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市庁舎で大分時間を取られてしまったため、ルシールは魔道具師協会には寄らず、工房へ戻った。
顛末を話すと、シンシアはオスカーに相談してみてはどうかと言った。立場を利用することになるのではないかというルシールの躊躇を笑い飛ばす。
「伝手というのは、こういうときに使うものなのよ」
エルに出資を頼むのとは違うから、と自分を納得させつつ、ルシールはオスカーに会いに、翌日もう一度市庁舎へ向かった。
総合受付でオスカーと面会したい旨を話し、待合室のソファに座って昨日と同じく図面を広げた。
「熱心だな」
間近で声がしてルシールが顔を上げると、オスカーが立っている。
「オスカーさん」
こんなすぐにやって来るとは思わず、熟考の構えだったルシールは慌てた。
「まさか君の方から会いに来てくれるとは思いもよらなかった。嬉しいものだな」
「そ、その、実はご相談したいことがありまして」
やはり、ルシールにはオスカーの好意につけこんでいる気がしてならなかった。
ルシールは知らないことだが、たとえば採取屋ならば、そうやって好意を抱かせて取引きをスムーズに行うのも営業のうちだ。リオンやアラン、ルイスは上手く立ち回り、恋愛沙汰に持ち込まないようにした。経験上身に付けるものである。
「応接スペースに移動しよう」
衝立があって人目を気にせず、それでいて個室ではないので密室にふたりきりにはならない。
向かい合って座り、持参した設計図の図面をひとつずつ指さして説明するうち、ルシールは躊躇や遠慮を忘れた。次第に説明は熱を帯びる。
「なるほど。確かに、冬場はタンクの消耗が激しい」
そのせいで湯を沸かすために魔力を込める頻度も高いのだという。
「何度も水を沸かす必要があるからな」
水の使用は無料だが、タンクによる湯の使用はそうではない。
「どうせ金銭を払うのだったら、魔道具を買った方が良いと考えるかもしれないな。不足に頭を悩ませることもなくなるし」
水は無料なのだから、魔道具で湯を沸かして使用できれば、購入費用やメンテナンス費だけで済む。魔力は自分で込めれば良い。
「この設計図を借りるか写しをとることは可能か?」
オスカーは上司に掛け合ってみると言ってくれた。
「それと提案書が必要だが、書いたことはあるか?」
「いいえ。提案書というのはどういうものでしょうか」
「簡単に言えば、この魔道具がカーディフ市民にとってどれだけ有用かを文書にしたものだな」
まったくなにも知らないルシールに、オスカーはひな型を用意し、ていねいに書き方を教えてくれた。
設計図の写しに提案書を添え、オスカーに預けた。
「では、上司に相談しよう」
「なにからなにまで、ありがとうございます」
「返事はしばらく待ってくれ」
「はい」
エスメラルダの体調が思わしくないという連絡が入った。
ルシールは散々迷った挙句、自分が行ってもなにもできないだろうと思い、手紙とお見舞いの品物を贈った。
昨年、五月祭りのときに作った七つ島特有の小動物フィフィを模した魔道具で、うっすら光る置物だ。
フィフィは不思議な生き物で、発光器官をもつ。ふわふわの毛の中央からうっすら光るのだ。しかも、食べた木の実の魔力によって色が変わる。
発光器官をもつ動物や昆虫はほかにもいるが、その理由は獲物をおびき寄せるため、求愛行動といったものだ。フィフィが発光する理由は定かではないが、夜間に仲間であることを示しているのではないかと言われている。
エスメラルダからはていねいな礼ととても愛らしいと感想がしたためられた手紙が届いた。
暖かくなったらまたジャネットとともに茶会をしようとも記されていた。
ルシールは先の約束をすることができたことに、安堵した。
エリーズからも、ルシールとの約束を楽しみにしていると書いた手紙が届いた。
「ルシールさんの魔道具を何度も可愛いと言っていた」という一文に、ルシールは思わず涙がこぼれそうになったが、こらえた。
自分が泣いてどうする。エスメラルダの傍にいる者たちはもっと気が気ではない。それでいて、なお、彼女を不安にしないために笑顔を維持し続けている。
ルシールは自身の無力さを噛みしめながら祈るほかなかった。奇しくもそれは、ヒューバートを始めとする周囲の者たちと同じ気持ちだった。
自分が今できることを、精いっぱいやろうと思った。
ルシールはいつだってそうしてきた。
家族には恵まれなかったけれど、周囲には手を差し伸べてくれる人たちがいた。
そんな支えてくれた人たちでもある友人たちと会う予定ができた。
正直なところ、エスメラルダが苦しんでいるのに、遊んでいても良いのかと思った。
ふさぎ込むルシールの様子を敏感に察したリオンが話を聞き出し言った。
「行っておいでよ。ルシール、君がふさぎ込んでいてもエスメラルダさまは喜ばないと思うよ。それより、どんな風に楽しんだかを君から聞きたがるんじゃないかな」
「ええ、そうね」
そうだった。エスメラルダはいつもルシールの話を聞き、驚いたり笑ったり、感心したりした。
「今度、お茶会をしたときにたくさん話せるようにしなくちゃ」
「うん。そうだ、去年言っていた珍しいソースが手に入らないか当たってみるよ」
ジャネットたちを引き合わせた際、リオンはそんなことを言っていたとルシールも思い出す。
「ありがとう。リオンのお陰で元気が出たわ」
「そうやってね、引きずられないようにした方が良いよ。そうしないと、共倒れになる。周囲にいる人間は引き上げる側にいなくちゃならない」
そんな風に言うのは、祖父のことを思い出してのことだろう。長らく容態が思わしくなかったという。
「リオンの言う通りね。わたしがしっかりしなくちゃ。ああ、そうか。エリーズさんもそんな風に思って、エスメラルダさんに接しているのね」
「きっとそうだろうね。エリーズさんも辛いだろう。でも、傍で明るく振る舞っているんだろうな」
きっとそれはエリーズだけでなく、ヒューバートやパトリック、メルヴィルたちもだろう。
「素晴らしい方々ね」
「そうだね」
さて、しんみりした雰囲気は長くは続かなかった。
「———エルと食事をいっしょにした?」
「そ、その、成り行きで」
「——————オスカーとまた会うの?」
「新しい魔道具の相談に乗ってもらっているの。市庁舎の許認可が必要だということで、窓口では要領を得ない回答しかなくて」
リオンは自分の恋人が好意を寄せられる相手が加工屋ブレイズだけではなかったと思い知らされた。
「ジャックもアランやルイスがルシールと会っているって聞いて、自分も食事に行きたいって言っていたよ」
そう言いながら、リオンはそのときの騒動を思い出した。採取屋は集まればにぎやかになる。
「俺、もう名前を憶えてもらったもんね」
「俺なんて、小さいころから「頼りになる格好良い採取屋のお兄さん」ポジションだぜ!」
「アラン、盛りすぎだ」
ルイスがそれは自慢になるのかということを自信満々に言い、アランが胸を逸らし、リオンは顔をしかめた。
「ずるーい! 俺もハニーちゃんに会いたーい」
アランとルイスがリオンの恋人に何度も会っていると知り、ジャックがしきりに羨ましがった。大きな声を出したものだから、どこからともなく採取屋が集まって来た、とはリオンの感想だ。アランやルイスに言わせると、リオンがいれば集まってきやすいのだという。
「人を誘蛾灯みたいに言うな」
呆れるリオンに、採取屋たちは言ったものだ。
「ひどーい! 俺たち蛾かよ!」
「夜の蛾?」
「鱗粉飛ばしちゃうぞ!」
「いやーっ、フケツ!」
そうしてげらげら笑うのだ。
思い出してげんなりしたリオンは、だからルシールに会わせたくないのだ。ルシールには彼らに感化されてほしくない。
「あいつら、悪いやつらではないんだけれど、なんでも面白尽くにしてしまうし、騒がしいから、ルシールを困らせたくない」
「ええと、ジャックさんには改めてお礼を言いたいと思っていたの」
「俺が代わりになにかしておくよ」
なお、行動力があり、思ったらすぐ実行する採取屋たちがおとなしくしているのは、アランに言い含められているからだ。
「リオンのハニーちゃんは、お前らに群がってくる女の子たちみたいに積極的じゃないの。なのにさ、我も我もと押しかけてみろよ。そうなったら最後、リオンが激怒してもうお前らを構ってくれなくなるかもしれないぞ」
情報収集を習い性とする採取屋たちは、昨年、リオンのファンの女性たちが彼の恋人にひどい真似をしてそっぽを向かれたことを知っている。声を掛けられても冷たいまなざしを向けてろくに口もきかない。
自分たちもそうされたら。
採取屋たちは蒼ざめた。
それでなくても、リオンは誘えば付き合うものの、単独行動をすることも多い。採取屋だけでなく加工屋やそのほかの職業の者たちからも人気で忙しい。なんなら、「七つ島の採取屋」、つまり七つの島すべてで活動する採取屋だから、カーディフを離れることも考えられる。
採取屋たちは軽率な行動を控えようとするのだった。
リオンが取引先を回っていると、呼び止められた。
艶やかな黒髪の先が揺れる鎖骨、胸元が大胆に空いた服を着たアビゲイルは、周囲の視線を攫っていた。
「奇遇ね?」
「なにか用か?」
この後にも予定が詰まっているリオンは先を促した。
「本当につれないわね? 変わっていない」
苦笑交じりで腕組みする。ちょうど胸の下で組んだ両腕によって豊かな胸が強調される。道行く男たちの視線が釘付けになるが、リオンの目線は固定されたままだった。
アランがここにいれば、ルシールがやったらまた違っただろうとにやにやしたかもしれない。
「ちょっと場所を移さない? あなたの恋人のことなんだけれど」
「悪いな、この後用事があるんだ」
ここで話せないのであれば、聞かないというリオンにアビゲイルは仕方なしに赤い唇を開いた。
「それがね、あの子、ものすごい美形と会っていたの」




