第83話 潜入 6
研究所の通路をアラメは走っていた。あの女が追いかけてくる気配は、ない。そこでひとまず止まって、息を吐く。
まさか、このラボにマウスがイントルージョンしてくるとは。
どうやって侵入したのかはわからない。他にもしかしたら仲間がいる可能性もある。だが、ここは自分にとって庭のようなもの。ここにいる限りは地の利は自分にある。どうなぶり殺してやろうか、と考えていると、
「アラメさま!!」
カプルが大声を上げて、アラメに向かってきていた。よほど急いできたのだろう、その顔からは滝のように汗が滴り落ちていた。よくよく見れば顔色も蒼白だ。
「大変です!」
「マウスがイントルージョンしてきたことだろう? 俺にはフューチャーが見えるんだ。既に知っているぞ」
ふん、とドヤ顔を決めるアラメにカプルは勢いよく首を振る。
「ち、違います! この研究所に多数のハンターたちが乗り込んできているんです!!」
「ホワッツ!?」
アラメは間の抜けた声を上げた。
♢
研究所の周囲をタチたちは包囲していた。サガトの協会に所属しているハンターたちを集めるだけ集めた。これだけのハンターがいれば、この研究所を潰すことも可能だろう。
しかし、それは侵入できればの話だ。
タチは目の前にある霧を睨みつける。研究所にサガトの人間が連れ出されていることを知ったときは、すぐにでも研究所を潰そうと考えていた。が、その考えはサカチによって即座に握りつぶされた。
サカチ曰く、ゲオタヤがこの街にお金をもたらしてくれる。それを享受するためには必要な犠牲なのだという。もっとも、彼の言うそれは建前で、本当は私腹を肥やしたいだけなのはタチも薄々は気づいていた。
しかし、その証拠はなく、彼はハンター協会の会長であり、逆らうことは仕事を失うことを意味していた。タチには養うべき家族がいて、仕事を失うことは家族が路頭に迷うことを意味していた。
だが、胸にはサカチに対する不満が沸々とたまっていた。タチ自身ももとは貧困層の出身であり、仕事がなく飢える苦しみは理解できるつもりだ。お金がないというのは惨めなもので、人から冷静な思考力を奪っていく。
そんな人々を甘言で惑わす幸福願望団やそれを野放しにするサカチ、そして元凶であるゲオタヤは決して許せるものではない。が、その状況に対して何もできない自分。タチは自分に対して、一番怒りを覚えていたのかもしれない。
本当は研究所に忍び込むことは自分がやるべきなのだろうが、その役目をルカに任せてしまった。サガトには関係のない彼女に。彼女には彼女の戦う理由があるのだろうが、危険な役目をやらせてしまったという負い目はある。
なら、せめて自分にできることは研究所を潰すことだ。
そして、機を待つ。獲物を狙う肉食獣のように。
「お、おい!」
一人のハンターが声を上げた。同時に、忌々しい霧が嘘のように消えていく。現れたのは地下へと通じる階段と、その隅で怯えた様にこちらを見る人々の姿であった。あれは恐らく連れられた人たちだろう。
「まずはあの人たちを安全な場所へと連れていけ。残ったものは、俺と一緒に突入するぞ!」
タチが叫ぶと、ハンターたちもおお、と威勢のいい声を上げた。
しかし、本当に一人でこの霧を止めてしまうとは。心の中でルカを称賛して、タチは先頭をきって研究所へと乗り込んでいく。
その姿はまるで心の霧が晴れたかのようであった。
♢
「どうされますか、アラメさま!」
カプルの切羽詰まった表情が、事態の深刻さを物語っていた。アラメも外面こそ冷静さを取り繕っていたが、内心は穏やかではなかった。まさか、この研究所を襲撃されることなど夢にも思っていなかったのだ。
この世界を牛耳っているゲオタヤに対して反旗を翻す者がいるなど、正気の沙汰だとは思えない。頭のねじがねじれている連中なのだろう。とはいえ、攻め込まれているのは事実だ。
早急に対処せねばならないだろう。
「ヘイ、シャイボーイ。ミストクリエイターは作動してないのか?」
「そ、それが……機能を停止しています」
「リアリー?」
アラメは頭をがりがりと掻く。
あの女の仕業か。
パスワードが設定してあったから、どうにもできないと踏んでいたがそれが間違いだったようだ。ここに来る途中で誰かが喋ったのかもしれない。だとすれば、余計なことをしてくれたものだ。
となれば、もはやとる手段は一つしかない。
「イントルージョンマウス、イレイザー」
「はっ、わかりました」
敬礼をしてカプルはその場からそそくさと立ち去っていく。その背を見送りながら、アラメは反対方向に走っていく。研究所の通路を走っていると、目の前に分厚い鉄の扉が見えてきた。
扉の隣には自分と同じく白衣を着た研究員が青い顔をしていた。研究員がアラメに声をかけてくるが、それを無視する。扉の横には操作パネルがあり、彼はそこに数字を打ち込んでいく。
それを見た研究員がぎょっと顔をこわばらせた。
「な、何してるんですか! 危険ですよ!」
「アーユーオーケー」
「い、いや、ここに戻ってきてから様子がおかしいんです。あまり刺激を与えては」
研究員の言葉が言い終わる前に、アラメは数字を打ち終えた。ゴゴゴ、と音を立てて扉が横に開かれていく。その瞬間、濃厚な血の匂いが漂ってきた。部屋の奥には鎧型の凶獣、キュクロスがいた。
千切れた肉片が散乱する部屋の中でキュクロスは何をするわけでもなく突っ立っていたが、扉が空いたのがわかったのか、ゆっくりとアラメの方へと歩いていく。
キュクロスはゆらり、とまるで幽鬼のような足取りでアラメの前まで来ると手に持っている巨大な斧を振り上げようとしたところで――アラメが手を上げる。
すると、ぴたりとその動きを止めた。
「オーケー、いいキッズだ。このラボにマウスがイントルージョンしてきている。ユーはそいつらをイレイザーしてきてほしい」
キュクロスの頭部にはラティアが送ってきた制御リングをつけてある。なので、この研究所の所長である自分の命令には従う。複雑な命令はこなせないが、侵入者を排除するという程度ならば問題はない。
「ゴー」
通路を指さすアラメだがキュクロスは一向に動く気配がない。いつもならば、自分の命令には即座に従うはずなのだが、何かがおかしい。
研究員は見ているこちらが気の毒になるほど顔を蒼白にして、あわあわとしている。もしかして、自分の命令を聞かないつもりか。これは、どうにもヤバい状況なのでは。
ようやく危機感を覚えたアラメが肝を冷やしていると、キュクロスはアラメの横を
通り過ぎていく。どうやら、自分の命令を聞いてくれたらしい。そのことのほっと胸を撫でおろす。
アラメの気持ちが伝染したのか研究員も大仰な溜息をついて――その首が飛んだ。首を失った体は崩れ落ち、首は溜息をついたときの表情がそのままだった。きっと、自分が死んだことすら気づかなかったかもしれない。
ぞくり、としたアラメがその場を逃げ出すよりもキュクロスの動きが速かった。巨大斧がアラメの上半身を切り裂いた。噴水のように血が舞い上がり、その場に倒れ伏すアラメ。キュクロスは止めを刺すことはせずに、立ち去っていく。
斬られた箇所が燃えるように熱い。血が、アラメの生命が、すさまじい勢いで抜けていく。殺さないのは、わずかに制御リングの機能が生きているからか。
つまるところキュクロスは暴走したのだ。
くそ、原因はあのハンターどものせいか。
湿原での戦いの傷が大きく、材料が足りなかったのだろう。それが奴を狂わせた。今のキュクロスには教団兵も殺すだろう。つまり、もう自分が死ぬまで人間を殺し続ける殺戮者となったわけだ。
「……シット」
朦朧とする意識の中でアラメの呟いた言葉は宙へと消えた。




