第103話 招集
裂帛の気合とともにクルトは斧を振り上げて、それを上段から一気に振り下ろす。キラービーが奇声を上げて頭から真っ二つに両断されて、それぞれの体が地に伏す。一息つくクルトであったが、彼は背後から迫るキラービーに気づいていない。
キラービーの鋭い針がまさにクルトを貫こうとしたところで、横から鋭い槍の刺突がキラービーの頭部を襲う。反応する間もなく頭部を突き刺されたキラービーは絶命した。
「油断するでないわ」
「悪い、助かったぜゴーワ」
礼を言うクルトを無視してゴーワは槍を構える。それを見てクルトも表情を引き締めた。キラービーの数は二十は越えているだろう。大してこちらは残っているのが二人だけだ。
ムラキスの近くにある洞窟にキラービーが住み着いている。退治してほしいという依頼が教団兵に寄せられてきた。この付近はハンターがいないらしく、その代わりに教団兵が凶獣を倒す業務を代行していた。
ゲオタヤでは珍しくもない仕事だ。キラービーは大人ほどの大きさで鋭く尖った槍のような手と鋭い歯で噛みついてくる凶獣でランクはBとされている。さほど脅威でもないと甘く見たのがいけなかった。
どうやら連中は洞窟に集団で住み着いていたらしく、想定よりも数が多かった。おかげでクルトとゴーワが連れてきた教団兵は全員が絶命していた。二人で善戦していたが、すでに体力は底を尽きそうになっている。
「キナに応援を頼んだのじゃが、来る気配がないのう……。どうやらここがわしの死に場所になりそうじゃわい」
「おいおい冗談じゃないぜ!? あんたは長生きしたからいいかもしれないが、俺はまだ若いんだ。やりたいこといっぱいあるんだよ。こんなところで死んでられるか」
斧を構えて、声を張り上げるクルト。が、状況は決して楽観できるものではない。むしろかなり悪い。残りのキラービーは二十匹。一人十匹のノルマか。きついが絶対にできないというわけでもない。
やってやるぜ、俺は。
そう、クルトが気合を入れた時であった。
洞窟の方から奇妙な音が聞こえたのは。それはまるで超音波のようなキン、と響く音だった。何だと疑問を抱いて――洞窟からぬっと姿を現したものを見て、クルトは思わずあんぐり口を開けた。
「……冗談だろ」
「ほほ、本当にここが死に場所になりそうじゃな」
それは身の丈三メートルはあろうかというひと際大きな体躯をしたキラービーだった。他のキラービーがその個体が近づくと委縮したように距離をとることから見ても、このキラービーがこの集団のボスと見て間違いないだろう。
通常キラービーは黄色と黒色が混じった体色をしているのだが、このキラービーは全身が赤かった。それだけで特別な個体だということがわかる。名前を付けるとするならばキングビーといったところか。
キングビーはクルトとゴーワを見下ろしている。それだけでクルトは皮膚が泡立つのを感じた。間違いなくAランク相当の実力がある凶獣だ。さきほど入れた気合が急速に萎えていくのを感じる。
心中で己の不運を嘆いた。そして、キングビーのいとも簡単に人間を殺傷できる槍状の手が二人を突き刺すべく迫ってくる。図体のわりに俊敏な動きで、躱すことはできそうもない。
クルトは目をつむって、やがてくるであろう衝撃に備えた。
しかし、来るはずの衝撃が来ない。代わりに聞こえてきたのはキラービー特有の甲高い悲鳴だ。何かがおかしい。そう思って目を開けて――目の前の光景に愕然とした。キングビーの片腕がなくなっていたのだ。
「戦っている最中に目をつむるのは感心しないな。兵士ならば最後まで諦めずに生きることを考えるべきだ」
いつの間にそこに現れたのか。そこには――
「とはいえ、よく持ちこたえた。あとはわたしが相手をしよう」
自分の上官であるエクノスが涼しい顔で立っていた。
ただならぬ気配を感じ取ったのか、キングビーが警戒するようにエクノスを見た。互いに相手を見やる時間が数刻過ぎたときであった。キングビーが動いた。左腕を振り上げて、叩き潰そうとする。
原始的で単純な動き。が、決して遅くはなくむしろ鋭さすらある動きで、人間なぞ簡単に肉塊へと変える圧倒的な暴力がエクノスに迫る。エクノスはそれを見ながら、ふっ、と鋭く呼気を吐いて剣を握る。
その瞬間、だった。キングビーの体から血がほとばしったのは。そして、体には十字傷が出来ており、ずるり、と音を立てて四つの部位に斬り裂かれたキングビーの体が地に落ちた。
「す、すげえ……」
クルトが思わずと言った様子でつぶやくように声を出した。クルトにはエクノスが何をしたのか全くわからない。気づけばキングビーが切り裂かれていたのだ。エクノスが六星の一角であり、只者でないことは理解していた。
が、彼が実際に戦うのを見るのは初めてのことだった。
正直にいって、強さの次元が違う。この人、人間なのか?
そんな感想を抱かざるを得ないほど、エクノスは人間離れしている。
そんなクルトの畏怖がキラービーたちに伝染したのか、二十匹いるキラービーが狂乱したかのように怒涛の勢いでエクノスに迫っていく。再び彼は剣を構えて、横に振るう。一閃されたキラービーたちはキングビーと同じ運命をたどった。
時間にして五秒も経過していないだろう。
クルトが呆気に取られている横でゴーワがほほほ、と笑う。
「まったく見事なものですな。ゲオタヤで一番強いのではありませんか?」
「わたしなんてまだまだだよ。上には上がいる」
「あなたより強きものがいるとは、それはもう神の領域ですな」
ほほほ、とゴーワが顎をさすりながら笑う。それでクルトははっと我に返った。
「え、エクノス様。どうしてここに?」
「わたしが呼んだんですよ」
ひょっこりとキナが姿を現した。
「お前、わざわざエクノス様に頼んだのか? 休暇中だから休ませてあげようとかって考えはないのかよ?」
「そうキナを責めないでやってくれ。わたしが直接行くと言ったんだ」
「そうですよ。心優しいエクノス様はわたしの願いを聞いてくれたんです。それに、わたしはどこかの馬鹿な猪男と違ってきちんと配慮ができるので、あなたに責められるいわれはありません」
「キナ。もしかして、猪男というのは俺のことではないよな?」
それを聞いたキナはにやあ、と意地悪く唇を吊り上げた。
「あら、ご自覚はあったんですね。わかっているなら性根を治すよう努力すべきでは?」
「お前なあ!」
「いちいち声を張り上げないでください。怒るよりもあなたはわたしにお礼を言うべきでしょう? わたしがエクノス様に助けを求めなければ、あなた、死んでましたよ」
「そのことには感謝するが、お前は何もしてないだろう!」
口汚く罵るクルトを見て、キナはにやにやと意地の悪い笑みを浮かべている。クルトとキナは顔を見るたびに喧嘩している。そんないつもの光景を見ながらゴーワは笑い、エクノスは肩をすくめている。
クルトの怒りが頂点に達したのか今にもキナの胸倉をつかみあげんばかりに近寄ろうとしたところで、間にゴーワが割って入った。
「戯れもそこまでじゃ。クルトよ、お主はエクノス様に言うことがあるのではないか?」
「言うこと? あっ」
そのゴーワの一言でかっと熱くなっていた頭が冷えていくのを感じた。
そうだった。こんな女を相手にしている場合ではなかった。
「エクノス様。実はここに派遣される前に天空神殿から連絡がありましてギアノン様からなのですが……」
「ギアノン様が?」
その名が出た瞬間、弛緩していた空気がぴりっと緊張を伴った空気に変化する。
「何か言っていたか?」
「いえ、詳細は神殿にて話す、と。それだけです。ただ、緊急を要する件ではないようですが、いかがされますか」
「どのみち会わねばならないなら、向かうとしよう。クルト、ゴーワ。お前たちは怪我の治療に専念しろ。あまり無理はしないようにな」
それだけを言い残して、エクノスは立ち去っていく。その後ろ姿を見ながらゴーワは、
「仕事の虫じゃな」
と、言った。その言葉が勘に障ったのかキナがムッとする。
「それは、エクノス様を馬鹿にしているのですか?」
「まさか、逆じゃよ。褒めているんじゃ。お主も教団で最高位の立場でありながらあれほど仕事熱心な人はあまりいないと思っているじゃろ?」
「それは……まあ」
教団での地位は絶対的なものだ。そして、一般的に地位が高いものほど傲慢で仕事をしないものが多く、気位が高い。基本的に教団での地位が上の者は名門、つまりは裕福なものが多い。それが傲慢さに拍車をかけるのかもしれない。
「エクノス様は仕事熱心なうえに、地位で人を差別することがないお人じゃからな。変わった人じゃよ」
その態度はキナからすればエクノスの美点の一つなのだが、他の名門出身幹部からは蛇蝎のごとく嫌われている。いわく、上に立つにふさわしくない。いわく、そんなことをすればなめられる、などなど。
そんなことをいう連中がキナは嫌いだった。
「わたしからすれば、他の方々が変人です。おかしいですよ、絶対」
「落ち着けよ。他の奴らが何と言おうが俺たちがあの人を助けてやれば問題ないだろう?」
クルトがキナの肩をポンと叩いた。
「わざわざあなたに言われなくてもわかっています」
「なら、いいさ。それと、助けを呼んでくれたことはありがとな。お前がエクノス様を呼んでくれなかったら、こうして話すこともできなかった」
「殊勝なこころがけです。いつも私にはその態度でおねがいしますね」
なぜか勝ち誇ったように言うキナ。本当に生意気な女である。だが、助けられたことは事実である。我慢すべきだろう、ここは。
「じゃが、ちいとばかし助けが来るのが遅く感じたのう。まさか、エクノス様の顔に見惚れてでもいたか? ほほっ」
クルトの険悪な雰囲気を察してかゴーワが冗談を口にする。飄々とした老人だが、こういうところは気が回る。彼のおかげでクルトがキナを殴り飛ばすという事態にはまだ発展したことはない。
ゴーワの冗談に合わせるつもりでクルトは笑った。が、キナの方はなぜだかそわそわしている。明らかに様子がおかしい。どうした、とクルトがキナの肩を揺すると――はらり、と何かが落ちた。
「ん? なんだこれ?」
「あっ、それは」
慌てて手を伸ばすキナをひょいと避けて、それを見る。それは写真であり、どこか憂鬱な表情を浮かべたエクノスが映っていた。
「もしかして、お前」
クルトが素早い動きでキナのポケットに手を伸ばす。そこから出てきたのは大量のエクノスの写真だった。写真の背景、エクノスの服装から察するについさっき撮ったものなのだろう。
クルトとゴーワの顔が引きつった。まさか、ゴーワの言った冗談が真実になるとは。
「……お前、俺たちが死にかけてるときに何してんの?」
「仕方ないじゃないですか。休暇中のリラックスしたエクノス様を写真に撮る機会なんて滅多にないんです。わたしにとってはとても大事なことです!」
まったく悪びれた様子もなく言い放つキナ。
前言撤回。この女に礼を言う必要などまるでなかった。今後の付き合いを真剣に考えるべきだろう。クルトがそんなことを考えていると、
「しかし、これだけ写真があるにもかかわらず笑った写真が一枚もないのう」
ばらばらに落ちた写真を眺めながら、ゴーワが言った。それに同調するように何度も強くキナは頷く。
「そう! そうなんですよ! わたしはエクノス様の部下になってからというものあらゆる手を使って隠し撮りをして、写真を家に保管していますが笑った顔を見たことがないんです」
こいつ、さらっとやばいこと言ってないか?
キナがエクノスに対して並々ならぬ思いを抱いていることは気づいていたが、まさかここまで暴走しているとは思わなかった。かわいそうに、とクルトはエクノスに同情の念を禁じえなかった。
「言われてみれば、わしも笑った顔は見たことないのう」
「俺もないな」
「そうでしょう? だから、わたしはエクノス様の笑顔が見たいんです」
鼻息を荒くして語るキナ。彼女の思いは多分に自らの欲望が含まれているだろうが、笑った顔が見たいという点ではクルトも同意だ。六星としての立場が、エクノスから笑顔を奪っているのだろうか。
そこには常人には窺い知れない事情があるのかもしれない。ただ、そうだとしても自分たちのいる前では笑っていてほしい。そんなことをクルトは思った。