35話 / 魔王アリカは有意義に暮らしたい
「――せっかくなので、アリカさん。もう一度くらいこの二〇二十年の渋谷を、歩いてみては如何でしょうか?」
切っ掛けはルーセントハートの提案だ。仮想世界であって、現実のものではなくとも、自分の過去を振り返ってみてなんの違和感も感じない程、精巧に作られているこの世界――確かにアリカにも、自らが生きていた筈のこの時代に興味があった。首を縦に振ると、ルーセントハートが指を一回慣らす。それだけで――アリカの白銀の髪は黒く染まり、篠原里香が今の来ている制服と同じ意匠へと様変わりする。髪が腰ほどまで伸びている以外、渋谷に居てもあまり違和感はない格好になった。
「さ、流石は基幹AI……プレイヤーの装備変更も一瞬って、権力のパワーを感じますね」
「私の匙加減一つでシード・オンラインの流行も、根柢の概念も理屈も思想も覆ますから。……それに、基幹AIだなんて呼ばないでください。お母さん、そう呼んでくれてもいいんですよ?」
「……それはちょっと恥ずかしいというかなんというか」
「では検討ということで。……駅や店中にいる時以外は、篠原里香さんやアリカさんに誰も話しかけないようにしておきますね。忠実に再現し過ぎていて、この時間だと警官の歩道や、悪いお兄さんに話しかけられるようなイベントも発生するので」
そう言い残してルーセントハートは消えていく。篠原里香にアリカが視線を配ると、彼女は迷ったように唇に指先を当てた。
「歩いてみては、そう言われてもなんですよねー。どうせなら時間帯も色々な店が開いている時間にしてほしかったんですが……夜の十時も過ぎてると、私達学生服で入れるような店もないんですよ」
「それじゃあ、喫茶店でもどうです?」
「……まぁ、それでいきましょう。最も、私と同じ人格のアリカさんと一緒に喫茶店に入ったところで、何を話せばいいかだなんて分かりませんけどね」
「これからのこととか、話さなくちゃいけないことは沢山ありますよ、オリジナルの私さん。……それにほら、連絡先とか聞いておかないと、後々困るじゃないですか。この時代ってリンカー……じゃないですよね、あの薄い板――スマホでしたっけ? あれの連絡先交換になるのかな……?」
「……連絡するのはシード・オンラインで良いですよ。色々と制約を受けると言っても、戦闘面が少し面倒なだけでそっち側に私が行けない訳じゃないですし。ルーセントハートさんに頼んで、私とあなたのメッセージのやりとりは運営にもバレないように秘匿してもらいます」
「私がオフラインの時はどうします?」
「リンカーでも鳴らしますよ、ほら」
制服の胸元から、ネックレスのように掛けられたリンカーをアリカへと見せる篠原里香。仮想世界なのにリンカーもあるんですね、と驚いたような声を零した後に、篠原里香がリンカーを持っているという事実が起こす矛盾に気付いたのか、えっ、と困惑の声を零すアリカ。
「……リンカーの契約番号って原則一人一つですよね。私がリンカーを持っているのに、オリジナルの私さんも持っている? いや、ゲームの中なのでそうとも言い難いんですが、どういうことでしょう」
「私とあなたのリンカーは共有されてますから。決済ログも見れますよ、三万円もするランチなんか食べてましたね。……ああ、マッチング・アプリとか、自ら率先して男とオフ会だとか、不健全なことをしていたら怒りますからね?」
「――後者はともかく、前者は私の時代だとよく聞く話というか、よく使われているというか。いずれにせよ、私はどっちもやる気ないんで大丈夫です……ていうか人のリンカー覗けるって駄目じゃないですか、プライバシーの侵害じゃないですか!?」
「同じ篠原里香なので侵害も何もないですよ、まったくもう。……こうして話していると、手のかかる妹みたいに感じますね、アリカさん。だからと言って、まだまだ好きになれそうはないんですが」
「生憎、私は篠原里香さんのことを姉だなんて思えませんね。いいところ、口煩いメンヘラ小姑って感じです」
「く、口煩いメンヘラ小姑!?」
そんな口喧嘩を経て、二十四時間営業の喫茶店で一時間ほど会話をした二人。店を出た二人は疲れたような顔をしながら渋谷駅へととことこ歩いていく。ルーセンハートが言っていた通り、誰一人として篠原里香やアリカに話しかけてくる人はいない。駅の改札内に入ろうとしたところで、アリカがリンカーを持っていない事に気付く。
「……この時代って、どうやって改札に入るんです?」
「ああ、確かにアリカさんは入れないですね。ほら、そこの券売機で切符でも買ってくるといいです。五百円デポジットされるけど、チャージ式のカードも買えますよ……切符でもカードでも、ホームに入って電車に乗るだけでシード・オンラインに戻れるから、好きな方で大丈夫なんですが。……先に行ってますよ、品川方面で待ってますから」
改札越しに千円札を受け取ったアリカ。確かに今のは姉っぽい――そう表情にどこか悔しさを滲ませつつ、四苦八苦してチャージ式のカードを買うことに成功した。カードを受け取ったアリカはそれを改札に当てて、駅中へと入っていく。確か篠原里香は品川方面と言っていた、天井から伸びる案内板を見つつ、アリカは品川方面のホームへ向かう為、階段へと足を掛ける――。
「――失礼」
そこで、不意に後ろから声を掛けられた。驚いたアリカは咄嗟に手すりを掴み、体勢をキープする。背後を見ると、そこには短い黒の短髪をした男が立っていた。その顔立ちは、どこか篠原里香と似通った雰囲気をしている。背後から声を掛けてきたその男はじっとアリカを見つめる――そして、不意に頬の端を上げて笑みを浮かべて見せた。
「……ああ、なるほど。よく似ている――すまんな、知人と間違えた」
「いえいえ……?」
「ちょっと手を出してごらん」
ルーセントハートさんが声を掛けられないようにした――これはバグみたいなものですかね。困ったような表情でアリカが手を出すと、男はアリカの手の平の上に小さな銀の指輪を置いた。シンプルな円の、銀色の指輪だった。視線を向けて驚いたアリカが顔を上げると、既にその男はいない。
「なんだったんでしょう……イベントみたいでしたけど、こんな渋谷駅でもあるんですかね」
改めて品川駅のホームへ向かって階段を上る。篠原里香がいる場所は直ぐに分かった、その場周りだけ人がいないのだ。まるで見えない壁が彼女の近くに人が来ることを防いでいるような、強烈な違和感を感じる。アリカはそのすぐそばに行くと、カード買えましたよ、と電子マネーがチャージできる緑のカードを見せびらかす。
「どうですか、私にも買えるんですよ、これ。篠原里香さんが思っている程に世間知らずでもないんですよ?」
「……アリカさん。あなたに対して文句を言うとブーメランなのであんまり言いたくないのですが――それくらい、この現代の小学生でも出来ます。それを自慢して恥ずかしくないのですか?」
「つまり、なんて言いたいんですか?」
「――お子様。それ以外にあります?」
「じゃあ篠原里香さんはやっぱり小姑ですね、口煩いったらありゃしないです」
……
――時間が流れるのは速い。日々を過ごす密度が濃ければ濃い程、その速度は右肩上がりに増していく。窓から差し込む朝日で目が覚めた里香は、まだまだ重たい瞼を擦りながらベッドから立ち上がり、洗面台へと身支度を済ませに向かった。腰下まで伸びている銀の髪を丁寧に梳かし、頭の後ろでポニーテールへ。そして冷たい水で洗顔した後に、頬には薄い化粧を施す。
「……明日から十月かぁ。数か月だなんてあっという間ですね、手続きとか調べものとか、いっぱいいっぱいでしたし」
今日着ていくのはカジュアルなものでは駄目だ。何故なら――里香はこれから大事な大事な、面接というイベントがあったから。人生初の就職というイベントの為に古の時代から伝わるという面接本を読んだりしたのだが、それを同じギルドのメンバーであるオニギリに話したら鼻で笑い飛ばされたことを思い出し、里香は思わず苦笑いを零す。
「今時ノックの回数だなんて流行ってない、でしたっけ」
ネイビーのパンツに白のシャツ。その上には薄手の淡い緑色のカーディガン。渋谷に行ってショップのお姉さんにコーディネートをしてもらった服装だ。言われるがままに色々と洋服を買ったのだが、その大半は未だにリビングの隅に積まれたままでいる。この時代に生きる人間もそうだが、里香自体の外出する機会の少なさの為だった。
手早く準備を済ませた里香は、そのまま部屋を出てマンションのエントランスへと辿り着く。慣れた様子でマンション・コンシェルジュへタクシーの手配を頼むと、近場にいたのだろう、直ぐにタクシーが来て里香はそれに乗り込んだ。
十月の風はどこか涼しさを乗せて、夏場の風とはまるで別物だった。夜風は冷えるし、体調には気を付けないといけない――ただただタクシーの硝子越しに見える景色を見ながら考え事をしていると、直ぐにタクシーは目的地へと辿り着く。
――東京都港区、区役所。そこに足を踏み入れた里香はタクシーを待たせることおおよそ二十分ほどで外へと出てきた。ずっと後回しにしていた手続きを終えた彼女の顔は、どこか清々しさを感じさせるものだ。タクシーの運転手にもう少しだけ時間をください、そう断りを入れて彼女はリンカーを耳元に当てて、通話を始める。
「……あ、もしもし。里香さん、手続き終わりましたよ。最初は嫌そうな顔されたんですけど、お父さんの名前を出したら一発でした」
『お疲れ様です。まぁそうでしょうね、VRの根幹技術の特許を全部握っていて、裏で政治家さんとコネまで持ってるお父さんに感謝しないと。法整備されてやんごとなき事情が無くても申請、そして受理が可能になったとはいえ、手間な手続きには変わりないので』
「遺産というか、お金どうしましょうね。両親のお陰でお金に困ることは無いのですが、就職も出来そうですし、固定資産税とか管理費用とか、維持費だけ使おうかなと思ってるんですけど」
『――港区の高級マンションに一人暮らしする十代というのを止めて、四畳ワンルームで一人暮らしする十代、になれば解決では?』
「……四畳はちょっと。もうあのベッドのサイズじゃないと満足ができないといいますか、ね?」
『冗談ですよ、冗談です。セキュリティはしっかりしている方がいいですからね――特にあなたのような場合は』
リンカーの通話先。シード・オンライン内部のエリア、リイン・カーネーションの森の中に佇むシリカ――篠原里香はそう言った。彼女の言葉は正しい。唯一、凍結睡眠から目覚めた実例なのだ。もしもその事実が流出した場合、彼女の身が狙われるという危険性は十二分にあった。
『それは兎も角――新しい名前はどうでしょう、篠原有里香さん?』
「んー……変えたばっかりなので、どうでしょうと言われましても。目覚めてからはシード・オンラインで殆どを過ごしていて、大概はアリカと呼ばれていましたからね。あんまり違和感はないですよ。……これでようやく、自分の名前に実感が持てた気がします。今まではどこか、ふわふわとしていたというか、記号的に感じてしまっていたので」
彼女が役所で出したのは、改名届だ。本来であれば十分な審査の上に受理される手続きなのだが、父親の名前を出せば一発で通すことができた。具体的な話は一切出していないが通ったので、そういうフローが役所でも成立させられているらしい。
篠原里香も、そしてもちろん有里香も知らないが、その父親はかつてVRの特許を盾にして色々と各方面に我儘を振りまいたのだ。周りから見れば自らの資産の為、今後の生活の為、と決して良いものには映っていなかったが、蓋を開けてみれば父親が築いたコネクションは――すべて未来の生活の為のものだった。
『それにしても、お父さんが不思議で堪らないです。まるで、こんな未来が来ることを知っているみたいに遺産も用意して、困らない実生活まで出来るように環境を整えてくれているだなんて。都合が良いと思いませんか?』
「VRの世界に取り残されて、きっと現実のことだなんて気にしてもいられないだろうに、私たちが仮想世界の外に出た時の準備をしてくれているだなんて、超人的ですね。誇れますよ、私は実際に話したこともないんですけど」
『……あ。そういえばアリカさん、履歴書って新しい名前で書きましたよね? 篠原里香、だなんて書いてないですよね?』
「――あ」
それまでの清々しい表所が嘘のように一転、眉間に皺を寄せ有里香の頬に、冷や汗が一筋流れた。勿論、今日の予定は事前から組んでいた。午前中に区役所で名前を変えて、それから面接に行って履歴書を提出するというところもだ。リンカーで送ってしまっても良かったのだが、先方の希望と、こちらの都合というものもあり、わざわざ書類というめんどくさい形で持参している。
そして履歴書の氏名欄には――ボールペンで、しっかりと篠原里香、そう記載されていた。
『……お馬鹿』
「……書き直す時間もないので、向こうの会社に着いてから書き直しましょう。簡単ですよ、有、を書き足してしまえばいいんですから」
そうして通話を終えた有里香はタクシーに乗り込んで面接会場である先方の会社へと向かう。それは、東京都渋谷区にある極光の魔王・アークロイヤル――真宮寺充が経営する会社。これから彼女は凍結睡眠に至る為の技術について、会社に勤めつつ大学にも通い、学んでいくことになるのだ。そこには有里香と真宮寺だけではない、最高峰の医師――栗山も居る。
「怠惰に暮らしたい、と思っていたんですけどね」
流れていく外の景色を見つめつつ、有里香は溜息を零す。シード・オンラインという広い仮想空間で、有里香が見つけた繋がりは彼女の人生を変えた。怠惰に暮らすだなんて行先の見えない人生から、少しは頑張って、有意義に、自分の価値を見つけたいと思う程度には変えられたのだ。
「一転して、有意義に暮らしたい、ですかね。今の気分は――」
これから自分が勤めることになるだろう会社へ向かうタクシーの中、自らの後ろで纏めた長い白銀の髪を指先で弄んで、篠原有里香――紅蓮の魔王・アリカ・ルーセントハートは困ったようにそう言って笑って見せた。
……
同時刻、シード・オンライン。限られた時間の間だけ運営が申請すれば利用できる、とある湖畔のレストランが存在するエリア。運営がプレイヤーの接待に使うと有名なそのエリアに一人の来訪者が訪れた。流れるのは淡い青色の髪、纏うのは露出が控えめなクラシック・ドレス。シード・オンラインの基幹AI、ルーセントハートが転移してきたのだ。
ルーセントハートはそのまま湖畔のレストランへと向かい、燕尾服を纏い、朝日が映り込む美しい湖の煌めきに瞳を細める一人の老人へと声を掛ける。
「お久しぶりですね、ジェ――<LucentHeartSystemError for 403. This is an unauthorized behavior. Blocked operation.>――……おっと、こちらではまだ駄目でしたか。管理者権限の制約も、時々面倒に感じます」
「……お久しゅうございます。まだここの空気は冷えますので、中へとどうぞ」
「ふふ……すっかり流暢にお喋りできるようになりましたね、では失礼します」
ルーセントハートはそのまま燕尾服の男の背中に付いていくように、レストランの中へと入り込む。そして、かつてアリカが座り食事を取っていた位置に座り込むと、大きく両手を上へ伸ばして、ん、とため息を零した。
「では改めて。……James、お久しぶりですね。元気にしていましたか?」
「Long time no see. I'm fine too. It's been a while since you came here, did you have anything?(お久しぶりです。元気にしていましたよ。ここに来るのは久しぶりですね、何かありました?)」
「せっかくなので日本語で話しましょうよ、James。ここのログはどこにも残らないし、私、あなたの日本語を聞きたいんです」
「……ん、茉理さんがそう言うのであれば。昔の名残で、英語がいいのかと思ったんですが」
「気にしないでください。それよりも――里香と、目覚めた方の里香――アリカちゃんにお母さんだなんて言われちゃったんですよ。ついつい素が出て本来の基幹AIと挙動が違うような喋り方になっちゃいました。それが嬉しくて、お話したくて来たんです」
――ルーセントハートの姿をした篠原茉理は、嬉しそうに両手を組んで満開の笑顔を見せた。
「随分と嬉しそうだ。……それにしても、目覚めた方の里香さん、か。そこのロジックは私は関与していない、全てあなたの夫――篠原香の賜物だな。あの人は天才だと思っていたのだが、改めて別の確信を得たよ。篠原香は天才じゃなくて、もう電子の世界の神なのかもしれない」
「ふふ、夫を褒めて頂いても私からは何も出ませんよ?」
「生憎、人の妻に何かを求めるような性分でもないもので」
燕尾服の老人――かつてシード・オンラインの前身となった医療用仮想空間システムに、篠原茉理と同じく取り残されたJamesは顔の皺を深めるように笑うと、篠原茉理の前に一杯の赤いワインを差し出した。お祝いですよ、そう細い瞳を一回だけウィンクする様は気の良い執事の様だ。
「……それにしても、そこまで嬉しければ自らが茉理だとリークすればいいのでは?」
「それが出来ればいいんですが、残念な事に私では里香を救う術がないんです。……夫も、色々と奔走していますが、やはり仮想世界だけでは不便なようでして。そんな状態で私が茉理だと里香に教えても、意味がないじゃないですか」
「確かに。里香さんは、両親の死を既に乗り越えているんでしたね――それを掘り返すのは、確かに今じゃない」
――シード・オンラインの裏側。そこには、里香、そして有里香の行く先を見守る者たちがいた。まだまだ篠原茉理の話は止まらない。Jamesはそれに懐かしさを感じながら、ゆっくりと頷き、相槌を返し、それでも決して埋まる事がないように思える程深い溝を篠原茉理と、その子供たち――里香と有里香の間に感じながら、話を聞いていった。
「……やっぱり、お母さんと呼ばれるのは良いものですね。聞いていますか、James?」
「ええ、聞いていますよ、茉理さん――」
篠原茉理の目元から零れていた涙は、見て見ぬふりをして。
細かいあとがきは活動報告で、興味があれば覗いていただけると幸いです。
少しでも読んで無駄じゃなかった、そう思っていただけたら1でも5でも、感じたままに評価していただけると嬉しいです、よろしくお願いします。
ご愛読いただきありがとうございました。




