第88話 潜入 11
二人で町を出よう。ノーマにその話をして以来、彼女は明るくなっていった。そんなノーマに釣られるようにして、ルカの方も気持ちが上向きになっているのを感じていた。
以前は、学校以外の時間が早く過ぎればいいと思っていたが、今は公園でノーマと会う時間が楽しみの一つとなっていた。二人の仲が深まっていた、ある日のこと。
その日は曇り空で、今にも雨が降りそうな天気であった。さすがにこのまま遊ぶには天気が悪すぎた。今日はこのまま帰ろうか、などとルカが考えていると、
「ねえ、町の外にある展望台に行ってみない?」
ノーマがおずおずと言った。
彼女の言う通り、ツタンから出てすぐのところに展望台がある。そこから見える景色は絶景で、この町の観光名所の一つとなっている。とはいえ、時刻はすでに夜。子供二人で町の外に出るのは危険だ。
この辺は凶獣がほとんど出没しない地域ではあるが、出ないとも限らない。普通に考えればこのまま帰った方がいいのだが――ちらり、とノーマの顔を見ると、心なしか目が潤んでいるように見えた。
帰りたくないのだろう、きっと家に。
その気持ちはとても理解できた。自分も同じだから。少し悩み、
「用が済んだら、すぐに帰るよ」
「うん!」
満面の笑顔で頷くノーマを連れて、ルカはツタンの外にある展望台へと向かった。三百六十度に神経を張り巡らせるつもりで、警戒しながら進んでいく。そんなルカの姿を見て、ノーマはくすくすと笑っている。
その警戒が功を奏したのか、凶獣は一匹も姿を現すことがなかった。ツタンを出てから十五分ほどだろうか、二人は無事に展望台へとたどり着いた。周囲は崖で、落ちたら確実に死ぬだろう。そのため、いかにも頑丈そうな柵がついていた。
夜空にはいくつもの星が、きらきらと輝いていた。その光景はどこか幻想的で、吸い込まれそうな魅力を放っていた。ノーマはその光景に圧倒されているのか、はあ、と感嘆の息を漏らしている。
この様子だと、ここへ来たのは初めてなのだろう。ルカは何度かここに来たことはあるが、夜にここへ来るのは初めてだった。なので、時間によってここまで受ける印象が違うのだな、とノーマとは違う感想を抱いた。
「ねえ、ルカちゃん。ここよりもすごい景色ってあるのかな?」
「いっぱいあるんじゃない? なにせ、世界は広いから」
「これよりもすごい景色が……見てみたいな」
「なら、わたしたちのやりたいこと、世界旅行も追加だね」
ルカが笑うと、ノーマは元気よく頷いた。
さて、もうそろそろ頃合いだろう。ルカがそう考えて声を上げようと思ったところで、
「ねえ、あれ何かな?」
と、ノーマが何かを指さした。そちらを見ると、何やら光が灯っているのが見えた。ルカは目を凝らすが何も見えない。
「行ってみよう!」
「えっ!?」
引き止める間もなく、ノーマはとてとて、と走っていく。
体が弱いのに、無理して。
ルカとしてもあの光が何なのか気になる気持ちはあるが、もしかしたら危険な凶獣の可能性もある。そうだったらあまりに危険なので、ノーマを追いかける。
ノーマも最低限の危機感はあるのか近くの茂みで身を隠しながら進んでいく。やがて、二人は止まって様子をうかがうことにした。
光の正体は、魔動車だった。大型の魔動車で人をたくさん収容できそうなスペースがある。その魔動車の周囲に四人の男女がまるで何かを警戒するかのように立っていた。
何をしているんだ。
二人が好奇の眼差しで見ていると、二人の男が現れた。男たちは何かを運んでいる。暗闇の中で目を凝らし、その姿を見て息を呑んだ。それは、人だった。眠っているのかはわからないが、特に抵抗するような感じはない。
魔動車の前に来ると、二人は運んだ人を乱暴に放り込んだ。それはとても非日常的な光景で、現実離れしていた。体をこわばらせていると、話声が聞こえてきた。
「もう、これで全部?」
「ああ、そのはずだ」
「やっと終わりかー。なんのためにしてるの、これ?」
「詳しいことはわかんねーよ。ケゾール様がいうにはシーラーの適性がある人間を集めてるみたいだが、上の考えることはさっぱりだ」
「それもそうね。人さらいばっかりで疲れたー。さっさと帰って、一杯やりましょう」
あはは、と笑いあう大人たち。それを見て、二人は顔を見合わせる。
「ねえ、ルカちゃん、これって……」
「うん、誘拐、だよね」
傍から見ればそうとしか思えなかった。そう認識した瞬間、背筋が凍った。とにかくここを離れなければ。ルカが口の前に人差し指を立てると、ノーマが頷く。こちらの意図は理解してもらえたようだ。
音を立てないようにしてそっとここを立ち去り、町の人たちにこのことを伝えようと考えて、
「何をしてるんだ」
低い男の声だった。反射的に逃げようとしたが、遅かった。二人は首を掴まれて持ち上げられる。
「おーい、お客さんだぞ」
二人を持ったまま男は、大人たちの前に歩いていく。二人は懸命にもがくが、びくともしない。すごい力だった。
「あらあら、いけない子供ね」
「どうする? 別に俺たちがゲオタヤの人間だって知らなければ……あっ」
大人たちが馬鹿が、というように男を見た。
「……秘密を知られたからには生かしてはおけないな。くびり殺すか?」
「待て。その左の子供、かなり数値が高い」
大人の一人が計器を見て、つぶやく。
「じゃあ、こっちは連れていくか。よっと」
男が魔動車へとノーマを放り投げる。悲鳴を上げて、ノーマは魔動車の中へと姿を消した。
「ノーマちゃん! このっ、離せ!」
「ほら」
軽い声とともに、男はルカを宙に放り投げた。ルカは宙を舞い、地面に叩きつけられるように落ちた。鈍い衝撃が全身を襲い、痛みがやってきた。ふらつきながら立ち上がり、ルカは男を睨みつける。
「ノーマちゃんを、返せ!」
「なかなか根性のある子供じゃないか。ちょうど崖があるし、死体処理には困んなくていいぜ」
にやにやと笑いながら、男がルカへと手を伸ばす。投げられた衝撃でとても体が動かない。男の迫る手を睨んでいると、
「待て」
魔動車の方から声がした。ドアが開かれて、出てきたのは長身の目つきが異様に鋭い男だった。その男が出てきた瞬間、大人たちが姿勢を正す。
「そのメスガキは別に殺す必要はない」
「で、ですが、こいつは聞いてはならないことを」
「俺の言うことが聞けないのか?」
「滅相もございません!」
「そのメスガキともう一人の住所を調べて、いつもどおりにしろ」
はい、と威勢のいい返事をして、大人たちは魔動車へと乗り込んでいく。残されたのはルカと目つきの悪い男だけになった。大人たちの態度を見る限り、この男がリーダー格なのだろう。
「わたしを助けたつもり? 人さらいのくせに」
「勘違いするなよ、メスガキ。ただ単に死体を処分するのが面倒になっただけだ」
「ノーマちゃんを返せっ!」
「できない相談だ」
「町の大人たちに言いつけてやる! そしたら、あんたたちなんか全員捕まるんだからっ!!」
ルカが叫ぶと、ふと、男は何とも言えない目つきをした。しいていえば、哀れみだろうか。しかし、それは一瞬で消え去り、男はルカに向かって歩いてきた。そして、ルカの目を見ながら言った。
「今日あった出来事はすべて忘れることだ。そして、何事もなかったかのように生きていけ。それが、お前にとっては一番いいことだ」
「何言ってるのか全然わからない」
「お前の望む結果は得られないということだ。むしろ……」
そこまでを言って、男は首を振る。
「この世界は理不尽なんだ。それを受け入れていくしかない」
「ねえ、どうしてあなたはそんなに悲しそうなの?」
「俺が悲しそうだと? 適当なことを言うな、メスガキが」
「ダスティン様。そろそろ時間が……」
魔動車から声がして、ダスティンはそちらへ向かう。もはや、ルカには目もくれなかった。ダスティンが魔動車へと乗り込み、走り去っていく。意識が朦朧としていたが、ルカは魔動車を追いかける。
やがて、力尽きてルカは倒れた。
目を覚ますと、すでに夜が明けようとしていた。こうしている場合ではない、と急いでツタンへ戻った。駐在に駆け込むが、全然信じてくれなかった。証拠、もしくは証人はいるか、と聞かれて口ごもった。
現状を説明しても焼け石に水と言った様子で、何も効果がない。埒が明かないと感じたルカはノーマの家へと向かう。実の娘がいなくなったのだ。ノーマの両親なら絶対に自分の話を信じてくれると思った。
家の玄関までやった来たところで、話し声が聞こえてきた。
「いやー、とんだ幸運もあったもんだ」
「本当ね、疫病神も役立つことがあるみたい」
笑い声が聞こえてきた。その声がひどく耳障りで、ルカは乱暴にドアを開けた。目を丸くするノーマの両親に、
「わたしはノーマちゃんの友達でルカと言います。昨日、ノーマちゃんが謎の大人たちにさらわれました。だから、一緒に探してくれませんか?」
それを聞いたノーマの両親は顔を見合わせて、示し合わせたかのように頷く。
「それは、誰のことだい?」
ノーマの父がそう、言った。
その瞬間、ルカの思考が停止した。
ナニヲイッテルノコノヒト。
何を言っているのか、理解できなかった。だって――
「あなたたちの娘ですよ! わたしは毎日のように遊んで――」
「失礼だが、わけのわからない妄想を言うのはやめてもらえないか?」
まるで氷のように冷たい目だった。その目を見るだけで、体温が奪われてしまうと感じるほどの目。それは、こちらの言い分など絶対に聞いてくれない、と思わせるほどだった。
そこで初めて、ルカは気づいた。ノーマの両親が座っている机にたくさんの魔核が置かれていることに。魔核は純度によって価格が変わる。そこにある魔核はルカが見たことないほどの輝きを放っていた。
いつもどおりにしろ。
あのダスティンという男が言っていた言葉が、頭によぎった。
まさか。
「口止め料ですか、それ」
その言葉に、びくり、とノーマの両親が体を震わせたことをルカは見逃さなかった。
「汚い……あなたたちは汚いです」
「子供になにがわかるっていうのよっ!」
それまで黙っていたノーマの母がヒステリックな金切り声を上げた。
「わたしたちだって、懸命に育てたわよ! でも、治療費が高くて生活が苦しくなっていくと、人は心の余裕を失っていくのよ! 何度、この子がいなければ、と思ったか、子供のあなたにはわからないでしょうけどねぇ!」
「ノーマちゃんはそのことですごく苦しんでたんです! あなた達を助けようにも病気で何もできなかったんですよ! あなたたちはノーマちゃんの苦しみを少しでもわかろうとしたんですかっ!」
叫ぶルカの前にノーマの父が立つ。その目はまるで人を見下すかのようだ。
「どうやら君は妄想癖のある子供のようだ。ぜひとも、病院で頭を診てもらうことをお勧めするよ。いいかい、これだけは言っておく。ノーマという子は最初からこの家に存在しなかったんだ」
ノーマの父は冷たく吐き捨て、ルカを追いだした。かちゃり、と扉にカギをかけられる。ルカは拳を固く握りしめる。
「……いるよ、ノーマちゃんは。わたしは覚えてるもの……」
諦めきれないルカは学校やクラスメイトにも聞いたが、誰もノーマのことは知らなかった。本当にこの町でノーマという子供は最初から存在しないことになっていたのだ。無力感に打ちひしがれ、ルカは途方に暮れる。
もう、残すはあの人に頼るほかなかった。
家に帰ると、リンダがいた。
「ねえ、お母さん」
口を利くのは三年ぶりだろうか。そのあとの言葉を続けようとして、止まった。テーブルの上に、魔核が置いてある。もはや、笑いだしたい気分だった。
「わたしの友だちが、誘拐されたの。一緒に探すのを手伝ってほしい」
「それ、あんたの妄想じゃないの?」
うんざりしたように溜息をついて、リンダが言った。足を組みどこか恍惚とした表情で魔核を見ている。ルカの顔など見もしない。
「きっとあんたの記憶違い。想像遊びじゃない、それを現実と混同してる。証人も証拠もないんでしょ? なら、ただの勘違いよ」
「……その魔核どうしたの?」
「親切な人がくれたのよ。わたしの人徳でしょうね」
「お願い、お母さん。わたし、どうしてもノーマちゃんを助けたい」
「病院で治療してもらえば? そんな子、聞いたことないよ」
「少しぐらい、わたしの話を聞いてくれたっていいじゃないっ!!」
もう、感情の制御がきかなかった。誰も自分の言葉を信じてくれなくて、他に頼る人がいないからここへ来たのだ。ここでダメなら、もはや何をすればいいのかわからない。
「ちっ、あーあ。まったく、癇癪を起こして……これだから、子供は面倒なんだよ」
いかにも鬱陶しそうに舌打ちをして、ようやくリンダはルカの方へ顔を向けた。
「あんたの妄想に付き合うこっちの身にもなってほしいね。そんな子供はこの町に存在しない、つまり、あんたの頭の中にしかいないんだ。それを理解して生きていきな。それができないなら、出ていけ」
「誘拐されたんだ、ノーマちゃんは……。友達を助けたいっていうのが、そんなにおかしいっ!?」
「だから、そんな話はないって最初から言ってるだろう? 物わかりが悪い子供だね」
しっしっ、と手を振るリンダ。これ以上、それはこれ以上話を聞くつもりはないという態度だった。
この世界は理不尽なんだ。それを受け入れていくしかない。
ダスティンの声が脳内に蘇った。
何それ。わたしは、このまますべてを忘れて過ごせっていうの。
そんなの嫌だ。
ノーマとの思い出をなかったことになんてしたくない。
だから。
「わたし、ここを出ていく。ノーマちゃんを探しに行く」
「あっ、そうなんだ。じゃあ、さよならー」
それが、リンダとの最後の会話だった。
ノーマとモレドを探す。そして、あのダスティンという男。あの男がどうして、あんなに哀しい目をしていたのか、その理由が知りたい。
そして、ルカはハンターとなって放浪の旅に出た。




