第70話 情報収集
宿屋から出たルカは、頭上に両手を合わせる。日差しがルカの肌をさし、朝の空気がすがすがしかった。あの後、完全に酔いから醒めたトムソンは自宅へと帰っていった。送ろうか、と申し出たがそこまでさせてもらっては悪いと断られた。
トムソンを介抱したのはルカであるが、それ以上に彼の言葉には救われた気がする。
おそらくトムソンに出会っていなければ、まだルカはレクスのことを引きずっていただろう。今も完全に心の傷がいえたわけではないが、少なくとも気力は回復していた。
自分にできることをやる。そう思えるぐらいには。
ルカは研究所を潰す、と考えていた。レクスはタパパ村の人のことを思っていた。あの研究所の人間が生き残ったタパパ村の人たちを殺す可能性は十分にある。それを止めることが、ルカが死んでしまったレクスにできるせめてものたむけだろう。
タパパ村を襲った教団兵が言うには、ペタ山の中腹に研究所があると言っていた。巧妙に場所をカモフラージュしているとも言っていたか。
その言葉通りなら、基地の場所は簡単にはわからないようになっているはずだ。となれば、このままペタ山に向かっても徒労に終わる可能性が高い。むしろ、ルカが研究所の連中に目をつけられて返り討ちにあうかもしれない。そうなってくると、ルカのとる行動は一つだ。
まずは、情報を集める。
そのためには、やはり人が集まる場所がいいだろう、そうなってくると、酒場か。酒場に行こうと決めて、ルカが足を踏み出そうとしたときだ。
「お願いです!」
悲痛な声が聞こえてきた。そちらを見ると、年齢は八歳ほどだろうか。布切れ一枚に、ぼさぼさの髪をしている。カサカサでやせ細った体を見て、すぐにホームレスの子だとわかった。どこの街にもいる、貧困層の人間。所得だけで言えば、恵まれなかった側の人間だ。女の子は目に涙を浮かべながら、街を歩く人々の足にすがりつくようにして懇願している。
物乞い、ではないだろう。それにしては、やけに迫真がかっている。女の子は泣きわめくようにして、大人たちの足に縋り付くが誰も相手にしない。存在そのものが目に入っていないようにも見えた。舌打ちをして一人の男が、女の子を思い切り蹴飛ばした。地面にうずくまり、すすり泣く女の子。誰も手を差し伸べようとはしない。
冷たい、とはルカは思わなかった。おそらくこのサガトではこれが普通のこと。似たようなことは見たことがある。まったく心が痛まないわけではない。が、ルカには研究所を潰すという目的がある。寄り道をしている暇はない。
そのまま無視して、歩き去ろうとして。
「……お父さん」
女子のつぶやきが、聞こえた。
「どうしたの?」
気づけば、ルカは女子の目線に合わせて座っていた。やってしまった、と思うがもう声をかけてしまった以上、後にはひけなかった。
ルカの存在に気づいた女子は、ゆっくりと顔を上げた。目を真っ赤に泣きはらした女子はルカの姿を見て、再び泣き出した。
「あー、いったん落ち着こう、ね」
なるべく刺激しないように、優しく声をかけた。が、女子は一向に泣き止む気配がない。まいった。これでは、話を聞くどころではない。通行人の冷たい目がルカに向けられている。
邪魔だね、これは。
意を決して、ルカは女子に言った。
「わたし、宿屋に泊まってるんだ。そこで話を聞こうか?」
その言葉を聞いて、女子はゆっくりと深くうなずいた。ぐすぐす、と肩を大きく揺らしているが、ルカの言ったことは理解してくれたようだ。歩き出すルカの後ろから、女子がとことことついてきた。
宿屋に戻ってくると、カウンターで従業員二人が井戸端会議に花を咲かせていた。
「昨日の客の若い女がすっごい臭くてさー、まいっちゃったよ。よくあんな匂いで宿屋に泊まろうとか思うよねー。わたしなら、恥ずかしくて絶対に泊まらないわ」
「きゃはは、そんなに臭かったんだ。どんな匂いよー?」
「もう、ゲロよゲロ! ゲロ子!」
「きゃは、ゲロ子って、受けるー!」
ばんばん、とカウンターを叩いて爆笑する従業員の一人。しかし、その従業員は入り口に人がいるのに気づいた。その従業員はルカをしげしげと見て、何かに気づいたようにはっとして、慌てて隣にいる従業員の肩をつつく。が、それを無視して従業員は話し続ける。
「きっと酔っぱらいに体を売ろうとした娼婦なんだろうねー。で、ゲロかけられたと。酔っぱらいを相手にしないといけないほど魅力のないみじめな娼婦なんだろうねー、かわいそう。きゃはは」
馬鹿笑いを上げる従業員であったが、もう一人はもはや顔が引きつっている。そのまま笑い続けていた従業員であったがようやく様子がおかしいことに気づいた。
「ん? どうしたの、さっきから黙ってるけど?」
「……カです」
「え?」
声をかけられたので、従業員はそちらに顔を向けた。笑い顔が一瞬でひきつり、顔が真っ青に変化する。従業員のすぐ近くに、感情を喪失した顔でルカが立っていた。その顔は極寒を思わせるほど冷たい顔である。
「わたしの名前はル・カ・で・す!! ゲロ子でもないし、娼婦でもありません!!」
宿屋が揺れるほどの大声を、ルカは上げた。もはや従業員の表情は気の毒なほど青くなっていた。
「も、申し訳ございませんでしたー!! ゲロ子様!!」
「ル・カ・です!!」
「ひいいい!」
怯えた声を漏らして、従業員二人はルカに深く頭を下げた。
その様子をきょとんとして見ていた女子であったが、ルカが二階に上がるとそれに黙ってついてきた。




