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家の中で起こるもめ事は、たいてい妹がルシールに仕掛けてくることが発端だ。母は妹をかばい、父と兄は無関心だ。ルシールはそっけない父と兄に代わってリオンとマーカスを慕った。
その日、妹に髪飾りを壊されたのに、なぜか「ルシールが悪い」という結論を言い渡され、やりきれなくなり、日曜なのにマーカスの工房へやって来た。べそをかくルシールを、工房に顔を出したリオンが「甘いものを食べよう」と連れ出した。
「ちょうど良かった。マーカスさんのところに行くときに見かけてこれは絶対ルシールに言わなくちゃって思っていたんだ」
そう言いながら向かった先には赤と白の縞模様の布が庇をつくる可愛らしい店だ。
「ハチミツレモンシャーベット?」
「そう。こう暑いと冷たくてさっぱりしたものが食べたくなるよな」
「うん!」
つい先ほどまで鼻をすすっていたルシールはにっこり笑う。
厚手の紙に蝋を塗ったカップもまた、赤と白の太い縞でとても可愛らしい。食べ終わったら洗って小物入れにしようとルシールは決めた。
シャーベットはうっすらとした黄色で、レモンシャーベットにハチミツが練り込まれていた。冷たくざらりとした食感がなんとも言えない清涼さをもたらす。甘酸っぱくてどれくらいも入りそうだ。
「ゆっくり食べな。頭が痛くなる」
「そうなの?」
「うん。よくがっついてキーンってなっている連中を見かける」
リオンがにやりと笑う。
いつもやさしくて頼りになるリオンが、そんな風にちょっと悪そうな感じを見せるのに、どきりとした。
リオンはルシールがなぜ日曜なのに工房にやって来たのか聞かなかった。ほかに話すことはたくさんある。
たとえば、あともう少しでリオンは学校を卒業するとか、卒業式の後、どこでなにを採取するかもう決まっているとか、そういった話だ。
「俺もいつか、【ブヒヒンの荷車】を手に入れたいな」
「リオンさんのおじいさまのみたいな?」
「うん。でも、気難しいって本当だよ。じいさんのも何回か借りたことがあるけれど、これがもう、言うことを聞かない!」
「手ごわいなあ」
なんでもできるようなリオンが肩をすくめるのに、ルシールは目を見張る。
「でも、ルシールが撫でたら尾を振っていたよ」
「そうなの? 気難しいって聞いたから、触っちゃだめだったかな、って思っていた」
こっそり触ったのに気づかれていたらしく、ルシールは首をすくめる。
「だからさ、俺が【ブヒヒンの荷車】を手に入れたら、いっしょに仲良くなろう」
リオンの提案に、ルシールはふわあ、と腹の奥から温かいものが溢れてくる感覚になる。
「うん! わたし、【ブヒヒンの荷車】についていろいろ調べるね」
「よろしくな。あの魔道具は慣れてくれればこっちの癖を読み込んで動いてくれるっていうからなあ」
「たくさん運べるね」
「そうなんだ。採取で一番の問題はせっかく見つけたものを持ち運べないってことなんだ」
優れた荷車系の魔道具は悪路をものともせずに進むという。
リオンもまた、学校の図書室によく行くそうで、図鑑を眺めるのだという。
「図鑑で見たのを現地で繁殖しているのを発見したときは感動した」
「いいなあ。わたしも行ってみたい」
「じゃあ、俺といっしょに行こう」
「本当? うれしい!」
そんな風にしていつまでも尽きることなく話した。
リオンから見たルシールは、ハチミツ好きの女の子だ。
いつの間にかマーカスの工房にしょっちゅうやって来て、掃除をするようになっていた。お陰で、ごちゃごちゃしている工房がすっきりしたと言われるようになった。
箒を持つその子はとても小さくて、だからか、瞳が大きかった。もう学校へ行っていると聞いて驚いた。リオンには三歳下の弟がいたけれど、学校に上がったときはもっとずっと大きかったと思う。
ルシールというその子は女の子なのに魔道具が好きで、仕組みにも興味を持っている。それだけでなく、素材についても関心を寄せる。
マーカスが魔道具について正しく話したからだろう。
リオンの素材や採取についても本物の興味を持って聴く。目がきらきらして未知へのあふれる好奇心を持つ様子が分かる。
リオンはいつからか異性に話しかけられることが多くなった。
けれど、彼女たちは興味ない話を長々と聞きたがらない。うんちく好きの男ってね、と肩をすくめるのだ。
依存が強い子はうんうん頷きながら聞くが、実際には関心がなく、なにひとつ覚えていない。そういう子は束縛が強く、ずっといっしょにいたがる。採取であちこちでかけるリオンには付き合いきれない相手だ。
ルシールはどの女性たちにも当てはまらない。
魔道具好きで素材にも興味があるからか、リオンの話に積極的に質問してくる。いつも感心してくれるものだから、「分からない」と言いたくなくて、リオンはルシールの疑問に答えられるようにせっせと学んだ。そうしてみると、あやふやだったことがどんどん繋がっていく。
ああ、だからこうなるのか、と思ったことを、ルシールに説明したら彼女もまた同じような道筋を辿るのが面白い。
すごいね、と言われるのが嬉しくて、そして、たまに沈んだ顔をするのが気になって、リオンは時間があればマーカスの工房に顔を出した。
ルシールはいつまで経っても小さい。この年頃の子供はどんどん大きくなるものだとばかり思っていた。
マーカスも同じなのか、リオンが顔を出すと、ルシールとおやつを食べておいでと送り出す。
採取屋を目指すリオンは情報収集を兼ねていろいろ調べているから、街の様子にも詳しい。マーカスの意図を掴んで、ルシールの好みそうな店をピックアップしては連れて行く。
ペルタータ島の中でも二番目に栄える街カーディフはきれいに整備されている。街路樹や小広場はたくさんある。ルシールとそんな広場のベンチに座ってあれこれ話す。
ルシールはリオンの祖父のことを「おじいさま」と言うような家の子だ。だが、どうも、家族とうまくいっていない様子だ。兄と妹の間に挟まれ、わりをくっているらしい。ちょうどリオンの姉弟と逆の性別だが、リオンは家族にないがしろにされているとは感じない。
この日、日曜だというのにマーカスの工房にやって来ていたルシールは鼻のてっぺんを真っ赤にしていた。
マーカスはルシールよりも年かさの孫がいるはずだったが、目を真っ赤にした少女におろおろしていて、リオンの顔を見て安堵した。
後日会ったとき、「ルシールのあんな顔をデレクさんやアーロンさんたちが見たらとんでもないことになりそうだ」と言っていた。
ハチミツレモンシャーベットを口に入れては、冷たいと肩をすくめてみせるルシールは、以前、カーディフでも一、二を競う技術の持ち主の加工屋アーロンの工房へ行ったのだという。そこでちょうどやって来たデレクが、商談するマーカスとアーロンに代わって工房を見学させてくれたのだという。
あのデレクである。
リオンの祖父トラヴィスも名の知れた素材屋だが、デレクも違った意味で有名だ。素材屋として、腕も知識もあるのは確かだ。だが、とにかくデレクは厳しい。一見、にこやかだが、笑顔で毒を吐く。
「ありゃあ、矢毒だ」
南の大陸の密林で用いられる、わずかな量で死に到る毒である。
「分かる。プスッと一刺しだよな」
「そう。にこにこしながらとどめを刺すんだよな」
「あの笑顔に騙されてイキったやつがどれだけ膝からくずおれたことか」
採取屋たちはそんな風に囁き合う。
当然、駆け出しどころか、採取屋の見習いにしかすぎないリオンもデレクの前では背筋を伸ばし礼節を保つほかない。
そんなデレクが好々爺の様子で小さな女の子の手を引いて、勝手知ったる他人の工房を案内して回ったという。工房の職人たちが夢でも見ていた気がする、と神妙な顔で話して回ったのだから、カーディフではちょっとした話題となった。
「矢毒が封印された?!」
「ばっか、ありゃあ、ルシール嬢ちゃんにだけだよ」
「それよかさ、アーロンの親方だよ」
「そう! それ!」
「デレクさんの毒が見え隠れしたとたん、あの重い口を開いて代わりに説明してやっているんだぜ?!」
「はあ?! あの無言の親方が?」
「しかも、あの親方親子のわだかまりを消し去ったらしいぞ。アーロンさんの工房の職人が最近工房の雰囲気が柔らかくなって仕事がしやすくなったって言っていた」
「ああん? あの子、魔法使いかなんかなのか?」
「いや、マーカスさんとこの工房のお掃除の子?」
「ああ! だから、マーカスさんの工房、最近綺麗なのか!」
「お掃除妖精とかそんなのなのか?」
「なんか、お礼に甘いおやつをあげるって言っていたから、そんな感じじゃねえ?」
ルシールはいつの間にかすっかりお掃除妖精として認識されてしまった。マーカスの工房の鳴き声シリーズの魔道具を手なずけているから、あながち間違いではないかもしれない。
カーディフでも腕と知識は確かだが癖とアクが強すぎる加工屋と素材屋のお気に入りの子供だ。
リオンにとっては妹のような、そうではないもっと違った存在のような、ともかく庇護せねばと思う存在だ。




