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「どうして、妹と」

 呆然とするルシールに、婚約者と妹は酔った弾みだ、ほんの一度の過ちだと言った。

 両親も兄も婚約者の親も、一度きりなのだから、目をつぶってやれと言った。

 そうしてなかったことにして、今まで通り過ごせと。


 こんなことのために、魔道具師の道を一旦諦めたのではない。ルシールは唇を嚙んだ。

 自分だけがないがしろにされたのではない。ルシールが魔道具師になるために尽力してくれた者たちの思いに背を向ける格好で婚約を受け入れたというのに。


「お姉ちゃんでしょう?」

 母はそう言えば事が収まると思っている。

 その言葉はいつもルシールを内から(むしば)んだ。じりじりと身体の中から炙られるような痛みは、焦げつかせていった。そうして、じわじわと心が炭になっていったのかもしれない。




 ステルリフェラ家の長女として生まれ、ルシールという名前をつけられ育った。

 グランディディエリ群島は南北の大陸に挟まれた内海に位置し、温暖で豊かな土地だ。中でも大きい七つの島を、各総督が管轄する。

 ステルリフェラという島の名前を家名に持つが、総督本家とは遠い傍流の家で、隣のレアンドリィ島で暮らしている。

 七つ島は橋が架けられ繋がっている。それぞれ広大な面積を持ち、山も川も森も湖もある。


 領主である総督家では、ほかの六つ島の家門と婚姻をすることで、強く結びついている。そして、それは傍流も同じだった。しかし、ルシールは妹ばかりが「あなたはそうするのよ」「どんな方が良いかしらね」と母に言われていたので、自分はそうではないと思い込んでいた。自分は期待をかけられない分、ある意味自由があると考えたのだ。


 ところが、同じ傍流のペルタータ家から持ち込まれた縁談は、妹ではなく姉であることと執拗に念を押されたのだという。素行の悪い妹の評判を聞きつけたペルタータ家が醜聞を嫌ったのだろう。

 ペルタータ家はレアンドリィ島と橋を渡ってすぐの街に居を構えており、歩いて行ける距離である。


 卒業間際に整えられた婚約に戸惑うルシールは、手放しで喜ぶ両親を見て驚いた。自分のことで両親のそんな姿を見るのは初めてのことだったのだ。

 今までなにかと兄と妹を優先しがちな家だったから、正直なところ、ようやく自分が主体になれるということ、そして、ステルリフェラ家から出られるということに、内心嬉しさを噛みしめた。


 ルシールにとって、家は安心して暮らせる場所ではなかったのだ。たとえば、ルシールの物は兄に勝手に使ってどこかに置き忘れられ、妹に壊されてきた。大切な物品は友人やお世話になった人たちに預かってもらうことで自衛していた。


 婚約したことでルシールに意識を向けるようになった母と関わろうとしたが、ことごとく妹の邪魔に遭った。

「オレリーが嫌な気持ちになるからあまり話しかけないでちょうだい」

 母にそう言われ、愕然とする。オレリーが学校にいる間も母と接触するのが面白くないというのだ。

 嫌な気持ちになる方がおかしい。焼きもちを焼いたとしても、それを自分で消化しなければならない。


「お母さん、ペルタータ家でオレリーは認めないと言われたのよ? 矯正しないと、」

 ほかでも同じように思われるだろう。

 あまり悲惨な現実を突きつけるのもどうかと言い淀んだルシールに、母は「そうよ。それで傷ついているのよ。だから、あの子をこれ以上刺激しないであげてちょうだい」

 そうではない。なぜそうなるのだ。

 ルシールは言葉を重ねて説明した。だが、母はオレリーは被害者側だという意識を翻さなかった。

 母は変わらないのだ。思い違いをしていた。ルシールがどれほど話しても耳を素通りする。

 幼いころ、「お母さま」と呼ぶように言われていたのが、いつの間にか「お母さん」と呼ぶようになっても気が付かないくらいなのだから。


 父にも話したが、子供のことは母に任せているという。

 兄は女のことは女同士で解決すべきだ、男には分からないという。

 逃げているのだ。

 そして、この家族はルシールひとりが我慢すれば事は上手く進むと思っている節があった。

 祖父母に話したが、消極的だった。第三者が介入すれば、かたくなになると言われた。

 ルシールには打つ手がなくなった。




 ペルタータ家はルシールの家と同じくらいの傍流ぶりだ。飛ぶ鳥を落とす勢いの事業は現家長のペルタータ氏が一代で築き上げたものだ。だからこそ押出しが強く、それでいて気取ったところはなかった。

 ただ、その息子でルシールの婚約者であるアドルフは父親の影に隠れがちである。


「わたしはペルタータ家の箔付けのために嫁がされたのよ」

 あけすけにそう言うペルタータ夫人は、ロエオスリアナ島総督家にほど近い分家筋出身である。

 ペルタータ夫人はなに不自由なく暮らしている様子だ。夫婦仲は悪くないからか、息子やその婚約者に干渉して来ることなく、良い関係性が築けていた。


 婚約者のアドルフは父親に連れまわされ忙しく働いている。

 ルシールは時折ペルタータ家に出向くものの、婚約者不在のままひとりで結婚準備を進めている。使用人が大勢いたので指示を出すだけで済んでいた。

 でも。


「本当にそれでよかったの?」

 ルシールの心を読んだかのように、友人のジャネットが聞く。


 ジャネットは卒業間近になって伸ばし始めた麦わら色の髪を結い上げている。鼻はつんと上がっていてチャーミングだ。

 ルシールは翡翠色の瞳、茶色の髪をしている。髪くらいはと思って手入れして艶を出している。


 ふたりは連れ立って神殿に向かっていた。学校を卒業した女性は週に一度ほど神殿に奉仕することを推奨されている。婚約を済ませたルシールも、ペルタータ家の未来の嫁として早々に奉仕活動に加わることにしていた。


「うん」

 ルシールは魔道具師を目指していた。それこそ、学校に入学したばかりの十一歳の新年祭の後からだ。

 けれど、婚約者が良い顔をしないから、一旦、魔道具師を目指すことを中断せざるを得なかった。


 ジャネットはなにか言いたげな顔つきになったが、神殿が見えてきたから、それ以上は言わなかった。神殿にはすでに何人かの女性たちが集まっていたから、耳目を避けたのだ。ルシールとジャネットは掃除に参加することにした。


「ルシールさん、カーディフのペルタータ家の方と婚約されたそうね。うらやましいわ」

 箒を持った女性に言われてルシールは曖昧に笑った。

 カーディフはペルタータ島にある都市の名前だ。ルシールたちが住む街コールドウェルとはエイベル橋でつながっていて、隣町くらいの感覚だ。

 噂話や恋の話が好きな者たちがあれこれと話しかけてくる。


「ルシールさん、ちょっとこっちを見て下さるかしら?」

 そう声を掛けてきたのはエリーズ・レアンドリィだ。侍女と護衛を連れている。

 エリーズはレジティ・レアンドリィ総督の弟の妻である。「レジティ」とは正統家であることを示す言葉で、直系の者にしか名乗ることを許されていない。

 エリーズは奉仕活動のリーダー的立場にいる女性でもあった。三十代半ばで集まった者たちの中では若い方である。

 私語をしていた者たちはいっせいに掃除を再開した。


「ありがとうございます」

「あら、わたくしが手伝ってほしくてお呼びしたのよ?」

 いつもさりげなく気を配るエリーズは今もまた助け舟を出してくれた。それについて礼を言うと、品よく笑う。そんな気さくで温かい人柄を、ルシールは慕っていた。


「ちょっとね、この【ランプ】の調子が悪いの」

「見てみますね」

 エリーズはルシールが魔道具師を目指していたと知ると、こだわりなく、今のように頼るようになっていた。学校でどんなことを学んだかといったよくある雑談を覚えていて、「ちょっと見て下さる?」と声を掛けられたときは驚いた。


 今のレアンドリィ総督夫人は身体が弱く、子供がいない。エリーズの子供がゆくゆくは総督となるだろうと言われているし、総督夫人の代理として公務も行っている。いわば、レアンドリィ島で頂点に近い位置にいる人だ。多くの人たちと話す機会があるだろう。なのに、ちょっとしたことを覚えていて、気さくに声をかける。


「ここが接触不良を起こしていたみたいですね。はめ込み直したので———大丈夫そうですね」

「点灯したわ。ありがとう、ルシールさん。とても助かったわ」

 そして、きちんと礼を言う。喜んでくれる。そうされると気分が良い。きっと、エリーズの周囲の人間もこんな風に感じ、彼女に頼まれれば気持ちよく応じるのだろう。




「今日はリサイクルする服の修繕をしましょう」

 レアンドリィ夫人が言うと、聖職者見習いたちが神殿に喜捨された服の山を運んできた。

「今度のバザーで出品しますので、みなさん、よろしくね」

 奉仕活動の内容はこういったもののほか、神殿の掃除や食事の準備を手伝うこともある。大きなバザーやなにかしらの会で出す軽食を作ることもある。


 黙々と針を動かしていたら、なんだかだんだん身体が重く感じた。

「ルシールさん、顔色が悪くてよ」

「レアンドリィ夫人」

 顔を上げて声を掛けてきた者の名前を呼んだとたん、吐き気がこみ上げてきた。そこでようやく、体調が悪いのだと気づく。


「今日はこの辺で切り上げて帰ると良いわ。わたくしの馬車を使ってちょうだい」

 遠慮しようにも呂律が回らない。

 面倒見の良いエリーズはてきぱきと手筈を整え、ジャネットを付き添いにしてルシールを馬車に押し込んでいた。


「あ、ありがとうございます」

 かろうじてそれだけは言えた。

「お礼なんて良いのよ。お大事にね」

 エリーズはとても気が利く。あまり話す機会はなかったのに、ルシールの名前を憶えていた。誰からも頼りにされるのが分かる気がする。


 エリーズがレアンドリィ家の馬車に乗せてくれなければ、ルシールはきっと神殿でしばらく休んである程度体調が回復してから家に帰ったことだろう。あるいは、気を回してジャネットを同行させてくれなければ、もっと違ったことになったかもしれない。


 ともかく、レアンドリィ家の馬車によってステルリフェラ家に送り届けられる道中、ジャネットが声を上げた。

「停めて!」

「ジャネット? どうしたの?」

「ルシール、あなたはここで待っていて」

 言って、ジャネットは血相を変えて馬車を飛び出ていった。その剣幕に驚き、大ごとになってはいけないと思ってルシールも後を追った。


 馬車は大きな公園脇に停まっていた。ジャネットはほとんど走っていると言えるほど足早に中を進んでいく。その背中を追う。


 ジャネットは途中で立ち止まって周囲を見渡し、左の木立の中を進んで戻って来、次に右の木々の間に入っていく。

 誰かを探しているのだろうか。馬車の窓から見かけたのかもしれない。けれど、こんなに血相を変えて探すほどのものなのだろうか。


 ルシールは具合が悪く、いつもの通りに頭が働かない。でなければ、ジャネットが言った通り、馬車に戻って休んでいた。けれど、追いかけるという行為をそのまま続けてしまった。

 だから、ジャネットが彼らに声を掛ける前に見た。婚約者のアドルフ・ペルタータと妹のオレリーが木立に隠れるようにひっそりと置かれたベンチの上で互いの服の中に手を潜り込ませ、深いキスを繰り返しているのを。





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