ。

 ルシールは楽しみにしていたフィッシュボーンチップスを冷えたスパークリングワインとともに食べた。

「どう? 自分でつくったフィッシュボーンチップスは」

「格別ね」

 リオンは破顔した。

 食卓にはほかにオリーブの実とトマトをたっぷり使ったサラダが並ぶ。彩りも鮮やかで、目に楽しい。


「アジフライ、パンにはさんで食べてもよさそうね」

「ロールパンに切れ目を入れて?」

「うん。ソースは柑橘系?」

「タルタルソースでも美味しそう」

「こってりしているわね」


 食事をしながらの話題は、最近、カーディフを賑わせている沈没船のサルベージの話に移った。

 サルベージという言葉には遭難船の救助といった海難救助のほか、沈没した船を引き揚げる作業のことを差すこともある。


 つい先日、カーディフの採取屋が海に沈んだ船を発見し、新聞が大きく取り上げた。街はその話で持ちきりだ。

 七つ島は内海にあるため、周辺の海はとても穏やかだ。だから、難破船があるということ自体、珍しいことだった。


「吊り上げ装置が壊れたって」

 それで、いったん、海底を離れた沈没船はふたたび海に沈んで行ったのだという。

「とにかく、船体は卵の殻のように壊れやすくなっているから」

「ずっと海水に浸かっていたんだものね」

 サルベージは難航しているという。


「「丸い船」かな「長い船」かな」

昔、内海で、「丸い船」は穀物や材木などを、「長い船」は毛織物や絹、スパイスなどを運んだ。後者は速力があり、高価な品物の輸送に使われたため、引き揚げられる荷物にも期待が高まる。


「ルシールは最近、【ブモオオの湯沸かし器】をつくるので忙しい?」

「そうなの。そろそろ、夏の売り出しに備える必要もあるし」

【ブモオオの湯沸かし器】はシンシアの魔道具工房の在庫とするのは冬を迎えてからで良い。その前に、ふたつ島の総督府に納品しておかなければならない。


「無理しないでね」

「うん、ありがとう」

「夏の売り出しと共に【ブモオオの湯沸かし器】の納品でガンガン稼ぐわよ!」

 とシンシアは張り切っていた。

「去年も特別ボーナスを弾んでくれたから、今年も期待できそうだな」

「そうなったら、なにか美味しいものでも食べに行こうか」

 いつもリオンからしてもらうばかりだから、たまにはルシールからもなにかしたいと思った。

「嬉しいな」

 リオンは新発見をした採取屋として稼いでいる。けれど、そうやって思いやってくれる気持ちが嬉しい。


「それとも、なにか欲しいものはある? して欲しいこととか」

 ある。

 けれど、口にすることは躊躇(ためら)われた。

「考えておくよ」

 ふたりで片づけを終え、リオンが先に風呂を使い、ルシールが後から入った。


 リオンは窓辺で夜風を受けながら、先ほどのルシールから言われた欲しいものについて考えていた。

「きゃっ」

 小さく聞こえて来た悲鳴に、すぐに浴場へ向かう。

「大丈夫?!」

 そこには、白いブラウスを肌に張り付かせたルシールがいた。

「水がかかっただけなの。ごめんね、驚かせて」

風呂掃除をしている際、誤ってシャワーを浴びてしまったのだというルシールに、リオンは安堵した。


「白いブラウスって濡れたら透けるというのは本当なのね」

ルシールは以前、リオンが海に入るのなら白いブラウスを着ないようにと言っていたのを思い出した。

リオンは無言でタオルを広げ、ルシールの身体にかぶせるように覆った。

「後はやっておくよ」

「え、大丈夫よ。濡れただけだから」

「髪が濡れたままだから、先に乾かしておきなよ」

 さて、この後、ルシールは遅くまで寝かせてもらえなかった。






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