13
なんとなく予想していたけれど、リオンとはあまり会えなくなった。
採取屋として最初は近場で活動し、春を迎えてから遠征するようになった。そうなればなかなか帰って来られなくなる。
戻って来たら、採取の話を聞かせてくれる。
「はい、お土産」
そう言って渡されたハチミツカステラのふんわりとしたやわらかさや甘さを楽しみながらリオンの話を聞く。リオンと昨年食べたハチミツレモンシャーベットもひとりで食べてみたが、二度目だからか最初に食べたほどには美味しいと思わない。同じハチミツを使ったカステラは舌がとろけそうなほど美味しかった。
「毒を持っているものもいるんだ。知らなくても、あ、これだって分かることがある。そういうのは大抵派手で毒々しい色を持つんだ。蛙なんか特にそう。あれは危険信号ってやつだよ」
そんな風にしてリオンが採取屋として稼働し始めて一年と少しが経ったとき、本人から聞いた。
「新素材を発見したの?!」
「まだ秘密だからな」
ルシールにはこっそり教えてくれた。
「すごい。すごいね!」
ルシールは一時的に語彙が少なくなった。もうその言葉で頭がいっぱいに埋め尽くされたのだ。
対するリオンは静かに返す。
「爺さんに認められたかったから」
祖父はここのところ体調を崩し、寝込むようになった。先は長くないという思いが、リオンを躍起にさせた。
苦労して発見した。ひやっとする場面もあったのに。
祖父は、リオンを認めていない。
ルシールは敏感にリオンが心から喜んでいない様子を悟って戸惑う。
リオンははっと我に返って口を開く。
なにをやっているのだ。ここは、マーカスの工房はルシールの避難場所なのに。心配させてどうする。
「新たな素材が発見されれば、加工屋は大忙しとなるんだ。その特性だけでなく、ほかの物質と化合した際どういった現象が起きるかを調べる必要があるから」
リオンの言葉にルシールは新年祭のとき、デレクの素材屋の工房に集まって来た者たちから聞いた話を思い出す。
「これは競争なんだ」
有用な配合をいち早く掴み、特許申請をして売り出す。ひと財産手に入れられるかどうかの瀬戸際だ。
そういった意味でも、優れた採取屋は有能かつ誠実な素材屋や加工屋との伝手を持つことが重要だ。
発見した鉱物や植物がどんな特性や性質を持っているか。それによってできる生産物も変わって来る。
まだ駆け出しの採取屋なのにリオンが大発見したと聞いたルシールは自身も魔道具への理解を深めようとした。マーカスの作業を見学し、説明を受けながら時に触らせてもらい、むずむずした。
ルシールが第三学年に進級するとき、妹が入学した。家では大騒ぎだった。
可愛らしい妹は当初、学校のことを楽しそうに家族に話していた。ルシールは自分から興味が逸れてほっとしたものだ。
けれど、徐々にその内容は少なくなった。話題が少なくなっても重苦しい雰囲気が漂う。
蝶よ花よとちやほやされていた家とは違うという現実を突きつけられ、癇癪を起こすようになった。
友だちや先生を始めとする学校でのいろんなことが思い通りにならないと泣きわめく妹に、そのときになってようやく家族は彼女に問題があると悟った。
それでもまだ、可愛い可愛い末っ子だ。
正月を迎え、家で行われた新年祭で、ルシールは特に期待はしていなかった。
ちやほやされる妹は自慢げな顔をしたが、ルシールの淡々とした表情にむっと鼻に皺を寄せる。
「ルシールはどうなの。友だちはいるの?」
友だちがいないという妹にさすがにそれはどうなのかと思ったのか、母がルシールにそう聞いた。
わたし、もう第三学年生だよと思ったものの、口には出さずに「うん、いるよ」とだけ言った。
「そう。そうなのね。じゃあ授業はどうなの? ちゃんとついていけているの?」
「ルシールはずっと最優秀学生の成績評価を受けているだろう」
珍しくひと言で終わらせず続けた母に、父が答える。三学年までは基礎を学ぶので、たいていは最優秀か優秀の評価を受ける。現在最終学年である兄が身じろぎする。一昨年あたりからそのどちらにも該当せず、両親に渋い顔をさせた。
「来年からはとたんに難しくなるからな」
兄がしたり顔で言うのに、ルシールは短く答える。
「うん。頑張る」
少し前、デレクはにやりと笑ってルシールに言った。「放課後に好き勝手したいのであれば、口出しされる隙を作るんじゃないよ」と。マーカスは「デレクさん、もっと言い方を考えて!」と悲鳴を上げたが、引き続きマーカスの工房へ来たいルシールは大いに頷いたものだ。
さて、両親や兄がいっぺんにルシールと会話するのはごく珍しいことだった。
そして、妹は関心を奪われたと噴火した。
ハサミを手に取って、ルシールの後ろに立ち、髪を掴んでジャキジャキと切った。
ルシールは後ろに引っぱられて驚いた。振動が伝わって来る。
「なにをしているの!」
母の悲鳴交じりの甲高い声に刺激されたのか、妹が泣き叫ぶ。
「お姉ちゃんが悪いんだ! お姉ちゃんが悪いんだ!」
父と兄はぽかんと眺めている。
「わたしには友だちがいないのに! お姉ちゃんにいるなんて、おかしい! お姉ちゃんが悪いんだ!」
そして。
父母は泣く妹をなだめる。兄は気まずそうに、そして面倒くさそうな顔をしながら自室へ戻って行った。
ルシールは弾かれたように動き、家を出た。
無我夢中で走った。向かった先は家よりも居心地の良い場所となっているマーカスの工房だ。
だが、年始はだいたいどこの店も工房も閉まっている。昨年末に来年のこの日においで、またみんなで新年祭をしようと言われていた。それは明後日だ。学校が始まる前日、ルシールの休みの日にわざわざ設けてくれた。
だから、大丈夫。
ルシールはひとりではない。
今は家にいたくないから、しばらくここで時間をつぶしていこう。
工房の軒先に座り込んだルシールは、立てた膝に顔をうずめて嗚咽を漏らした。
マーカスは以前からデレクに整理整頓の重要性について何度となく言われていた。当然、彼の素材工房はきれいに片付いており、なにがどこにあるかは一目瞭然だ。
無口で頑固な職人気質の加工屋アーロンの工房も、多くの種類の部品や機械が大量にあるにもかかわらず、整理されている。あんなに沢山の職人を抱えていてもだ。
妻に任せっぱなしだったマーカスは別の都市に住んでいてたまに顔を見せる息子にも呆れられるくらい、片付けが苦手だった。
それがここ数年、毎日のように学校帰りに隣のレアンドリィ島からエイベル橋を渡ってやって来るルシールが掃除をするようになった。とたんに工房にやってくる者が口々にきれいになった、片付いているという。
さすがに十二、三歳の女の子に任せっきりではいけないと思い、奥の作業部屋は散らかさないようにしている。そこいらに道具を投げ出さず、ルシールといっしょに決めた置き場所に置くようにするだけで、物がなくならない。新たな発見だった。
「鳴き声シリーズの魔道具じゃないんですもの。勝手に動かないわよ」
ルシールがくすぐったそうに笑って言うのに、マーカスは頭をかいたものだ。
さて、数日とはいえ、そのルシールが来ない間に少しごちゃっとなってきつつある奥の作業部屋で「あるべきところ」へ道具を片付けた。ルシール曰く、「道具の居場所」である。正月にすることではないが、ひとり暮らしなので新年祭をすることもない。
ルシールのお陰で、マーカスもまた、久しぶりに賑やかな新年祭に、昨年から参加するようになった。
そんな風に思いながら、カウンターのある部屋に移動すると、物音がした。外からだ。
魔道具は高価な代物だ。
新年祭の人気がないときを狙って窃盗犯が現れたのかとにわかに緊張する。のどかで治安が良い七つ島でもそういった事件は発生する。温暖で豊かな七つ島は南北の大陸から食い詰めた者がやって来ることも多い。労働条件が良いので働いて島民となっていく者もいれば、手っ取り早く赤の他人から掠め取ろうという者もいる。
しかし、【バウワウの警報装置】は作動していない。【バウワウの警報装置】は戸や窓を破損されたら警報音が鳴るなど様々な用途と仕掛けがある。マーカスの工房では戸や窓だけでなく、魔道具を納めている棚のガラス戸も破損すれば警報音が鳴る。
恐る恐る正面の扉を開けると、軒先でしゃがんでいる子供がいる。
「ルシール?!」
ざんばらの髪が冷たい冬の風によっていっそう乱され、コートも着ていない。なにより、上げた顔が泣きはらしていた。
マーカスを見て、跳ねるように立ち上がって抱き着いてきた。嗚咽を漏らすルシールの背中を撫でながら、「中へ入って。なにか温かい飲み物を飲もう」と言った。
腕の中の小さくて華奢な身体は冷え切っていた。
ルシールはステルリフェラ島の名前を家名に持つ。総督家の傍流の家の子だ。
なのに、学校に上がったばかりのころから毎日工房に通ってきている。それを家族から咎められている風でもない。放っておかれているのだ。学校のこと、友だちのこと、リオンやデレク、アーロンのことなどいろんなことを話すルシールは、家族のこととなるととたんに口が重くなる。アーロンとどっこいどっこいなくらいだ。
昨年の新年祭も自分は参加できないだろうとぽつりと漏らした。マーカスは自分と同じように察しているだろうリオンやデレク、アーロンたちに声をかけてルシールの新年祭のやり直しをしようとした。ちょっとした食べ物や飲み物を買って飲食しながらおしゃべりしたら良い、くらいに思っていた。
ところが、「マーカスさんはお掃除妖精の人気を分かっていないですね」とデレクが片眉を跳ね上げた。そして、あれよあれよという間に会場はデレクの素材工房に移り、アーロンの工房の職人たちのほとんどが詰めかけた。中にはほかの加工屋の職人や、素材屋、採取屋までやって来た。
「ルシール嬢ちゃん、ハチミツが好きなんだって? 持ってきたよ」
「ハチミツじゃなくてハチミツ菓子だろう? はい、これ、お土産」
初見の者たちに初めは戸惑いつつも次第に打ち解けていたルシールはアマンダやセルマの手伝いをしたり話しかけられて面はゆそうにしていた。
「母親に甘えたい盛りだろうにねえ」
くるくる動くルシールを、マーカスといっしょに眺めるデレクは、にこやかなのにどこか凄みがあった。
マーカスもデレクと同じ気持ちだ。
ルシールは家族からひどい扱いを受けている。
ならば。
マーカスは居住部の居間で渡してやったココアの入ったカップにふうふうと息を吹きかける鼻を真っ赤にしたルシールを見て思う。
この先、ひとりで生きていく術を身に着けておくのはこの子の力となるのではないだろうか。そして、なにより、心の支えになるのではないか。
そう考えたとたん、その言葉は口をついてでてきた。
「魔道具師になるかい?」




