第102話 憂鬱 2
家を出たエクノスは坂道を降りていく。ゲオタヤでは禁止区、一般区、教団区と主に三つのブロックがある。エクノスの家は一般区の高台の方にある。高台の方に裕福な家を建てる傾向が一般区ではあった。
一般区でも貧富の差というのは存在する。それはだいたい教団に対する貢献度に対して決定されることが多い。なので、人々はこぞって何かと教団に対する自らの評価を高めるべく日々生活している。
そんな制度があるからこそ、禁止区の人間――レイジスに対する差別意識もなくならないのだろう。それだけではなく、常に教団に対する貢献をするように意識の根底に埋め込むことで、教団に逆らうという発想を抱かせないようにするという目的もあるのだろうが。
高台を降りると、ちらほらと人の姿が目に入ってきた。どうやら繁華街が近くなってきたらしい。噴水のある公園が見えてきて、エクノスはそこで椅子に座った。何やら音が聞こえてきたので顔を上げると、魔動車が空を飛んでいた。
最近、発明されたという空中型の魔動車だった。短時間であれば滑空ができることから、一般市民のトレンドらしい。そういえば、父も何台か所有しているのだったか。エクノス自身はあまり興味はないが。
行きかう人々の表情は明るいが、同時にどこかぼんやりしているようにも見えた。妙に視点が定まっていないというか、覇気がないという印象を受ける。それも無理からぬことだろう、とエクノスは思う。
何せ、毎日薬を強制的に服用させられているのだから。
健康増進剤エレス。体力、知力を増強し日々を健やかに過ごすために必要な薬。というのが建前だが、本当はそんな薬ではない。実際は、人間の思考力と攻撃衝動を抑制させるための薬だ。
教団の人間には使用されず、あくまで一般区の人間が服用の対象となっている。
目的は教団の絶対的な支配を維持するために六星長ギアノンが定めたことである。
薬で思考を制御され管理されるさまは禁止区の人間とどこか似ているところがある。とはいえ、エレスはタレスと違い寿命が縮まることはない。その点で言えば、タレスよりはずっとましな薬だろう。
そんなことを考えていると、若いカップルが美味しそうに肉を食べている姿が目に入った。それを見て、エクノスは陰鬱な気分に陥る。
一般区で流通している肉はその大半が収穫場で加工した肉が利用されている。つまり、禁止区の人間の死体である。ディバイド体――人がエレメントを使うときに使用する部位を適応器として加工することで人々は凶獣に対抗できる。
その際余った部位をどうするか、教団はこれを加工して流通することにした。そのことにより、死体を廃棄するコストを減らせるのではないかと考えたのだ。
無論、このことは一般区の人には知らされておらず教団だけが知っているトップシークレットの一つだ。
人生だけではなく死体までも消費されるために扱われる命。そして、それを知らされることもなく薬で管理される人々。そのことを考えると、つくづくこの世界はいびつだと感じた。
ゲオタヤは世界一の大国だ。技術も物質もこの国にはあふれている。が、そのために犠牲になっているものはないか。モノがあふれているということは一つ一つのモノの価値は下がる。
物質文明の豊かさは精神文明の衰退を招きはしないか。そんなことをつい考えてしまう。
果たしてこのような環境で育った人間が、自らの意思を見失わずに生きていくことが可能なのだろうか。そこまでを考えて――
「……いたな、一人」
禁止区で出会った少女――レオナ。収穫場で自らの境遇を知り、それでも世界にあらがおうとした少女。
彼女と出会ったのはもう八年も前のことか。ちょうど、兄が自殺してから教団、しいてはこの世界に対して疑問を抱いていたころのことだ。人間の気質は生まれ持った環境で決まる。そんな考えを打ち砕いたのがレオナだった。
エクノスはあれほど生命の輝きにあふれる人間に会ったことがなかった。だから、知りたかった。彼女の心の強さ。その原動力を。そうすれば、胸にくすぶっている兄の死から解放される気がしたから。
だが、エクノスが再び彼女と会うことはなかった。
禁止第五区事変。当時の禁止区区長ダグドが禁止区の人間を実験に使い、大量の人が死んだ。実際は、ルミナことラティアが引き起こしたことではあるが表向きはそうなっている。
レオナ、レクス、ダスティン、カレル。
レオナだけではなく、他の人とも会って話をしたかった。特にダスティンは自分の上司であり世話になった恩があった。どうしても助けたかった。もっとも、自分のその願いがかなうことはなかったのだが。
なんとかエクノス個人は彼らの行方を捜索したが、全員が行方知らずだった。おそらく全員が生きてはいないだろう。生きているのはラティアと自分だけだ。
ラティアを始末したいところだが、あいにくと奴は神出鬼没でどこにいるかすらもわからない。
「結局、私は何も出来ていないな……」
ふっ、と自嘲気味に笑い、ふと、気配を感じた。見れば、視線の先に見知った顔があった。
「キナか?」
エクノスがつぶやくと、なぜだか呆けた顔をしていたキナはエクノスの視線に気づいたのか、はっと我に返り慌てて木の陰に隠れようとして――どしゃあ、と盛大な音を立ててすっころんだ。
一体、何をしているんだと訝しい気持ちを抱きつつも近づいて、
「大丈夫か?」
と、手を差し伸べる。
「だ、大丈夫ですっ!」
ものすごい勢いでぶんぶん、と首を振り、しゅたっと立ち上がってエクノスから距離をとる。
キナはエクノスの部下で歳は二十代前半ほどの若い女性だ。仕事はきっちりとするタイプでミスが少なく、非常に助かってはいる。が、彼女はことさらにエクノスが近づくと今のように距離をとる傾向があった。
もしかしたら嫌われているのかもしれないが、それはそれで仕事をきっちりとこなしてくれれば問題はないとエクノスは考えていた。
ただ、一つ気になることがあった。
「確か君は別件で仕事がなかったか?」
「あ、あれは……もう済ませました」
「さすがだな。だが、どうしてここに?」
「仕事が終わったので帰宅途中で……」
「君の家はこことは全く別の地域だったと記憶しているのだが……」
「そ、そんなことはどうでもいいじゃないですかっ!」
突然叫びだすキナに、エクノスは腑に落ちないものを感じつつもそれ以上問い詰めることはしなかった。
「それで、君がここにいるのはただの偶然ではないのだろう? 何か問題でも起こったか?」
エクノスが話題を変えると、キナははっとしたように目を見開き、
「そうでした。クルトとゴーワが任務から戻ってきません」
「あの二人が?」
クルトとゴーワはキナと同じくエクノスの部下であり、クルトはキナと同じく二十代の若者でゴーワは五十代の立派な髭を蓄えた老人と見えなくもない男だ。二人ともゲオタヤの近くにあるムラキスという町に行っている。
キラービーという凶獣が大量に現れて、その討伐に二人は向かっているはずだ。それが戻ってこないということは、
「予想よりも数が多い、ということか?」
「詳細はわかりませんが、その可能性はあります。なので、教団兵を動かす許可をエクノス様からいただきたくここへまいりました」
「わたしが行こう」
「は? よろしい、のですか? エクノス様は休暇中で、家族との団欒をたのしんでいるのでは……」
「部下を見捨てるわけにもいくまい」
あの両親と時間を過ごすよりはまだ仕事をしていた方がましだ、と心中で思う。それに、今は体を動かしていた方が余計な感傷に囚われずにすむ。
「……かっこいい」
小声でつぶやくキナの声はエクノスの耳には届いていない。彼はムラキスへと急ぎ支度をして向かう。