第67話 死
ウェスタの放った十字架は、ウェスタを中心とした周囲百メートルをドーム状にして炎が燃え広がっている。もともとコナリ砂丘は熱い場所であったが、今はさらに温度が上がり、まるで沸騰したお湯の中に入れられている気分をレクスたちは味わっていた。
レクスは逃げられるかどうか燃え広がった炎を見るが、出られそうなところはない。赤い炎は灼熱と呼ぶにふさわしい業火で、触れれば骨すら残らないだろう。
まさに地獄と呼ぶにふさわしい場所だった。
「あーあ、ここがわたしの死に場所か。思ったよりも早かったな」
諦観の混じった声で、ルカが言った。
「弱気なこと言わないで、ルカ」
「無茶言わないで、こんな規格外の凶獣相手にどうしろっていうの? これは人がどうこうできる次元の相手じゃないよ。イナク湿原の凶獣なんて比較にならないぐらいね」
その言葉を否定したいレクスであったが、ルカの言葉には納得せざるを得ない。目の前に立つウェスタの存在感は圧倒的だ。これは、もはや災害と言ってもいいだろう。人にどうこうできる存在ではないかもしれない。
「どうせ死ぬなら抵抗しないほうが楽に死ねると思わない?」
「そう、ルカがそうしたいのなら俺は止めない。でも、俺は」
レクスは背中の大剣を抜き放ち、構える。
「どうして、抵抗するの? 意味なんかないのに」
「意味は、あるよ。結果は変わらないかもしれない。でも、諦めたら可能性はゼロだから。苦しくてもたとえ少ない可能性でも、俺はそっちに賭けたい」
じっとレクスの目を見つめていたルカは、ふーと息を吐く。
「相棒が諦めてないなら、わたしも諦めるわけにはいかないか」
ルカは銃をウェスタに向ける。それを見て、レクスは微笑を浮かべた。
ウェスタに向かってレクスは走って近づく、その足元に大剣を振り下ろした。がきん、という音とともにレクスは攻撃をはじかれた。構わずに大剣を幾度も振り下ろすが、まず固い鎧のような皮膚にはじかれて傷を与えられない。
ルカの銃撃が命中しウェスタの足元に氷が広がる。が、ウェスタは全く微動だにしていない。
まるで自分たちが地を這う蟲になったように感じた。
おそらく、レクスたちがやっている行動はウェスタにとって無意味なものだろう。それは全く効果がないのかもしれない。しかし、他に方法がない。逃げることができないとすれば、攻撃をし続けるほかない。
そのまま攻撃をしていると、突如、ウェスタが左腕をレクスのいる場所へと振り下ろす。動作が見えたレクスは、その場から走って退避する。
爪が砂地をうがち、砂塵が巻き起こる。砂から目を守り、再びレクスが目を開けると砂地に大きな爪痕が出来ていた。それはまるで天変地異が起こったかのような光景であった。自分たちの抵抗が虫がたかる程度のものだということを認識させられる。
それならば、とレクスは右腕を上げてウェスタの顔を見る。
こいつの動きを止められれば。
そうすれば、この炎の檻が消えてくれるかもしれない。淡い期待を抱いて、レクスは右腕に意識を集中する。すると、キュクロスのときよりもさらに不快な感覚がレクスの体中を襲ってきた。あまりのおぞましさに、吐き気がこみあげてくる。
黒い思念のようなものがレクスを包み込んでくる。激しい頭痛に悪寒。たまらず、レクスは右腕を下げようとするが、それを意志の力で抑え込んだ。
もはや、この方法しかないのだ。ここでやめるのは死を意味している。
身を苛む不快で嫌悪でおぞましい感覚を、レクスは耐え続ける。
やがて、その感覚が消えていく気がした。不思議に思い顔を上げると、目の前にウェスタの顔があった。思わず、レクスは息を呑む。
ウェスタはそのままレクスを見て――その牙でレクスの右腕を嚙みちぎる。
絶叫するレクスを見て、ルカは悲痛な悲鳴を上げた。ウェスタは噛みちぎったレクスの腕を呑み込み、口を大きく開けた。その口の前に巨大なエネルギーが集まっていく。まるでこの場の空気の流れがそちらへすべて吸収されていくようであった。凝縮されたエネルギーは円形をしており、徐々に確実に大きくなっていく。
「や、やばいよ、これ!」
ルカが引きつった声を上げる。それはレクスとて理解している。
だが、この攻撃を止める手段が二人には、ない。
それは、さながら死刑宣告のように思えた。確実にあれはレクスたちへ死の淵へと送り込むものだ。腕を引きちぎられた激痛に耐えながら、レクスは懸命にあれを止める手段を考える。
しかし、そんな妙案は一向に閃く気配がない。絶望的な気分をレクスが味わっていると――ふと、レクスは気づいた。ウェスタはずっとレクスを見ていた。背後にいるルカのことは目に入れていない。ウェスタの意識は完全にレクスだけに注がれている気がした。
これは、もしかして。
ある考えがレクスの脳裏に浮かんだ。しかし、それをすれば――いや、考えるまでもないことだった。レクスは意を決して、ルカに話しかけた。
「ルカ、いろいろと話を聞かせてくれてありがとう。すごくおもしろかった」
「いきなり、何? もうあきらめるってこと? 無理もないけど、さ。わたしも最後の相棒が君で悪い気はしない」
どこか受け入れたような表情で、ルカが言った。
「俺はルカがお父さんと会えることを祈ってるよ。それと、小屋で一緒に約束してくれことうれしかった」
「レクス?」
レクスの表情は穏やかでとてもこの状況で浮かべる顔ではない。さすがに違和感を覚えたルカが、疑問をなげかけようとして。
急にレクスが走り出した。
「――え?」
突然の出来事にルカの理解が追いつかない。どうして、レクスが急に走り出したのか。それを考えていると――ウェスタがレクスの姿を追いかけるようにして体の向きを変えた。
ようやく、ルカはレクスがやろうとしていることを理解した。
レクスは自分をかばうために、あんな行動を。
「待って、それはなしよ!」
非難の声を上げるルカであったが、レクスはそれを無視した。
片腕を押さえながら走るが、その振動で耐えがたい痛みがレクスを襲ってきた。うめき声をあげつつ、レクスは走ることをやめない。
この自分の行動でルカが助けられるなら、こんな苦痛は耐えられる。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
ウェスタが身の毛もよだつような咆哮を上げた。深紅に染まった目がレクスを完全にとらえている。立ち止まり、レクスはルカの方を見た。距離は十分だろう。そのことにレクスは安堵の息を吐く。
ルカと世界を回って、たくさんの経験をしたかった。きっと自分の経験したことのない景色をルカは見せてくれただろうから。オガとエダの顔が浮かぶ。
じいちゃんとばあちゃんには、申し訳ないな。
深い心の傷を負うことは間違いない。育ててもらったのに、傷を負わせることに対して申し訳なさを感じた。しかし、こればかりはどうしようもない。
自然災害に遭遇したものなのだ。運が悪かった。そう思うほかない。
この自分の行動でルカの命が助かるならば、後悔はない。
だが、一つ心残りがあるとすれば。
それは夢の女性に会えなかったことだ。あの人は一体どんな人だったのだろうか。背丈は今のレクスよりも小さいだろうが、あの人はとても大きく感じる。そんな存在感がある人だ。
会ってみたかったな。
もし、あの人が自分と同じ状況ならどういう行動をとるだろうか。きっと、自分と同じ行動をとる気がする。不思議と、そんな確信があった。
ウェスタの集めた莫大なエネルギーがレクスに向かって射出される。
竜の息吹
王種の凶獣が放つそれは過去の戦いで人類にこう呼ばれていた。それはまさに天の怒りとも呼ぶべき一撃。
赤い灼熱のエネルギーの奔流に、レクスの体は呑み込まれて消えた。




