4話 / 出会いは勘違いから
アリカが訪れたエリアはリインカーネーションの森と大差変わりない森の中だった。緑じゃなくて人工物が見たい――零す溜息は深い。それでも新しいエリアに足を踏み入れることが出来た、その達成感がアリカを動かす。方角さえも分からない森の海を、気が向く方へとまっすぐ歩いていくことにしたのだ。
そして、おおよそ三十分ほど歩いた頃。
「……やっぱり、あのルーセントハートさんってバグなんじゃないでしょうか。これが適正レベルのチュートリアル、って感じだと思うんですけど。落差が酷すぎますね、リインカーネーションの森のゴブリンを鉄並みの防御力って言うと、ここのは本当に豆腐ですもん」
自らのスキル、尽きぬ焔の約定で飛びだしてきた小さなゴブリンを撃ち抜いた。空中で炎の槍に貫かれたゴブリンはあっけなく爆散し、赤いポリゴンを撒き散らしながら霧散する。アリカはログに流れたドロップアイテムと、今の戦闘で手に入れた金額を視界に入れた。
「出てこない方が早くていいんですけど。……いつの間にか五千万ちょっとのお金持ってるのもおかしいですよね、あの森ってそもそも初期状態で突っ込むようなところじゃ絶対にないでしょ」
シードオンラインの通貨はダラーと呼ばれている。このダラーは他のゲームとは違い、ある特徴があった。そう、このダラー。現実世界で通貨として利用することも可能なのである。百年とはいかないが、少なくとも五十年以上前に生み出されたブロックチェーンという仕組みを利用し、仮想通貨としての立場も得ているのだ。
ハイレベルなモンスターほど、ダラーの効率はいい。レベル五十が上限の今、それと同じクラスのモンスターを狩り続けるのが最高効率、といったところか。逆に、レベル上限が解放されて六十になったと仮定した場合、同じかそれ以下のモンスターのダラー効率は大きく落ちてくることとなる。
運営もゲームを率先して遊んでくれている人の為のリワード、と公式に明言している。これのおかげもあって、リリース当時のシードオンラインは大いに盛り上がり、今の今までその熱が落ちたことは一度もない。更に言えば、シードオンラインは直接プレイせずともシェアリング――自らのリンカー上の計算領域を用いてシステムの演算を行うこと――の報酬としてダラーを配布している。小遣い稼ぎに行う人も多い。
「……確かダラーを日本円にすると、大体〇・五円でしたっけ。二千五百万――大金なんですけど、私のリンカーのウォレットの金額と比べちゃうと、あー、って感情しか出てこないです。もしかして私、調子に乗って生活レベルを上げると死ぬ……?」
今は両親の作り上げたアリカが知らない仕組み、それが金を稼いでくれてるからいい。
だがもしもそれが無くなったとして、自分がそれをあっという間に溶かす大バカ者になってしまったら。
「バイトくらい、してもいいかもしれませんねー。あぁ、でも一日五時間とか、拘束されるんですよね……する意味あります? 怠惰にゲームとか、本とか、趣味を楽しみつつ余生を味わって過ごした方が有意義な気が……」
目の前に現れた二匹のスライム。ぽよんぽよんと波打つ青い身体が、アリカが手の一振りをすると、虚空から打ち出された紅蓮の炎槍で消し飛んだ。長い銀の髪に、低品質な革の服。初心者当然の格好であるのにも関わらず、放たれるスキルは強力無比――自らのアンバランスさに苦笑しつつ、アリカが一歩を踏み出した時だった。
「……ん」
遠くから飛来した何かを右手を振り打ち落とす。ばしゅ、と軽い音を立てて飛来した何かは霧散した。
アリカの動体視力をもってすれば、不意に飛んできても弾くことは容易である。
「なんだろ、攻撃系のスキル?」
速足で前へと向かっていき、木々の隙間からアリカは目の前を覗き込んだ。木漏れ日の下、いかにも、といった風体の男が大層な大剣を振り上げて、にやにや笑いながら何か喋っている。その対面では、苦い表情を浮かべた金髪の騎士の男が銀色に輝く剣を掲げていた。
――またAIのイベントか。ため息交じりにアリカは落胆する。
「……悪いねぇ、王道ギルドの兄ちゃん。ゲームとはいってもダラーまで貰って援軍してるからさ、手は抜けないんだよね」
筋肉を盛りに盛ったキャラメイク。輝くスキンヘッドが眩しい男が、ゆっくりと大剣を構えて見せた。相対している騎士の男は、舌打ちをしながら背後にいる誰かを庇う様に、じりじりと立ち位置を調整している。
「いや、お互い――領地戦に雇われた身だろう。それに、まだ僕が残ってる。それにうちのボスも時期に来るだろう、そんな悠長に時間稼ぎだなんてしていていいのか? 仮にもプロゲーマーだろう、貴方は」
「このゲームじゃなきゃもうやってるさ。兄ちゃんが騎士だなんてやってるから悪いよ、どんなクリティカルでも一撃は必ず耐えるスキルがあるだろ? キャラが柔らかいこのゲーム、カウンターで死ぬこともある。もう一人うちの仲間が来たら開戦するよ、それまで待ってろ」
無論、AIではない。人間と人間だ。
領地戦、互いのギルドが所有する土地と土地を掛けた戦争の最中である。領地戦はギルドのマスターが死亡すると終了となり、騎士の男、その背後に隠れているのがギルドマスターであった。スキンヘッドの男も、騎士の男もそれを承知しており――更に言えば、そのギルドマスターが一人では戦えないバッファーであることも知っている。半ば、騎士の男が所属する陣営が詰んでいる状態だった。
「……ははーん、理解しましたよ。そういうイベントですね、これは。どっちに付くか、参加権が私の手の内にあると」
アリカの勘違いは止まらない。初めに出会ったAIが、人間と遜色ない二人――ルーセントハートとユークリッド・アルセウスだったのも悪かった。ライフポイント、マナ、ともに全回復していることを確認しつつ――尽きぬ焔の約定を発動させる。身体が炎と化し、ちぢっと火花がスキンヘッドの男の前へと迫る――。
「ああ? 兄ちゃんのギルドは騎士団だろ、いつの間にキャスターだなんて勧誘し――」
そこから先は一瞬だった。スキンヘッドの男の前で突如として爆発した火花、燃え上がった紅蓮の炎からアリカの姿が生まれ――その背後に生み出された青く輝くマナの剣が二本同時に放たれる。ぎょっとした顔でスキンヘッドの男が一歩引くと、そのまま軽快に大剣を操り、射出されたマナの剣を二本とも弾き落とした。
――ぎりぎりだった。殆ど直感で打ち落とせたようなもんだ。
「おい、てめぇ!」
相手は地面から足を放している。急に目の前に出てきた仕組みは分からないが、それは間違いなく事実だ。そしてこのシードオンラインに飛翔系のスキルは存在しない――。首、心臓だけが急所ではない、身体を両断するような重い一撃の直撃も、シードオンラインではクリティカルヒットに該当する。
プロゲーマーとして今まで生きてきた中、養われた男の直感がこの攻撃は当たると告げていた。クリティカルヒットを確信し、スキンヘッドの男は大剣の柄をぐっと万力の如く握り締め、単発大剣スキル、ディープ・スラッシュを発動させる。歪な赤色に大剣の刃が染まっていく。
「――アディクション!」
だが、それよりもアリカが早かった。スキンヘッドにまっすぐに向けられた手の平をぐっと握り締めると、一瞬で生成された紅蓮に燃える炎の槍が都合五本、スキンヘッドの男の頭、首、心臓、鳩尾、そして大事な男の急所を鮮やかに穿ち抜いたのだ。二つは急所、そして残る三つもダメージ判定の大きい箇所だ。いくら防具で防御力を持っても、スキルで物理ダメージや特殊ダメージを軽減しても、耐えられる訳がない。ぱきんと赤いポリゴンを散らして、スキンヘッドの男はあっさりと死亡した。
「……ここらのモンスターがアレだったから雑にやったのもありますけど、流転の剣が防がれるとは。うーん、イベントの相手ってエリアに関わらず高レベルなことがあるんですかね?」
地面に着地したアリカは銀の髪を翻しながらくるりと一回転。辺りに敵の影がいないことを確認すると、どこか疲れたような表情で問いを投げる。
「あれは私が倒したんで、もう大丈夫ですよー。さぁ、イベント進めましょう。ついでに始まりの街の方角も教えてくれると嬉しいんですけど、あなたは頭が……いや、電子的に固い思考回路をしてます? できればサクっと前に進みたくて、イベント時短してくれると嬉しいだなんて思ってますが、どうでしょう?」
「……え? イベントって、何のことか分からないけど……ありがとう、助かったよ、であってるかな。出来れば僕たちに味方してくれているままだと嬉しいんだけど――あ、でも、それより前に挨拶か。初めまして、僕は……あー、ラインハルト、だ。王道、って名前の騎士団ギルドに入ってこのゲームを遊んでる」
「……あれ? ……もしかして、プレイヤーのお方です?」
「そうだけど……もしかして君も、プレイヤー?」
……
とりあえずの挨拶を交わした三人は、騎士の男を先頭として森の中を歩き進んでいく。
目的はこの領地戦の残党狩りだ。
「まさか、領地戦に外野が参戦してくれるだなんてね。報酬も何もないし、下手したらその戦に関わってるプレイヤー、ギルドとぎくしゃくするかもしれないのに、アリカさんには護衛紛いのことをさせちゃって申し訳ないよ」
ため息交じりの苦笑を零す騎士の男――その名前はラインハルト・ユーフィール。質の高そうな鉄の鎧に、毛先が外に跳ねた金の髪、その佇まいを見れば騎士の青年と一目で分かる。短い自己紹介の時間で、アリカはラインハルトが騎士のロールプレイ――いわゆる、役になりきる遊びを楽しんでいることを聞いていた。なので、円滑なコミュニケーションの為にそれっぽく相槌を打つことにする。
「ラインハルト殿こそ、相手を前にして一歩も引かないその姿勢。私は感服しましたよ」
振り返って言葉を返すラインハルト。どことなく、困ったように笑っていた。
「……あー、無理にロールプレイに付き合わなくてもいいよ、うん。適当に呼んでくれていいし、ね」
「なんだか嫌そうな顔しましたね。私、何か気に障ることでも言いました?」
「出会ってそうそうのアリカさんに話すことでもないんだけど、僕のラインハルト、って昔から応援してた小説のキャラクターの名前なんだよね。ここ数カ月でARでアニメ化されてね、同じ名前のラインハルトさんが増えてるんだ……小説のラインハルトと同じような、一撃必殺のSTR盛り盛りなスキル構成でさ。……いや、アニメ化は嬉しいんだけど、自分がいざそういう環境でラインハルトって呼ばれると、ちょっとこそばゆくて」
「へぇ、同じお名前も使えるんですね、このゲーム。でもあまり気にしなくていいと思いますけどね、たまたま被った、ってことにしておけば。……今の話を聞くに、ラインハルトさんのスキル構成って小説のほうと違いますよね、自分から言わなければバレない気もしますけど」
「まぁ、そうだね……気の持ち方の話なんだけどさ。流石に掲示板とかで、天来の騎士ラインハルト(笑)、とか書かれてると気になっちゃうんだよね――おっと、アリカさん。前方に敵がいるかも、僕の探知のスキルに反応ありだ」
前方、と聞いた瞬間にアリカは地面を蹴って前へと駆け出していく。ラインハルトが前方を歩いているのは、索敵兼、領地戦で護るべき対象であるギルドマスター、ミコ・グレイセスを庇う為だ。アリカに敵の位置をざっくばらんに伝えれば、ラインハルトの役目はミコを攻撃から守ることだけになる。
アリカが会話できる範囲から飛び出したことで、ラインハルトを少し疲れたような溜息を零した。
「グレイセスさん。あのアリカさん、どう思います?」
「……素直な感想を言うと、初心者の防具をつけっぱなしなのにあのスキルの威力は、ちょっとおかしいと思います」
淡いエメラルドグリーンの髪を揺らして、そうミコは回答した。口を閉じた後、内心で、ちょっとではないが、と補足を付け加える。 森の王女とでも言わんばかりのドレスは髪と同じ淡い緑色、瞳だけが金色に煌めいていた。アリカが飛び出す前にバフ――対象のステータスを向上させるスキルを掛けようとしたが、アリカはそれを待たずに飛び出した。そのことも考えに含むと、ますますアリカという存在が分からなくなる。
「ラインハルトさんもご存じだとは思いますが、対人戦はバフが勝敗を分けることも多くあります。彼女が経験者の方なら、バフを待ってから行くと思いました……私が引き留めなかったのも悪いのですが」
「そこもなんだけど、さっきの男もプロゲーマーなんですよね。割と上位のギルドだったかな……あまりストリーマー系って見ないんですけど、そんな僕でも知ってる人なんで、そこそこ有名な筈なんだよなー……あのスキルも気になってるんですよね、あんな炎使って移動する系のありました?」
「……記憶にはないですね、これでも頻繁にスキルデータベースは見ているのですが、思い当たりません。らしい、というか、似た系統だな、って感じるスキルはありますが」
「へぇ、似た系統――グレイセスさん、それ、教えてもらっても良いかな」
「あくまで憶測ですけど――極光の魔王」
――魔王。シードオンラインにおいて、その単語は特別だ。
運営独自の非公開な基準でプレイヤーが選出され、特別な魔王としての称号を授けられたものだけが、魔王を名乗ることが出来るのである。ある程度ゲームに馴染んだプレイヤーであれば直ぐに知ることになる存在だ、彼らは運営から魔王としてのロールプレイを求められ、そして各種イベントに対して参加要請を受けるからであった。
「……あー、極光。どこかの会社の社長で、リアアバ(リアル・アバターのこと。現実の容姿と同じ、或いは似通ったアバターの事を指す。様々なAR、MR、VR技術が発展した現代において、防犯などの概念からリアル・アバターはあまり推奨されていない)使ってて、ギルドメンバーに気に入った女の子を集めて囲ってるあいつ、ですね」
苦い顔をしながら呆れ交じりの溜息を付いたラインハルト。現実の立場も、魔王という立場もフル活用してシードオンラインを楽しんでいる極光の魔王に怒りといった感情は湧かないが、よくぞそこまで自由に遊べるものだ、とそのメンタルがラインハルトには羨ましくもあった。
……
緑の森の中を前へ前へと駆けるアリカ。初めてのプレイヤーと偶然ではあるが出会いを果たし、その気持ちは高揚していた。誰に向けてでもないが、見ろ、私でも話せるぞ、と心中で喜びの声を上げたりもする。だからこそ――その足は止まらない。そして、早く戻って会話の続きをしよう、始まりの街を見に行こう、という感情も、ただただ溢れて止まらないのだ。
その感情は――手加減、手心といった言葉をアリカの頭から飛ばした。
「……あれですね、ラインハルトさんが言っていたのは!」
相手プレイヤ―の塊がアリカの視界にしっかりと捉えられた。それは向こうも同じで、距離が数百メートルほど離れているのにも関わらず自らの獲物を抜き始める。恐らくは最初に倒した男から連絡でも飛んだのだろう、アリカはそう判断すると――大地を蹴る足に、更に力を込めた。長い銀の髪が翻り、突き進む速度が更に早くなる。
「おい、来たぞ! 炎のスキル持ちだ、多分未確認なタイプ。広がって、確実に削れ! 無理にクリティカル狙わなくてもいい、ライフの差で勝てる!」
陣形を組んで歩いていた五人が散開した。真っすぐに駆け抜けてくるアリカを囲い受け止めるかのように、平行に。恐らくこのまま、尽きぬ焔の約定を発動させても倒しきれるだろうが微妙そうだ――そう思考しつつ、速度を落とさずにアリカは駆け続る。相手プレイヤーが持っている槍、その穂先が届く範囲ぎりぎりまで。
「今だ、刺せ!」
無防備なアリカの身体に穂先が食い込む瞬間。アリカの右足がべこっと歪な音を響かせて、大地を吹き飛ばす。土煙を後方へ巻き上げて、アリカの姿が一瞬にして掻き消えた。――スキル、点動を発動させたのだ。障害物のない直線上を神速で移動するスキルを、相手のプレイヤー達は捉えられない。何が起きたという動揺が、この場では致命的な隙を生み出した。
黄金の心臓によりスタミナ消費がゼロになった点動を二回連続で発動させたアリカは、既に男たちの背中側へと飛んでいる。そのまま流転の剣を発動、流麗に青色の煌めきを放つマナの剣を都合五本宙へと浮かべると、地面に足を付けるよりも早く背後を振り返り――それぞれのプレイヤーの首目掛けてマナの剣を射出させた。
防御不可の一撃だ。見事に全員がクリティカル判定を受け、一撃でライフポイントが消失し、アバターがポリゴンとなって散っていく。
「……っうえ、点動、一度なら何でもないんですけど二回連続は凄い酔う感じがしますね。えっと、ヘルスチェック」
シードオンラインにはもとより、全てのVRMMOには総じて課せられている義務があった。それがヘルスチェック機能だ。仮想世界での体験が現実世界の身体に悪影響を、あるいは強い負荷をかけないよう、精神状態、あるいは肉体的な状態を管理し危険値を超過した場合、強制ログアウトをさせなくてはいけないのである。
アリカのヘルスチェックという言葉に応えるように、システムウィンドウが一つ起動した。
「バイタル――黄色ですか。確か一定時間だったか、一定回数だったか、赤色になると強制ログアウトですよね。……本来、スタミナ半分と加えて一つを消費するスキルですから、連続使用はあまり考慮されていないのかな、こう、システム的に」
もう少し点動に身体を慣らさなければ。再び静かになった森の中、ぐっと身体を伸ばしたアリカは今走り抜けてきた道をめんどくさそうに歩いて戻っていく。一番初めにアリカが倒した男からの連絡を受けて、今倒したプレイヤー達がゲームプレイを配信していることを、アリカが知る由もなく。
ラインハルト達とは直ぐに合流した。何事もなく戻ってきたアリカを見て、ミコはやっぱり、と一つ頷く。そして意を決したように、アリカへと声をかけた。
「ありがとうございます、アリカさん。……一つお伺いしたいのですけど、アリカさんは初心者の方、という認識で良いのでしょうか」
「私はそうですね、始まりの街に入ったこともない初心者ですよ……えーと、方向音痴なんですよ。現実でも、こっちでも。適当に進んで戻ってくるまで、一か月くらいかかったというか」
少しごまかしたが大体本当のことだ。もっとも、方向音痴なのは私じゃなくルーセントハートさんかもしれないが。そんな愚痴を口には出さないまま、アリカは肩を竦めて見せる。
「……成程、承知しました。アリカさん、ラインハルトさんのお陰で領地も守り抜けそうですし、領地戦が終わって始まりの街に着いたら、私が案内しましょうか? お礼と言っては少々足りないかもしれませんが、装備品も少しは支援させてください――」
微笑みを浮かべながら頭を下げたミコは、アリカに対してトレードを申し込む。アリカは視界の端に出てきた通知を指先で引っ張り出すと、浮かび上がったトレードウィンドウの了承ボタンに触れて、しばらく待つ。すると、いくつかのアイテムがウィンドウに表示された後、アリカのインベントリ内部へと流れ込んできた。
「アイテムは手渡しも出来るんですけど、量が多いと手間なのでこちらが主流です。……始まりの街、っていつもある程度は初心者の、訪れたばかりの方がいらっしゃるんですよ。なので、相当数のスカウトというか、声をかけてくる方がいるんですよね」
「付け加えると、残念ながらPK(プレイヤー・キルのことを指す。意図的にプレイヤーを狙って攻撃、倒して遊ぶことをメインにしているプレイヤーのこと)が多いのも始まりの街周辺だね。……治安が悪くなると、初心者も減っていく。初心者が居なくなったゲームは、濁った水みたいに腐っていくだけだからね」
「……そんな弱者をいたぶるようなプレイヤーもいるんですねー。なんだか社会の縮図みたいって思いました、このゲーム。ゲーム内の通貨も、言ってしまえば仮想通貨ですし。現実世界に加えてもう一つ、別の世界が生まれたように錯覚しちゃいます」
ラインハルトはアリカの言葉を聞くと、そうだね、と肯定した。
「シードオンラインは当初、もう一つの世界を創る、って表明してたからね。IT技術は日々進歩していて、例えば……無くした腕の再生技術とか、難病にかかった患者の凍結睡眠、とか。後は分かりやすいものだと、MR技術かな。よく街中で見かける、ホログラフ広告みたいなの。ああいう技術に続くものとして、運営会社であるイノセントは次の世界をまるっと作りたいんだってさ」
いきなり巨大化した話のスケール。
アリカはなんと返せばいいか分からず、頭を捻って見せた。腰まで届きそうな銀の髪が、頭の動きに合わせてゆらゆらと揺れた。
「シードオンラインの基盤システムを利用した終末医療や、軍事的訓練、果ては人格の永続化までも検討されているらしいよ。あくまで噂だけど」
驚いたようにミコは口を手で覆って見せる。荒唐無稽な話でもなく、少し考えてみれば納得できてしまう内容だったからだ。
「――終末医療と軍事訓練は分かりました。私達もログインしている間は現実世界の肉体的な疲労は感じませんし、ある程度こちら側で繰り返した動きも、非現実的なものでなければ再現することができますから。でも、人格の永続化が……ちょっと想像つかないですね」
「ぞっとする話かもしれない。ログインしている人間を、そのまま仮想世界に居つかせるんだってさ。要はまるっと人格を電子世界に落とし込む、今の僕たちで言えば――ゲームにログインした状態の感覚のまま、現実世界の肉体がない状態、っていえばいいのかな。もちろんログアウトもできない。……仮想的な不老不死だよ、サーバーが壊れてデータが飛んだら終わり、ってオチがつくけど」
「……私、それはちょっとお断りですねー」
ずっとゲームの世界の中。或いは、自分が望んだ世界の中。中々にいい条件な気がしたが、精神的に忌避感がある。実際に自分がそういう状態が想像できなかったのだ。ここまで来て、アリカは自分がある程度このゲームにハマっている自覚を持っていたが、それでも一日ずっとログインしていたい、そんな感情は持ち合わせてはいない。
「もしそんな人格の永続化だなんて出来たら、私だったら超性格悪くなってそうです。悪役令嬢とでもいえばいいんですかね、自分が一番! あなた図が高いですわよ! みたいに」
「僕もアリカさんと同感かな……騎士じゃなくて、暗黒騎士のロールプレイしてそう。一人称も僕じゃなくて、俺になってて、世界が俺を見捨てたのだ……とか言い捨ててるかもしれない」
「えっ、ラインハルトさんってわざと一人称僕にしてるんですか?」
「……ごめん、聞かなかったことにして。アリカさん、あんまりロールプレイにモノ申しちゃダメだよ、そっと見守っておくことが大事な時もあるんだ」
そんなアリカとラインハルトのやりとりを、ミコがくすくすと微笑ましそうに見守っていた。
その後、三人は再度陣形を組みなおして、領地戦を決着させるために残っている相手のギルドの残党狩りを進めていく。アリカの活躍により、一時間ほどで残党狩りは終わり領地戦も決着する。――そしてアリカを含む三人は、始まりの街へと雑談交じりに移動するのであった。
Tips: 魔王
シードオンライン上で運営に認められ、魔王を冠する称号を与えられたプレイヤーの呼び名。魔王は運営から各種イベントへの出動などを要請されるが、その報酬としてシードオンライン上でのレアアイテム、あるいは通貨であるダラーなどが支給される。支給額はイベントの規模や、イベントに対する貢献度によりけり。
魔王は今のところ、刻、大海、極光の冠を授けられた三名。
Tips: ダラー
シードオンライン上における通貨のこと。ゲーム内部での取引は主にダラーを利用して行われる。ただし、ダラーはシードオンライン上だけでの通貨ではない。現実世界においても、仮想通貨として世界に立場を認めさせている。おおよそ、一ダラーあたり〇・五円。日常的にコンビニでの決済手段としても利用が可能。
ダラーを得る手段はシードオンライン上でのクエストクリアやモブ狩り。他、自らのリンカーを介してシステム演算を行うための、計算バジェットを提供することによるシェアリング。余談ではあるが、シードオンラインがシェアリング機能を提供し始めたタイミングでグラフィックボードの在庫が枯渇したりと、社会現象を巻き起こしたりもした。