34
リオンは苦々しい表情になる。アビゲイルは唇の両端を吊り上げる。だが。
「それは褐色の髪に茶色の瞳の三十前くらいの人? それとも、金髪に紫色の瞳の美形? まさか、薄い金髪で琥珀色の瞳の中性的な美人?」
「え、ちょっと待って。なんでそんな具体的な容姿の人が何人も出てくるの?」
全員ルシールを好んで彼女の前に頻出するからだ。
リオンはあっと息を呑んだ。
「黒髪に緑色の瞳の美丈夫じゃないよな?」
あの可愛がりようでは、会いに来ても不思議ではない。
「まだいるの?!」
まだいるのである。総督が別島の市内にそうそう簡単にやって来てほしくないものだ。
アビゲイルの説明からそれがエルだと判明し、ルシールから聞いたことを思い出したリオンは眉間のしわを深くする。
「そんな顔しないで? 大人しそうな顔をしてそんなにいろんな人と楽しんでいるのなら、リオンもそうするといいんじゃない?」
だから、自分と、と腕を絡めて来るのをリオンはするりと避ける。
「ほら、あの通りのあの高級店へ入って行くのを見たのよ?」
それはカーディフでも名だたる高級料理店だ。
「ああ、あの店にもエビチップスがメニューにあって驚いたと言っていたな」
エルと食事をしたと聞いて気が気ではなかったリオンだが、ルシールのその科白を聞いて身体の力が抜けた。
「美味しかった?」
「美味しかったわ! 高級なエビチップスってあり得るのね!!」
目をきらきらさせて話したルシールに、しまった、こんなに喜ぶのなら自分が先に連れて行きたかったと後悔したものだ。ルシールはそれほど高級なものに興味を示さない。高級料理店でエビチップスという庶民のおやつが供されたということに心を惹かれたのだ。
知っていればリオンだって連れて行った。初回の機会を、まんまとエルに掻っ攫われたのだ。
「今度、季節が変わったら連れて行くつもりだ」
幸い、エビチップスは季節ごとに味が変わる。特にああいう高級店ではそういった違いを出して来るだろう。なんなら、リサーチしても良い。
「二番煎じなのが癇に障るが仕方がない」
「リオン、あなた、変わったわね?」
そうしてアビゲイルは笑った。
「すまない」
「そうですか」
わざわざ工房を訪ねて来たオスカーの表情が硬かったことから、ルシールは半ば覚悟していた。けれど、上層部が難色を示していて、おそらく提案書は通過しないだろうと聞き、途方にくれた。
市庁舎の許認可が下りなければ、たとえ魔道具が完成しても、用いることはできない。使用できない魔道具は売れない。
唇を噛むルシールに、オスカーがふたたび頭を下げる。
「オスカーさんが悪いのではないのだから、謝らないでください」
「いや、わたしの力不足だ」
「総督府管轄なのだったら、仕方がありません」
水道施設は総督府の管轄領域となるため、市庁舎の上層部は腰が引けているのではないかというのがオスカーの見立てだ。
カーディフのような大都市を管理する市庁舎の役職付きの者であっても、打診することすら躊躇するのだ。改めて、総督の権威を思い知らされる。
「かえって気を遣わせてしまって、すみません」
「いや、」
「わざわざ知らせに来てくださって、ありがとうございます」
ルシールは設計図の模写を受け取った。提案書の方はオスカーが預かり、再度折を見て打診してみるということになった。
オスカーは頑なな上層部に辟易した。
「そんなことより、窃盗事件はどうなったんだ」
せっかく、新人魔道具師が市民のためになる魔道具を開発しようというのに、言うに事欠いて「そんなことより」だ。
「いいだろう」
オスカーはさっさと窃盗事件を片付けて、改めて魔道具導入に取り組むことにした。
そんなオスカーは隣島の総督夫人代理エリーズと会ってルシールの話題になった際、事の顛末を簡単に話した。
「ルシールさんから手紙を受け取っていますわ。さすがね。免許を取ったとたんに魔道具の開発をしようなんて」
「ご存じだったのですね」
「ええ。ただ、最近、総督夫人の体調が思わしくないから、お会いしていないの」
オスカーもレアンドリィ総督夫人は身体が弱いことを知っている。ただ、ルシールはエリーズの友人とは聞いていたが、まさか総督夫人とも親しくしているというのは初めて聞くことで、内心驚いていた。エスメラルダは公務のほとんどを義弟嫁であるエリーズに任せ、あまり人付き合いもしない。
「せっかくの市民のための魔道具ですが、うちの上層部は総督府に掛け合うことすら腰が引けるようで」
「その資料を見せていただくことはできますかしら? 設計図の写しはお返ししたの? これは提案書ね」
興味津々で覗き込む姿に、オスカーはある種の予感を抱くのだった。
エスメラルダの体調も優れなく、さらには魔道具の開発も暗礁に乗り上げた。
ルシールは気落ちした気分のまま、友人たちと約束した待ち合わせ場所へとぼとぼと向かった。
「ルシール!」
「こっちよ!」
「久しぶりねえ」
沈んだ気持ちは、親しい者たちの顔を見たら幾分浮上する。ルシールはジャネットたち三人に小走りで近寄った。
「ごめんなさい、遅れたかしら」
「いいえ、時間ぴったりよ」
「まだ五月は先なのに、暑いわね。どこかに入りましょう」
「そこで良いかしら」
特になにをするでもなく、集まることもあるので、ルシールは気にすることなく、友人たちの後からカフェに入った。
「それで、なにがあったの?」
注文を済ませたとたん、ジャネットが口火を切る。
「え?」
「ルシール、あなた、顔色が悪いと錯覚するくらい暗い顔をしていたわよ?」
「しゃべるだけしゃべったらすっきりするかもしれないわあ」
ライラが心配し、ネリーが促す。
「ありがとう」
友人たちの気遣いが嬉しく、ルシールは唇をほころばせた。笑ってみれば心もほぐれる。身体と精神はつながっているのだと実感する。
「それが、」
ルシールはエスメラルダや魔道具のことだけでなく、若手交流会からリオンの憧れの人のことまで語った。
「盛りだくさんね」
「予想以上だったわ」
「そりゃあ、気分も落ち込むわね」
ジャネットとライラ、ネリーがそれぞれ顔を見あわせて頷き合った。
「「「こういうときは食べるのがいちばん!」」」
追加オーダーをし、食事とデザートをしっかり食べながら喋りまくった。
「総督夫人のことは正直なところ、どうにもできないわね」
「でも、魔道具の開発のことって、ネリー、なんとかならない?」
「わたしでは皆目見当もつかないわあ」
ジャネットが心配で顔を曇らせ、ライラが尋ね、ネリーが管轄外だと首を横に振る。
「そうだわ、エリーズさんに相談してみたら?」
「ううん、それはしたくないの。わたしは好意で親しくしてもらっているだけなの。わたしの魔道具師としての実力でつながっているのでもない方を伝手にはしたくないの」
トルスティに出資を頼むことすら、大分気が引けるのだ。精いっぱいアピールして、後は相手が興味を抱くかどうかだと考えるほかない。
「それもそうか」
ジャネットの提案にルシールが断ると、同じ職人として分かるとライラが頷く。
「そういうもの?」
「うん。だって、自分の力に相応しければ良いけれど、それ以上の伝手は見合う力を必要とするわ」
小首を傾げるネリーに、ライラが説明する。
「なるほどね。総督が認め得るものでなければ、その力は借りられないわね」
「そうなの」
ジャネットの言葉にルシールが頷く。
「それにしても、そのブレイズっていうやつ、腹が立つわね!」
「本当ね! 女性をなんだと思っているのかしら」
「自分が好意を持ったのだから、応えて当たり前だと思っているのよ」
ライラがパンケーキに噛みつき、ジャネットがワッフルにフォークを刺し、ネリーがマフィンを一刀両断する。
もちろん、しっかり味わう。
「あ、これ、美味しいわ」
「ちょっと取り換えない?」
「こっちもどうぞ」
それぞれのスイーツを交換し合うものだから、味は一辺倒でなく、様々なものを堪能することができる。
「わたし、以前、ネリーが言っていたことが分かったわ」
「どういうこと?」
「あのね、」
じろじろ胸を見られたということを話す。
「いやーっ!」
「上着を脱げとかなにを言っているの!」
「太って見えるって大きなお世話よお!」
ルシールはそうやって否定してもらえてすっきりした。嫌な気分が消え去っていく。




