34話 / 私達の決着
ああ、考えが纏まらない、決断を下せない。自分が生きようとすれば元である篠原里香を消さねばいけないし、篠原里香として正しく生きるのであれば――自分自身を消さねばいけない。それは狂った二択だ。そんなものをいきなり突き付けられても、まだまだ幼い、二十歳にすらなっていないアリカに選ぶことなど出来はしない。
「……現実の身体に私とあなた、交互に戻るっていうのはどうですか?」
「それは無理ですね。そんな都合よく人の脳は出来てはいないらしいですから。そんな入れ替えが効くのはもって二、三回。――原理も何も知りません、お父さんがそう言っていただけです」
――それじゃあお前がこの世界で生きていけ。
感情に任せて喉まで出かかった、内情そのままの言葉をアリカは吐き出す前に飲み込んだ。それはお前が死ね、と言っているようなものだ。一拍置いて訪れる自分自身への嫌悪感にアリカは思わず眉を顰め、紅の瞳を細めて顔を歪ませる。ぎり、と選べようのない二択に思わず奥歯が軋む。
篠原里香は黒髪を揺らして、苛立ちを隠せずに声を上げた。
「……もう都合のいい選択肢はないですよ。早く選んでください、アリカさん」
その瞬間――アリカの中で苛立ちが勝った。何故、私がそんなことを選ばなくてはいけないのか。理由は分かる、目の前の彼女、篠原里香と似ては異なる存在であるが、アリカ自身も篠原里香であるから。故に選択を委ねられる。ああ、分かりはするが――納得がいかない。自分で決めなくてはいけないことを私に任せるな。
気づけばぐっと力を込めて拳を握っていた。感情のままに腕を引く。篠原里香はそれを察したようで、ようやく終われる――疲れたような表情を見せながらそう呟いた。きっとアリカは紅蓮に燃え盛る武器で、自分自身を貫いてくれる。だが、篠原里香のそんな期待は――アリカの拳そのものが顔にめり込み、思いっきり殴り飛ばされたことで霧散する。
めり、と聞いたこともない音を響かせて篠原里香の身体が吹き飛んだ。そのままアスファルトに背中を打ち付け、ごろごろと地面を転がっていく。真芯を捉えていても、アリカの物理攻撃力自体は雀の涙だ。例え派手に吹き飛んだとしても、ライフポイントの削れ自体は微々たるものだった。
「――私に、あなたの感情を押し付けないでください」
ふーっ、と昂った心中を落ち着けるように、アリカは息を吐く。
「そんな二択、私は選びません。あなたが言ったんですよね、ちゃんと考えろ、与えられるものをそのまま吸収してはいけない、って」
体を起こして埃を払う篠原里香。その頬は、殴られたことにより僅かに腫れ、赤く染まっていた。アリカの言葉を聞いた彼女はどうして、と苦悶の声を漏らして黒の瞳でアリカを睨みつける。
「こればかりは二択しかないんですよ、何も知らない分からず屋が! だったらあなたも、私と同じここで生きてみ――」
アリカは歩み寄り、その言葉に被せる勢いで篠原里香の首元を掴み上げる。
意思が決まった真っすぐな深紅の瞳が、戸惑いに揺れている漆黒の瞳を至近距離で射抜いた。
「――ええ、生きてやる。あなたと同じこの世界で、生きてやる。現実の身体は栗山さんにでも頼んで、また凍結睡眠させましょう、その後、私とあなたでずっとずっと長い間、話し合いましょうか。どっちが生きるとか死ぬとかじゃない、もっと建設的で、先のある選択肢を出すために、何年、何十年でも!」
「っ……出る訳が無い。だって、お父さんとお母さんでも無理だったんですから、私が二人いたところで、実現可能な手段だなんて出来る訳が無いでしょう!? そもそも私たちはエンジニアじゃない、私は聞き齧ったものだけ、あなたは何も知らないただの素人!」
「はい、なので――人の手を借ります。ラインハルトさんは技術に詳しそうだったので、彼に解析を依頼します。それが出来なければ、私のお金を使って、もっと大きな会社に依頼します。凍結睡眠とか、そこらへんは……栗山さんと、あとアークロイヤルさんの会社に依頼しましょう、何度でも私とあなたが変わりばんこで外に出れるよう主人格を入れ替えられないかどうか分かるまで、それこそ潤沢に金をつぎ込んで」
「――はぇ?」
「ちなみにお金は心配ないです。私の口座に信じられないくらいのお金があるんですが、これ――お父さんとお母さんが最後に残してくれたものですよね、きっと。あなたが言っていたシード・オンラインの前身となった医療系システム。何らかの特許とか利用料とか、今の仮想世界技術の根幹を支えているだろう何か、それがお金を産んでくれているんですよね、きっと」
「それは合っていますが……だからって、代わる代わる外に出るだなんて、夢物語みたいなこと、叶う訳が……。ただ、外に出たところで、私には何も残されてないんですよ。数十年もあとの世界で何をすればいいかだなんて、わからないし……」
それはアリカにもよく理解できる感情だった。自分自身も病院の一室、真っ白の部屋の中で一人。目覚めた際に感じた取り残されている感覚を強く感じていたから。その時はまさか自分が凍結睡眠だなんてものから目覚めただなんて知らなかったが、それでもそんな感情を抱いたということは、自分の中のどこかで事実が胸を刺していたのだろう。
「私がいるじゃないですか。正直、私はあなたに対して良い感情を抱いていないですし、きっとあなたも私に対して良い感情は抱いていないと思います。なので――会話をしましょう。お互いを理解していくために、会話を重ねましょう」
銀の髪を渋谷の夜の風に躍らせて、アリカは篠原里香の前でしゃがみ込み、紅の瞳で座り込んだ彼女の瞳を覗き込む。
「……随分と偉そうですね。篠原里香の癖に」
「ええ、だって篠原里香に遠慮する必要だなんてないじゃないですか」
さぁ、これから大変だ。やることが沢山出来た。何せこの世界で生きていくと宣言した以上、事前に栗山医師に相談したり、身の回りの物を引き払ったり、現実世界でやらなくてはいけないことが数多くある。目の前で座り込んでいる篠原里香に問いかける為、アリカは口を開こうとしたその瞬間。
「――あ、ちょっと待ってください、アリカさん」
「はい、なんでしょう。まだお話していない事実があるとか、もう勘弁してほしいんですが」
「いえいえ、そんな事ではないです。――女の子の顔面を殴り飛ばして、タダで帰れると思ってます?」
えっ。そんな声を零すよりも早く、篠原里香が素早く立ち上がり、アッパー気味の拳がアリカの顔面へとめりこんだ。頭部をかち上げられたそれには、しっかりと真芯打ちが乗っている。ぐるぐると揺れる視界で大きく削られたライフポイントを見ながら、背後にアリカは吹き飛ばされていった。
満足そうにふん、と鼻を鳴らした篠原里香。彼女は両手を払いながらすっきりしました、と呟く。アリカといえば自らのライフポイントを見ながら、今はそういう流れじゃないでしょ、そう呻き声を交えて立ち上がった。打撃ダメージを受けて赤く腫れた顎が痛々しいが、インベントリからライフ・ポーションを取り出して使用すると、一瞬でそれは引いていく。
「……性悪ですね、わざわざやり返すだなんて」
「生憎、アリカさんに言われてもノーダメですよノーダメ。何せ、私はあなたのオリジナルなので」
売り言葉に買い言葉だ。アリカの目の前に立つ篠原里香は、確かにアリカの人格の大元となるので間違ってはいない。水掛け論になるのを避ける為、アリカは話を先に進めることにした。これからどうしようか、それも事前に篠原里香と決めておきたかったからだ。
「で、オリジナルの私さん。これから私はどうしましょうか、凍結睡眠するにしても少し現実の方で色々することがあると思うんですけど」
「……結論から言うと、あなたは色々と各方面に調査を依頼して頂くだけで良いですよ。わざわざまた長い眠りに付く必要もないです、色々とお金がかかるのも知っていますし、そもそも――現実世界の時間がありますから」
首を捻るのはアリカだ。現実世界の時間――それがいまいちピンとこなかった。確かに調査は時間がかかるだろう、もしかしたら永遠に終わることはないかもしれない。それでも自分たちは仮想の世界に居る。即ち、現実世界の時間の流れに捕らわれることはない存在となるということだ。
「それでも、私たちは死にませんよね。仮想世界の住民に寿命はない……厳密に言えば五百年ってあなたが言っていましたが」
だからこそ。自己の主観を正として捉えているアリカは気付かなかった。
「――栗山さんも、極光の魔王も。百年過ぎる前に死にますよ、それが現実世界での時の流れです」
「あ、っ――」
「更に言えば、凍結睡眠という技術の取り扱い。必ず対面しなくちゃいけない問題です、例えば……次、アリカさんが凍結睡眠をしたとしましょう。で、それが広まっていって……栗山さんや極光の魔王、彼らが協力的に、技術を見つけた、あるいは生み出した時点で目覚めさせてくれればよいです。ですが子の世代に引き継がれた時、その約束は必ず履行されるものでしょうか?」
――例えばの話だ。
アリカの再度の凍結睡眠を切っ掛けに技術が世の中に広まったとする。
いつかの未来で、過去の約束を履行する人間が何人いるだろうか。眠っている人間の生命維持にかかる費用。家族も死に、本人も知らないうちに孤独になった、ただただ一人で永い眠りに付いている人。隣に立つ研究者からすれば、彼らはなんて都合の良い――モルモットに見えるだろうか。
最初の一人は正規手順での覚醒の検証に。残りは――人間が寿命を克服するため、あるいは足りないデータを補う為の実験材料に。一か月、二カ月ならばいいだろう。だがそれでも、凍結睡眠のイロハを握っている栗山が、何らかの原因で治療が出来ない状態に陥れば、アリカが目覚める機会は永遠に失われる。更に言えば、一か月や二か月の凍結睡眠にメリットが無い。そんな短い期間では、やる意味さえないだろう。
「……なので、アリカさん。あなたは――現実世界で出来ることをしてくれればそれでいいです。かつて私が凍結睡眠をした際には、現代医療では治せない心臓の病があった理由がありました。ですがそれは栗山さんが克服させてくれて、今のあなたは健康そのものでしょう?」
「確かに、そう言われるとそうですね……。ですが、凍結睡眠をしないと私は老いていきますよ? もしあなたが現実世界に戻るとした時に、お婆ちゃんになっていたら少し悲しくないですか?」
「うーん……とりあえず、健康に気を遣ってください。特に運動と歯磨きですね、杖無しで歩けて、八十歳くらいになってもお煎餅が食べられるくらいなら良いです」
苦笑しつつ頬を掻いた篠原里香。私の生き方一つで老後に出来ることも変わるんですよね――とりあえずログアウトしたら各種依頼をこなすよりも早く、食生活の見直しと、部屋の掃除から始めようと冷や汗を流しつつアリカは頷いて見せる。
「それじゃあ善は急げなので。一旦、ログアウトして準備してきたいんですが――私、この渋谷エリアから出ても良いものです?」
「あ、待ってください。最後に一つ、やらなくちゃいけないことがありまして」
怠惰な生活を送ってきたアリカは罪悪感からこの場を離れたくなったので、とりあえずそう篠原里香に問い掛けた。問われた彼女はというと、思い出したように指を鳴らして見せる。直後、目の前の空間が歪み――青い粒子が次元の狭間から溢れ出して人の形を創り上げる。
アリカの目の前に現れたのは――シード・オンラインの基幹AI、ルーセントハート。
「お久しぶりです、アリカさん。シード・オンラインの基幹AI、ルーセントハート――改め、この仮想世界でアリカさんを赤ちゃんから育てたお母さん役の、篠原・ルーセントハートです。……びっくりしました?」
目の前で透明な水色の長い髪。。
透き通るような淡い水色の長い髪に、露出が控えめのクラシック・ドレス。まるで実在する人間のように彼女はにっこりと笑うと、にこにことアリカに向かってピースサインをしてみせる。そんな事を言われたアリカは、ぽかんと声も出さずに驚きの表情を見せていた。
「……いや、え?」
「私の基礎人格構成アルゴリズムや自己学習アルゴリズムなどはですね、アリカさん、つまり篠原里香さんの母親――篠原茉理さんが構築していて、学習データとして茉理さんとの会話情報が数多く使われているんですよ。なので、私が適任なんですよね」
「……つまり、ルーセントハートさんは私がログインしていた時から全部知っていて、あの絶対おかしいリインカーネーションの森だなんて場所に放り込んだと?」
「ええ、その通りです! リミテッド・スキルはアリカさんのご両親とお約束した通りに差し上げて、扱う為の基礎レベルも上げる為に放り込みました。……作業的な序盤のレベル上げで飽きられても困るので、どうせならサクっと出来る方が嬉しいかな、という基幹AIなりの気遣いですよ?」
話を横で聞いていた篠原里香は呆れたように溜息を零した。
「そういうところ、本当にお母さんと似てるんですよね……百年以上昔になりますが、現実世界の記憶は残しているので思い出せます。しなくてもいい気遣いしてくるところとか、凄く懐かしいですね」
「――じゃあ、私はお母さんが二人ですね。私は思い出せないんですが、茉理お母さんと、ルーセントハートお母さん」
銀の髪を揺らしてアリカはそう言った。篠原里香は、貴重な体験ですねーと軽く流すように笑って見せる。それを聞いていたルーセントハートは――驚いたように瞳を見開くと、少しの間だけ口をぱくぱくとさせて――本物の愛情が乗ったかのような笑みを花開かせて見せた。
「それでは、アリカさんは私の子供ですね。きっと人類初ですよ、こんな形での親子関係は」
「ええ、そうですね。……生憎、その胸の大きさっていう遺伝子は受け継がれませんでしたが」
「……シード・オンライン内部なら自由自在です。一度アリカさんも変えていたじゃないですか、アバターの体形変更は本来有料ですが親子ということで特別に一回、変更権を与えてもいいですよ?」
「……いや、遠慮しておきます」
眉を顰めて苦笑いしたアリカ。その隣では篠原里香が、もうアリカさんは盛ってますからねえ、とジト目で見ながら呟く。ここからしょうもない言い合いが再びアリカと篠原里香の間で行われるのだが、それはまた関係が無い話なのでここでは割愛する。ただ言えるのは――ルーセントハートが、それをにこにこと見守っていたこと。それは、まるで本物の母親のようだった。
次回、最終話です。




