第32話 惨劇
レオナは人波にもみくちゃにされながらも、前に進み続けた。すると、だんだんと人が少なくなってきているように感じた。やがて、街路が開けてきた。もう少しだ。
広場の入り口付近にたどり着いたレオナは、思わず息を呑んだ。
この光景を何といえばいいのか、レオナはすぐに言葉が出なかった。それほど凄惨な光景だった。中央広場に中心にあった塔は無残にも崩れており、付近には倒れた人間が複数いた。いや、複数などという生易しいものではない。地を埋め尽くすほどに大量の人の死体が転がっている。
凶獣の攻撃を受けたのだろう。ほとんどの死体は体の部分があちこちにちぎれとんでいた。広場中に散乱するおびただしいほどの血液が宙に舞い、赤い霧のようになっている。死の匂いがあちこちに立ち込めていた。
「うぶっ」
胃から酸っぱいものがこみあげてくる。すんでのところで、レオナは吐くのをこらえた。一刻も早くここから立ち去りたい気分だったが、レクスたちを探さないとという使命感がぎりぎりのところで働いた。
恐る恐るレオナは歩を進める。足裏に人の肉の感触がして、鳥肌が立った。目立つところを避けて、レオナはこそこそと隠れるようにして広場を進んでいく。
心臓が嫌になるぐらい高鳴っている。自分の心音が広場中に聞こえているのではないかと錯覚するほどに。自然と呼吸が深くなる。息と恐怖を殺して、レオナは慎重に進んでいく。
やがて、レオナは目標である時計塔を発見した。ようやく目標物を発見したと安堵した瞬間であった。レオナの耳がかすかな音をとらえた。
くちゃくちゃ、と何かを咀嚼する音。まるで肉を噛んでいるかのような。
視線をそちらに向けて、レオナは目を見開いた。
そこには、異形の怪物がいた。
黒い毛におおわれたそれは体長が五メートルはあるだろうか、鋭い爪と牙を持ち狼に酷似した姿をしている。ただ、通常の狼と違うのは頭が二つあることか。頭部は別々の色をしており、右が赤で左が黒色をしていた。両方の頭部とも転がった死体の肉を食べていた。人を捕食するそいつの目はらんらんと赤く輝いていた。
静寂が支配する中、肉を咀嚼する音だけが響いている。
レオナは今にも気が狂いそうな緊張の中、時計塔を目指し、ゆっくりと足を進めたところだった。
「うわああああああああああああ!!」
男の絶叫が、静寂を引き裂いた。見れば、男の目は焦点が定まっておらず、どこか常軌を逸しているように見えた。もしかしたら、あまりの恐怖に発狂してしまったのかもしれない。
凶獣は咀嚼していた肉を放り出して、男の方に視線を向けた。絶叫していた男につられてか、隠れていた人たちが数人飛び出した。
凶獣はぐるぐる、とうなり声をあげて前足に力を入れて――飛び出した。巨躯に似合わない俊敏な動きでじりじりと逃げる人たちに迫る凶獣。やがて、追いついた凶獣は右前足を振り上げた。逃げていた人がつぶれた。さらに距離を詰めた凶獣は前足で二人の人間を押さえつけて、両頭部で人の頭に食らいついた。
広場に新たな躯が増えていく。ごくり、と頭を飲み込んだ凶獣は前方にいる人間に向けて口を開ける。そして、その口から炎が放たれた。炎は人をとらえ、とらえられた人は悲鳴を上げてよろよろと歩いて、力尽きた。獲物をしとめ切った凶獣は人を食らう。くちゃくちゃと音を響かせる中、なんと、一人の死体が急に意志を持ったかのように立ち上がって、その姿を凶獣へと変えた。
大きさは一メートルほどの狼に似た凶獣だった。そいつは、広場の外へ向かって駆けていく。
一連の出来事を見ていたレオナは軽い恐慌状態に陥っていた。足が小刻みに震えている。見つかったら終わりだ、そんな気持ちを強く持った。慎重に行かねば、と強く心に決めたときであった。
「――あ」
足元に転がっていた木材を気づかずに、レオナは蹴飛ばしてしまった。
凶獣が食事をやめて、すぐさまレオナのいる方へと視線を向けた。とっさにレオナは近くの建物の柱へと身を隠した。その数メートル先にはレオナと同じく隠れている男の姿を見つけた。
凶獣がゆっくりとこちらに向かって近づいてくる。
それに合わせて凶獣の足音が響く。一歩、一歩確実にレオナが隠れている場所へと歩み寄ってくる。
その足音に呼応するかのようにレオナの心臓の高鳴りは上がっていく。もはや、心臓が壊れしまうのではないかというほど脈うっている。全身の穴という穴から汗が噴き出て、まるで水にでも浴びたかのようなありさまだ。
凶獣の足音が止まった。
いる、と思った。レオナのすぐ後ろ。背後に凶獣の気配を感じた。凶獣の息遣いとうなり声が背後で聞こえた。発狂してしまいそうな恐怖と荒くなる呼吸を必死に抑える。目をつむってこの地獄のような時間にレオナは耐える。何秒、たったのだろうか。永遠にも等しい時間をレオナは目をつむって耐えた。
やがて――凶獣の足音が遠のいていくと同時に、濃密な気配が消えていく。どうやら、見つからずに済んだらしい。その幸運に思わず、息を吐きそうになったがレオナはそれを我慢した。慎重に慎重に。心にそう決めて――
「がああああああああああああああっ!」
レオナの近くにいた男が、叫び声をあげて飛び出す
「――え」
レオナが呆けた声を上げた。レオナは凶獣が迫ってくる恐怖に耐えれた。が、男の方はその圧力に耐えきれなかったのだ。
「ちょっと待って、今そのタイミングじゃ」
凶獣はくるりと方向転換し、前足で男を引き裂いた。男の血と肉片が散乱していく。
そして、凶獣の目は柱から身を出していたレオナをとらえていた。




