第23話 仕事
街灯がちかちかと明滅する中、レオナはレクスと歩いていた。家を出た時はまだ朝だったが、いつの間にか夜になっていた。レクスは待ちきれないといったように本を胸に抱えている。結局、ルミナはあの本をレクスに渡してくれた。本人曰く友達の証、ということだ。もらったときのレクスは顔をほころばせていたので、レクスとルミナが仲良くなるのもきっと時間の問題だろう。
心が弾むような気持でレクスと歩き、あっという間に自宅の前へとたどり着いていた。さて、今日は何を作ろうかと考える。とはいっても、ポポリンに教えてもらったパスタ料理しか作れないのだが。
いつもそればかりじゃ飽きるよね、と思いレパートリーを増やさないといけないなどと考えていると、一人の男の存在に気づいた。
小太りで醜悪な顔をした男だった。男は虚ろな目をしてまるで浮浪者のように徘徊していた。その男がレオナに気づき、
「お前、いくら?」
と、聞いた。客か。最近、お金が少々寂しくなってきたのは事実。しかし、今日のレオナはかなり疲れていた。もうあまり動きたくはない。
「ごめんなさい、今日は――」
断ろうとしたレオナの前に男は紙幣を五枚見せた。
「前金だ。もっと払うよ」
ずいぶんと羽振りのいい客である。前金で五万エルも払うとは。上客だろう。ここで逃がすわけにはいかない。
「いいよ、相手になってあげる。レクス、お留守番できる?」
頷くレクスを家の中へ置いてから、レオナは男とともに夜の街へと消えていく。
♢
「いったあ……」
レオナは建物の壁へともたれかかった。服はぼろぼろで着替えなくてはならないだろう。妙に金払いがいいと思ったが、とんだ地雷を踏んでしまったようだ。男に殴られた体がずきずきと傷んだ。顔ははたかれただけで済んだのが幸いか。
これだけ暴力を振るわれたのだ。教団兵に伝えれば、捕まえることもできるが。そう考えたところで、男の言葉が頭によぎった。
どうせ、俺はもうすぐ死ぬんだ。なら、最後ぐらい好き勝手したっていいいだろ。
あの男はゴバニーに犯されていた。年齢が二十代後半ぐらいとなると、もう長くはないだろう。
「……本当にろくでもない街だよ」
立ち上がると、傷が痛んだ。正直、まだ座っていたい気分だったがそうもいかない。家に帰らなければ。レクスが心配しているかもしれない。
時刻はすでに深夜をまわっていた。とぼとぼと力のない足取りで、レオナは自宅へと歩を進める。
ようやく自宅にたどり着いたときにはすでに夜が明けていた。なんだか体が泥のように重かった。早く横になりたい。そう思いつつドアを開けようとしたら、目の前でドアが開いた。ダスティンが立っていた。
「仕事か?」
「うん」
ダスティンは何も言わずに頷くだけだ。
「友人が来ている」
「友人てポポリンとカレル?」
レオナの問いには答えずにダスティンは横をすり抜けていずこかへと姿を消した。家に入るとテーブルに色とりどりの料理が並べられていた。そのテーブルの上にレクスが寝ていた。その隣にはポポリンが寄り添うように寝ていた。どうやら、昨日はポポリンがやってきていろいろとレクスの世話をしてくれたようだ。礼を言わねばならないだろう。そう思っていると、ポポリンが顔を上げた。
ポポリンはぼんやりとしていたが、レオナの姿を見てきりっと表情を変えた。
「ポポリン、昨日はありが」
「今、帰ってきたの?」
鋭い声だった。表情が硬い。ああ、これは怒っているなと、まるで他人事のように思った。
「そう、まいったよ。客が乱暴でさ」
ぱあん、と乾いた音が響いた。レオナの頬がひりひりと熱い。レオナは頬を手でさすった。
「何時だと思ってるの? もっと早く帰ってこれなかった?」
「……思ったより時間がかかって」
「レクスくん、レオナちゃんが帰ってくるのずっと待ってたよ。レオナちゃんと一緒に食べたいってさ、さっきまで起きてた。眠たかっただろうに、我慢してたよ。ねえ、なんとも思わないわけ? なんかいいなよ!?」
ポポリンの糾弾にレオナは何も言い返せない。ただ黙って目を伏せるだけだ。沈黙が場を支配していた。二人の間に言葉はない。呼吸の音だけが響く静寂の中、かたり、とテーブルの音がした。レクスが身を起こして、目をこすっていた。
やがて、レオナの存在に気づいて、
「お母さん? お帰り」
笑みを浮かべるレクスを見て、レオナは何ともいたたまれない気持ちになった。
「ただいま」
絞り出すように言葉をつぶやくレオナを見て、レクスの表情が曇る。
「昨日の人にやられたの?」
「っ!!」
レクスの純粋な問いに、レオナは顔をそむけた。なぜだろうか。レオナは昨日までレクスのことを好ましく思っていたのに、今は顔を見られない。自分の姿を見てほしくない。できることなら、今すぐにでもこの場から姿を消してしまいたい。
見ないでほしい、自分の姿を。
「もうやめる頃合いじゃないかな。わたしもカレルくんもあまり口に出さなかったけど、レオナちゃんに傷ついてほしくないよ」
「……簡単に言わないでよ。生活していかないといけないんだ。やめたら、どう生きていけばいいっていうの?」
「レオナちゃんならすぐになんでも仕事できると思う」
ポポリンの言葉を聞いて、レオナはぎゅっとこぶしを握る。何も知らないくせに、どうしてそんなに無責任なことが言えるのだろう。言い返してやろうとして――レクスが言った。
「僕もポポリンさんと同じ。お母さんには傷ついてほしくない」
その言葉を聞いて、レオナは泣きたい気持ちなった。なぜ、そんな残酷なことが言えるのだろう。そんなことを言われたら、わたしは何も言えなくなってしまう。
「レクスくんもそう言ってるけど、どうする?」
「………………考えてみるよ」
そう答えることしか、レオナはできなかった。別に売春をやめるという覚悟で言ったわけではない。
ただ、場の雰囲気に流されていっただけの空虚な言葉だ。
わたしはどうすればいいのだろう。
レオナは絶望的な気分だった。




