30話 / Shibuya '20
アリカの視界が暗闇から解放された。きょろきょろと辺りを見渡すと、どうやら相当に古い電車の内部にいるようだ。動いてはいない。車内で唖然とした顔で窓の外を見ているオニギリにアリカは怪訝な顔をしつつ、いつの間にか腰を下ろしていた赤色の椅子から立ち上がり、窓越しに見える景色を確かめる――。
「――え、嘘」
ガラス越しに見えたのは――厚手の洋服を着込み、そしてマフラーを巻いたりして防寒しつつ、平然と日常を過ごすような人々。込み合った人の海の先に見えるのは、年季の入った犬の像。そう、通称――ハチ公。そしてアリカ達が今入っている電車は、青ガエルという愛称で親しまれてきていた渋谷駅前のシンボルだ。既に日は沈んでおり、街頭や広告、ビルの照明が辺りを照らしていた。
「これは……何が起きたんですか……私、ログアウトしてないですよね」
「お嬢ちゃん――聞いて驚くなよ。こいつぁ、少なくとも二〇二一年よりも過去の、渋谷駅前だ。この電車自体、本来なら二〇二〇年の夏ごろに秋田まで移動されてる。……歴史の話だなんて、大分前に齧っただけだから、確かかも分らんが」
「……ホログラフの広告も、清掃ロボットもいない。それに誰もリンカーを起動している様子もない。僕からすれば、ジェネレーションギャップもいいところですよ。スマホっていうんでしたっけ、あの光る通信機器。公営の電波じゃなくて、色々と管理元が分かれていて、凄く手間になってる仕組みのモノ」
それぞれの感想を言い合う中、シャーロットだけは――どうしてか瞳を見開いて、目の前に広がる遠い昔の日常の景色を見ていた。忘れないように、しっかりと焼き付けるかのようにだ。どうしたんですか、そうアリカが声をかけようとしたところで――見慣れない姿をした女が一人、アリカ達が滞在している渋谷の緑の電車――青ガエルの中に足を踏み入れる。
「全員いらっしゃいますね。先にも言った通り、このエリアはシード・オンラインの管轄から外れたエリアです。……元のゲーム・エリアに戻る為にはこの電車内部のパネルを利用して移動してください。インフォメーションパネルは生きていますが、適当な位置でのログアウトは推奨しませんからね」
目の前で気だるげに話している人物が誰だか、アリカを含む全員が分からなかった。会話の文脈から察するに、彼女がシリカ・ルーセントハートだと想像はついたが、先程までの純白のドレスを纏った彼女とは全てが別で紐付けることが出来なかった。
「……こちらが本来の姿です。違和感はあると思いますが、このエリアにいる間はずっとこうですので、見慣れてくださいね」
――肩の下まで伸びた黒髪を緩く結んだポニーテール。そして黒いセーラー服の上に厚手のコートを羽織り、少し太めの黒縁メガネをかけていた。首元には赤色のマフラーを緩めに巻いており、彼女の姿は学生として申し分ない。NPCのくせに、この場の誰よりも、服装も、喋り方も、人間らしいものだった。
「開発者の方は、随分といい趣味をしているものですね」
「――うーん、それは余り正しくないですね、ラインハルト君。私も含めて、ここはこう在るべくしてこうなっただけですし」
シリカの返答にラインハルトは戸惑いを見せた。その意味が理解できず表情を曇らせる中、オニギリは奥歯をぎりと噛みしめる。懸念していた想像が現実に成ろうとしている。自分自身が介入していいものか迷っていたのだ――あくまで、これはアリカの話だから。自分には関係ない。放置しても、どんな口を挟もうと、自分に火の粉は降りかからない。無関係のままであれば何もする必要はない。
シリカが指先でついてこい、そう示す。それに従うように――宵闇のドレスを身に着けたアリカ、グレーのコートを着たシャーロット。そしてオニギリとラインハルトは似たような民族衣装に身を包み、最後にアークロイヤルは――見るも眩しい金色のスーツに装備を変えて、最後尾を行く。
振り返ったシリカがアークロイヤルに対して眉を顰めて視線を飛ばしつつ、苦言を飛ばした。
「……その格好で来るならば、限りになく私に関係ないように歩いてきてくださいね?」
「馬鹿を言うな、ここは仮想世界なのだろう。ならばどんな服装をしようとも自由だ、人前に出る時の正装はこれにすると決めている」
「面倒くさい人だなぁ。まぁいいですけど、あまり人の中で装備変えたりしないでくださいね、目立ちますし、後が手間なので」
何を言っている、その突っ込みよりも早く外に出たアリカによってその意味が分かる。一斉にアリカに向けられる奇異の視線、そして――真冬の寒さがむき出しの首元や手足に突き刺さる。ゲームとしての感覚を越えたそれに、思わずアリカはひっ、と身を固くした。アークロイヤルは頬を引き攣らせつつ、金色のスーツからあまり目立たない黒色基調のコートへと装備を変更する。
「……寒いんですけど。コートを着た私でもこれって、アリカさんとかラインハルト君とか死んじゃうんじゃない?」
「あ、あの……シャーロットさん……そういうならコートを分けてください……半分でいいので……」
「ダメー。一着しかないし、そもそもこのコートって私の専用装備だから貸せないんだ。ごめんね」
――学生服のシリカを先頭に、一同は無遠慮に降り注ぐ奇異の視線と、縮こまるような寒さを堪えつつ、歩を進めていく。大きな交差点を前にして、辺りの人々から距離を空けられつつ、信号待ちをする一同。そこでシリカは振り返り――苦笑気味の表情を見せる。
「ここは二〇二〇年初頭の渋谷を元に作られたエリアです。……本当は色々と見回りしたかったのですが、寒さにやられちゃいそうなので本題に入りましょうか」
シリカが片腕を夜の空へ伸ばす。すると――今までCMを映していたビルの映像パネルが静止した。いや、パネルだけではない。道路を走るタクシーや車、歩く人々、全ての時間が静止したかのように動きを止めたのだ。手の込んだ演出だね、とシャーロットが苦言を零す。
「――ルーセントハートさん。お願いします」
止まっていた映像パネル、その全てにシード・オンラインの基幹AI、ルーセントハートの顔が表示される。普段と違い、そこに表情の様なものはなく、ロボットのようなイメージを受けるものだった。人間味のない彼女が、淡々と言葉を紡ぎ出す。それらはどこからかのスピーカーを通して、大きな音として渋谷一面へ広がっていった。
『――ユーザー、篠原里香によるリクエストを承認。渋谷エリア中心部との論理接続を解除します』
その直後、シリカの手によってアリカだけが歩道を越えた先、道路の中へと引っ張られた。その直後、ばつんと歪な音がして交差点の中心部から円を描くように、地面に光が走る。それを見たアークロイヤルが手を伸ばすが――その光で切り取られた円の中に入ることが叶わず、思わず舌打ちを零す。
「やられた……!? おい、紅蓮の。ここから先は何が起きるか分からんぞ、ログアウトする準備をしておけ!」
「ごめんなさい、皆さん。私、一つだけ喋っていないことがあるんですよ」
アリカを円の中へ引き連れたシリカ。
彼女はどこか勝ち誇ったような笑みで、一同に対して伏せていた事実を突きつける。
「――VR機器の大原則、基本的に常にログアウト、ログイン処理が常時出来る状態であること。更にシード・オンラインの規約として、イノセント社に認証を受けているデバイスでなければシード・オンラインには接続できない。ここまでの二つは私が喋りましたね?」
「……!」
引っ張られた勢いで地面に倒れ込んだアリカが、察したようにシリカを見上げる。認証を受けているデバイス――例えば市販品であれば、間違いなくそれは満たしているはずだ。だが、アリカがシード・オンラインに接続する為に使っている機器は、市販品ではなかった。永い眠りから目覚めた後、栗山によって渡されたものを利用している。
「では認証を受けていないデバイスではどうなるか。VR機器の原則としてログアウト処理は出来ますよ、何ならアリカさん。ここで押してみてください――まぁ、押してくれるなら私としてはお手軽で面倒事が片付くので、助かりますが」
「押しませんよ。シリカさんが全部話してくれるまで、私は絶対に逃げません。聞くために、ここまで来ているんですから」
感情のない瞳でシリカはアリカを見下した。そして深い溜め息を零したのちに、シリカは語りだす。
「……シード・オンラインは特殊なんですよ。私も詳しくは語れないので概要だけですが、通常のVRMMOはリアルタイムで脳の記憶領域とやり取りを行います。こう思ったから、こうする。この結果がこうだ、それはそのまま脳に記録されるんです」
「それは知っています――確かシード・オンラインの技術マニュアルにもそう記載があったと思いますが、違うんですか?」
円の外からラインハルトが声を上げた。元々、エンジニアとしてそこそこの技量を持つラインハルトはそういったマニュアルを読むのが好きで、時折目を通していたのだ。悲しい事に技量があっても現代では働き口の数が少なく、あまり自らに自信を持っていなかったラインハルトは進んで求人へ応募もしていなかったため、その技術力を生かす機会はなかったが。
「ええ、違います。シード・オンラインはリアルタイムじゃありません。そうでなければ、あなたのスキルの説明が付きませんもんね、刻の魔王さん?」
「――うん、常日頃思ってたんだ。私が二秒先の世界を観測しているのに、どうやって他の人は巻き戻っているんだろう、ってね」
「シード・オンラインは記憶を同期していませんから。非同期なんですよ、全ての意思決定はシード・オンライン上へ読み込まれた意識が行い、そして結果は数秒ごとのタイミングで脳へ記録される」
アリカは考えを巡らせる。他のVRMMOは――同期的に処理が行われると言っていた。いわゆるリアルタイムというものだ。人間の脳が意思をVRの世界へ伝え、そしてその結果を受け取る。基本的な人間の活動である立ち上がるで例えるならば、人間の脳が立ち上がるという信号を送り、VRでの世界の処理結果を脳が受け取る。
だが、シード・オンラインは違うとシリカは言った。非同期と言ったのだ。人間の脳、意識をVRに置き、そしてそこから発せられる信号の結果を脳が定期的に受け取っている――。ラインハルトが何かに気付いたのだろう、引き攣った顔をしてシリカへと問いかける。
「ちょっと待ってください、意識を、電子の世界へ置く……? それって、つまり」
「察しが良くて助かります。――つまり、人格をコピーするということがもう実現できるんですよ。コピーしたらリアルな身体への記憶データ送信を中断すればいいだけですからね、実に簡単です」
ラインハルト、アークロイヤルは頬を引き攣らせた。つまりそれは、シード・オンラインに接続しているプレイヤー全ての人格コピーを創り上げるということが可能だからだ。ログインした人間をAと仮定しよう。彼はいつも通り、シード・オンラインで遊んだ。そしてログアウトして、ご飯を食べて寝た。それが主人格の記憶だ。だがコピーされた人格であるA’は――ログアウトしたと思ったら、出来ていない。ずっと仮想の世界に取り残され、そして永遠にシード・オンラインでの一日を繰り返す。
いや、シード・オンラインで暮らせるのであればまだいい。非人道的な仮想世界での実験に、リアルな人間データとして投入される可能性もある。人格のコピーなど、人道的にも許してはいけないことだ。
「……おい、シリカ。てめえ、なんで今更そんな話をしやがる。俺らはそれを知らない、お前はそれを知っていた。お前がその事実を俺たちに伝えるメリットがない」
「別にメリデメの話じゃないですから。……まぁ、これでアリカさんには伝わったと思います。今、この渋谷エリアでアリカさんがログアウトした場合――人格のコピー処理が走ります」
倒れ込んでいたアリカは立ち上がる。話を聞くという流れで付いてきたのに、こんな脅しの様な真似事をされるとは驚きだったが――この場に訪れる、そう決めたのは自分だ。今更、騒ぎ立てても仕方がない事は十分理解していた。ふと、気になって自分のバイタルチェックを行うが、そこにはいつものグリーンのラインは無かった。情報が断たれているみたいですね、とアリカは溜息を零す。
「――それで、私はどうすればいいんですか、シリカさん」
「――その身体を私に返してくれませんか?」
考えろ、考えろ。考えることを止めるな、流されるな――。意図を察しろ、シリカ・ルーセントハートは何を求めて自分にそう問いを投げている。身体を返せの意味とはなんだ。アリカは必死で頭を回す。正直なところ、アリカに今シリカが話した難しい話は理解できていないし、もっと詳しく教えてもらったところで、理解できるとも思わなかった。
ただ、良くない事だということしか分からなかった。
「シリカさん。的外れな事を言ったら申し訳ないのですが――あなたは、きっと私からコピーされた人格ですよね。それで、こんな行為に走っている……であっていますか?」
「……」
ぽかん、とシリカが呆けたような表情を見せた。ラインハルトやシャーロットも、そういうことか、と眉を顰めている。ただその中で――オニギリと、面と向かってコピーと言われたシリカの二人だけが無表情だった。数秒、或いは数分過ぎたか。音が無い空間で、シリカが頬の端を歪めて、大きく笑いだした。
「あはは……ははは……!! 私が、あなたのコピーですか、アリカさん。これはまた、随分と笑えない。ええ、笑えない冗談ですね……ッ!!」
彼女が大きく腕を振るうと、リミテッド・スキルである尽きぬ焔の約定が発動し、アスファルトを焦がす大きな炎が吹き荒れる。左腕の手の平で表情を覆い隠し、俯きながら震える彼女の感情はいかなるものか。無表情だったオニギリはその行為と言葉を見て、やっぱりそうか、と苦悶に満ちた表情を見せる。
「……なぁ、シリカ。二つほど聞くぜ――まず一つ。シード・オンラインの非同期のシステム上は仮想の経験をそのまま脳へ返すんだ、本来であれば在り得ない記憶をさも現実のように記憶させる――可能だよな? 更に言えば、ある程度の記憶の上書きも可能だろ?」
「やっぱりオニギリさんは鋭いですね――ええ、可能ですよ」
「じゃあ二つ目だ。……この二〇二〇年の渋谷エリア以外にも、似たようなエリアは存在するよな? 関東圏、特に――お嬢ちゃんの生活圏内は割と密に、正確に、構築されていると想像してるんだが」
「それもイエスです。――アリカさんが凍結睡眠に入った二〇二〇より少し前の基幹と、アリカさんが目覚めた現代から数十年前程くらいは存在します」
初め、ラインハルトは怪訝な顔で質問を繰り返すオニギリを見ていた。どんな意図があってそんな質問をしているのか分からなかったからだ。だが、最後のシリカの言葉――わざわざアリカさんが凍結睡眠に入った、と言った事が、ラインハルトを事実へと辿り着かせる。
「……オニギリさん、それってまさか」
「坊主も気付いたか――どうやら、お嬢ちゃんとシリカの因縁は、俺達じゃ口も挟めそうにない問題らしい」
シリカはアリカへと視線を向けて一歩ずつ歩み寄っていく。今のオニギリとシリカのやりとりを聞いて、アリカも事実を察したのだろう。その瞳は大きく揺れていた。シード・オンラインのシステムである非同期式で出来る事。まるで必要になると分かって準備されていたかのような、現実と酷似したこの空間。また、その空間で起きたことを現実であったことのように思わせる事が出来てしまうという事実。それがアリカにとって、とても冷静ではいられない事実を突きつける。
例えば、そう、例えばの話だ。――この仮想世界での記憶を数十年分蓄積された人格が、現実世界の誰かにアップロードされたとして。その当人は自分がコピーだと気づく手段があるだろうか。ヒントくらいの違和感――例えば、用意された仮想空間データと、現実世界とのズレで駅にいる人が少ないと感じたり、|電車が新しくなっている《・・・・・・・・・・・》と感じたりすることはあるかもしれない。だが、そんなことで自分がコピーだと思う人は皆無だろう。
「……ねぇ、気付いてますよね、コピーの篠原里香さん。その身体、本当は私のものなんですよ。だから改めてもう一度言いますね――その身体を、私に返してくれませんか?」
シリカ――いや、本来の篠原里香である人格が、黒真珠の様な瞳でアリカを真っすぐに見つめつつ、事実を突き付けた。




