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魔王アリカは怠惰に暮らしたい  作者: 398
魔王アリカは怠惰に暮らしたい
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2話 / 初めてのMMOは単純作業の繰り返し


 見渡す限りの緑の中に篠原里香はいた。視界に移っているのはいくつかの半透明な青いパネル。どう進めていいかも分からないので、里香はいくつかのパネルを操作して、ヘルプウィンドウを起動する。起動したそれらを見比べていき、自身――初心者に向けてのものらしい、シードオンライン・チュートリアルと表示されたウィンドウに目を落とす。


「……これはあなたのもう一つの世界です。メインストーリーを進めるもよし、PvPに目を向けるのもよし、生産をするのもよし。好きなライフスタイルを探しましょう」


 なるほど、と里香はため息を零す。これを読み進めていっても自分のやりたいことは見つからなさそうだ、とそっとウィンドウを閉じた。そして視界の右下に存在するパネルからログアウトボタンを押下する。直ぐにログアウトできるものかと思ったが、また別のパネルが目の前に浮かび上がってきた。


「あー、なるほど。ログアウトは戦闘中に行うとペナルティが発生すると……今は問題ないですね」


 確認ボタンを押下した。ゆっくりと視界が暗転していき、元の自分の部屋へと帰ってくる。

 装着していたヘルメットのような器具を外すと、里香は部屋の真ん中に置かれたベッドから起き上がり、冷蔵庫に入れられていたペッドボトル入りの水を軽く口に含んで喉を湿らせる。キャラクターを作成したはいいが、このままでは結局飽きて辞めてしまいそうだ――自分はまだ十七歳。高校へ再入学することもできる。人と話すならそっちでもいいかな、と苦い笑いをした後に、再度ベッドへと戻って横になった。


「……あ、そうだ。ルーセントハートさんのバグっぽいことだけ報告しておこうかな」


 リンカーからARのブラウザを起動し、シードオンラインで検索して運営会社のホームページを見つける。お問い合わせから先程起きた現象――バグらしき発言の数々など――について記載し、送信。これでもういつでも辞められる、里香はそう思ったが、まだ一回も魔法のようなファンタジーを味わってないなぁ、と再考した。せっかくのVRMMOなのだ。自分が今まで体験したことがない世界なのである。


「ちょっと調べましょっか……最も、私が飛ばされたリインカーネーションの森って未踏破区域って言ってたんで、情報あるのか分からないんですけど」


 そうして里香はインターネットの海を、シードオンラインの情報を求めて彷徨うことにする。一番初めのレベリングや、VRゲーム初心者に向けて、などの解説サイトをいくつもいくつも見渡し、そして今現在のシードオンラインのバージョンで解放されているマップなどにも目を通す。時間というものはあっという間に過ぎるもので、気づけば既に深夜零時を回っていた。


「……ちょっとだけやりましょ、ちょっとだけ。知ったことは試したくなるやつですね」


 リンカーを操作してアラームを設定する。一時間もあれば試したいことは全部できるだろう、と判断した結果だ。そして再度、機器を頭から被ってログインする寸前で気づく。――課金していない、と。金額も微々たるものだし別にいいか、くらいの感覚で里香はブラウザ上から自身のアカウントの月額課金機能をオンにした。簡易的な手続きで支払いは完了し、課金による機能が有効化された通知が届く。

 そしてようやく里香はシードオンラインへログインしなおした。


 真っ白の世界に包まれた後、視界が開けていく。そこにはログアウト前と変わらない緑の海。一体どれほどの広さを持っているか分からない森の中だ。その中で、里香は自分の情報を確認していくことにする。まずは――自身の身体の接続レベルについて。

 VRMMOは神経を電子世界へ繋いでいる。そこで、電子世界のアバターを動かす為の個人差が発生するのだ。簡単にいえば、接続レベルが低い状態は身体の動きが鈍くなる。反射的な行動も、すべて。逆に接続レベルが高ければ、現実世界よりもスムーズに身体は動き、そして反射的な行動も高まる、というもの。最も、接続レベルというもの自体がVRMMO界隈における造語のようなものだ。これくらい身体が動かせれば、これくらい反射神経ゲームで結果が出ていれば、程度の指標でしかない。


「……身体。うーん、よく分からないですけど違和感は全然ないですね。寧ろ、現実よりも感覚がいい感じ?」


 里香は両手を構えてボクシングの物まねをしてみたり、落ちていた木の枝を拾って剣のように振り回してみたりする。散っている葉っぱ目掛けて枝を振れば、ただの一振りも葉を外すことなくぱしんという軽快な音を立てて振った枝が命中した。その結果に満足した里香は、接続レベルは気にしなくて良さそうですね、と枝をぽいっと捨てて、シードオンライン内臓のブラウザから反射神経測定ゲームを起動する。


「えーと、反射神経。真ん中の十字マークが変わったらタッチ――」


 結果を比較するため、里香はログインする前にリンカーのブラウザで同じゲームをしている。その際の結果は、平均0.23ms。平均よりもわずかに遅いくらいだった。数回のテストを終えて、結果として表示された数字を視界に収め、里香は思わず頬の端を歪めてしまう。


「……これ、プロゲーマーになれるのでは? 私の場合、働かなくてもいいのでモチベは出ないのですけど」


 ――0.002ms。人間の反射神経の限界は0.09msと言われている中で、この数字であった。最も、神経レベルで電子世界へと繋いでいるVR上での平均値は、0.15msと現実世界よりも早くなる傾向がある。ただ、それでも、里香の0.002msという数字は異常だった。里香はその事実に優越感を感じつつブラウザを閉じるだけで終わってしまう。


「接続レベルは問題ないですね、次!」


 とんでもない数値を叩きだしたのにも関わらず、里香はそれを軽く終わらせて自らのスキルの確認へと移っていく。

 シードオンラインでは感情、思考からスキルの発動が可能となるらしい。自らの持つリミテッドスキル――尽きぬ焔の約定を起動するため、里香は心中で強くイメージする。燃え上がるような炎を、自らの目の前に燃え上がる、赤い炎を。すると――目の前に焔が浮かび上がった。人の頭ほどあるそれは自由に動かせるようで、里香の意識した通りにすいすいと動かすことが出来た。

 今度は自らの右手が炎に変わるイメージ。それに応えるように、突き出した右手がぼっという着火音の後でごうごうと赤い炎に包まれて燃え始める。熱さは感じなかった。そして、里香のライフポイントが減ることもなく。


「……ファンタジーですね。ゲームらしくて好きですよ、こういうの」


 実際に使ってみて、なんとなくスキルの概要を里香は理解する。尽きぬ焔の約定。レアリティは最高のリミテッド、スキル種別はパッシブ――常時発動のこと。自在に炎を操り相手にダメージを与えることが出来るようだ。

 ただ、このシードオンラインにおけるスキルの説明は、ただの概要でしかない。スキルごとの本質は実際に使っていって、理解していくしかないのだ。それぞれスキルごとにマスクデータ(隠されたデータのこと。ユーザーは確認することができない。シードオンラインにおいては、好感度、ユーザー固有の反射速度などがある)が設定されている。スキルを使用するごとに熟練値が溜まっていき、一定値を超過することにより新たな利用方法、特性がスキル説明欄に出現したり、スキルの性能が変わったりする。

 ――尽きぬ焔の約定はリミテッドスキルだ。それに恥じない性能を備えているのだが、里香が気付くのはもう少し後になる。


「黄金の心臓は名前と説明の通り、スタミナ消費がゼロですね。ざっくり攻略サイト見た限りですけど、これどっちも私が持って良いものなのか――そもそもこのスキル自体、データベースにありませんでしたし」


 ルーセントハートが里香ならば、と点動というスキルを選んだ理由もここにある。何せスタミナ消費自体がゼロになるのだ、攻撃や防御は焔の約定に任せ、緊急回避、移動は点動に任せてしまえばいい。これは里香が例外なだけで、普通の初心者は自分が使いたい武器ないし、魔術系統のスキルを取得していくことになる。そして生産系のスキルなども含めれば、おおよそ十程度は取得済みになっているはずだった。


「……まぁ、自分だけの秘密にしておきましょう。目的は人とのコミュニケーションなので、なんとかしてこの森を出て、初めの街に辿り着かないと」


 里香は森の中を歩く。当てもなく歩き進んでいく。オートマッピングとか、方角を知るとか、有りふれたゲームに標準搭載されていた機能はシードオンラインにはない。正確に言えば、アイテムを使えば可能であるが、初心者がそんなものを持っているわけはない、だ。一時間くらい歩き進んで何も見えなければログアウトしてシードオンラインなんてアンインストールしてやる、と里香は鼻息を荒くして森の中を歩き進む。


 そして、唐突にそれは目の前に姿を表した。筋肉質な緑色の肌、そして尖った長い鉤鼻。黄色い瞳孔がぎょろりと動き――里香を見据える。攻略サイトを見ていた時に、初心者向けの練習相手として紹介されていたゴブリンだった。武器がない里香は、こんな感じだったか、と右手を前に出して雰囲気だけの構えを取る。どうやら無為に時間を消費してアンインストールすることにはならなさそうだ――そう里香は意気込んで、シードオンラインで初めてのモブ狩りに挑む。

 だが、当人は忘れていた。正確には意識の範疇外にあったのだ。このエリアが未踏破エリアだということを。


「ギィ……!!」


 ぼこ、と緑の肌が膨らんだ。その肉体はまるで鋼の鎧。ゴブリンがギリ、と力を込めて大地を蹴って飛び出す。

 砂埃が舞いつつ高速で突っ込んできたそれを――里香はただ、視線で追うことしかできなかった。


「(――見えます、けど、身体が動かな……!?)」


 シードオンラインにおける里香のレベルはたったの一だ。そして相対しているのはただのゴブリンではなく、およそレベルは三十を超えているゴブリンの上位種、ゴブリン・ファイター。いくら人間離れしたゲームの適正と反射神経があろうとも、そもそもの基礎スペックが違う。あまりにも鈍重な自らのアバターの動きに顔を歪めた里香。目の前の現実は変えられず、アバターの急所――心臓の位置をゴブリン・ファイターの正拳突きが穿ち抜く。


「……でも、死んでない。これ、焔の約定の効果ですね!」


 破砕したアバターのポリゴンは散らなかった。そして、里香のライフポイントもほんの僅かしか減っていない。正拳突きを受けようとした瞬間、里香の身体が燃え上がり炎と化したのだ。燃え盛る炎は舐めるようにゴブリン・ファイターへと移り、緑色の肌を焼き焦す。咄嗟に里香は炎の槍を作り上げ、超至近距離のゴブリン・ファイターへと何本も打ち込んでいく。あの硬そうな皮膚を突き破るにはただの炎の玉ではだめだ、そう思ったから槍の形を取ったのだ。

 だが、残念なことにレベル差は無情である。ほんの僅かしか相手のライフポイントが減らない。


「なるほど、ダメージ自体は極小でも、火傷? によるダメージは入ってますね――」


 ひたすら相手の攻撃を自らの体の炎化で受け止めつつ、そして火傷によるスリップダメージで相手が死ぬまで、里香は何度も何度も同じことを繰り返し続けた――。


 ……


 里香がシードオンラインにキャラクターを作成して丁度一ヶ月が過ぎた。重い体を起こし、里香はカーテンを開ける。眩しい朝の光に目を擦りつつ、玄関まで寝癖のついた頭を掻きながらすたすたと歩いて行った。玄関に設置されているパネルを何回かタッチして、右手の薬指に嵌められたリンカーをパネルへと翳す。三分ほどそこで欠伸をしながら待っていると、パネルから軽快な電子音が響いた。


「……やっぱり朝はコーヒーですね。あとパン。全然健康的じゃないんですけど、気分はエリートなサラリーマンです」


 電子パネル隣の木製の扉を開ければ、そこには小さな缶コーヒーとサンドイッチが並んでいる。このマンション備え付けのスピード・デリバリーだった。各種コンビニと提携し、高層マンションのどこでも直接届ける、といった高級マンション限定の機能だ。さらに言えば、コンシェルジュさえもこのマンションには常駐している。クリーニング、各種旅行の事前準備から手配まで、面倒ごとはだいたい任せられるサービスだ。

 リビングのど真ん中に置かれた大きなベッドに座り、里香はコーヒーとサンドイッチで朝食を済ませる。その後、後味が残った口内が不快だったので、軽く口を濯いでから――この一ヶ月で朝のルーチンとなっているネットサーフィンを始めた。


「もう五月ですか……時間が過ぎるのは早いですね、ほんとに。つい二ヶ月前まで寝たきりだったなんて、信じられませんねー」


 まずはシードオンラインの公式ページ。イベントの情報やら、今後のアップデート予定やらに目を通す。目新しい情報はなかったので、次は攻略サイト。新規スキルにめぼしい情報が出てないか確認したのち、公式掲示板へと進んでいく。どうやら遂にギルド――プレイヤー同士のグループにアップデートが入るらしい。二周年記念を時してのものだそうだ。これまでは貯めるだけしかできなかったギルドポイントを利用して、各種アイテムを購入することができるとか。


「……二年経ったゲームを一ヶ月もそこそこプレイして、まだ一人のプレイヤーにも出会えていない私は運が悪いのか、それとも私が進めるの下手くそなのか」


 ため息を溢しつつ、里香はシードオンラインにログインするためにブラウザを閉じて機器を頭に装着。

 そしてとんとんと二回、リンカーが嵌められた右の指先で機器を叩き、シードオンラインを起動した。


 もはやこの一ヶ月で見慣れた森の中に里香――いや、アリカ・ルーセントハートはよいしょ、と降り立った。

 この一ヶ月、アリカがリインカーネーションの森で何をしてたのかといえば――ひたすらレベリングだった。それはもう、たっぷりと時間をかけてゴブリン・ファイターやゴブリン・ウォーリアー、ゴブリン・マジシャンを何匹も何匹も焼き殺した。その甲斐もあり、里香のレベルは既にカンスト直前の四十八まで上がっている。おまけに里香の背中には――ゴブリン・ウォーリアーがドロップした巨大な斧が装備されていた。デザイン面で言えば無骨な鉄の塊であまり良くないが、性能としてはそこそこである。


「そろそろ――挑みましょうか、あれ」


 ログインした場所の目の前には、既に風化したようなデザインの遺跡のようなものがあった。アリカが銀の髪を風に靡かせながらそこに足を踏み入れようとすると、視界いっぱいに警告メッセージが浮かび上がる。

 ――警告・ボスフィールドへ移動します。推奨レベル五十、フルレイド・パーティを推奨。

 通常のパーティは三人から構成される。レイド・パーティが五名、フルレイド・パーティが十名。つまり、これからアリカが挑もうとしているのはカンストした十人パーティを想定したボス戦ということであった。それでもアリカは躊躇いなく、はい、のボタンにタッチする。自信過剰という訳でもない。ソロプレイに拘っている訳でもない。何か記録を打ち立てたい訳でもない。ただ、アリカはそれ以外にやることがないから、それに挑もうとしているのだ。


「……随分と古風なアリーナ、いえ、闘技場でしょうか」


 円形のステージの中央に里香は経っていた。直径はおおよそ百メートルほどか。石畳の地面は所々に罅が入っており、強力なスキルを受ければすぐに壊れてしまいそうだ。辺りを見渡せば観客席には人の影ひとつなく、円形のステージを囲うように打ち立てられた巨大な柱だけが、青く輝いていて目立っていた。しばらく立ち尽くしていると、天から降り注ぐように、威圧感のある男の声が響く。


「流転の守護騎士よ。神聖たる転生の森、その領域を侵すものが現れた」


 アリカの視界に影が落ちた。天から降り立ったのは、眩く輝く白銀の鎧を纏った騎士――。

 彼は腰の鞘から剣を引き抜くと、それをアリカへと突きつけ、高らかに宣言する。


「土足でこの森に足を踏み入れた者よ、其方の目的はわからないが――守護騎士を拝命した私がいる限り、その行いは見落とせないものだ」


「……随分と大層な口上ですね。生憎、私だって好きでこんな座標もわからないところに来てる訳じゃないんですよ、あなたを倒せば私を始まりの街とかへ飛ばしてくれますか?」


「よくわからないことを言う。……そもそも、このリインカーネーションの地は自然にとは辿り着けぬ。大樹の元に結界を張っているのでな、そのような世迷言はよせ。私が、お前を討つことに変わりはない」


「つまり、あなたを倒してその結界から出る方法を聞けば良いと。いいでしょう、十人推奨が何のものですか。そろそろ私だって、誰かとコミュニケーションしつつゲームを進めたいんで、絶対倒して見せますから」


「……リインカーネーションの守護騎士――ユークリッド、参る」


 ――結論から話そう。アリカは僅か数分持たずにユークリッド相手に全滅した。一人なので全滅、と言うのもおかしな話であるが。馬鹿みたいな攻撃の弾幕に一撃一撃が重い。そしてユークリッドのスキルが一度飛んでくれば、尽きぬ焔の約定と言えども完全に無効化しきれない。負けパターンだが――被弾により尽きぬ焔の約定が発動、身体の炎化によりダメージの超軽減、そしてマナ消費を繰り返し――マナが枯渇。被弾を回避しきれずライフポイントがゼロ。そりゃそうだ、これはフル・レイドパーティを対象としたボスなのである。当然、一人で捌き切れるほどの攻撃量ではない。


 遂にキレたアリカはログアウトして頭に被っていた機器を放り投げた。無様に暴れたりなどはしないものの、その顔には不満で不満で仕方がない、とむすっとした感情が溢れ出ている。そのまま立ち上がり、ばしゃばしゃと水道水で顔を洗う。そして冷蔵庫から冷えた水を取り出すと、一気に半分ほど飲み干した。


「クソゲーってこういうことを言うんですね、理不尽でしかないです。ああ、もう、あぁ……!」


 実際、ユークリッドは例えフル・レイドパーティで挑んでも高難易度に該当するボスだ。広範囲・高威力のスキルに防御無視の大ダメージを与えるスキル、さらに里香はまだそのフェーズまで辿り着いてすらいないが、俗に言うDPSチェック(一定ダメージを一定時間以内に与えられているか、を指すゲーム用語。DPSチェックに失敗すると大体死ぬ)まである。


 そうして里香はボコボコにされた不快感と悔しさをバネに、やるぞやるぞ、と気合を込めてログインしては再度叩きのめされてキレてログアウトすることを二週間繰り返した。……そう、二週間も同じことを飽きずに繰り返したのだ。本人でこそ廃人という自覚はないが、既にログインしている時間を換算すれば、随分と頭がおかしいレベルまで来ている。何せ起きてる時間は全てシードオンラインにログインしていて、仕事の縛りも何もないのだから。


 二週間経った日は丁度、二周年アップデートの中でもスキルに関わる大きなアップデートがある日だった。シードオンラインの運営会社であるイノセントでは、アップデートの最終チェックとして、ユーザーへの影響度検証を改めて行っているところだ。東京都渋谷区、道玄坂付近にあるオフィスビルの一室でキーボードを叩きながら、眠そうな眼をした短い金髪の男が、自らのデスク状に備え付けられた大きなモニターを眺めている。


「……ユーザー数もだいぶ増えてきたっすね。月一のバッチ実行のスパンも短くしたいんっすけど、いろんなテーブルからデータ集計しないといけないから難しいんだよなぁ」


 眺めているのはシードオンラインで突出したユーザーの一覧だ。それぞれキャラクターのスキル数、パラメータ、ログイン時間などがグラフ化されている。

 機械学習させた一般ユーザーの括りから溢れでた、いわゆる廃人の一覧であった。その中でも――ログイン時間。キャラクターの作成を起点として、日割りしたログイン時間が馬鹿みたいに一人飛び抜けているユーザーがいた。キャラクターの名前は――アリカ・ルーセントハート。

 それを見た瞬間に、眠そうだった男の瞳が見開かれる。


「え、ルーセントハート? 基幹AIの名称はシステム的に設定不可のはず……誰だ、このユーザー。社内の人間が本番データでも弄ったか?」


 キーボードを叩く音が強まっていく。

 タン、と言うエンターキーを叩く強い音に続いて、アリカ・ルーセントハートのユーザー情報が開示されていった。


「……篠原、里香。あれ、待てよ、篠原――!? おいおいマジかよ、本当に動いた訳!? てかなんで先月のバッチ実行時点でアラート上がらないんだよ、バグってんだろ! ルーセントハートの管理権限持ちって誰だ、基幹システム統括部の、そうだ、藤堂さんだ!」


 男のいるオフィスの扉が開かれた。会議が終わったのだろう、良い体格をした男を先頭に次々と入室してくる。

 その男は、どこか焦った様子の金髪の男性を見つけると、呆れたようにため息を溢しながら近づいてきた。


「林田。そろそろお前もそんな古いパソコンにキーボードだなんて使ってないで、リンカー内蔵のARに切り替えたらどうだ? 持ち運ぶのも不便だし、そんなにパチパチとキーボードを叩いていたら疲れるだろう。それに、ホログラフ・キーボードの方が場所も取らない」


「いいんっすよ、統括にこのロマンはわからないって知ってるんで――じゃなくて、統括ってすぐ基幹システム統括部に連絡取れます?」


「なんだ、障害でも起きたのか。それにしてはアラートも何も上がっていないが……ステータスはオールグリーン、いつも通りのシードオンラインだ」


「違うんですよ、障害とかじゃなくて。基幹AIのルーセントハートと同じネームをしたユーザーが出てきました、あれっすよね。四半期集会でいつも口すっぱく言われてる、発生を確認した時点で、何よりも優先して基幹システム部へ連絡を取れ、ってやつっす!」


「……なるほど。いつ来るか分からなかったが、この二周年のタイミングか。よし、林田、私と機関システム部に行くぞ。もしかしたら稼働が増えるかもしれないが、頑張れるな?」


「そんな前時代的なことやめてくださいよ、統括ってば。サビ残も超稼働も反対反対! そもそもオフィスに出勤って時点で古いんですからねー」


 そうして、今まで観測されていなかったアリカ・ルーセントハートが遂に捉えられた。この時をもって、ようやく里香の物語は再度回り始める。本人の知らないところで、本人の知らない情報を握った誰かが、動き始めるのだ。



Tips: ホログラフ・キーボード / ノート・パソコン


 キーボード配列をAR技術を利用して投影し、指の位置をセンサーで感知する非接触型のキーボード。安価なリンカー搭載のものだと指がスカスカと抜けてしまうため、テーブル上でないと使いにくい。高価なものであれば感知した瞬間に神経を介して指に静止信号が送られてるため、いつでもどこでも快適にキーボード入力ができる。


 元々は数十年以上前に世界規模で広がった感染症により、個人個人で感染症対策が必須となった結果として開発されたもの。街中でもこの技術は幅広く応用されており、タッチパネルは厳密には触れずに指を指すだけで利用できるし、電気自動車の中にはホログラフ・ハンドルなど搭載されたものも存在する。


 作中の時代においてノートパソコンは化石のような扱いを受けることも少なくない。なぜなら、全てリンカーがあればAR上で完結してしまうからである。ハイスペックな処理が必要であれば、リンカーとは別契約でクラウド上の計算バジェットを利用することもできるし、モニターを増設しなくてもAR上でウィンドウを増やしてしまえばそれでOKだからだ。


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