第49話 エピローグ
低いしわがれた声が聞こえた。振り返ると、そこに立っていたのは白髪の老人だった。しわが深いが、眼光だけは鋭い。それは野生の動物を思わせた。そして、何よりも驚くのはその体躯だ。丸太のように太い腕に、背丈が見上げるほどに高い。その背は二メートルを超えて三メートルに届こうとしており、その威容は大木を思わせた。
「珍しいですね、ケゾール。本部にあなたがいるなんて」
並みの人間ならば対峙するだけで腰を抜かす威圧を前に、ラティアは笑っていた。
「知れたこと。わしが頼んでいた、レクスの件。主は取り逃がしたそうだな」
「わたしじゃないですよ。ダグドが取り逃がしたんです。レクスなんて見てもいませんから」
「よくもまあそんな嘘をぬけぬけとつけるものよ」
「嘘だなんてそんな。証拠がおありですか?」
挑むようにケゾールを見るラティア。その目を見て、ケゾールは鼻を鳴らす。
「彼奴がいればわしの願いも成就したのかもしれぬのだがな。……まあよい。主には聞きたいことがある」
「なんでしょう?」
「ダスティンの脱走を手助けしたのはお前か?」
ケゾールの問いに、ラティアは何も答えない。そのまま話を続ける。
「デバルチヤへダスティンが逃げたという情報。それをもたらしたのは主の部下よ。教団の目をそちらに向けて、ダスティンを禁止第五区へ行くように仕向けた。そのように状況を操作した。最初から主は凶獣の実験をしたかっただけではないのか?」
疑いの目を向けるケゾールを見て、ラティアは笑った。
「たいした名探偵ぶりですね、ケゾール。それを裏付ける証拠はありますか」
「ないな。関係者がすべて姿を消しておるわ。主が消したのか?」
「とんでもない。きっと、みなさん仕事が疲れて旅行にでも行ってるんでしょう」
「ふふ、小娘の姿をした女狐、いや、主はモノノケの類か。何を企んでいる? その深い闇で何を吞み込もうとしておる」
「闇だなんて失礼な。わたしはみんなを照らす天使。ピュアな心を持った天使ですよー」
戯言を、と吐き捨てケゾールは廊下の奥へと姿を消した。
「さて、たくさんの素材が手に入りました。結果は上々ですかね。次は何をしようかな」
誰もいない廊下で女子の姿をした、モノノケが暗く笑った。
――八年後。
「……はあ、はあ」
山道を、男は走っていた。周囲には森があり、木々の根に足を奪われながらも前を見続けて走る。男の年齢は四十代ほど。突き出たお腹を揺らし、がむしゃらに前へ駆ける。
背後を見る余裕はない。
見れば、追いつかれるのではないかという気がした。
まさか、凶獣に出くわすとは思わなかった。この辺は安全な地域で、滅多に凶獣が出ない。男も今まで出会ったことはない。だから、油断した。時刻は夜。凶獣が活発に動き出す時間だ。
止まれば死ぬ。わかってはいるのだが。体力の限界だった。地面に両手をつき、男は激しく呼吸を繰り返している。走ってきた方向を恐る恐る見ると、凶獣の姿はなかった。
どうやら、なんとかまいたらしい。その事実にほっと胸を撫でおろす。
顔をあげて、男は目を丸くした。木造の家が立ち並ぶ、村が見えたからだ。
こんなところに村があるとは。
ちょうどよかった。今日はあそこに泊まって、明日街に戻ろう。
そんなことをかんがえたときであった。
突如、目の前に立っていた木が口を開けた。その口には鋭い牙が生えている。その木々は根を足にようにして、男に迫ってきていた。最悪だった。凶獣が木に擬態していたのだ。とっさに逃げようとするのだが、足が動いてくれない。
終わった。
男はせめて楽に殺してくれと、祈っていると。
足音が聞こえてきた。そちらに目をやると、剣を片手に若者が走ってきていた。村の青年だろうか。青年は男を守るように立っていた。
凶獣が枝を青年に向かって突き刺そうとする。男が危ない、と声をあげようとしたが、それは必要なかった。
青年は木型の凶獣を一刀のもとに切り伏せた。真っ二つになった木からは、赤い血が漏れ出ている。凶獣が死んだのを確認して、青年は振り返った。
「おじさん、夜に出歩いちゃ危ないよ。今日は泊まっていきなよ」
青年は柔らかな笑みを浮かべた。柔和な顔立ちをした、さわやかな青年だった。細身に見えるが、服の上からでも筋肉がしっかりとついているのがわかる。
「悪いね。このお礼は必ず」
「いいって。そういうのは。困ったときはお互い様さ」
青年の手を握って、男は立ち上がる。
そこで気づく。そうだ。まずはお礼よりもするべきことがある。
「君、名前は?」
青年は笑って、答えた。
「俺は、レクス。よろしく」
禁止区の少女、レオナが運命にあがきもがいた結果、一人の命をつないだ。
そのつないだ一人の命である、青年レクス。
一つの物語が終わり、始まる。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。




