第36話 エクノス
レオナは放心したように膝をつき、その背中を涙で目を濡らしたカレルが手を当てている。レクスもショックが大きかったのか、レオナと同じく目が虚ろだ。
ダスティンは悲しむ素振りなど見せずに、エクノスを凝視している。
「俺をとらえに来たのか、エクノス?」
腰に手を伸ばして、ダスティンは隙のないまなざしをエクノスに送っている。少しでも、妙な動きを見せれば斬り捨てるという気迫があった。並みの人間ならば対峙しただけで失神しかねない圧力をエクノスは平然と受け止めている。
エクノスはそんなダスティンを見て、瞑目し、やがて、口を開いた。
「逆ですよ。わたしはあなたを助けに来たのです、ダスティン様」
「助けに、だと?」
「ええ、研究所で一緒に働き、目をかけていただいた恩、わたしは忘れていませんので」
「俺はお前が使えそうだから利用しただけだ」
「あなたらしい答えですね。ですが、それでわたしが成長できたのも事実ですから」
「……いいのか? 教団にばれればただではすまん。出世頭だろう、お前は」
「なるべくばれないようにはしますよ。ただ、さすがに表立って助けることはできません。あくまで補助になります。それにどうしても伝えたいことがありまして」
「伝えたいこと?」
「はい、六星のラティアがこの禁止区に来ています」
その名を聞いて、ダスティンの顔が険しくなった。
「教団の最高幹部がこんな場所へか? もしや、この惨状もそいつの仕業か」
「間違いないでしょう。奴は凶獣と人間についての研究が生きがいと聞いています。なので、ここから一刻も早く立ち去ってください」
「六星のラティア……聞かん名だ。六星は二つ席が空いていたはずだ。新参か?」
「ええ。わたしの調べでは最近めきめきと実力をつけて成り上がってきたようです。なにぶん、新参なので情報が少なくて……詳しいことはわかりませんが、若い男といううわさがありますね」
「若い男、か」
「よく知りませんがずいぶんとめちゃくちゃな奴のようですね。たかが実験でこれほどのことを起こすなんて」
「実験?」
聞き捨てならないことを聞いたというように、これまで放心状態であったレオナが、勢いよく立ち上がった。
「あんた今、実験て言った? ふざけないでよっ! 見なよ、この光景を! 人がこんなに死んでんだっ! ポポリンも死んだ! みんな一生懸命生きてるんだよ! それを実験だと? わたしたちはあんたらの実験動物じゃないっ!!」
レオナは怒声をあげて、エクノスを激しく睨みつけた。
睨みつけられたエクノスはすぐに視線を外し、溜息を吐いた。いかにも面倒くさそうに。その態度がレオナの癇に障った。
「あんた、ちょっと何その態度? 馬鹿にするのもたいがいにしなよ」
つかつかと肩をいからせ、レオナはエクノスの胸倉をつかもうと手を伸ばしたところでカレルに羽交い絞めにされた。
「ちょっ、カレル! 放してよ! こいつは一発はたいてやりたい!」
「落ち着けって、レオナ!」
「あんたはむかつかないわけ?」
「いらだってるよ、俺だって! けど、今はそんな場面じゃないんだって」
羽交い絞めにされて暴れるレオナと、それを必死に抑えるカレル。もがくレオナの目にエクノスの顔が映った。なんの感情も浮かんでいない目であった。いや、しいて言えば哀れみの色がかすかに浮かんでいるように見えた。
馬鹿にして。
頭に激しく血が上っていくのを感じた。やはり、この男はどうしても一発はたいてやらないと気が済まない。カレルを投げ飛ばして、近づこうと考えたときだ。
「みなさーん、大丈夫だったー!?」
大声とともに現れたのは、ルミナだった。
「ルミナ、無事だったか。よかった」
カレルが近づき、手を上げた。その手にルミナは「いえーい」とはしゃいでタッチする。
「もう驚きましたよ。あんな騒ぎが起こるなんて予想だにしてなかったからね。慌てて逃げて、皆さんを探したんですから」
「とにかくけががなくて何よりだよ。凶獣に襲われなかった?」
レオナが聞くと、ルミナは飛び上がって首をぶんぶん振る。
「広場にいたでっかい凶獣からは逃げ出せましたけど、小型の凶獣? どこから湧いてきたんでしょうね、あれ。あいつがたくさんの人を襲ってました。わたしも逃げるのに必死でしたよー」
小型の凶獣というのはあの童貞犬に殺された人が変化した奴のことだろう。殺された人間すべてがあれになるわけではないようだが、あの死者数だ。一体、どれだけの凶獣が生まれたのだろう。レオナやダスティンならともかく、生身の人間に凶獣は手に負えないはずだ。一体、どれだけの死者が生まれるのか。
「わたしはレオナさんは死んでるかと思いましたよ。なんたって、おばさんですし、遅いから」
「……そう、だね。とろいから、わたしは。だから、助けられなかったよ……」
手に口をあてて笑うルミナとは対照的に、レオナは顔を伏せた。あれ、と思い、ルミナが周囲の様子を見ると、なんだか様子が暗いことに気が付いた。
「みなさん、なんか暗いですね……。これだけの惨状ですから、気が重くなるのはわかりますけど、こんなときだからこそ元気を出しましょうよ、えいえいおー!!」
ルミナがはきはきと片腕を突き出すが、誰もそれに続こうとしない。全員が沈痛な面持ちだ。
「わりい、ルミナ。お前が元気づけようとしてくれてるのはわかるんだがよ……。今はそんな気持ちになれねえんだ。その、死んじまってよ……ポポリンが」
最後の言葉はしりすぼみになってしまった。言葉に出すと認めてしまうようで嫌だ、という気持ちが働いてしまったのだ。
ルミナはその言葉をきいて、きょとん、とした。
「えっ、は? 冗談、ですよね?」
うろたえるルミナにカレルは目を背けながら、ある一点を指さした。そこにあるのはかつてポポリンであったもの。ルミナはそれに近づき、目を凝らす。やがて、はっとしたように口元を手で覆った。死体に縋り付いて泣きわめくルミナ。その背中に手を置いて優しくさするカレル。そのカレル自身もあらぬ方向に目を向けていた。まるで現実から目を背けるように。
レクスはレオナの膝にすがりつき、押し殺すように嗚咽を漏らしている。レオナは今すぐにでも倒れこみたい気分だった。全てが夢であってほしかった。でも、これは現実だ。受け入れたくない現実。レオナは瞑目して、息を吐く。呼吸を整える。
まだ、休むわけにはいかなかった。なぜなら、どうしてもレオナは知りたいことがあったからだ。
「ねえ、ダスティン。わたしは今まであんたに深く事情は聞かなかった。あんたにも話したくないことがあるだろうと思ったし、聞いても話してくれそうになかったから。でも、そろそろ話してくれないかな?」
問われたダスティンはただ黙ってレオナを見ているだけだ。
「あんたからしたらさ、わたしは禁止区に住む男に体を売る卑しい女なのかもしれないけどさ、だからってこんなひどい目にあうのはおかしくない? わたしもポポリンも一生懸命生きてただけなんだよ。なのに、こんなことに巻き込まれてさ。他の死んだ人たちもそうだよ」
レオナは真っ向からダスティンを強く見据える。
「この惨劇を引き起こしたのは六星のラティアって奴なんでしょ? そして、そいつはあんたとレクスを追ってきてる。どうして、あんたはレクスを連れてるの? あんたは何者なの? わたしは、それが知りたい。何も知らないままこんな目にあうなんて理不尽すぎるよ……。せめて、理由を教えて。あんたの知ってることすべて話してほしい」
懇願するようにレオナは言った。ダスティンは沈黙している。長い沈黙だった。いや、あるいはそんなに時間はたっていなかったのかもしれない。が、レオナにとってはとても長く感じられた。
そして、ダスティンが厳かに口を開いた。
「本当にすべてを知りたいのか?」
まるでレオナを試すかのような口ぶりだった。それにゆっくりと頷く。
「知らなければよかった、聞かなければよかった、貴様はそう思うかもしれない。それでも、知りたいと願うのか?」
ダスティンの静かな剣幕に、レオナは気おされそうになる。引き返したほうがいいのだろうか。そんな考えが頭によぎる。でも、と思う。
それでも、わたしは。
「知りたい。知ったうえでどうするか決めたいから」
「……そうか。エクノス、この禁止区の地図はわかるか?」
「はい」
エクノスは腕につけている機械を操作すると、空中に地図が現れた。
「すげっ」
カレルが感嘆の声を上げた。レオナも同じ気持ちだ。どうやら教団の技術力は相当なものらしい。
「よし、ならば、収穫場へ向かおう」
「収穫場ですか? いや、しかし……」
エクノスは狼狽したように、ちらちら、とレオナたちに視線を向けている。
「構わん。くそ料理が知りたいと願ったのだ。それに、彼らこそ知っておかねばならない事実だろう」
「それは、そうですが」
エクノスは不服そうであったが、ダスティンの意思が固いと見るや諦めたように肩をすくめた。
この先、一体どんなことを知らされるのだろう。レオナには想像もつかない。しかし、それでも自分は知りたいと願った。このまま理不尽に死ぬのだけは嫌だった。
ダスティンについていくレオナは、このとき思いもよらなかっただろう。
この惨劇がただの始まりでしかなかったことを。




