高崎悠の独白
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
かなり短いですがある時点での悠の心情で、一応2章のプロローグとなる話です。
次話からはいつも通りに戻ります。
信頼の上に成り立たない人間関係は果たして本物と言えるのだろうか。
いや、そもそもの話、信頼を伴わない時点で別のものとしてカテゴライズするべきだ。
利害関係ですら信頼の上に成り立っているのだから、それがない時点で一方的な押し付けでしかなく、それは俺のような自衛、または享受や施しといった別の類のもの。それらと人間関係とは本質が僅かながらに異なっている。
つまりは、信頼は人間関係の必要条件であるならば、また人間関係も信頼の十分条件であるといえる。
だからもし人間関係に本物を定義するならば、信頼はあくまで前提条件であり、さらにその先を見据える必要があるだろう。
その前提条件となる信頼、それはとても厄介な物で、影響を受けやすく、関係性が異なればその形もまた異なる。
ただでさえ構築のハードルが高く、関係性が濃くなるほどにそれは複雑に絡み合い、形を保つことが困難になるのだから、同じ信頼といっても同価値とはいえず、そもそも信頼という言葉1つで括ろうとすること自体が間違いなのかもしれない。
そんな一筋縄ではいかないもののはずなのに、あの時の俺のように目に写るほとんどの人間と関係性を築けていると思うならば、それは大抵の場合勘違い。自分の都合のいいように解釈しただけの虚構に過ぎない。
であるならば、俺の転換点となったあの出来事は、子供のままだった俺に仮初めを提示し、現実と向き合う機会を与えてくれたとすら言える。それがなければ、何を知ることもできず人生を終えていたかもしれない。
だから、もしもあの時の俺のように多くの人間が信頼できるとして目に写している人や、それ自体をはき違えてる人がいるならば、失うことも決して悪くないと俺は言うだろう。
その先には真実が待っているのだから。
とても短かったので、20時にもう1話投稿します。




