33話 / 仮想世界に残されて
――渋谷の空を、紅蓮の流星が踊り狂う。篠原里香が放った紅蓮の槍をアリカは自らの紅蓮の槍で捌きながら、アスファルトを蹴り飛ばして焦ったような顔で逃げ場所を探していた。交差点の中央は余りに視界が通り過ぎているのだ、リミテッド・スキルである尽きぬ焔の約定に対する理解の違い、そしてお互いの経験年数の違い。それらが、アリカを不利な立場へと追い詰めている。せめて、何かを飛ばして攻撃しずらい場所へ移動したかった。
「ああ、道玄坂の方へと逃げるんですか? 美味しい居酒屋ランチのお店があるんですよ、そこ。もっとも、リアルでは外に出歩けなかったので、この仮想世界で食べた味しか分からないんですけど」
「――っ!?」
だが逃げ出すことは叶わない。有名百貨店、電気屋、飲食店、それらすべてを倒壊させるかの如く、無数の炎がアリカの逃げ出そうとしたその先、道玄坂方面まで覆うように空へと燈り始める。その数はあまりに暴力的だ、捌き切ることはできない。
最もアリカ自身がその紅蓮の槍でライフポイントを全損させることはないのだ。尽きぬ焔の約定による身体の炎化が、どんな致命傷でもそのダメージを軽減し、そして欠損部位を再生の炎で蘇らせてくれるから。だが、それが生む隙が致命的になる。例えば頭部や両足が欠損した場合、アリカは点動を発動できないが、篠原里香は点動を発動できる。そして真芯打ちは、アリカのような特殊なスキルを持っていてもダメージを与えることが出来るのだ。
「ちょっと、流石にこれは……!?」
顕現させた紅蓮の槍を握り締めながら、出来るだけ撃ち落とすしかない、そう覚悟を決めたアリカ。そんな彼女の意識の中で、不意打ちのように、誰かが囁く。
「(――槍じゃきっと間に合わないですよ。先程、この場に相応しい武器を見たじゃないですか。取り回しがしやすくて、最速のスキルの出の速さを持つ系統の武器を)」
「……っ!」
――それは現実世界の身体にアリカという意識が戻る際に廃棄、整理された、この世界での自分自身。
勿論、そんなことアリカに理解できるはずもない。
ただそれでも、槍より相応しい武器があって、自分がそれを使えるということは、理解できた。
降り注ぐ数多の紅蓮の槍――再度、ゾーンまで潜り込んだアリカの視界はそれを余すこと無く捉えきる。自らに向かって飛来した一本目を紅蓮の槍で打ち落とし、アリカはその自らの槍を手放した。自らの体勢を低く保ち、そして右手には――瞬時に生み出した煌々と輝く紅蓮の短剣を握り締める。
「……彼女に出来ることは――私にも出来る。だって彼女は、篠原里香は、私自身なんですから」
豪雨のように降り注いでアスファルトを叩き割り、炎で焦がす紅蓮の槍。前傾姿勢のまま、アリカはその中を紅蓮の短剣一つだけ握り締めて駆け抜けていく。避けられそうなものは身体をずらしてやり過ごし、当たるものは迫りくる刃に短剣を当てて打ち砕き。驚いたような表情の篠原里香まで残すところ十数メートル。アリカは点動を発動させて、一気にその距離を詰め寄った。
「同じことが出来ても、立ち回りはてんで駄目ですね。目の前に着たらスキルの的でしょうが!」
篠原里香の手に握られていたのは、すらりと美しい弧を描いた紅蓮に燃え盛る抜身の日本刀。まるで居合のような体勢から放たれたのは、尋常ではない速度の二連撃。袈裟に振り抜いて一撃、そして斬り戻して二撃。アリカはそのスキルを見たことが無い。だが、既にその動きも、やり方も知っている。なにせ、今目の前で、自分が在るべき理想の姿をした篠原里香が、お手本の如くそれを見せたのだ。
「――的になっても、避けられればいいですからね!」
隙のない二連撃を自らの紅蓮の短剣で凌ぐアリカ。二連撃目を受け流した際に刃が破損したが、もうその短剣は十二分に役割を果たした。日本刀を振り抜いた姿勢で僅か一瞬の固まり――スキル硬直を見せた篠原里香を見て、アリカは好機とばかりに更に一歩、踏み込む。その手に握られているのは――先程、篠原里香が見せたと同じ、紅蓮に燃え盛る片刃の日本刀だ。
全く同じ日本刀による二連撃が篠原里香を襲う。硬直を課せられた彼女は避けられず真正面から二連撃を被弾した。身体が三頭分された彼女は、切り口からは再生の炎を燈らせつつ、鬼の如き形相でアリカを睨みつける。
「コピー風情が……!!」
ようやく一発入れてやった。――そんな喜びの感情よりも先に、アリカに疑問が宿る。今、アリカは篠原里香と全く同じスキルを発動させたつもりだった。だがしかし、目の前の彼女にダメージが通った様子はない。そっくりそのままのスキルで返したはずなのに、それには真芯打ちが乗っていない。つまり、今の篠原里香が放った刀の二連撃スキルをアリカが受けてもダメージは受けないという事――。
お互い、尽きぬ焔の約定を持つ身だ。接近戦で真芯打ちを使わない理由がない――そうやってダメージを通さないと、互いが互いにダメージ軽減を出来ない状態、つまり、マナ切れを待つだけの泥沼にはまってしまうから。怪訝な顔を見せたアリカだったが、篠原里香は続け様にまた別の武器――紅蓮のハルバードを生み出して、スキルを放つ。
「次こそ――」
篠原里香が担う真紅のライトエフェクトで煌めいたハルバートの刃先が放たれた。それは身体の芯まで震わせるような重低音と共に、アリカの頭部を吹き飛ばさんと空気を切り裂きながら突き進む。
「(防ぐ術なら、ある。だってこれは彼女のスキルであって、私自身が持っていたスキルでもあるから。――それでも、どうしてだろう。防ぐ事よりも、私は、彼女の思惑を――心の内を知らないといけない気がする)」
きっとそのハルバードは真芯を捉えない。防がずとも尽きぬ焔の約定が軽減してくれる気がしてならない。グレーアウトした視界の中で迫りくる刃を捉えながら、アリカは自分で選択しなければいけないことだ、と奥歯を噛み締める。自分の勘が外れていれば――ある意味の無駄死にだ。
頭部を吹き飛ばされて、きっと一撃で自分のライフポイントはゼロになるだろう。いくらクリティカルダメージを軽減するアイテムを持っているとはいえ、一撃目に耐えても頭部を失い大きくノックバックした状態で、篠原里香の二度目の攻撃を防ぐ自身はアリカにはない。
考えを決められず迷走する思考。そこでふと、アリカの視界に篠原里香の顔が映り込む。
どうしてだろうか。そこにアリカは――悔恨のようなものを感じ取った。
「――っ」
ハルバードがアリカの頭部を吹き飛ばした。――だが、アリカのライフポイントは僅かしか削られない。ぼっ、と炎が直ぐに燃え盛り欠損したアリカの頭部を再生する。ばさりと長い銀の髪が熱風に煽られてきらきらと輝いた。目の前に立ち竦む篠原里香は、どこか怒気を孕んだ声でアリカへと叫ぶ。
「あなたはいいですよね。両親の最後も知らずに現実の世界に戻れて、あなたの為に作られたシードオンラインという舞台でのうのうと遊んで、友達まで作ることが出来て!」
どこかで見たことがある光景だとアリカは感じた。その些細な疑問はすぐに氷解する――今の彼女は、ただの子供だ。それこそアリカ自身が少し前にラインハルトと喧嘩をした際の様に、自分の意見しか受け入れられず、自分の思うように進まないと機嫌を損ねる子供だった。
いや、厳密に言えば少し違うか――何せ彼女は現実に戻れない。アリカという存在がいる限り、篠原里香は現実へ帰ることが出来ない。アリカという人格を元に、最低限の自らの情報を複製し、身体に戻ることが出来てもそれはもう、今目の前に立っている篠原里香という存在ではないのだ。
――第二、第三のアリカの複製。それだけでしかない。
故に篠原里香は、その人格のまま現実に返ることは出来ない。
「知らないですよね、私達が持つリミテッド・スキル二つの意味。これ、お父さんが作ったんですよ――黄金の心臓は篠原里香が、もう心臓を気にせずこの世界を駆け回れるように。尽きぬ焔の約定は、生きるという炎を消さない約定の証」
八つ当たりのような紅蓮の双剣による七連撃がアリカを切り裂いた――。だが、それにも真芯打ちは乗っていない。切り裂かれた傷は、直ぐに再生の炎によって癒され、消えていく。
「でも、もうこの世界以外のどこにもいけない私が、その二つのスキルで何をすればいいんですかね。……お父さんもお母さんもいなくて、友達の一人も作れない。ゼロとイチ、そんなデータの世界に存在する私に、尽きぬ焔の約定? 生きるという約定?」
それはずっとずっと溜まり続けていた鬱憤だろうか。あるいは、今の今まで存在し続けてしまった後悔からだろうか。目の前の自分自身――篠原里香が欲しいもの、両親以外は全て持っているアリカにはなんと言葉を返せばいいか分からなかった。ただ俯いて、彼女の話を聞くことしかできない。
「――アリカさんが選ぶんですよ、過去を捨てて現実として生きるか、現実を捨てて過去として生きるか」
「……それは、私が決めるべきことじゃない。だってそんなもの、私が私として生きる方が選ばれる確率が高いのに!」
「いいんですよ、それでも。ここでずっとデータとして存在し続けるのも、アリカさんの人格を元にした私の複製データで現実に戻るにしても、どっちも私は苦痛なんです。選びたくないんです。――この仮想世界で生まれ育ったあなたの人格は、生身の身体の信号を知らなかった。そんな齟齬で上手く感情が伝わらず、あなた自身の思考も――ベースとなった私とは少し違っていたはずです」
篠原里香は両手に持っていた紅蓮の双剣を投げ捨てた。アスファルトの上で跳ねたそれは直ぐに炎となって溶けるように消えていく。その後、慣れた手つきで篠原里香は管理者用コンソールを起動する。そこで少し長めのコマンドを打ち込むと、躊躇いなくそれを実行した――。
「それでもあなたは成長した。助けてくれる人も増えて、そして自分で選択できるようになった。まだまだ仮想世界と現実世界の信号の齟齬でブレる部分もあると思いますが、それは明確な成長です」
直後、これまで渋谷のビル群の広告液晶に映っていた、機械染みたルーセントハートの映像が切り替わる。何か重大な警告を示すような、真っ赤な赤色単色にだ。暗闇に落ちた渋谷の中で、液晶は全て赤一面。そんな光景に思わずアリカはびくっと怯えたように一歩だけ身を引いた。
「――はい、今しがた私自身のデータ保護を解除しました。これで私はライフポイントが欠損すればもう戻れません、他のシード・オンラインのモブ同様、単純に存在自体そのものが削除されます。篠原里香の元データである私と、現実世界からログインした篠原里香の複製データであるあなた、その二人がこのシード・オンライン外部のサーバー、更には同一エリアに存在していないと実行できないコマンドです」
「私に、あなたを殺せと言うんですか!? そんなこと、出来ないにきまって――」
「できますよ。だってこれは人殺しじゃない――ただのデータ削除、ですから」




