第28話 忍び寄る悪意
禁止区区長ダグドの一室にあるベッドで、ダグドは寝そべりながら両手を広げている。下衆な笑みを浮かべたダグドは服を着ていない。運動が不足しているのか、だらしない腹部がやけに目立っていた。その全身は汗でぬらぬらと光っている。そんなダグドの両隣にはダグドと同じく服をまとっていない裸身の美女二人が媚びた眼差しをダグドに送っていた。美女の方も汗が肌にしたたり、濡れた髪が額に張り付いている。
ダグドはラティアに言われたことを全くしていなかった。こんなところにわざわざやってこないだろうという目算があった。それに、ダグドとしてはしっかりと職務を全うしている褒美が欲しかった。
実のところ、ダグドは全く仕事をしてないのだが、当の本人に自覚はない。今の彼には異性を貪る肉欲しかなかった。
部下には今日は自分の部屋に入ってくるな、と命令していた。なので、自分の邪魔をする存在は現れない。ダグドは自らの欲望をたぎらせて一匹の雄となるだけだ。
至福の感覚に身をゆだねていると、
「し、失礼します……!」
開かれるはずのない自動ドアが開いた。入ってきたのは、引きつった顔をした教団兵だ。ダグドはぽかんとした。やがて、恍惚とした表情が崩れて、みるみるうちに朱がさしていく。
「貴様あああああああああっ! わしが言っていたことを忘れたのか!! 見ての通り、わしは職務中だぞ!!」
あらん限りの怒声を、部下にぶつけるダグド。部下はくぐもった声をあげながら、
「お、恐れ入ります。で、ですが、その、そういうわけにはいかない事情がありまして……その……」
「彼を怒らないであげてください。わたしが頼んだのです」
どうやら、教団兵の背後に誰かいるらしかった。その人物は教団兵の隣に歩みたった。
「誰だ、貴様は? わしを禁止区区長のダグドと知ってその態度か?」
すごむダグドに対して、その人物は特にひるんだ様子はない。むしろ、涼しい表情を浮かべている。
ようやく、ダグドも何かがおかしいということに気づいた。
「誰だ、貴様は?」
「ろ、六星のラティア様、です……」
教団兵がうろたえた様に答えた。それを聞いたダグドは呆けた顔をした。そして、隣にいる人物をまじまじと見た。
メサイア教団では位によって着る服が異なる。その人物が着ているのは厳かな神官服だった。あの服が着られるのはメサイア教団でも六人しかいない。
そのことに思い至ったダグドは、
「申し訳ありませんでしたあああああ!!」
ベッドの上で全力の土下座をした。怒りも喜びもすべてが跡形もなく消し飛んでいた。ダグドの全身から冷や汗がびっしょりと吹き出てきた。
「君は帰っていいよ」
ラティアにそう言われた教団兵は、そそくさとその場から立ち去って言った。部屋に残されたのはラティアとダグド、と女二人だ。
「さて、君はさきほど職務中と言っていましたが、どういう仕事なのでしょう。説明をしてもらえますか?」
「そ、それは……。これは、その、接待でございます。わしと女子と合意の下でする親睦を深めあう行事でありまして、互いの肉体関係を深めあうことで業務を円滑に進めていく、いわばエモーショナルでパッションのぶつけあいなのです……」
あまりに頭が混乱していたせいか、ダグドは言っていて自分でもわけのわからないことを言っている気がした。それを聞いたラティアは考え込むように目をつむっている。許してもらえるだろうか、と淡い希望を抱いて顔を上げると、
「わたしにはよくわかりませんが、業務を円滑に進めるうえで必要なことなら仕方がないのでしょうね」
「それならっ!」
ぱっとダグドがはしゃいだ顔をするが、
「それでわたしがあなたに言っていたダスティンとレクスの行方は判明したのでしょうか?」
「それは……まだでございます……」
「そうですか、残念ですね」
そう、ラティアが言った瞬間だった。すっ、と空気が流れる音がした。それはほんの一瞬のことだった。
突然、ダグドの左隣りにいた女が細切れになった。凄惨な光景を見て、ダグドは獣のごとく絶叫した。
恐慌に駆られたもう一人の女が服も着ずにこの場から逃れようと、脱兎のごとく走り出す。
それを見ていたラティアはくすくす、と笑っている。
「駄目ですよ。一人だけ死んだのでは寂しいじゃないですか。あなたは彼女を迎えに行ってあげないと」
女はバラバラの細切れになった。ダグドの部屋はすでに血まみれになっている。血液特有の鉄の匂いが充満し、血の海でダグドは溺死しそうだった。怯えるダグドにラティアはゆっくりと近づく。
「別にあなたがなにをしようとわたしは別にいいのです。しかし、言われたことをやってもらわないのは困るのですよ。今度の区長はもっと従順に働く者にしないといけないですね」
「やっ、やめてええええええ!」
悲鳴を上げて、ダグドは亀のごとく丸まった。もはや、恥も外聞もなかった。顔は涙と鼻水と血が入り混じってぐしょぐしょだった。ここで死ぬのか、などという考えが頭をよぎり、
「冗談ですよ」
にこやかな笑いを浮かべながら、ラティアはダグドの頭を撫でた。ダグドは意味が分からずに放心状態だ。
「ほらほら、笑ってください。わたしなりにあなたを和ませようと思ってやったことなんですよ。どうでしたか?」
穢れのない純粋無垢な笑顔だった。あんなにむごい殺し方をした同じ人間だとは思えない。ラティアには罪悪感というものがまるで感じられなかった。
ダグドは途端に得体のしれない恐怖を感じた。明らかに異質。自分とは違う存在。言語は同じなのに、ラティアとは決して分かり合えないそんな隔たりを感じた。
恐怖に突き動かされて、ダグドは笑った。うまく笑えているかはわからない。
「よかった。喜んでもらえて何よりです。そうそう、和んだところで実はやってもらいたいことがあるんですよ」
「やってもらいたいこと、ですか?」
話を聞き終えた、ダグドの顔は青ざめていた。
「そ、そんなことをしたら、わしはどうなるんです?」
「嫌ですか?」
ラティアに見つめられて、ダグドは何も言い出せなくなってしまう。先ほどの惨殺が頭によぎった。
「あなたは何もしなくていいです。ただ傍観しているだけでいい。そうすれば、今まで通りの日常が帰ってくるのです。何かあったときはわたしが責任をとります。どうでしょうか?」
「……そういうことなら」
「わあ、ありがとうございます。あなたのような人材がいればゲオタヤも安泰ですね」
はしゃぐラティアに向かって、はは、とダグドは乾いた笑いを上げた。最初からダグドに拒否権などなかった。自分はただラティアの言う通りにするだけだ。
ラティアは血に染まった室内を平然と歩きながら、窓の外を見た。
「何やら、禁止区が活気づいてますね。なにか催し物でもあるのですか?」
「ああ、豊穣祭とかいう年に一度の祭りをやるようですよ。まったくいい身分ですよ」
「そんな祭りがあるのですか。へー、豊穣祭。待ち遠しいですね、わたしも楽しみですよ――すごくね」
ラティアは無邪気にそう言った。




