18話 / 才能の欲望
病院の帰り、里香は港区の市役所へと立ち寄り、両親の死亡届を払い出して貰った。栗山の言う通り、リンカーを利用して申請をするだけで待ち時間も殆どなく手続きが完了し、直ぐに名前が呼ばれて受け取ることが出来た。七月三十一日――確かに栗山が言っていた日付と差異はない。
市役所からの帰りのタクシーの中で手早くリンカーから日常品の注文を済ませた里香は、他に寄り道をすることもなくそのまま自らのマンションへと帰宅する。薄着をしたつもりだったが、慣れていない暑さは里香の身体には堪えた。直ぐに服を脱ぎ捨ててそのまま温めのシャワーを浴び、いつもの寝間着であるワイシャツ一枚に着替えて、そのままリビングのベッドへと座り込む。
「あー、髪の毛乾かさないといけないんですけど……夏ですし、そんな風邪だなんて引かないですよね」
そうして里香は、改めて日中からシード・オンラインへログインすることを決めた。部屋の隅に詰まれたゴミ袋、洗っていない着替えは無視をして。遊びたい感情が里香の中で勝ってしまったのだ。後でやればいい――そう自分に言い訳をして、VRMMOの世界へと里香は再び接続する。
……
「自分のハウジングを手に入れたはいいんですけど、このドレスじゃあ和風の家には大分浮きますよね。和服系の装備があれば欲しいんですけど、どこに行けば手に入るんでしょう……」
ログインして早々にアリカは頭を悩ませる。大抵、貴重な装備は後から手に入るものだ。或いはプレイヤーが開いているマーケットで購入するか、など。それくらいの認識はアリカにもあったのだが、いかんせん本当に和服があるのか、マーケットはどこを見ればいいのか、いまいちピンと来ていない。
別にブラウザを開いて検索すれば出てくるのだろうが、それをしてしまうと流れ作業になってしまう気がして、どこか気が引けてしまった。せっかくならば楽しい思いをしつつ、メインクエストを進めて、自分が行ける街を広げていきたいのだ。ずぶずぶとVRMMOの沼に自分が両足――いや、肩まで浸かりきっているなどとは露ほども思わず、アリカは一番初めのメインクエストを受ける為、インベントリから取り出した帰還の鍵にマナを込めて、自らのハウジングエリアを後にする。
灯台下へと戻ってきたが、装備を変更するのを忘れていた――慌てて里香はインベントリに格納されていた初心者向けの装備である地味な皮服などの一式を身に纏い、歩を進めていった。
目標は簡単だ。グラスに教えてもらったマナ・ストリームへと接続である。そこまで進めればプレイヤー間のメッセージの送受信が解放されるからだ。ひとまずそこまでいったら、シャーロットに和服の入手手段を教えてもらう腹積もりである。
アイゼンベルクの街から出たアリカは、晴れた仮想の空の下を徒歩で移動する。おおよそ十分ほどだろうか、始まりの街が見えてきた。道中ですれ違った初心者に頑張れーと応援して見たり、どんなスキルを使うのか観察してみたり、つまらない道中ではなかった――。そして始まりの街で入り口の案内板に目を通し、村長の家へと向かっていく。
村長の家へとノックして入り込んだアリカを迎えた、齢八十を迎えそうな老人だった。話を聞くに、森の様子がおかしいから旅人であるアリカに見てきて欲しいとのこと。申し訳なさそうに依頼する村長の姿は、本物の人間のようだ。枯れた声に、深いしわが刻み込まれたその表情。とても、それがAIとは思えない。ゲームにログインしている、その事実を覚えていなければ本物の生きている人間だと錯覚してしまいそうなほどに。
「……それにしても、大人気VRMMOっていう割にはそこまでプレイヤーの方々が多くありませんね」
依頼を受けたアリカはすぐに始まりの森へと向かい、緑の海の中を、クエストの指針――視界上に表示されているコンパス、赤い針が刺す方向の事を指針と言う――を見つつ、着々と奥へ奥へと進んでいく。
プレイヤーが少ないのはメインクエスト、サブクエスト事にインスタンスエリアが切り分けられているからだ。シード・オンラインを構成する基幹サーバー群と、何十万台もの端末から提供される計算バジェットが織り成す、究極の拡張性が実現する負荷軽減技術である。
短所もあり、現行の最新バッチをクリアしたプレイヤーが集まるような街は、メインクエストの有無でエリアを振り分けられない為、相応に人が多い。だが、始まりの街などは大概メインクエスト進行中のプレイヤーが多く、インスタンスエリアに振り分けられるためそこまで多いプレイヤーがいる様には見えないのである。
木陰から飛び出してきたゴブリンや大きな角を持つイノシシを紅蓮の槍で焼き払いつつ、アリカが辿り着いたのは始まりの森の奥、大きな切り株が中心にある開けた場所だ。そこでは既に他のプレイヤー達がおおよそ三メートルはあるだろう木の化け物と戦っており、接戦を繰り広げていた。どうやらイベントエリアのボス・フィールドのようである。
ぽん、と立ち上がったウィンドウをアリカが見てみれば、フル・パーティ、レベル五推奨らしい。一番最初にルーセントハートによって飛ばされたリインカーネーションの森での、超スパルタ式レベリングでカンスト済みのアリカには枷にならない値である。
暫く先に辿り着いたパーティの様子を見ていたアリカだが、タンク役である騎士が盾を太い枝に弾き飛ばされ、そのまま体を撃たれて吹き飛んだ時点で、声を掛けることに決めた。この時点でタンクは行動不能に近く、残っている回復薬と攻撃役ではボスの攻撃を裁けないだろう、と判断したのだ。
「ん、ん……おい、お主ら。助けはいるか、必要なら手を貸してやる」
「君はタンクか!? ……すまん、一瞬だけ頼みたい、こっちのタンクが立て直すまで――」
申し訳なさもあったのだろう。両手に短剣を持つ攻撃役の男が返事をした。だが、了承したということを聞き遂げたと同時に、その先を聞くこともせず――腕を組んだままのアリカの背後から生み出された十数本の燃え盛る紅蓮の槍が、暴れるボスモンスターである木の化け物、オールド・トレントを打ち砕いた。僅か一瞬でボスのライフ・ポイントが全て吹き飛び、消し炭になっていくそれを、先についていた初心者パーティは呆けたような顔で見ていた。
「……横入りしたようで悪いな。気分を損ねたならすまない――余に入った報酬は全て置いていく、これで許せ」
手早くインベントリを操作して、今しがた入ったばかりのアイテムをその場に落とす。オールド・トレントの良質な木材、普通の木、そして幾ばくかのダラー。困惑で返答が出来ない三人を尻目に、アリカは自らのメインクエストが達成されたことを確認すると、余計なことは語るまい、とばかりに背中を向けその場を去っていく。
「もしかして、紅蓮の――」
「――ああ、秘密にしておいてくれ」
先ほどの両手に短剣を持った男の問いかけに、唇に人指し指を当てた状態で振り向いたアリカ。悪戯気味な笑顔をしたそれは、とある初心者プレイヤーを虜にするには十分だったとか。思うが儘にロールプレイをしたアリカは、その帰り道で――ぐっ、と拳を握り締める。
「いやいや、ええ……紅蓮の魔王様、気持ちいいい……ッ!!」
にやついた頬を留められない。自らが圧倒的強者として立つこの世界で、思うが儘に振舞うことの気持ちよさ――それを知ったアリカは、もう対外的には全部これでいいですねと満足げにうんうんと何度も一人で頷いた。もうVRMMOの沼に肩までというか、頭の天辺まで浸かりきっている状態だ。
ご機嫌で森を出て村長の家で暴れていた魔物の討伐を報告したアリカ。クエストの達成報酬――無骨な片手剣と、鉄を伸ばしただけのような盾、そして万にも満たないダラーを受け取ったアリカは村長の家を出る。次のクエストの指針は、始まりの街とアイゼンベルグの道すがらにある洞窟の中だ。どうやらそこにマナ・ストリームへと接続するため必要なイベントがあるらしい。
「シャーロットさんが言ってたお使いって、こういうことですか。NPCや場所を行ったり来たりして、あまり目ぼしいというか、アクション的な要素がない、本当にお使い的な行動のことなんですね……」
移動しろとか、ボスを倒せとか。そういった単調なものばっかりこなしていたら飽きますよねー。そう内心で不貞腐れつつ、アリカは再度始まりの街を出て、アイゼンベルグへ向かう平原を進んでいく。そうして中ほどまで進んだところで――行きには見かけなかった人影が、道の隅、木陰でじっと自分を見ていることに気付いた。
男だ。明るい茶色の短髪をオールバックのように後ろに流した、筋骨隆々とした男。動きやすそうな民族衣装にもよく似たベストに、腹回りには少々汚れて見える包帯のようなものを幾重にも巻いていた。下は動きやすそうな膝下くらいの長さの麻のズボンに、くるぶし辺りを革ひもで固定することが出来るサンダル。
「……おい、そこのあんた」
びくっと反応しそうになるも、今の自分は紅蓮の魔王だ。そう、ただの篠原里香がログインして操作するアバター、アリカ・ルーセントハートではない。絶対的なリミテッド・スキルをその身に備え、そして正式に魔王という冠を受け取っている――紅蓮の魔王なのだ。それが道端の男に、あんた、そう呼ばれかけたのである。
「――人のことをあんたと呼ぶ前に、自分の名でも言ったらどうだ?」
その男は――ようやく当たりを見つけた、そう言わんばかりに頬を歪めるように笑う。それを見てアリカは、ああ、この男もある意味シャーロットと同じ人種なのだと判断した。何かしらの目的の為に、一心を通すことが出来るもの。その目的であれば多少の不都合なんて捻じ曲げ、その手に掴み取るだろう強烈な意思。
殆ど直感的なその思いに、アリカは呆れたように苦笑する。これはVRMMOだ。相手のプレイヤーから何かを感じ取るような第六感など在る訳がない、そう思考したからだ。だが、それを理解していても――目の前の男の笑みは餓えた獣のようで。きっと目的の為ならなんでもするだろう、そう受け止めざるを得なかった。
「これは……失礼した。俺の名はさ――いや、違った、すまない。チャーハン・オニギリだ」
「お前……それは、高度なジョークのつもり……なのか?」
「いや――キャラメイクをした時に腹が減っていて、食べたかったものが、それだっただけだ。ジョークでもなければギャグでもない」
大海の魔王――レモンサワー酔い助と同じタイプかと思わずアリカは苦笑する。きっとこのチャーハン・オニギリという名前のプレイヤーは、キャラメイクした時に食べたいものが豚骨ラーメンとかであればトンコツ・ラーメンになっていたし、焼き肉食べ放題に行きたかったらヤキニク・タベホーダイになっていたのだろう。
人のキャラ名に対して深く突っ込むのは失礼だろう――。それ以上の突っ込みをアリカは止め、偉そうに腕を組み、顎をくいっと少し上げて見せる。指先では自らの装備パネルを手早く弄り、宵闇のドレスを含む装備プリセットへ変更した。淡い光のエフェクトと共に、漆黒のヴェールが身体を包み――アリカを紅蓮の魔王としての姿へと変貌させる。
「――で、オニギリ。余に何の用事だ、わざわざ女を待ち伏せする男はモテんぞ?」
「単純明快だ。俺は自分の格闘技術に自信を持っている。で、あんたは――大海を除いて、多分一番強い。隠れているプレイヤーもいるのかもしれないが、俺の知っている中ではあんたが一番近い最強だ。だから、あんたと勝負をさせてくれ」
「ははは、余以外にも強者はいるだろう。刻に極光、それぞれが魔王だ。余に挑んで心を折られる前に、その二人を相手にしたらどうだ? それに大海を除いて、ってことは大海でもいいだろう」
「大海は引きこもってて捕まらないんだ。……それに、刻の魔王と極光の魔王はもう倒した。後はあんただよ、紅蓮の魔王」
――思わず、アリカの表情が強張った。
あのシャーロットをこの男が倒したって? 自らの死亡という絶対的な結末でさえ、刻の魔王としての権能で塗り替えることが出来る彼女が? 目の前、チャーハン・オニギリというふざけた名前の男に対する警戒度がアリカの中で跳ね上がる。だが、それが真実かは分からない、嘘と言う可能性もある。そう思考を繰り広げたアリカを、オニギリが頬に笑みを張り付けながら、軽く制して見せる。
「ああ、あんた、刻の魔王――シャーロットと仲が良さそうだもんな。プレイヤーネーム、シャーロット・シルクス。刻の魔王としてのスキルは、自らの死の否定だろう。生憎、俺には見えていたぞ――巻き戻っていく世界そのものが」
ぐっと拳を握り締める。本物だ。この男は本物で間違いない。シャーロットが以前言っていた、自らの死に戻りという権能を見破ったというプレイヤーだ。アリカで二人目――そして、一人目はこの男。恐れよりも先に、苛立ちがアリカの心中を支配する。自らの知らないシャーロット・シルクスをお前が語るな、そんな理不尽極まりない歪な苛立ちだった。それは、生まれたての子供の様な癇癪に近いだろう。
それに呼応するかのように、アリカの白銀の髪がばち、と火花を散らして燃え盛る。見開いた紅色の瞳は燃え上がるかのように煌々と閃いて、途方もないプレッシャーをアリカ本人の知らず知らずのうちに、オニギリへと与えていた。アリカの心中を見れるものがいれば、それは我儘な子供と同じだ――そう諭すだろう。だが、そんな心中を除ける人間などは存在しない。誰も、アリカにその事実を諭すことなどは出来ない。
故に、そのままアリカは自らの癇癪で感情を昂らせる。そして、それを一方に受けるオニギリは、ようやくやる気が出たか――そう半身を前に出しぐっと拳を握った右手を前に構え、左手を軽く開きながら後ろへ引いた。辺りで他のプレイヤーがざわめき始めており、どのインスタンスで紅蓮の魔王と正体不明の男がばちばち火花を散らしている、などと情報が広がり始め――事態はこのまま穏便に済まない決死の流れへと縺れ込んでいく。
「……ならば、余が教えてやろうか。驕り昂って、魔王に挑んでくる愚者の末路をな」
「ああ、是非とも頼むぞ。――こっちも、才能ってやつにはいい加減に飽き飽きしてたんだ。あんたが打ち砕いて証明してくれよ、上には上がいるってことを」
売り言葉と買い言葉。さぁ、もう穏便に事が済まされることは無くなった。オニギリは元より探し求めていた紅蓮の魔王を前に引くつもりは毛頭なく、そしてアリカもここまで御大層なセリフを吐かれたからには会話で済ませるなどするつもりもない。開始の合図はない。深く鋭い、しっ、という息をオニギリが吐き出したこと、それが始まりとなる――。
瞬時に頭が切り替わり、集中力が極限まで高まったアリカ。既にゾーンへと突入しており、異常なVR適正が元々おかしい数値のアリカの反射神経を、更に更に高めていく。単純な数値上ではこのシード・オンライン上で叶うものなどいないだろう。
――そんなアリカのアバター頭部が、一切のオニギリの初動を見切ることが出来ず、ただの蹴り一つで吹き飛ばされる。ぼっと爆発音が響き、ポリゴンとなって四散したはずのアリカの頭部が再度、炎の閃きを纏いながら復活した。アリカが食らったダメージは尽きぬ焔の約定による超軽減の恩恵を受け、微々たるものであったが――ダメージを受けるまで一切の動きが見えなかったこと、その事実がアリカを大きく驚かせた。
「ああ、やっぱりあんた、そういう軟体系みたいな感じか。じゃあ俺も手を変えるか、少しくらい抵抗してくれよ、魔王様なんだろ?」
「――抜かせ!!」
よくぞこの超至近距離でそんな喋る余裕だなんてあるものだ。そう言わんばかりに、アリカは紅蓮の槍を次々と解き放つ。だが、それを大きくバックステップを刻んだオニギリの拳によって次々と打ち落とされていく。ごん、ごん、と、ただの拳では在り得ない歪な音が連続して響き、直撃を与えた槍は一本としてなかった。
「随分と器用だな、てっきり余は――ゴリ押してくるタイプだと思ってたが、オニギリや?」
「生き残る自信があるから近付きもするし、勝つ目途もついているから戦いも挑むんだ。そこを筋道立てて論理的に計算できない奴は大馬鹿だろうな。ああ、褒めてるんだぜ、あんたにゴリ押しじゃ勝てないって認めてるんだ、喜べよ」
再び接近戦を挑んだオニギリの拳と、アリカの炎がせめぎ合う。互いが互いに致命傷を与えられない繰り返しの中、自らの拳を四度ほどアリカへ与えたオニギリの頬がぐっと吊り上がる。そして――僅かな青い粒子を纏ったオニギリの右ストレートが、一歩引こうとしていたアリカの左肩を捉えた。
こちらには尽きぬ焔の約定がある。だから、この被弾も問題ない。そんなアリカの想定が、脆くも崩れ去る。ぐっと目減りしたライフポイント、そして勢い良く吹き飛ばされていく自らのアバター。それはアリカの超軽減の一部を無効化した一撃だ。自らの拳に、紅蓮の炎に隠された真芯を捉えた感覚を感じ、オニギリはアリカを殴り飛ばした右手を高らかに掲げて見せた。
「真芯打ちってテクニックだよ、本来なら遠距離系の実体がないスキルを相手に自らのマナを乗せた攻撃で破壊する、って技なんだけどな。どうやらあんたにも効くみたいだ、本当なら理滅だなんて武器も欲しかったが……あんたがこの程度ならこれで十分だ、ほら、続きいくぜ?」
獣の様な笑みを浮かべて男が歩み寄ってくる。直ぐに駆けてこないのは不意打ちを警戒してだろう――アリカが炎の他にもマナの剣を使うことは、既に配信中に撮影されており、知れ渡っていた。オニギリからしてみれば、後は自らの攻撃を避ける技術を持たない相手に、ひたすら拳を当て切れば勝ちなのだ。余計なリスクを背負い込む必要だなんてなかったのである。
――なんで私が。アリカの心中はそれだけに満ちていた。羞恥、そして相手と自らに対する憤怒。この世界に訪れて初めて人間相手に敗北を喫しようとしている、その事実がどうしても認められない。距離が近すぎる、相手の動きが早すぎる、何度も何度も言い訳を子供のように零して――ぷつんと意識が途切れた、
直後、アリカの倒れ込んでいた位置に大きな大きな紅蓮の火柱が立ち上がる。煌々と辺り一面を照らすその炎は密度が高すぎて、その中のどこにアリカがいるのか窺い知ることは出来ない。奥の手か、そう警戒したオニギリはその場で一歩立ち止まり、いつでも戦えるよう拳を構えたまま、アリカの次のアクションを待った。
「ああ、実に嘆かわしいな。いやはや、実に愚者の立ち回りだ」
立ち上がり続ける火柱から影が一つ。それはどこか苛立ちを感じさせる表情を見せながら、呆れたようにため息を零す。白銀の髪に灼熱の炎を宿し、宵闇のような漆黒のドレスではなく、汚れ一つ存在しない純白のドレスに身を包んでいた。それを見てオニギリは、この一瞬で着替えるだなんて余裕を見せていいのか――そう、煽ろうとした。だがその口を――紅蓮の魔王の眼光が閉じさせる。先程とは別人のようなその鋭さに、オニギリはマジかよ、と舌を巻いた。
「あんた、手を抜いてた? 俺相手に?」
「余計な事なぞ語る口を余は持っておらん。ただそれでも一つだけ言うならば――私が私以外に無様に負けるだなんて許さない、そういうやつだ。互いに知恵を絞り、死力の果てに自らが尽きる……それならば、余とて納得するのだが」
「……最高だな、あんた、最高だ。さっきまでのあんたは隙だらけだった。いつでもどこでも、手を伸ばせば拳を当てることが出来るように感じていた。だけど今のあんたは違うな、カウンターの一つでも貰いそうだ。格闘技、未経験者じゃないだろう。何年やってた?」
「――百年」
薄ら笑いを浮かべた紅蓮の魔王、その左手に身長ほどはあるだろう紅蓮の赤槍が顕現する。左手で赤槍の中ほどを持ち、器用に両手でくるくると回した後、矛先をオニギリへと突き付けた。
「来い、下郎」
先程までと違いある程度の距離を保ってヒット・アンド・アウェイを繰り返すオニギリ。熟練者の如く赤槍を操り、時折急所目掛けて放たれる突きの一撃を上手く拳で払い飛ばし、二人の均衡が取られている状態が繰り返された。別人の如き立ち回り、そして槍の他にも放たれる紅蓮を纏った回し蹴り。オニギリは自らの脳内で、完全に別物を相手にしている、そう切り替えていく。
紅蓮の魔王が一撃を放つと同時に、蹴りであれば反対側の足が、槍であれば振り回し、突きと同じタイミングで両足が、ぼっと一際大きな炎を放っていた。一つ一つ拳で打ち落とすオニギリは、それが攻撃一つ一つの圧力が違う理由か、そう舌打ちをする。
「……いい加減に飽きたな、お前は頑張ったぞオニギリ、リスポーンしたら胸を張って言いふらしても良いぞ、余を相手に一発だけ入れた、とな」
突如として吹き付けた灼熱の風。それを全身に浴び、強烈な炎耐性装備を身に着けた状態でも目減りしていく自らのライフポイント。距離を取るか、そうオニギリが大きく背後へと飛ぶ。そして滞空時間で見たものは――紅蓮の魔王の背中に現れた、直径十メートルほどあろうかという大きさの、紅蓮に燃え盛る二枚羽根。
「嘘だろ、このゲームに飛行スキルは無い筈じゃ――」
「焼け死ね――大灼天紅蓮焔延天」
最もオニギリが恐れていたアーツが発動されてしまった。それを発動させない為にリスクを取りインファイトにまで持ち込んでいたのにも関わらずだ。世界が燃え盛る炎に蝕まれていき、それは属性耐性を貫通してまでオニギリに継続ダメージ判定を齎す。やっちまった、そう呟いてオニギリはぎりぎりと歯噛みした。
紅蓮の二枚羽根で高さ五メートルほどの位置に滞空する紅蓮の魔王に拳は届かない。どうにかして叩き落とさねば――足に力を込め、勢いよく飛ぶために深く息を吸い込んだその瞬間――オニギリの瞳が、愚か者が、そう言わんばかりに見下す紅蓮の瞳を捉える。やっちまった、そう悔恨するよりも早く呼吸が生んだ隙を咎める様に、真後で生み出された紅蓮の槍がオニギリの両足を地面へ縫い留めた。
オニギリは大きく目減りしたライフポイントと、両足損傷のデバフ・アイコンが追加されたのを見て、大きな大きな溜息を零すしかなかった。もう勝負はついてしまったからである。足が損傷してしまえば歩くことすら困難になり、自らの武器であるスピードを引き出すことが出来ない上、紅蓮の槍の乱打さえ打ち落とすほどの拳圧は生み出せないからだ。
「……負けました、そう言ったら見逃してくれるか?」
「余は言ったぞ、焼け死ね、とな」
赤く煌々と煌めいた炎球がオニギリのアバターを吹き飛ばす。そうして一仕事終えた紅蓮の魔王は自らのフィールド・アーツを解除して、地面へと降り立った。そうして、背後に控えた紅蓮の火柱の中へと帰っていく。
「……次は無いですからね」
そう、一言だけを零して。




