第86話 潜入 9
扉を開け放った瞬間に飛び込んできた光景を見て、ルカは目を見開いた。教団兵が通路のあちこちで死んでいたのだ。四肢が切断され、臓物と血液が散乱し白を基調とした通路が鮮血に染まっていた。
やった相手はもはや、考えるまでもないだろう。
思わずルカは宙を見て、深く息を吐いた。
「頭がおかしくなりそう……」
凶獣に変えられた人や原型をとどめない人であったもの。この研究所に来てから、見たくもないものを嫌でも見せられて気が本当に滅入っていた。ルカはハンターなので、たくさんの死体を見てきた。
が、慣れたとはいっても決して何度も見たい光景ではない。ここにいるだけで教団兵の断末魔の悲鳴が聞こえてきそうだ。
本音を言えば一刻もここから出たい。キュクロスは恐らくかなり近くにいるだろう。ここに戻ってこないとも限らない。自分が惨殺されるという恐怖がぴりぴりと肌に感じている。
もしかして、もうヤメクちゃんのお父さんは。
浮かびかけた弱気な考えを振り払い、ルカはなるべく音を立てないように慎重に足を運んでいたときだった。
がしゃん、という盛大な物音が聞こえてきた。
弾かれたようにルカはそちらを向く。聞こえてきたのはこの部屋からだ。扉の前に彼女は立つ。
間違いない、誰かいる。
この部屋から何かの気配を感じた。心臓が高鳴るのを感じながら、ルカは一歩踏み出す扉が横にスライドした瞬間であった。
「うわああああああああああああ!」
何者かがルカに向かって、剣を振り下ろしてきた。落ち着いてそれをルカは横に跳躍してかわす。それは、中年の男であった。ひとまずはキュクロスでなかったことにほっとする。
が、ルカとは対象的に男は半狂乱と言った様子でやたらめたらと剣を振り回してくる。その動きは素人そのものであり、かわすのは容易だった。しかし、このまま剣を振り回されるのも困るので、手刀を男の手首に打ち込む。
男がうめき声をあげて、剣を取り落とす。そして、ルカを見て絶望的な表情を浮かべた。男を安心させるように彼女は優しい声音で、
「落ち着いてください。わたしはあなたを助けに来たんです」
「俺を助けに? 君は誰だ」
「わたしはルカと言います。あなたは?」
「俺はガゼルだ」
「では、ガゼルさんに一つ聞きたいんですが、あなたはヤメクという子を知っていますか?」
「なぜ、君が娘の名を知っている?」
顔をしかめるガゼルを見て、ルカは心の中でガッツポーズをした。ひょっとしたら、もう殺されているのかもという考えも頭によぎっていたので、喜びもひとしおだ。
これで、あとはガゼルさんを連れてここから脱出するだけね。
「ガゼルさん、ここは非常に危険です。はやく逃げましょう」
「だろうな。さっき、鎧を着た凶獣が暴れまわっていたからな。あと少し逃げるのが遅れていたら、俺も間違いなく死体になっていただろう」
「それなら――」
一緒に逃げましょう、という意味を込めて手を差し出す。が、ガゼルはそれを一瞥しただけで部屋の隅へと移動していく。首をかしげるルカをよそに彼は何やら屈んで作業をし始めた。
その前にはいかにも金目の物が入っていそうな金庫があった。
「何をしているんです?」
「金目の物を盗んでいくのさ。このまま逃げ帰ったら、騙され損だからな」
「そんなことしてる場合じゃないですよ! ガゼルさんも見たんでしょう、あの凶獣を! ここに戻ってくる可能性だってあるんです! 一刻も早く逃げないと――」
「君はうるさいな!!」
ルカの言葉を遮って、ガゼルは叫んだ。
「見たところ、君はハンターのようだな? お金に苦労したことのない君には貧乏人の苦しみは理解できまい。俺はヤメクに楽をさせてやりたいんだ。部外者が口を出さないでくれ」
「わたしはヤメクちゃんからあなたを助けてほしいと依頼を受けたんです」
「それなら心配をかけた分、なおさら何かを持って帰らないといけないな」
「ですから、ここから早くでないとあいつが戻ってくるかもしれないんですよ!」
「そうか、なら君一人で帰るといい。俺はこの金庫を開ける」
そう言って、ガゼルは金庫をかちゃかちゃといじり始めた。もはや、ルカの存在など眼中にもないように見えた。
あー、もう年上の男の人ってなんでこんな頑固なの!?
勢いよくルカは頭をかきむしる。この分だと、もう自分の言葉を聞いてくる気はないだろう。とはいえ、まさかここに置いていくわけにもいかない。キュクロスが戻ってくるかもしれないし、教団兵に見つかれば殺されてしまうのだ。
となれば、とる手段は一つ。
気絶させて運ぶ。
当然、あとで文句を言われるだろうがそんなことは後で考えればいいし、謝罪すればきっと許してくれるだろう、たぶん。
ルカは拳を握ってガゼルの背後へと忍び寄り、
「これで……うん? なんだこのスイッチは」
金庫の上の部分に何やらスイッチが現れていた。ガゼルは特に気にしたふうもなく、それを押した。その瞬間――
ブー、ブー、と部屋中に鳴り響く音。同時に突如、部屋の壁が奥の方へと下がってゆく。どうやらあの壁が隠し扉になっていたようだ。そこから現れたのは、ルカがみたことのない異形であった。
形こそ人を象っているが、大きく違うのは体がまるで水のようなもので出来ていることだ。そして、人の心臓がある辺りに大きな眼球のようなものがある。これもこの研究所の実験で生まれた凶獣なのだろう。
状況から察するに、この凶獣は侵入者迎撃用の凶獣だ。
ぎょろり、と大きな目がガゼルをとらえた。
「いけない! ガゼルさん、そこから離れてください!」
言うと同時にルカは銃撃を放つ。が、放たれた銃弾はすべて体を貫通することなく地面に落下していた。
嘘、こいつ銃が効かないの!?
動揺するルカに対して、ガゼルは呆けた様にその場に佇んでいた。状況の変化についていけていないのかもしれない。
凶獣が右腕を振り上げる。形状が変化し鋭い剣に変化していた。
まずい!
ガゼルの前に適応器で底上げされた身体の力でもって跳躍し、彼を抱え、再び跳躍しようとしたところで、凶獣の攻撃がルカの左腕をかすめた。その瞬間、ぴりっとした感覚が襲ってきた。
そして、左腕が重くなってゆくのを感じた。それはまるで麻酔を打たれたような感覚で、まるっきり腕に力が入らない。
もしかして、マヒ毒?
どうやら、あの凶獣は相手をマヒさせる力があるようだ。これは分が悪い。
「ガゼルさん、ここは逃げますよ! もう反対はしないですよね?」
「そうしたいんだが……かないんだ」
「え?」
「扉が開かないんだ……」
弱りきった顔で首を振るガゼルを見て、ルカは状況を悟った。どうやら、ここに閉じ込められてしまったらしい。
「あはは……これは、まずいね……」
最悪の、状況だった。




