第52話 夢
食卓の上には狩りでとったシカを煮込んだスープと、パンが置かれていた。匂いを嗅いでいるだけで、食欲が刺激される。手を合わせて、レクスは並べられた料理を口に運ぶ。
それを老夫婦がにっこりと優しい笑みを浮かべて、眺めている。男の名はオガ、女の名はエダという。歳は七十ほどであろうか、白髪に顔に刻まれたしわが濃い。
レクスはこの夫婦の子供ではない。
八年前に、この老夫婦に拾われたのだ。
オガが仕事で出稼ぎに出ていた時に、森で傷だらけのレクスを見つけた。見つけたとき、レクスは大けがをしていたらしく、すぐに治療を受けられる病院へ連れて行ったようだ。その甲斐あってか、みるみるうちにレクスの体調は回復していく。ここでオガが両親のことを聞いたが、レクスは記憶を失っていた。
記憶を失ったレクスを不憫に思ったオガは街で情報を集めたが、レクスの両親は見つからない。気の毒に思ったオガが、そのままレクスをこのタパパ村に連れて帰った。そして、今日にいたるというわけだ。
オガとエダは非常に温厚な性格で自分の子供でもないにもかかわらず、レクスをまるで自分の子供のようにかわいがってくれた。オガとエダだけではない。村民は全員がレクスに好意的であった。
レクス自身も成長して、村のために狩猟に出かけて、悪さをする凶獣を退治する。そのことで村人に感謝されるのは、とてもうれしかった。自分はこの村に役立てているという実感が持てて、なんだか誇らしい気分を覚えていた。この生活がずっと続けばいい、そう思っているのは本当だ。
しかし。
「ほら、レクス。お待ちかねのパスタだよ」
エダがテーブルに置いたのは、ニンニクとオリーブオイル、唐辛子で作ったパスタだ。レクスの好物である。フォークで巻いて、口に運ぶ。舌が触れた瞬間、レクスの頭はとろけた。
幸せだ。などと、思っていると、エダがレクスを見て笑っていた。レクスはなんだか気恥ずかしくなり、うつむく。
「本当に、お前はそれが好きだね。何回も食べてるけど、飽きないのかい?」
「全然、ばあちゃんが作ってくれるこれは最高だよ。でも、なんというか、これを食べてると……懐かしい気持ちになるんだ。とても、温かいような……」
「それは、もしかしたらお前のお母さんが作ってくれてたからじゃないかい?」
「そう、なのかな」
「お前が記憶を思い出すきっかけになってくれたらいいのにねえ。その、リストバンドに関しても何も思い出せないのかい?」
レクスは頷く。この手首に巻いているリストバンドは、レクスが八年前から身に着けていたものらしい。が、当然レクスにはその記憶がない。このリストバンドは特殊な繊維で出来ているらしく、丈夫でまだちぎれる様子はない。これを見ていると、楽しい気分になるのはなぜなのだろう。
「そんなに思いつめなくても、いつか思い出せるさね。さ、まだまだあるからたんとお食べ」
自らの失われた記憶に触れて暗い気分になっていたが、エダの顔を見て憂鬱な気分はどこかへ行ってしまった。食事を楽しみ、後片付けをして、レクスは二階にある自分の部屋へ向かった。
机とベッドがあるだけの簡素な部屋だ。ベッドのそばには、花瓶に花が活けてある。明日の狩りに備えて、レクスはさっさと寝ることにする。疲れていたからか、微睡はすぐにやってきた。
レクスの意識は暗い場所へと落ちていく。
崖にレクスは立っていた。何人もの人間に銃を突きつけられて、自分の前に女の人が立っている。
またか、とレクスは思う。何度も見る夢だ。
もうこの後の展開はわかりきっている。自分が崖に飛び込むのだ。どうして、そんな判断を自分が下したのかはわからない。また、自分が銃を突きつけられている理由も。もしかしたら、自分が何か悪いことをしたのかもしれない。
でも、レクスがこの夢で印象に残っているのはそこではない。崖へ飛び下りる前に、レクスは女の人に強く抱きしめられるのだ。そして、女の人はレクスを見る。レクスからは女の人の顔がわからない。まるでその女性の顔を隠すかのように、黒い靄が覆っている。だから、女の人の表情はわからない。
だが、レクスにはわかる。この人はとてもやさしい顔をしていた。それはただのレクスの直感。しかし、何となく確信めいたものがある。心からこの人は自分のことを案じていた、そう思う。
きっと、とても強い女の人だったのだ。
だから、会ってみたい。強く、思う。
そう思ったところで、レクスの目が覚めた。日差しが窓から部屋に差し込んできていた。
「おーい、レクス。さっさと行こうぜ!」
ウキの元気のよい声が、聞こえてきた。いつもはレクスがウキを誘うのだが、珍しいこともあるものだ。
レクスは手早く済ませる。夢の女性も大事だが、レクスにはこの日常も大切だ。
この村で一生を終えるのもいいかもしれない。
そんなことを考えて、部屋から飛び出ようとして。気づいた。
花瓶に生けていた花が枯れていた。
何か嫌なことでも、起きなきゃいいけど。




