第91話 謎の少女
キュクロスが咆哮を上げて、レクスへと迫る。その動きは湿原で戦った時よりも鋭さを増している。斧を下から振り上げてくる。迫りくる死の一撃。その攻撃はレクスの体をいとも簡単に両断する破壊力を秘めているだろう。
かわすことも受け止めることもできなかっただろう。
以前のレクスならば。
斧を大剣で受けきる鍔迫り合いの果てにキュクロスの斧が弾かれる。膂力はレクスがわずかに上回っている。横に逃げようとするキュクロスの懐にレクスは自らの体を滑り込ませて、わき腹に一撃を見舞う。
それは鎧を切り裂き、キュクロスの皮膚を傷つけた。盛大な緑色の血が噴出して、たまらずにキュクロスは苦痛の悲鳴を上げた。その隙を見逃さずに、さらに追撃を試みるがそれは受け止められた。
戦いはレクスが優勢だった。
優勢といえず、このまま押し切れるとも思っていた。そう思えるほどに、レクスは自らの体から力があふれてくるのを感じていた。ただ、あの砂丘で目を覚ました時から、この感覚はある。
傷が深いのかキュクロスは部屋に転がっていた研究員の死体を捕食している。それで傷がわずかに癒えていくが完全回復とは言い難い。一瞬、レクスは室内の様子を見渡す。
死体はもう、この部屋にはない。人の肉片が散らばっているが、おそらくは回復にはつながらない。つまり、もう奴に傷口を回復する手段はないということ。それなら、このままダメージを与え続ければ倒せる。
そう考えたところで、急にキュクロスが真上に跳躍した。そして、それを見てレクスは思わず目を丸くした。キュクロスが天井に張り付いていたのだ。落下する気配はない。斧を構えて、次の瞬間、レクスへ向かって急降下してくる。
虚を突かれたがその一撃を最小限の動きでかわし、大剣を振り下ろす。肩から血が吹き上がり、それに逆上したかのように斧を滅茶苦茶に振り回してきた。まるで癇癪を起こした子供のようだが、一つ一つの攻撃が重く速い。
しかし、集中したレクスはそれを冷静に一つずつ受け流し、隙をついて大剣を振り払う。キュクロスの鎧が真横に大きく斬り裂かれて、これまでとは比較にならない声を上げた。
もう一息だ。
そう思ったとき、キュクロスは巨大斧を地面へと突き立てた。その瞬間、キュクロスを守護するかのように青い障壁が現れた。
あの、湿原で使った妙な技だ。
でも、今の自分なら。
渾身の力を両腕に込めて、レクスは最上段から大剣を振り下ろす。大剣が青い衝撃に触れて、ぱりん、と砕け散る。ということはなく、そのまま衝撃を吸収されて、キュクロスの体へその剣が届くことはなかった。
障壁に触れた時には、手ごたえも何もなくただただ水に包み込まれるような感覚だけがある。キュクロスの目が異様に赤く光って、とっさにレクスは防御するように大剣を体の前に構えたと同時にすさまじいほどの衝撃が襲ってきた。
以前なら剣ごと真っ二つにされただろうが、今のレクスは耐えきることができた。攻撃をしようと距離を詰めると、またしてもキュクロスは青い障壁を張る。もはや、こちらと剣を交える気はなさそうだった。
「そっちがその気なら」
レクスはじりじり、と警戒しながら逃走を試みる。あの技は恐らくこちらの攻撃を吸収して放つカウンター技だ。なら、このまま逃げれば問題はないはず。レクスとしてはこの研究所から逃げられれば問題はないのだ。
すると、そのレクスの考えを見透かしたかのようにキュロスの青い障壁が斧へと吸い込まれ、それを横に振るった。瞬間、斧から黒いエネルギー波が発生しレクスへと襲いかかってきた。
その攻撃を先ほどと同じく防御の構えで、やり過ごす。先ほどの衝撃波ほどの威力はないが、楽観視できるほど軽い威力でもない。つまり、
「逃がす気はないってことか」
そうなってくると、もうキュクロスを倒すしかこの研究所から逃げる手段はないということになる。再びキュクロスは青い障壁を張る。救いなのは、斧と同時に攻撃することはないということか。
レクスはキュクロスの周囲を回る。障壁に穴がないかを確認するためだ。見たところ、そんなものは見当たらなかった。それなら、とレクスは大剣をキュクロスへと向けて振り下ろす。キュクロスの前後左右、あらゆる角度から攻撃を放つ。
が、どの攻撃も衝撃を吸収されるばかりで破れる気配はない。どうやら、どこか障壁に弱い箇所があるというわけでもないようだ。衝撃を吸収したキュクロスが、斧を振るう。
これまでで最大の衝撃を伴った一撃が、レクスを襲った。とっさに防御するがそれは体を切り裂き、数メートルほど吹っ飛ばされる。なんとか耐えたが、もうすでに青い障壁を張っている。
駄目だ、あれを破るには単純に力が足りない。
どうする、どうする。頭を回転させるが、打開策はまるで思いつかない。それでも、レクスは考える。約束を、した。だから、簡単に諦めるわけにはいかない。
『苦戦しておるようじゃな』
声が、聞こえた。それは頭の中にだけ聞こえるかのようなとてもこもった声で。そこまでを思考したところで。
景色が、変わった。
目を開けると、そこは今までいた場所ではなかった。キュクロスの姿もない。いや、そもそもここは現実にある場所なのか。そう思うほど、どこか浮世離れした場所に思える。
人の鮮血のような赤い地面がひたすら続いている。宙には火の粉が舞っており、触れても熱さは感じない。
『なにをぼんやりしておる。こっちじゃ』
声のした方に、振り向く。そこのいたのは十二、三歳ほどの姿をした少女であった。赤く燃えるような髪にそれと同じぐらい赤い苛烈な色の目が印象的だ。しかし、こんなところにいる以上、ただの子供じゃないだろう。
状況もそうだが、場所も場所だ。レクスが警戒していると、
『そんなに警戒しなくてもよかろう。さあ、こっちに来るがいい』
それでもレクスが足を踏み出せずにいると、
『お前は力が欲しいんじゃないのか? すべてを思い通りにする力が』
「君が、俺にそれをくれるというのか?」
『無論じゃ。そのために、わざわざここに招いたんじゃからな』
レクスは少女に向かっていく。そして、少女が握手をするように手を上げた。どうやら、握れ、ということらしい。彼がその手を握った瞬間、ものすごい痛みが襲ってきた。
たとえるなら、それは灼熱の業火が体の内部から燃え上がってくるようで、身内から絶え間なく焼かれているかのような感覚。絶叫を上げて、レクスはその場に崩れ落ちる。体が、燃えていた。
それを見て少女は、さげすむように笑う。
『ふん、わらわをこんな汚れた場所に封じおって。万死に値するわ』
自らの苛立ちをぶつけるかのように、少女はレクスの頭を蹴った。
そして、一瞬だが見てしまった。少女の背後に竜の姿を。
それは、砂丘で対峙した絶望的な存在。かつて人類と争った四体の王種。その一体である、ウェスタの姿が見えた。
『望み通り、力はくれてやる。ただし、それはお前の命と引き換えじゃ。わらわはこの世界を焦土にしてやるぞ。お前はここで灰燼に帰すがいいわ』
ウェスタの高笑いが、レクスの耳に響いた。




