16話 / 蒼空に居を構えて
ささやき――プライベート・メッセージのようなものでグラスに呼び出されたアリカは、先日と同じアイゼンベルクの灯台下へと向かっていた。宵闇のドレスではなく、市販品である皮のワンピースとサンダル、その上に深い茶色のローブを纏ってである。勿論、目立つ銀の髪を隠す為にフードで顔を隠してだ。
上り坂を歩き進んでいくことおおよそ五分ほど。港町の北部、切り立った崖の上部に位置する灯台の下へ辿り着くと、そこには既にグラスが胡坐を書いて地面に座り込んでおり、何やら忙しそうに手元を動かして、本人にしか見えないウィンドウと向かい合っている。
「……こんにちわ、グラスさん。ささやき受け取って直ぐ来たんですけど、あの無茶振りが通ったって本当ですか?」
「おっと、アリカさん早いっすね。早速、その話に入りましょうか」
恐らくは仕事をしていたのだろう。シードオンラインという仮想世界にまでログインして仕事とは――両親が残した財産でもう働く必要が無いアリカは、その自らの身には有り余る金に感謝をしつつ、風化が進んでいる大きな岩の上に腰を下ろす。自分の身には有り余る金額だ、そう理解出来てはいても、実感は出来ていない。
何せアリカは遠い昔にアルバイトをしたことが少しあったくらいで、当時の最低時給である千五百円ほどの仕事しかしたことがないのだ。億、と言われてもその金の重さが身に染みて分かっている訳でもないし、その金を稼ぐ為にどれだけの時間が必要なのかも、実にふんわりとしたものである。
「まずは説明の前に――見たほうが早いと思うんで、案内するっす。これ受け取ってください、で、インベントリから使用するか、実際に手に持ってみてください」
トレードウィンドウを経由してグラスからアリカへ渡されたのは、"紅蓮の城への鍵"、という名前のアイテムだった。それを受け取ったアリカはインベントリから取り出すと、実際に手に持って、青い空にかざしてそれを眺める。
色は眩い金色。大きさはアリカの手の平一つ分ほどで、大体手首から中指の先くらいまでだ。持ちやすいように、手元には幾何学的な紋章が刻まれている平たい部分が繋げられておる。鍵の先端には薄い出っ張りが存在しており、その先端は規則性なく削りこまれていた。――グラスはアリカに渡したそれを見つつ、このご時世にウォード錠の鍵だなんて久しぶりに見たっすよ、と思わず苦笑する。
「そのデザイン、僕は好きなんで一旦システムチームから受け取ったんっす。大分古いデザインの鍵ですし、アリカさんが嫌ならデザイン再考できるっすよー。……それ、ウォード錠っていって大分昔に使われていた錠前の鍵なんですけどね。今の子だと――生まれた時からずっと触れてくるのって、もうカードキーによる電子錠とか、生体認証錠っすよねー。気に入らなければこの場で教えてくださいっす」
「そんなそんな、別に嫌って訳じゃないですよ。寧ろ気に入ってるくらいです――鍵は鍵らしくていいじゃないですか、せっかくの仮想世界なのにカードキーとか使っても、ですし」
手元の金色の鍵を嬉しそうに眺めながらアリカはそう言った。グラスは古いデザインと言ったが、アリカは特にそうは思わない。何せ、自分の記憶を辿れば――電子錠や生体認証錠などよりも、このような物理的な鍵を使った経験の方が多い。それに鍵と一目で分かるデザインもアリカの好みであったし、幾何学的な紋章の頂点に深紅のルビーのような宝石が一つ飾られているのも、アリカのつぼを抑えていたのだ。
「これ、どうやって使うんですか? 鍵というからには対応する錠前があったり?」
「マナを鍵へ注いで、添えられた宝石が輝けば準備完了っすよ。その状態で、前へと突き出してみてくださいっす」
言われたようにアリカは手元の鍵へマナを込める。この一つに集中する感――マナを注ぎ込むということが出来ない、苦手だというプレイヤーも数多く存在したが、リインカーネーションの森で自分よりも遥かにレベルが高いゴブリン相手にスパルタなレベリングをしたアリカにとっては無用の心配だ。直ぐに深紅のルビーが輝き始めたのを見たアリカは、自分のマナを確認する。
「……殆どマナを使わないんですね、これ。がっつりと持っていかれるものかと思ったんですけど」
「それ、マスターキーですからね。シードオンラインというか、魔王の領域のデザイン上というか、持ち主本人が起動した場合はそんなにマナを食わない仕様っす。逆に、アリカさんの我儘の中に含まれていた――他のプレイヤーへの配布を行う場合、マスターではなくサブキーに名前が変わるっす。それはごりごりマナ食いますね、それの二倍以上は持ってく筈っすよ、どうせクールタイムがあるんで連続使用はできないっすけどね」
なるほど、と納得したアリカ。そのまま鍵を中空へ突き刺すように前へ出す。すると、ぱきんとガラスが割れたような音を響かせ、突き出した鍵の先端が中空に表れた歪な次元の狭間へと飲み込まれていく。傍から見れば、空間に現れた黒いひびの間に鍵を差し込んだかのように見える。
「僕は後から管理者権限で移動するんで、さっくりと先に見ててくださいっす」
アリカの足元へ魔方陣が広がる。それが赤く輝くと一瞬でアリカの視点が切り替わり、視界一面に広がる青い空が迎えてくれた。どこだここ、と思わずアリカが辺りを見渡し――直ぐに理解する。これが自分が望んだ紅蓮の魔王としての領域、空を飛ぶ島のハウジングなのだと。
辺り一面には雲一つない青の空。草木に囲まれて足場がない道をちょっと進めば、切り立った崖が在る。その場に膝を付いて恐る恐る上半身を少しだけ出してみれば、眼下に広がるのは一面の緑色。恐らくそれが始まりの森で、そのすぐ近くに見える集落が始まりの街だろう。平原を上がっていけば海岸線が見えてきて、それを北上していくと港町であるアイゼンベルクが見えた。
豆粒のように小さくなってはいない。高度はないようだ、何かしらの力で隠蔽されているのだろう――アリカ自身がグラスへ伝えた我儘の内容を思い出しつつ、再び立ち上がって歩いてきた道を戻っていく。完全に孤立したエリアのようで他のプレイヤーの視線もないのか、とアリカは自らの装備パネルを呼び出すと、予め作成しておいた装備プリセットを呼び出した。
淡い光に包まれて一瞬でアリカの全身装備が切り替わる。初心者向けの安っぽい皮のローブなどが一瞬で消え、宵闇のドレスを纏い、大気に触れた銀色の髪が艶やかな輝きを見せた。やっぱり手に入れたものは着たいですからね、と鼻を鳴らしたアリカ。そのまま少し歩いていけば、領域の鍵を使用し転移してきた場所へとすぐに辿り着く。
「以前、ハウジングの大サイズと同じって聞いたと思ったんですけど……これ、どこまで広いんでしょう」
眼前に広がるのは――和を基調とした城だ。ところどころに朱色の柱が建てられており、それに繋がる城壁は深い茶。それの目の前に立てば、アリカを待っていたと言わんばかりに鏡柱の間の木製の門が、ぎっと音を立てながらゆっくりと開かれていく。そしてその先にあるのは――大名屋敷のような広い広い古風な建物。
「和風庭園、って言葉が似合いそうですね。家の中に池があって、赤い橋がかかってるとか、ネットで写真を見たことしかないんですけど……」
恐る恐る門を潜り抜けていく。門の付近には番所のようなものも併設されており、格式高い屋敷を基調としてデザインされているのが分かる――。白い玉砂利に少し隙間を開けた芋目地の敷石、その上を一歩ずつ先へと進んでいく。庭園を飾るのはマツやイロハモミジのような、日本を代表するかのような植物だ。更に紫陽花や菖蒲が植えられており、この屋敷を日本円で買おうとしたら幾らになるか、アリカには想像もつかない。
「ていうか、これ家よりも庭の方が広いのでは……」
ぽつりと零れたアリカの言葉は正しいものだった。基本的にシードオンラインのハウジングエリアのサイズは、三つから成っている。言わずともがな、大中小だ。小でおおよそ縦横三百メートルほど。そして中で倍の六百メートルほどとなり、大ともなれば千メートルにも及ぶ。そのエリアを土地して購入し、自らの望むように上物を立てていくのだ。
そして魔王に与えられるのは――二回りほど大きい、大エリアを正方形に組み合わせて九つ分。つまり、縦横合わせて三千メートルほどもある馬鹿げた広さの土地である。この屋敷自体も運営側の好意ということで、転送エリアから直ぐの場所に建てられた屋敷であり、アリカはまだ見てすらいないが――屋敷の奥にはまだまだ広い雑木林がこれでもかと広がっているのだった。
「どうっすかーアリカさん。これ、気に入ってくれました? 本来なら土地だけの付与で、上物って自分で建てなければダメなんっすけど、まぁサービスってことで屋敷建築済みでのご提供っすよ。……あぁ、今回は和風セット適用しましたけど、選ぼうと思えば和モダンな一軒家でも、ログハウスでも、それこそ諸外国にあるような大きい城でも建築出来るっすよ」
追いついたグラスがアリカの後ろから声を掛けた。だが、あまりその言葉が頭に入ってこない。アリカはまだ目の前に広がる屋敷、庭園、その広さに圧倒されてしまっていたからである。そうですねえ、と浮ついた返事を返したアリカを見て、グラスは思わずそうっすよね、と困ったような笑みを浮かべて見せた。
「ま、もうこれはアリカさんのものっすよ。後でゆっくりと中身を見たりして、好みにカスタマイズしてくださいな」
背後にいたグラスはアリカの目の前に回ると、ひらひらと手を振って視線を取り、オープンなARブラウザをアリカへと見せつける。
「それで、可能な限り妥協せず! で、僕が頑張って交渉してきた結果がこれっす。幾ら魔王様の我儘と言えど、これ以上の妥協や情報は認められないっすね。これでよろしければ、魔王襲名の時みたいにサインをしてほしいっすー」
我に返ったアリカは目の前に提示されたブラウザに目を落とす。そこに記載されていることを要約して落とし込んでいくと、アリカが伝えた我儘に対して、実現できること、それの制約事項の纏まりの様だった。
――以下の制約は全てアリカ・ルーセントハートが紅蓮の魔王である場合にのみ適応される。
――アリカ・ルーセントハートがハウジングエリアに滞在している場合のみ、飛行、着地、そして飛行時のみの移動を可とする。移動時における最高速は、プレイヤーが走る場合の最高速を基準とする。
――マスターキーに加えて、自らが所属するギルドのメンバーに対してのみ、サブキーを貸与出来る。ただし、マスターキーよりも性能は格段に劣るものとする(利用時におけるマナ消費の倍化、クールタイムの倍化、ハウジングエリアへの転移開始待機時間の倍化)
――飛行するという特性上、キーを利用して転移した場合、利用した場所へ帰る為のリターンキーを払い出す。このリターンキーはハウジングエリアから出た瞬間に機能を失い、アイテム自体を喪失する。
――ハウジングエリアを二十四時間に一度、自らの上空へ強制的に呼び出すことを可とする。
――ハウジングエリアにいる場合のみ、ハウジングエリアの不可視化を起動、停止できる。
主要なところはこんなところか――他、細かい記載がいくつかあるが、それらはアリカ特有のものではなさそうだ。もっと厳しい制約が課せられると考えていたが、アリカが想像していた以上にこれは緩い。前回までの経験から怪しいと感じたアリカはじろりとグラスを睨む。案の定――うっといった顔を見せて、グラスはそっぽを向いた。
「ま、また何か隠してますね!? この条件、かなり緩いと思ったんです! 大人しく残りの記載されていない条件を吐いてください、吐かなければここで焼き討ちにしますよ!?」
「いやー、ほら、それってハウジングについての制約なんで、それに含まれないことを喋っちゃうと混乱させるかなって思っただけっすよ!」
「……じゃあハウジング以外で何かあると」
ご名答、そう指を鳴らしたグラスはアリカに見せていたブラウザのページを切り替える。そこに表示されていたのは――シードオンラインにおける戦闘系のイベントの中でも一番大きい、いわばシードオンラインを代表するかのようなイベントである世界決戦陣の告知だ。同じギルドに所属するメンバー同士で出場し、誰がこの世界で一番強いギルドかを証明する為の舞台である。
「世界決戦陣、出場してくれる魔王が今のところ大海さんしかいないんっすよ……しかも酒代が切れた時にやってれば、くらいの超軽いノリでしかなくて。数か月前に極光さんに聞いたときは、俺の女をそんな場所に連れていけるか! ってキレられましたし、刻さんに聞いた時は……あー、聞いたってのも変っすね。完全にスルーというか無視されたんで、僕の独り言でしかなかった、というか」
あのシャーロットさんが無視――アリカの前では時々意地悪こそするが、それ以上に色々と教えてくれるいい先輩でしかない。その彼女が無視をするということは、余程めんどくさいのか、或いはまた別の理由があったのか。勿論、面倒以前の問題として――当時のシャーロットは最新パッチを攻略して名前を残すことしか考えていなかった。故に、それ以外に余計な時間を割いてられるか、と無視していただけである。
「つまり、私にそのイベントに出ろと……でも今のところ、ギルドに入ってすらいませんし、入るつもりもないんですよね。これ無所属でも出席できるものなんですか?」
「いやー、アリカさんはそうだと思ってたっす。何で……作りましょうか、ギルド」
「……はい?」
「ですから、アリカさんがギルドを立ち上げて参加すればおーけーなんっすよ。別に魔王だからって作っちゃいけないとかないですし、先例を上げれば極光さんのギルドありますし。いいっすねーいいっすよ、今アリカさんが配信始めてもポイントでうはうは出来ると思いますけど、ギルドなんて立ち上げたらもうヤバいっすね! 配信上位の常連さんたちを押しのけてナンバーワン間違いなし!」
VRの世界にいるはずなのに頭痛がした気がして、アリカは思わず頭を押さえてしまう。要約すると、この他に前例も何もない浮かぶ島を自らの領域、ハウジングエリアとして利用したければギルドを創り上げて世界決戦陣に出場しろということだ。もしその話が出てくるのが、この広大な土地と、広い屋敷を見る前であれば――何とか耐えてお断りすることもできただろう。
だが、アリカは一度それを見てしまった。庭を飾るマツやイロハモミジ、風流さを感じる庭園、一人ではとても大きすぎるお屋敷。それらを、既に気持ちの上では貰ったような感覚でいる。土地や上物を除いても、アリカ自身もこの便利そうなハウジングを手放すのは非常に惜しい。惜しくてたまらない。
「……念の為確認ですけど、それ、ギルドメンバーは一人でもいいんですよね?」
「勿論っすよー。ま、僕の直感ですけど――多分シャーロットさんとか入ってくれますよ、アリカさんが誘えば。後は掲示板とか配信を利用しての募集とかですかね……誰も来ないような、閑古鳥が鳴くような状態には絶対ならないと思ってるっす」
苦い苦い顔を見せて――アリカは、サインはどこにすればいいですか、とグラスへ要求する。グラスはにんまりと笑みを浮かべながら、これで僕も評価上がりますしアリカさんもいいエリアが手に入るで正しくウィンウィンっすねー、と喋りつつ、羊皮紙を一枚インベントリから取り出すと、羽ペンと一緒にアリカへと手渡した。
「やっぱりグラスさんって、胡散臭いですよねー。次、同じようなことあれば全部最初に言ってくださいね、言動全部全部に気を配るのもちょっと疲れてしまうので……」
「まぁ、時と場合に応じて、っすね。運営側がプレイヤーのモチベを割くって基本許されないんで」
「モチベを割く、というよりも基本的に説明責任を果たしていない気がしますけど……まぁいいです、この島は島で満足しているので。っと、これでサインはいいです?」
――紅蓮の魔王、アリカ・ルーセントハート。さらさらと記載したアリカは、二度目ともなれば恥ずかしさもなくなるものなのか――自らの冠名にあまり抵抗が無くなってきていることに気付きつつ、どこか呆れたような笑みを見せながらグラスへと羊皮紙を返す。
こうして、アリカは自らの領域――ハウジングエリアを手に入れたのだ。
「……あ、そういえばなんっすけど。アリカさんって本当にメインクエ進めてないんですね。流石にそろそろ進めた方がいいっすよ、マナ・ストリームへの接続くらいまで」
――シード・オンラインは最初からすべての機能が解放されているわけではない。特に大きいのが、個人間でのメッセージのやり取りや、ささやきが出来ないことだ。グラスは管理者権限でアリカに対してささやきを送ることが出来たが、他のプレイヤーであるシャーロットやラインハルトはフレンドを結んでいようとも、アリカに対してメッセージなどを送信することができない。つまるところ、アリカは今完全に孤立している状態なのである。
それを可能にするのがグラスが言葉にしていた、マナ・ストリームへの接続だ。シード・オンラインの世界観の話になるが、この世界は須らくマナが循環している状態にある。大気中のマナも、プレイヤーがそれぞれ持っているマナも、全てはマナの根源から生み出されているのだ。利用されて散っていったマナは再び根源へ還り、利用可能なマナへと再生されて生み出されていく――。
このマナの流れをマナ・ストリームと呼称するのだ。プレイヤーがこのマナ・ストリームへ接続することにより、幾つかのメリットが生まれる。マナ回復速度の微増、そして、マナ・プレートを利用した通信機能の下準備が完了する――つまり、特定のプレイヤーに対してメッセージやささやきを送ることが可能となるのである。最も、これは大前提のことで、機能を開放するには更にマナ・プレートを入手する必要があるのだが。
「前提としてメインクエの達成数がゼロの状態として話しますけど、大体一時間未満で達成できるんで、解放しておくことを強くお勧めするっす。始まりの街の村長の家で開始できるんで、是非とも進めてみてくださいね」
「そうですね、そろそろメインも進めないととは思ってましたので……新しい街やエリアを開放しないと、食べられる料理も減っちゃいますし。助言頂いた通り、屋敷の中を見てみたら進めてみます」
グラスはぐっと親指を立ててアリカへ合図をすると、そのまま管理者用コンソールを起動してどこかへと移動していった。メッセージを送れないなんて面倒な、とアリカは不満を感じつつも屋敷の中へと足を踏み入れていく――最も、メッセージを送信できたところで、誰かに送る話題などありもしないのだが。
屋敷の内部に足を踏み入れ、土間から木材の良い匂いが漂う室内へ歩を進めると、その瞬間にアリカの足装備である黒いヒール付きのブーツがしゅんと粒子となって消えていった。何事だ、と装備パネルを確認してみれば、どうやら非表示状態になっているようだ。これも違和感を持たせない為の仕組みなのだろう――左右と奥に続く廊下を眺めながら、思わずアリカは感嘆の吐息を零す。
「……間取図、欲しいですねこれ。一部屋一部屋、見ていきましょうか」
まずは右から。どうやらこちらは居間や小部屋が続いている部屋らしい。畳張りに明るい色の木材、そして庭が一望できる硝子張りの扉。サービスルームとしても利用できそうな内装だ。戻って玄関前、今度は左側へと歩を進める。こちらはいくつかの和室と、そして外見からは想像もできないようなシステムキッチンが備えられている。シャワールームや露天風呂まであるようで、アリカは思わず頬をにやつかせながら今夜にでも浸かってみようと、再度玄関前に戻る。
「残りは正面ですね」
正面に進んでいき襖を開けば――広めの部屋がそこにあった。奥に続く襖が続いており、それに手をかけて襖を引き開ければ――中央には一段ばかり高くなった御所が存在する。そこに位の高い人物が座り、辺りに控えた家臣を一望するのだろう。それはアリカにも分かった。
だがしかし、問題はそこではない。
襖を開けて内装を一望したアリカの身体が凍り付いた原因は別にある。
「――随分と時間がかかってましたね。察するに、この新しい建造物の説明でしょうか? 随分と持て囃された対応をしてもらっているようですね、紅蓮の魔王様は」
アリカよりも先に御所に座って迎え入れた人物がいた。それは真白の絹と青色を組み合わせた着物を身に纏い、長い黒髪をサフィアのような飾りが付いたかんざしで留め、呆れたような眼差しでアリカを見下すように視線を向けている。――シリカ・ルーセントハートだ。アリカと瓜二つの見姿をした彼女が、さもこの屋敷の主であるかのように、アリカを待っていた。
「なんで、シリカさんがここにいるんでしょうね……この屋敷自体、ついさっき私の物になったはずなんですけど」
警戒心が尽きぬ焔の約定を呼び起こす。アリカの白銀の髪の切っ先がじり、と火を灯し、いつでも戦闘を開始できるように身構えた。それを見たシリカは、そんなつもりで来た訳じゃないです、と否定するかのように両の掌を前に出してひらひらと振る。
「生憎、今日はアリカさんと戦いに来たわけでも、何かのイベントを伝えに来たわけでもないですよ……それに建物の中ですよ、火は止めてください。幾らハウジングエリアと言っても、普通に火災は起きますし」
「む……っ。じゃあなんでシリカさんは来たんです? それに、聞きたいことはまだまだあるんですよ。先のイベントで、なんで私の本名とかお父さんとお母さんの名前まで出したんですか。あなたは、ただのシードオンラインのNPCではないんです?」
「……付け加えると、アリカさんの質問に答えに来た訳でもないです。一つだけ確認をしに来たんですよ」
ゆっくりとシリカが立ち上がった。一歩一歩、アリカの傍へと歩み寄ってくるが、そこに攻撃的な気配は微塵も存在しない。逆に、どこか切実な雰囲気が纏われていて、イベントで出会った時との彼女に違いに、アリカはどうしていいか考えが纏まらなくなる。
「――アリカさんはちゃんと調べましたか、あなたのご両親の軌跡を、亡くなった日を」
「……調べましたよ、ええ。去年の七月三十一日。私も含めて玉突き事故に巻き込まれた日が、それです」
なぜそれをシリカはそこまで気にするのか――アリカには分からなかったが、包み隠さず日付と事故の内容を伝えることにした。シリカはそれを聞くと、頬の端を歪めながら笑ってみせる。
「あはは……ああ、そういうことか。随分と上手く――でも、去年の七月三十一日か。あっちの方とかどうしたんだろう、気になるんですが……まぁ、いいです。そういう事で私は理解しました」
何が理解しただ。こっちは何も全然理解できていない――思わずかちんと来たアリカは、一歩前へと詰め寄って、シリカを問い詰める。
「一体、何を理解したんですか。なんであなたはそんなに私のプライベートに対して入ってくるんです? 少しは説明してください、納得がいきません」
「……別に、説明することだなんてないですよ。なんで、この話は終わりです。ただ……そうですね、ただ一つだけ、私からアリカさんに伝えることがあるとすれば」
眉を顰め、どこか寂し気な表情を見せたシリカ・ルーセントハート。鏡写しの様な彼女にそんな顔をされてしまうと、まるでアリカ自身がそんな気分になってしまいそうな、変な錯覚を覚えてしまう。誤魔化さないでください、そう喉まで出かかった言葉をアリカは思わず飲み込んでしまった。
「物事を素直に教えてくれる人はいません。例え身近な人でもそうですし、知らない人であれば当然です。真実を教えてくれるのは、その人にとって都合がよい場合のみ、情報は与えられるものをそのまま吸収してはいけないんです」
――どうしてか、それはアリカの胸に刺さる。
「なので、貰った情報については必ず精査してください。それが本当に正しいものか、私たちは常にそれを考えながら生きていかなければならないんです。……そこには悪意に塗れた嘘もあるでしょうし――『私』を気遣った嘘もきっとあるでしょう。もし、気遣った嘘を見つけたら、優しく赦して上げてくださいね。すれ違い、躊躇い、懸念、色んな感情が入ってしまった結果でしょうから」
「……待ってください。なんで、あなたがそんな事を言うんですか。それじゃあまるで――七月三十一日が、正しくないみたいじゃないですか!?」
「それは私じゃなくて、アリカさんが精査するべきことですよ。……次のリミテッド・クエストはアリカさんがギルドを立ち上げて、とある条件を満たしたらになります。では、頑張ってくださいね」
一歩分、身を引いたシリカを逃がさんとアリカの手が伸びるが――それは空を掻く結果に終わる。淡いライトエフェクトを散らして、そのままシリカ・ルーセントハートが消えてしまったからだ。このまま屋敷の内見を続けてもいいが、シリカのあの表情を見てしまったアリカは、そんな気分にはならなかった。
最後に言われた言葉が胸の中で繰り返される。――与えられた情報が本当に正しいものなのか、だ。振り返ってみれば、確かにアリカは栗山医師にメールで詳細を聞いて、送り返されてきたリンク先でその情報を見ただけだった。対面して、詳細を事細かく教えてもらった訳ではない。――この不快感を払う為には、一度、対面してきちんと話を聞いてくる必要があるだろう。
現在時刻を確認すれば、まだ昼頃だ。これから自らが入院していた都内の病院に向かい、話を聞いてくる時間は大いにある。アリカは屋敷の中でパネルを操作してログアウトを行い、現実世界へと帰還する。
少し前に外に出た際にまとめ買いをした洋服へと手早く着替えた里香。ホワイトのカットソーとベージュのガウチョ、髪は手早くまとめて緩いハーフアップに。手元には銀の髪を隠す為の、少し早い幅狭な麦わら帽子を抱えている。六月を迎えて強くなった日差しに喘ぎつつ、自らが入院していた病院がある文京区へと向かっていった。




