第65話 コナリ砂丘
イナク湿原を抜けたレクスとルカは背後を振り向いた。キュクロスが追いかけてくる気配は感じない。そのことにまずはほっとする。
「研究所も厄介な凶獣を作ってくれたものね。こうなってくると、もうコナリ砂丘に行くしかないわけだけど」
「ねえ、ルカ。この道へ進む以外に方法はないのかな」
「ない、と思う。わたしもカルハ山へ来るときはコナリ砂丘を通ったもの。なにか、行きたくない理由でもあるの?」
「うん……この先、なんかすごく胸がざわつくんだ」
レクスの顔は冗談でもなんでもなく、どこか青ざめているように見えた。ルカは行商の言葉を思い出していた。
確かにこっちには行くな、とか言ってたんだよねあの人。
ルカとしても行商の言葉はなんだか引っかかるものがある。だが。
「じゃあ、こっちに戻る?」
恐る恐るといった様子で、ルカはイナク湿原の方を指さす。それを見て、レクスは複雑な表情を浮かべた。
そうなのだ。コナク砂丘へ行かないとなると、必然的にイナク湿原へと戻らないといけなくなる。あの凶獣の強さは、今のレクスたちでは手に負えないものだった。辛くもルカのおかげで逃げたせたからいいものの、こちらが死んでも不思議ではなかったのだ。
普通に考えれば、こちらへ行くべきなのだが。レクスはこのコナリ砂丘の方角に置かんめいたものを感じていた。不吉、というか、こちらに行ってはならないという本能がレクスに命じている気がするのだ。
それに、ひどく右腕がうずく感じがする。今まで経験したことがない感覚だ。
果たして、この感覚を無視してよいのだろうか。レクスが考えていると、
「えっと、レクスはこの砂丘に行くのが嫌ってことだよね? それは、あの行商の人に言われたから?」
「それもあるよ。でも、それ以上にこっちに進むのが怖いっていうか……ごめん、情けなくて」
「ううん、そういうのって大事だからね。レクスがこっちに行くのが嫌っていうのは、不安だからだよね」
こくり、とレクスは頷く。この身内からあふれ出る感覚は不安や恐怖という表現が的確だろう。
「えい」
いきなり、ルカはレクスの手をぎゅっと握る。行動の意図が読めずに、レクスはルカを訝しげに見た。
「どう、ちょっとは安心した?」
「ううん……まあ?」
安心というよりは戸惑いが強かった。そんなレクスには構わずにルカは話す。
「不安とか恐怖って、未知のものに対して抱くことが多いよね。だったら、わたしがレクスの傍にいてあげる。そしたら、安心できるんじゃない」
にこり、とルカはレクスに向けて優し気な微笑を浮かべた。彼女の言葉を聞いたからだろうか。ルカの言う通り、レクスの抱いていた不安感がさきほどよりも和らいでいる気がする。
「行商の人に言われたこととか、湿原で凶獣に襲われたこととか、これから行く砂丘がどんな所かわからないから、それらがごちゃ混ぜになって不安になってるんだと思う。不安になったときはわたしの顔を思い浮かべればいいよ。わたしはレクスの隣にいる」
温かな表情で言うルカの顔はなんだか年上の姉のように見えなくもない。そんなルカの顔を見ていると、レクスの抱いている感情が浄化されていくようだった。
レクスは自らの手を見た。さっきまでは震えていたはずだが、その震えが消えていた。もう、レクスに迷いはなかった。
「ごめん、迷って。行こう、ルカ」
「オッケー、レクス」
レクスとルカはコナリ砂丘へ向けて、歩き出した。
これが、この決断が自らの運命を大きく変えることになる。
このときの、レクスはそんなことを考えもしなかった。
十分ほど歩いただろうか、街道を抜けるとそこには見渡す限り砂の光景が広がっていた。砂の山がいくつか見える。砂地だからか、足が砂へ沈んでいく感覚があった。だからだろうか、普通に歩くよりも体力を使う。試しに砂をすくってみると、さらさらとしていた。
砂地ではあるが、遠くには緑の木が立っていた。その周囲には水場がある。あれがオアシスというものなのだろう。オアシスを見ていると、レクスの喉が鳴った。イナク湿原は蒸し暑かったうえに、キュクロスとの戦闘、逃走と動きっぱなしであった。
そのせいで、ひどく喉が渇いていた。はやくサガトにつかないだろうかなどと考えていると、それを見透かしたようにルカが、
「喉渇いたんじゃない? 安心していいよ、ここはそんなに長くないから。三十分もあれば、サガトへ着くはず。一休みしようか、わたしも服がべたべたして気持ち悪いよ」
ぱたぱた、とルカは服を振っている。すると、何かを思い出したかのようにルカはレクスを見た。
「あの、さ、えっと、部屋は一緒でいいんだよね? 別々だとお金がかさむし」
ひどく微妙な顔でルカが言った。きっと、小屋での一軒を気にしているのだろう。
「もちろん。ルカに任せるよ」
さわやかな笑顔を浮かべて、レクスは言った。レクスとしても別に部屋は一緒でいいのだ。同じベッドに入りさえしなければ。そのことを思い出すと、体の痛みが蘇ってくるようだ。
レクスの反応を見て、ルカはほっと息を吐いた。どうやら、お金が心配のようだ。イナク湿原で多くの凶獣を狩ったので、魔核の数は十分あるはずだ。タパパ村から出たことないレクスではあるが、一泊するのにいくらかかるのかはわからない。そこらへんはルカに任せるとしよう。
「ところでサガトってどんなところなの?」
「普通の街よ、あっ、でも、レクスからしたら都会かな?」
「……それは、俺が田舎者だって意味?」
「あはは、そんなつもりは……あるかも」
おい、と心の中で突っ込みを入れてルカにジト目を向ける。ルカは笑いながら、ごめんごめん、と謝っている。むすっとするレクスだが、実際のところ本当に田舎者なので否定しきれないのが痛いところだ。
どんなところなのだろう、と想像を膨らませていると。
「待てい!」
野太い男の声が、砂丘に響き渡った。




