第61話 魔核
小屋から出たレクスとルカは北を目指して歩いていた。やがて、行商の言っていた通り、分岐路に差し掛かった。右がイナク湿原、左がコナリ砂丘と言っていたか。イナク湿原を勧められたので、二人は右へと進む。
そのまま進むと、空気の質が変わる感覚があった。緑の草原の中央には川が見えた。草の周囲には蝶が飛んでおり、花を見つけてはそこに根をおろすかのように止まっている。その光景を見ているだけで、レクスは心が和んだ。
「ここはそんなに分かれ道もなさそうだし、迷わなくて済みそうね」
ルカの言葉にレクスが同意したときであった。
草の陰から黄色い毛皮に覆われた犬型の凶獣が現れた。ぐるる、と凶獣はこちらを威嚇するようにうなり声を上げている。
背中から大剣を抜いたレクスは、その凶獣に斬りかかる。すると、凶獣は背後に跳躍しそれをかわした。かわされたことにレクスは驚く。村周辺の凶獣に攻撃を回避されたことはなかったからだ。
動揺しているレクスに向かって凶獣が飛びかかってくる。振り下ろそうとした爪をレクスが大剣で受ける。衝撃がびりびり、と手に伝わる。力が強い。押し返して、レクスは横に大剣を薙いだ。大剣が凶獣の皮膚に食い込むが、そのまま押し込めない。
皮膚が硬かった。こんなことは初めてだった。
その攻撃で凶獣は怒り、レクスの首に爪を振り上げる。すんでのところでかわすが、レクスの首からはかすかに血がにじむ。
強い。
これまで戦ったことのない凶獣にレクスが攻めあぐねていると――銃声が連続で響いた。銃弾を受けた凶獣は一撃で絶命していた。
「ありがとう、ルカ」
「レクスって、魔核を吸収したことない?」
魔核の吸収? 聞いたことのない言葉にレクスが首をかしげていると、ルカはそれだけで理解したようだ。
「オッケー。じゃあ、教えてあげる」
ルカは絶命した凶獣に近づき、自らの手首にはめている適応器を凶獣の上に掲げている。すると、凶獣の体が突如、黒い煙が発生した。その煙はルカのつけている適応器へと吸い込まれていく。黒煙が消えたのを確認して、ルカがこちらを向いた。
「死んだ凶獣の近くに適応器を近づけて、凶獣の力を吸い取るイメージを浮かべるの。そしたら、今みたいなことができる。で、これをすると適応器の力が向上していく。つまり、強くなるってことね」
「そんなことできるなんて、初めて知った。うん? でも、俺は適応者なんだよね? 適応器を持ってないよ」
「多分、手を近づければできるんじゃないかな。あっ、でもこれをするとね」
ルカが屈んで凶獣の体の適応器が反応するところを探す。適応器がかすかに揺れた。その場所に手を突っ込む。凶獣の体の中から魔核を引きずり出す。その引きずり出された魔核を見て、レクスは目を丸くした。
輝きがまるでなかった。通常の魔核は黒光りしていて、不気味なほどなのだがこの魔核はただの黒い石のように見えた。その魔核をルカはレクスに見せる。
「力を吸うとこんなふうにただの石ころになっちゃうんだよね。こうなるともうただの石ころ。換金ができなくなる」
「つまり、強くなるか、お金にするか、どちらか考えないといけないってことだね」
「そういうこと。じゃあ、レクスもやってみようか」
「でも、凶獣がいな――」
レクスの言葉を遮って、ルカが明後日の方向に銃を放った。すると、茂みからこちらを襲おうとしていたであろう凶獣が倒れた。
「はい」
どうぞ、というようにルカは手を出している。
その凶獣の存在にレクスは全然気づかなかったのだが、さすがは歴戦のハンターというべきなのだろう。ルカはレクスよりもかなり凶獣を狩り慣れているようだ。
レクスはルカに言われたとおりに、凶獣に左手をかざした。左手に意識を集中していく。すると、凶獣の死体から黒煙が巻き上がり、彼の左手に吸い込まれていき、霧散した。
レクスは左手を開いたり握ったりする。不思議な感覚だった。まるで全身から力がみなぎってくるような感覚がある。
「ちょっとここらで強化していこうか。どんな凶獣が現れるかわからないし。でも、レクスって左利き?」
「ううん、右利きだけどどうして?」
「普通は利き腕を使うからさ。利き腕を使いたくないのは、不思議な力があるから? カルハ山で凶獣を止めた時のように」
「見てたんだ」
ルカがこくり、と頷く。
「俺にもよくわからないんだけど、右手を凶獣にかざすと凶獣の動きが止まるんだ」
「それがレクスのエレメントかもしれないね」
「エレメント?」
「適応者やメリトが使える異能のこと。異能が使えない人もいるけど、そういう人はもっぱら身体強化が優れてることが多いかな」
そんなものがあるのか、とレクスは感心した。ルカといるといろいろと知識が増えていくようだ。
「凶獣の動きが止められるなんてレアなエレメントね。今までそんなエレメントを使う人なんて会ったこともない。でも、それならさっきの敵に使うはずだから、使いたくない理由でもあるの?」
心中でレクスは舌を巻いた。まったくルカは読心術でも使えるのだろうか。自分の思っていることを的確に指摘してくる。
「……この右手の力を使うと、なんていうかな……凶獣の意識、いや、存在、かな。それが自分の中に入ってくる感覚があって嫌なんだ。自分の中に知らない存在が体の中に入ってくる気がして、すごく気持ち悪い。だから、あんまり使いたくない」
自分がわがままなことを言っていることは理解している。これから一緒に旅をしていく以上、このエレメントは使った方がよいのだろう。それを使わないということは旅の危険が増すということだ。それはわかっているのだが。
「そっか。なら、仕方ない」
あっさりとルカは言った。レクスとしては予想外であった。力の使用を強要されるものとばかり思っていたからだ。
「いいの?」
「嫌がってることをやらせるほど、わたしは冷たい奴じゃないよ。その代わり、ちゃんと強くなってね」
「もちろん」
ルカの気遣いにレクスは感謝した。自分のわがままを受け入れてくれたルカに報いるためにも、強くならなければならないだろう。
「よし、じゃあ、しばらくここで凶獣を狩っていこう」
草むらをかき分けて奥へと進んでいくルカの背中へ、レクスもついていった。
♢
サガトの街側にあるイナク湿原の入り口。木々が覆い茂り、ツタが地面を覆いつくしている。日が空の上に鎮座し、歩くだけで汗ばむほどの蒸し暑い空間の中に、それはいた。
ひび割れた鎧をまとう二メートルの凶獣――キュクロス。
キュクロスは膝をついて、両手で何かを引きちぎっていた。その足元には、顔を半分失った男の体。とうに絶命しておりその瞳には光がない。。男の手足を引きちぎり、口に近づけて一心不乱に食している。くちゃくちゃ、と肉を噛む音が周辺に鳴り響く。キュクロスに食われている男の近くには一振りの剣があった。男はハンターであったが、キュクロスに返り討ちにあっていた。
キュクロスに骨ごと食われる男の横には男女四人の惨殺死体が転がっている。どの死体も上半身と下半身が真っ二つに両断されている。物言わぬ死体はキュクロスに食されるのを待つばかりだ。
頭につけられたリングから声が聞こえる。ここへ近づく人間すべてを殺せ、と。
その声に従い、キュクロスはこの場に居続ける。死体を食らいながら。




