プロローグ『ハッキング』
データの海を駆けるレイ。
ヘッドギアをつけた瞬間から、脳内で超高速の演算が走っている。
最高の頭脳が導き出すコードで、仮想空間の鍵を次々と解いていく。
「こんなところに、いたなんて」
レイは、自身の研究のために必要なデータの収集のため機械人間の中枢都市アルデアの深部にヘッドギアをかぶりハッキングをしかけていた。本来の目的だった記憶と感情などの人格を電子データにする研究資料については、手に入ることができたが、その過程で思いもよらない発見があった。それは、かつて病気で亡くなったレイの想い人であるリナの感情と記憶を電子化した人格データだった。
「リナ、俺だ!」
胸を高鳴らせながら、コンタクトを試みたレイ。
通常だったら、こんな危険な行為を行ったりしないが、彼女のデータを見つけた今、理性では止められなかった。
一瞬だけ、データを視覚化したヘッドギアに捕らえられたリナの姿の表示され、目が合った気がした。しかし、彼女は、悲しい顔をして姿を消してしまう。
『侵入者発見。
これより『迎撃システム』を発動します。』
「くそっ! 見つかったか!」
一瞬にして、構築されていくデータの壁とパスワードの鎖。
「こんなところで、終わってたまるかっ!」
レイは、コンタクトから、データの取得に切り替えて、コマンドを入力する。
画面には進行バーが表示されダウンロードが開始される。しかし――
「当然、これも邪魔が入るか」
一瞬で赤い警告音が鳴り響く。
進行バーは30%を示していたが、ピクセル一つ分も動かなくなっていた。
自分のヘッドギアの画面上には、ファイアウォールを示す盾のアイコンが多数表示されている。都市全体が自分を敵と認識したようだった。
「アルファ、支援を!」
レイは、自分の支援型AIをバックアップに投入した。
画面上に、金色の髪をした背中に羽を生やした妖精のような可愛らしい少女の幻影が映し出される。
支援AI『アルファ』である。
アルファはネットの海を自在に飛び回ると次々現れてくるアイコンを撃墜していく。
鮮やかな身のこなしで次々と敵を葬っていくが、それ以上に敵のアイコンが増える速度の方が勝っていた。
「マスター私の演算能力を足しても、あと3秒しか持ちません」
超加速した3秒というのは、通常よりも長いがそれでも一瞬には違いない。
『侵入者:逆探知開始』
スクリーンにさらに強い赤い警告が点滅しはじめた。重く不快な圧迫感がヘッドギア越しに襲い掛かる。
どう考えても失敗だった。
「くそっ。離脱する」
ヘッドギアをはねのけると、コードを切断し、強制的に電気の供給を止めた。
どれだけ願おうとも現実は残酷だ。
遺伝子を組み換えて、作り替えた最上級の脳を持ってしても、最強の電子セキュリティーを突破することはできなかった。
「マスター大丈夫ですか?」
別の端末上にアルファが現れた。
「やっぱり、無理だったか……」
レイが息を吐くと、アルファが照れたように微笑む。
「えへへ」
そして、小さな手を振るようにしてデータを開示した。
「これは?」
「ダウンロードできた分だけになりますが、持ち出すことができましたよ」
「……すごいじゃないか」
レイは、アルファが表示されている端末を猫のようにひとしきり撫でると、震える手でデータを開く。
数値で30%。
たった、それだけ。
それでも、人生をかけてでもほしかったデータがあった。
「リナ……」
それは、レイの想い人リナの生前の記憶データだった。
ただの記憶の断片――という意味ではない。
彼女が確かに生きて存在した証そのものだった。