29話 / 回答へ
里香が目覚めた時、時計の短針は既に七を指していた。夏場ということもあり、まだ沈み切っていない夕日が鮮やかなオレンジ色に部屋を染め上げている。ベッドから身体を起こして全身を解すかのように大きな伸びを一つ。ん、と声を漏らしつつ、里香は立ち上がる。
「……凍結睡眠、コールド・スリープってやつですよね」
一人暮らしには大きいサイズの冷蔵庫から、里香は良く冷えた野菜ジュースを取り出した。深い緑色の液体をグラスへ注ぎ、部屋の窓際に立ってこくこくと喉を潤していく。遠くのホログラフ広告に囲まれたビル群も、下を覗き込めば小さく見えるだろう自動運転電気自動車も、この近代で産み落とされた技術の産物だ。
「どれくらいの確率を引いて、私はここに立っているんでしょうか。確立されていないということは、相応以上の危険があったってことですよね。それに――なんで私が、そんなコールド・スリープをするような事になったのか」
思い出せない。事故より以前の記憶を手繰り寄せても自分は健康体だった。唯一考えられるのは――両親が、或いは団参者の介入によって自分が実験材料として扱われたか。そう考えてみて、そんな有り触れたSF映画のような事が本当に起こるのかな、と里香は思わず首を捻って考え込んでしまう。
「考え込んでも、私だけじゃ答えは出ないですね。――全部教えてもらいますよ、シリカ・ルーセントハート」
里香は残った野菜ジュースを一気に飲み干した。そのままグラスを水で流し、口の中をさっぱりさせるために数回うがいを行う。その後で水をグラスの半分ほど飲んで、そのままベッドへと転がった。そして自分が知らない自分の事を知る為に、里香はシード・オンラインへと接続する。
……
シード・オンラインへログインしたアリカはログアウトした場所、つまり自らの屋敷の庭前へと降り立った。アリカを迎えたのはラインハルトとシャーロット、アークロイヤルにオニギリの四名。そして――アリカと同じ顔立ちと身長を持ってて、髪の色こそ違えど同じ髪の長さをして、つまらなさそうな顔でこちらを見つめているシリカ・ルーセントハートの合計、五名。
「……あれから随分と早く辿り着いたみたいですね。篠原里香」
「ええ。まぁ気付いたのは私じゃなくて、アークロイヤルさんなんですが」
会話を始めた二人に、困惑した表情でラインハルトが口を挟む。
「あの、ちょっと話の流れが分からないんですが――ログインしたらこのシリカって名乗るNPCが先に領域に付いていて、少し待っていてください、そう言われて。……ていうか、NPCバグってないですか。それ、アリカさんの本名ですよね?」
「――シリカというNPC,いや、彼女は案内人です。先に謝っておきます、ごめんなさい――私の都合で皆さんを巻き込みました、私はシリカと話さなくちゃいけないことあるので、もし都合悪ければこの場から離れちゃって大丈夫です」
苦い笑みを零してアリカはそう言った。何故シリカがラインハルト達を待たせたか、その意図は分からない。だがここから先の話は全部自分自身の、篠原里香に纏わることになる。ラインハルトは元から、自分以外の誰にも関係ない話だ。そんなものを聞かせても仕方がない――アリカはそう判断したのだった。
「随分な言い草だな、紅蓮の。――都合が悪ければとうことは、お前は自分の事情を聞かれても構わない。そしてシリカ、お前はこの場に紅蓮の以外の人物がいても良い、そう考えているな?」
ならば、とアークロイヤルは言葉を区切った上で、一言一言を強調するように言い放つ。
「――俺は残るぞ。紅蓮のについての話と言うよりも、それから先の話を俺は知るべきだと思った。これはお前が一人で背負うべき事情じゃない、少なくとも、お前が目覚めてここに至るまで技術を確立できなかった俺の責任でもある」
「話が見えないよ、ポンコツロイヤル。そんな重い何かがアリカさんにあった訳? それに背負うとか責任とか、もう少し分かりやすく話して欲しいんだけど」
困った顔のシャーロットは苦言を口にする。それもそうだ、あくまでシード・オンラインはVRMMOである。ただのゲームなのだ。それがどうして、こんな思いつめたように重い空気を纏って話を勧めなくてはいけなくなるのか。当然の疑問だな、とアークロイヤルはアリカへと視線を向けた。アリカはそれを受けて――大きく深呼吸してから、周りの全員に聞こえるようにはっきりとした声でシリカへと話しかける。
「リンカーを外して、手書きで申請をして、正確な戸籍謄本を今日見てきました、両親が無くなった日は――不明」
「はい。それが正解です――ではあなたの立場は分かっていますか?」
「はい。おおよそ五十年、六十年ほど――凍結睡眠していたんですよね。そして、コールド・スリープ技術の初めての成功例、それが私の立場」
「……はい、それも合っています。極光の魔王がどんな会社、プロジェクトを進めているかは知っていました。しかし、まさかそれがアリカさんと繋がって、ヒントと言うよりも解答そのものを提示されるだなんて思いませんでしたよ。このままアリカさんが事実に気付かないまま年老いてくのを見ていくだけ、そんな心配をしていた時間を返して欲しいものです」
呆れたように両手を上げるシリカ。それに対して――シャーロットは瞳を見開いてその話を聞いていた。それはラインハルトも同様で、そんな現実があっていいのか、誰に向けてでもない呟きを無意識の内に零してしまっていた。オニギリは、ただ腕を組み、訝し気な表情でシリカを睨むのみ。それは感情の揺れ一つすら見逃さないような鋭さを持っている。シリカが一体何者であるかを見抜こうとしているかのようだった。
「それならば、僕も残りますよ。……また、アリカさんが一人で暴れ始めたら困りますから」
「ちょっ……昨日の今日でそれを掘り返すの、意地が悪くありません!?」
「あはは、まぁそれが出来るくらいには仲直り出来たってことじゃない? ここで私だけ外れるのも気に食わないし、私も聞いていくよ。凍結睡眠、ねぇ……話くらいは聞いたことあるけど、まさか実用化まで五十年、六十年も遠い昔に済んでるだなんて知らなかった」
誤解を生むわけにはいかないな、と眉を顰めてアークロイヤルが困惑気味のシャーロットに補足する。
「刻の、勘違いをするな。――そんな技術は確立されていない。理論はあっても臨床例だなんて聞いたこともない。つまるところ紅蓮のがこの場に立っていること自体が、奇跡、或いは何かしらの確信の上で成り立ったものなんだ」
「……なるほど。それで初めての成功例か――事は大分理解できたよ、補足ありがとうね」
そう、残って話を聞くと自分の立場をそれぞれのメンバーが明確にしていく中で、オニギリだけが首を横に振る。訝し気にシリカを睨んでいた表情は――どこか哀愁さえ漂うへと変貌していた。少し驚いたような顔でアリカがオニギリを見たが、オニギリはそれを一瞥するだけで地面へと視線を落とし込んでしまう。
「お嬢ちゃん。きっとそりゃ、悩んだり、色々決断したりした結果なんだろう。お前は坊主と喧嘩して――人の立場を、感情を思う事を知った。そんな苦労をしたんだってことは分かる……ああ、実に――人間らしくなった、前よりもずっとな。きっと今のお嬢ちゃんなら、この間の坊主と喧嘩した時間に戻ったとしても、上手くオブラートに包んで、あんな騒ぎなんて起こさずに話をできるだろうな」
ぴくりとシリカの眉が動く。不快にそうな瞳でオニギリを睨む彼女は、余計な事は喋るな、そう視線で語っていた。白いドレスから伸びた細い腕は胸の前で組まれており、その指先がとんとん、と苛立ったかのようにリズムを刻む。そのリズムの度に、腰まで伸びた黒い髪がゆらゆらと揺れた。
「――別に俺はお嬢ちゃんのことを否定なんてしねぇさ。ただ、自分が正しい、間違ってない、そう進んだ道の先に良い結末が待ってるかと言えば違うんだよ。お嬢ちゃんには――ここで話を聞くことを止めて、俺達と楽しくゲームをして遊んで、そのまま平凡に……まぁお嬢ちゃんはもう平凡って人生でもねーかもしれんが、そういう風に過ごす選択肢もある」
「話を聞かないで、知らないまま――分からないままでいる、そんな選択肢ですか」
アリカには考えもしていなかった選択肢だったのだろう。驚いたように瞳を見開いてから、ゆっくりと一回頷いた。そうだ、確かにその選択肢もある。
だが、ラインハルトと仲直りをしてから、常に自分にとってその選択が間違いではないか、気持ちが感情に揺れ動かされていないか、或いは流されるがまま選択肢を選んでしまっていないか、アリカは考えてきた。故に、選択しない道筋があるだなんてことは考えもしていなかったのだ。
「――ご心配ありがとうございます。それでも、これは私が聞かないとダメなことなんです。なんでそんな凍結睡眠だなんて先例がないことをしなくちゃいけなかったのか。両親についてもそうですし、知らなくちゃいけないことが多すぎて……分からないままだと、とても後悔する気がしているんですよね」
「……ああ、そうかい。後悔するのは嫌だよな――なら仕方ねぇ、黙って俺も聞いててやるか。仲間外れは勘弁だ」
苦笑したオニギリはどかっと地面へと座り込む。アリカはそれを見て、手間を掛けますねと笑って見せた。その傍らでは――シリカが冷たい瞳でそのやりとりを見下している。そんな彼女の口元が僅かに動いた。
「――ずるい」
その音は……いや、そもそも音ですらない唇の動き。それは誰も見ていない、誰も気が付いていない。押し殺して押し殺して、それでも表へ出てきてしまった彼女の叫びは、誰にも届かない。
自らの気持ちをリセットするかのようにごほんと喉を鳴らし、シリカはシステム・コンソールを起動した。オーナー権限を与えられている彼女は、運営とほぼ同程度のコマンドを利用することが出来る。無表情のまま、シリカは目の前に浮かび上がっている黒いコンソールパネルに対して、声によるコマンド起動を行った。
「意見が一致したので、案内します」
そして、アリカを含むメンバー全員が思ってもいなかった言葉を口にした。
「以降のログアウト処理は可能ですが、これから先のエリアは――シード・オンラインのシステム管理エリア外部への転送となります。ログアウト処理は推奨しません、転移先に設置されている転送パネルを利用して、接続地点と同等の場所からシード・オンラインのシステム管理内エリアへ再移動、そこでログアウトすることを推奨します」
「……ログアウトしたらどうなるんでしょうか?」
アリカが怪訝な顔をしながら同じ顔をしたシリカへと問いかける。
「基本的には何も、普通にログアウトも出来ますよ。――ただ、データ更新のタイミング次第では永久にログイン不可状態になるかもしれません。……あぁ、過去に流行ったログアウト不可能のゲームにはなりませんからね、意識喪失セキュリティ機能をイノセント社にて認可されているデバイスでしか、このゲームには接続できませんから」
誰の返事を待つこともなく、シリカはコマンド起動用のワードを口にした。
「――<LucentHeartSystem open. Transferring to the first seed world. ――"/etc/seed_online/init.rika connection">」
視界が切り替わっていく。瞼を閉じたように、視界が黒く塗りつぶされる。
そんな世界の中、オニギリは――困ったように溜息を一つ、ひっそりと零した。
「(シリカのあの目、ほぼ確だな。俺が負けた紅蓮の魔王はアリカじゃない、入れ替わったシリカだ。……で、あいつは、百年とか戯言を口にした)」
これは俺が語るべきではない。あくまでほぼ確定、というだけだ。百パーセントではない。オニギリは自分の想像が上手い事外れてくれることを祈りつつ、視界が明るくなるのをただ待ち続ける。
「(――理屈が通っちまうんだ。お嬢ちゃんが知った話を正として、都合よく冷凍睡眠に入る原因を忘れるか? あまつさえ――そんな五十年、六十年も眠ってたお嬢ちゃんが、起きたばかりの現代で違和感を抱かず生活できる?)」
――アリカの話を聞いた直後からオニギリが抱いた違和感はそこだ。五十年。それは人の一生のおおよそ半分であり、AR、VRが世界に生まれ、爆発的に普及した期間でもある。五十年前とも言えば、街中を歩いてもホログラフ広告だなんてものは存在せず、決済手段は現金やクレジット、一部で普及している電子マネーだけな筈。
「(失われているのは凍結睡眠される五十年前の記憶。で、お嬢ちゃんに在るのは――凍結睡眠で本来であれば知り得ない、ここ数年間の発展した現代の記憶)」
何も見えない暗闇の中でも、腕の感覚は合った。
オニギリは気だるそうに頭の裏へ両手を回す。
「(最後に、運営である株式会社イノセント。――このゲームとは別で目標として打ち出してる方針、もう一つの世界をだなんてものがあったな。……シリカが至極稀な確率で生まれた存在じゃない限り、運営までグルで決まりだ)」
ただ、そうなるとシリカは。
オニギリはへっ、と乾いた笑いを零すことしかできない。
――こんな予想外れてくれよ、頼むから。そう、オニギリは鬱然とした気持ちで視界が晴れるのを待つのだった。
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