第26話 苦い思い出
レオナが気づけば周囲には誰もいなくなっていた。どうやら仕事が終わったらしい。力のない足取りで、レオナは休憩所に入った。消灯がついてないので部屋は暗かった。だが、明かりをつける気力もなかった。ぼんやりとレオナの意識は闇に同化していくような感覚を覚えた。
ふいに、泣きたくなった。自分があまりにも情けなくてみじめで消えてしまいたくなった。
「やっぱり、わたしにできることなんてないんだよね……」
つぶやきは宙へと消えていく。そして、レオナは過去の記憶へと引きずり込まれるように思いをはせた。
♢
「まだ決まってないの?」
「……はい」
レオナは今にも消え入りそうな声で言った。
スクールにある一室。向かい合っているのはレオナの担当教師である男だ。眼鏡をかけた神経質な印象を与える男である。この男と話をする時間がレオナは嫌だった。今でも、吐き気がして全身が悲鳴を上げている感覚があった。
「職場が決まっていないのは君だけなんだよね」
スクールでは十三歳までに各自仕事を決めて自らの生活を決めていくルールがある。ほとんどの児童はすでに仕事が決定していたのだが、未だにレオナだけが決まっていなかった。
「学業の成績悪かったものね、君。俺、見たことないもの、こんなに出来の悪い奴」
定期的に開催される試験。その成績がレオナは壊滅的に悪かった。レオナもそれに対して何の対策もしなかったわけではない。が、成績は全く向上することはなかった。レオナとしては、そこまで深刻にとらえていたわけではなかったが、まさかこんなことになるとは夢にも思っていなかった。
「なんとなく予感はあったんだよねー。仕事、決まらないんじゃないかってさ」
とんとん、と机を指でたたく先生。机に先生の指が触れるたびにレオナはびくり、と身をこわばらせた。
十二歳になったときは、すぐに仕事が決まると思っていた。
最初の仕事先、相手のレオナに対する印象は悪くなかったはずだ。でも、レオナは相手の教えたことが守れず、ミスが多かった。次第に相手の表情は曇り、そして言われる一言、
どうしてできないの?
何度言われただろうこの言葉を。何度相手の失望する表情を見ただろう。レオナは毎日のように仕事先に向かったが、すべて断られた。ゆうに百は超えていただろう。そんなこんなで時間は過ぎて、レオナは十三歳になる目前まできていた。
「……先生、仕事が決まらなくて、どうしたらいいですか?」
「知らない」
即答だった。
「前例がないんだよねー。僕も初めてだからこんなケース。もう僕にできることなんて何も残ってないよ」
「わたし、どうなるんですか?」
不安のあまり、レオナはすがるように聞いた。もう、どうすればいいのか自分でもわからなかった。カレルとポポリンに相談しようとも考えたが、こんなこと言いたくなかった。知られたくない。恥ずかしい。そんな気持ちが邪魔をして、二人には何も言えていない。
先生は立ち上がって、窓際に歩いていく。
「僕はねー、仕事につく人を色に例えるんだ。例えば、喫茶店なら赤、書店なら青、工場なら緑、といった風にね。どんな人にも色はある。そう思ってたんだけどね、君を見て新しい色があることを知ったよ」
先生はレオナの前に立ち、それを言った。
「君は、無色だね。何にもなれないし、必要とされない。さっき、君は僕にどうしたらいいと言ったね。それに対する僕の答えは、何もしなくていい、だ」
「で、でも、それじゃ生活が――」
「生活はできなくていいんだ。だって、君は無色。何もできないし、何もなれないし、誰にも必要とされない存在なんだ。この禁止区にとって君は要らない存在なんだよ。わかるかな? そんな君に残された道は、ただ一つ。ゴバニーで死ぬか、餓死するかだね。あー、教団に処理してもらうって線もあるな。だから、僕が君に言える助言は一つ。死に方を考えなさい」
先生はにこり、と笑みを浮かべて言った。
「僕が君にできることはないから、もう帰りなさい。じゃあね、無色くん」
それから、レオナはまったく覚えていなかった。気づけば、街角にあるベンチに糸の切れた人形のように座っていた。これからどうしていいのか、どう生きていいのかわからなかった。
だって、わたしは無色だから。
そう思って、レオナは泣いた。嗚咽を押し殺してうずくまっていた。すると、
「どうした? そんなに泣いて」
心配そうな顔をして立っている男がいた。レオナは夢中になって男に自分の思いのたけ全てを吐いた。
それが、レオナの初めての男だった。
♢
「電気つけねえの?」
ぱちり、と音がして部屋に明かりが灯った。カレルがレオナの前に座る。
「もうとっくに時間すぎてんぞ? 明日もあるんだから帰って寝たほうが」
「カレル、わたし仕事辞める」
レオナははっきりとカレルにそう告げた。
「やっぱりさ、わたしには向いてないんだよ。こういう仕事はさ。男を喜ばせるしか能がないし……」
「や、まだ早いって見切りつけるのはさ。初日じゃんか。俺はレオナならいけると思うんだけどな」
へへっ、とレオナを安心させるかのような笑いを見て、レオナは自分の中で何かが切れるのを感じた。
「あんたに何がわかるっていうのっ!!」
立ち上がって、レオナは大声を上げた。
「スクールの仕事先だって、わたしは全然決まらなかった! 先生に前例がないって言われたし、君にできる仕事はないって言われたんだ! わたしだって仕事を一生懸命に探したし、できるように頑張ったんだよ。でも、できなかった、何も。他の人が仕事が決まっていく中で、わたしだけ何も決まらなかったんだ! カレルもポポリンも何も知らないのに、どうしてそんなことが言えるの? あんたらの期待がわたしにとってどれだけ重いかわからないでしょう! わたしはあんたらと違って何もできないんだよ!!」
一気に言い放って、レオナは肩を激しく上下させる。カレルは呆然と目を見開いている。ひかれたな、と意識の片隅で思う。が、なおもレオナは言葉を叩きつけるようにカレルに放つ。
「わたしは先生に君は無色だって言われたよ。無色って、どういう意味が分かる? 誰にも必要とされず、何もできず、何もなれない存在、だって。笑っちゃうよねえ?
でも、わたしは何も言い返せなかったよ。その通りだから。どの職場に言っても、必ず言われた。どうしてできないの、って。そんなのわたしにもわからないんだよ!!
わたしは言われてる通りにしてるつもりなのに、できない。どんなに集中してもミスが出る。おかしいんだよ、わたしは! 普通じゃないんだ、わたしは! だって、わたしは無色だから! なにもない空っぽな人間だから! だから、もう……放っておいてよ……」
最後は懇願のような声音だった。
ああ、全部ぶちまけてしまった、と思った。今までカレルとポポリンには言わずに心の中にしまっておいたことを。
軽蔑されているだろうか。別に構いはしない。もうすべてがどうでもいい気分だった。そんな投げやりな気持ちでカレルの顔を見て、固まった。
カレルが泣いていた。
「えっ、いや、なんであんたが泣いてるの?」
「泣くよ、それは! お前、そういうことちっとも話してくれないし!」
「それはだって……話さないでしょ。恥ずかしいし……」
「お前、辛かったなあ」
カレルは心のこもった声でそう言った。レオナからしてみれば、その反応は予想外のものであり妙にどぎまぎしてしまった。どう反応していいのかわからない。
「仕事のミスは誰にでもあるって言いたいけど、レオナにとってはそれが普通より多いんだよな。もう来たくないのか?」
「……さっきも仕事でミスして……どうしてできないの、って言われて。その言葉、言われるのきついんだよ、すごく。他の人が出来てて、自分だけできないから余計にきつい。なんかさ、たくさん人がいるのに自分が別の生物になったような感覚があって……。もう、味わいたくないあの気持ちは」
レオナの言葉をカレルは珍しく神妙な面持ちで聞いていた。腕を組み何かを考えるようにして、口を開いた。
「でもさ、そんな嫌な気持ちがあってどうして働こうと思ったんだよ」
「それは……ポポリンに言われて、仕方なく……」
「それだけか」
「……レクスがやめてほしいって、今の仕事。あの子にあんな顔させたのがすごく罪悪感あって、それで……」
「それなら、続けるべきだろ」
「わたしだって、そうしたいのは山々だけど、正直、怖い」
「仕事をやりたいって思ったレオナも、やめたいって思ったレオナも同じレオナだろ。ならさ、仕事をやりたいって思った自分の気持ちを大切にすればいいんじゃねーか。スクールの先生に言われたことを気にしてたとしても、それでも、レオナはここに来たんだろ。その気持ちを大事にしたらいいと思う」
まっすぐな眼差しをレオナに向けてくるカレル。カレルの言っていることは正しいのだと思う。だとしても、自分は。
そう思ったときだった。カレルが突然、レオナの手を握り締めた。
そして、こう言った。
「なら、俺がお前の支えになってやる。仕事も教えるし、ミスしたときもフォローする。他のみんながお前を見捨てたとしても、俺はお前を助け続ける。仕事ができない自分が信じられないなら、俺を信じればいい」
カレルは熱いまなざしをレオナに向けている。レオナはカレルの目を見て、
「手」
と、言った。カレルは首をかしげていたが、やがて、レオナの言った意味に気づいたようだった。
「ふあぎゃあ! こ、これは不可抗力で会って決して下心があったわけじゃねえ! お、俺はお前のことなんて好きじゃないんだからなっ!」
カレルは慌てて手を放して、意味不明なことを叫びながら部屋から出て行った。
「……相変わらず、変な奴」
レオナは自らの手のひらを見つめる。
俺を信じればいい、か。
そんなことを言われたのは初めてだった。しかし、自分が信じられないのにその自分を信じるなんて、カレルはどうかしている。
だが、悪い気はしなかった。
むしろ、不思議とやめたいという気持ちは薄らいでいた。
「……もう少し、頑張ってみようかな」
誰もいない部屋で、レオナはぽつりとつぶやいた。




