11話 / 魔王襲名
溢れる緑で満たされたリインカーネーションの森。その最奥部、かつてユークリッドとアリカが対面した古き闘技場の様なステージの上に、眩いライトエフェクトが迸る。軽快に囀っていた小鳥達は驚いたように青い空へと飛び立ち、木の葉がせわしくなく揺れ動いた。ライトエフェクトが収まったその場に立っていたのは、アリカと瓜二つの外見を持ったシリカ・ルーセントハート。そして付き従う騎士のようにも見えるユークリッド・アルセウスの二人だ。
二人だけの際に雑談を交わすような仲ではないらしい。互いに無言でステージの奥に聳え立つ大樹へと歩を進めていく。土を踏む音と、銀の鎧が奏でる金属音だけがこの場を支配していた。
「お勤めご苦労様です。しっかりとイベントにご案内していただけたようですね」
気配も、音もない。まるでそこに在るのが当然と言わんばかりに、どんな兆候もなく、二人の前へと一つの影が落ちた。美しく透き通るような淡い水色の長い髪を緩やかな風に躍らせ、露出が控えめのクラシック・ドレスの裾を軽く指先で摘み、一礼をする彼女は――このゲーム、シードオンラインの統括AIである存在、ルーセントハート。
ユークリッドはその場に膝を付き、そして片腕を地面へ。忠誠を示すかのように跪く。
「……私が言うのもおかしな話ですが、性格が悪いですね、あのクエスト。本人が興味ないならば放っておいて欲しいものなんですけど。どう思います、ルーセントハートさん?」
「あはは、私もそう思います。それでも――選択肢があると、ないでは違いますよね。まずは選択を提示しないといけないんです、そうして選んで貰わないと意味がありませんから。それに、それが主のかつてからのご希望ですので。……それに、興味がない、だなんて決めつけるのは良くないですよ」
「私だから、言えるんですよ。……ちゃんと記憶に残るよう名前まで出してあげたんだから調べて、気づいてもらわないと。あぁ、でも篠原里香なんですよねー。で、今ハマっているもの……まぁシードオンラインなんですが、そういうのがある、と。……ルーセントハートさんには残念ですが断言しますよ、絶対すぐには動きません。ゲームをして、惰眠を貪り、お父さんとお母さんのお金で好きに食事をして、またゲームしますよ絶対」
「その口から言われると、説得力が……。それでもいいんです、それが彼女の選んだことなら」
アリカは必ずやってくれるだろう、そう信じて止まない声音だ。そんなルーセントハートを見ながら、シリカは呆れたように首を振る。黒のポニーテールがゆらゆらと連動して揺れた。一体どこにそんな信じられる要素があるのだろうか、シリカには不思議でしかたなかったのだ。
そんなルーセントハートの考えを正すため、シリカは――首に掛かっている銀色のリングを取り出す。それを右手の薬指に手早く嵌め込むと、指先を振ってウィンドウを起動した。それは、まるで現実世界のリンカーのようだった。そのままウォレットという名前の決済情報管理アプリを起動する。するとそこには――今月分のアリカ、いや、篠原里香の決済情報がずらっと一覧でリスト化されているではないか。
「見てくださいよ、これ。コンビニ、コンビニ、コンビニ、出前に出前そして――シードオンラインの月額課金、後は洋服かな? うわ、三万円の鮨も昼時に決済してるじゃないですか!? こんなの信じられるんですか、ルーセントハートさん。……あっ、駄目だ、自分で言ってて辛くなってきたかもしれません。この話は止めましょう――」
酷く落ち込んだ様子を見せるシリカを、勝手に自爆しましたね、と朗らかに見つめるルーセントハート。
「……きっと大丈夫ですよ、はい。一番危惧していたのは、里香さんがこの世界に訪れないこと、ですから――その点、ドクター・栗山は上手く事を運んで、そして誘導してくれたみたいですね。いくら基幹AIといっても、私の手が届くのはシードオンラインの世界だけ、ですから」
「まぁ、確かにそこがクリアできたのは上々ですね。そして、近年の医学には関心しますね、本当に――」
「後は待つだけ、ですよ」
待つだけ。その言葉にシリカは唇を噛む。その瞳には、色々な思いと感情がごちゃ混ぜになった、形容できない色が浮かんでいた。待つだけ、聞くだけなら簡単だ。書けばたった四文字だ。行動にしてみれば、生活したまま、何もしなくていい、ことになる。それでも、成し遂げなくてはいけない事がある者にとって、もうずっと待ち続けた者にとって、それは――ただの苦痛でしかない。
「……あ、そういえば。ログを見ていたんですけど、珍しくいつもの属性以外のスキルの申請が来ていました。氷だなんて不慣れで適正もないでしょう、どんな心変わりだったんですか?」
「あのイベントを進行するなら、相反するような属性がいいと思ったんですよ。水はもう所持されちゃってますし、空席の氷がいいなって思っただけです。……次は使いませんよ、後で権限をください、返却するので」
「なるほど。昔からそういうところ、ありますよね――劇場型というんでしょうか?」
「冗談よしてください。……この後はどうするんですか、篠原里香の取り扱いは。きっと運営チームからも要望が来ますよ、あの極光の時みたいに魔王の座を増やしたいって」
「勿論――魔王になってもらいます。魔王の周りには人も集まりますし、里香さんにはこの世界でたくさん自由に遊んで頂かないと。色々な人間と触れ合って、時に喜び、時に傷つき、何よりも自由に遊んで貰わないといけませんから。……それに、運営さんには私から既に通知を出しましたから大丈夫ですよ――私から通知したのは、刻の魔王のシャーロットさんに加えて二人目ですね」
……
あのイベントフィールドから追い出されたアリカはその直後、ラインハルトとミコを相手に虚ろな返事を返して、ミコの部屋から出たところで直ぐにログアウトした。ログアウトをしても里香の脳内ではシリカ・ルーセントハートの言葉がぐるぐると回り続ける。リミテッドクエスト、愛を語るべく。そしてAIである筈の彼女が口にした里香、そして父と母のフルネーム。あまつさえ、事故に合った日付を調べてみろ、という突拍子もない注文。
考えるということは頭を使うことだ。そして、頭を使うことは――とても疲れることだ。イベントは勝ち抜いてお目当てのものを手に入れることもできる。あのよく分からないリミテッドクエストも、自分だけではあるがクリアの判定を貰っているはず。自分がやるべきことはやっただろう、それに今すぐやらなくてはいけないことではない――そう自分に逃げ道を用意した里香は、相変わらずリビングの中央に置きっぱなしのベッドから起き上がると、冷蔵庫に入れていた冷たい水でごくごくと喉を潤す。
「……今日は忘れちゃいましょう。明日、起きたらまた考える」
重たい足取りで洗面台へ向かい、電動歯ブラシに歯磨き粉を捻りだす。ぼーっとした頭で寝る前のルーチンワークである歯磨き、そして紫色の口腔歯垢洗浄液で歯のメンテナンスを終えた。脱ぎ捨てられた自分の下着や部屋着、タオル類をまとめてドラム式洗濯機へと突っ込んで、予約ボタンを押下する。これで朝起きれば、綺麗になって太陽の下で干したようにふわふわの服と下着になるはずだ。
そのままリビングに戻った里香は照明を消した。疲れた頭は、簡単に眠りの中へと落ちていく――。
太陽が地平線から昇り、そして地平線に沈み。里香が再度シードオンラインへログインしたのはイベントから丁度、一週間が過ぎた頃だ。直ぐにログインしようとしたのだが、気が重くなってしまい、いまいち気分が盛り上がらなかったのである。それまでは外に出て美味しいご飯を食べてみたり、以前から頼んでみたかった少し豪華な出前を楽しんでみたり、一般人から見れば贅沢な暮らしをしていたのである。
すっかりこの一、二カ月で堕落してしまった人間性は中々直らない――一度は綺麗にしたはずの部屋の隅に、改めて積まれた洗濯物の山と、先延ばしにしていたら出せずに終わった一週間分のゴミ袋を見ながら、里香は報酬を貰っていないことを思い出し、太陽が沈んだ頃にシードオンラインへログインしたのだ。
「……楽しいゲームですし、まぁ、あんな面倒そうなイベントで言われたことはいったん忘れましょう。今は報酬を貰いに行かなくちゃですね」
しかし、どうやってもらったものか。何かしらの連絡を待つしかないか――諦めて始まりの街での買い食いにいそしもうとしたアリカに声をかけるものが居た。それは運営であり、イベント主催者のグラスだ。彼はや、やっと……見つけた……と一縷の希望が叶ったとばかりに、アリカへと駆け寄っていく。
「よ、ようやく見つけましたよ、アリカさん――。メールにも返事がないし、かといって運営側からそれ以外の連絡手段を取ることは出来ないしで、とても四苦八苦してたんっすからね!」
「は、はぁ……すいません、私が忘れてたら申し訳ないんですけど、どちら様でしたっけ?」
「……そういえばご挨拶がまだでしたね。いやー、イベント運営とかやってると参加プレイヤーの事を知っちゃって、勝手に相互の知り合いって感覚に陥っちゃって。改めて、シードオンライン運営のはや――って危ないっす、本名出ちゃうところでした。えーと、グラスっす。アリカさん、まずはイベント優勝、おめでとうございます!」
合点がいったかのようにアリカは両手を叩いて慣らす。確かに話した記憶はないが、どこかで見ていたアバターだと思っていたからだ。よくよく思い出せば、確かにあのイベントフィールドでルール説明をしていたアバターの人だ。彼は笑顔で指先で虚空をなぞる。すると、アリカの目の前にいくつかのウィンドウが立ち上がった。なんだかうさんくさい人だな――そんな感覚を覚えつつも、アリカは立ち上がったウィンドウに目を向ける。
そこに表示されていたのは――宵闇のドレス。最上のドラゴンの肉。思わずぐっと拳を握り締めて、アリカはそのままトレード受託のボタンを押下した。
「本当は表彰式もあったんですけど、突発なリミテッドのイベントで潰れちゃったり、事後処理でちょっとバタバタしたりで今回はやらないことに決まったんですよ、そこはご了承くださいっす」
「別に構いません、そもそもそんな悪目立ちしそうな式にあんまり出たくなかったもので……」
「え、悪目立ち――アリカさんもしかして、シードオンラインに接続していない間、ネットとか見てませんでした?」
「ちょっと私情で。自分探しの旅に出ていたと言いますか……あんまり見る気力もなくなっちゃって。イベントって疲れるんですね」
あらら、とグラスが苦笑いした。この事実は本人が気付くまで黙っておこう――ライト版というイベントの限られた枠に、幸運にも入り込めたストリーマー。そして日頃からこのゲームの動画を撮影し、投稿している動画投稿者。彼らがの配信、投稿した動画にはアリカがやらかした開幕の大殺戮が当然のように移されている。それは様々な方面のストリーマーや動画投稿者、そしてシードオンラインを媒体として情報提供を行っている無数のサイトでも、大きく取り上げられていたのだ。大昔に存在した新聞の第一面。あるいは某巨大検索サイトのトップページを一週間飾り続けているようなものである。
ポジティブな面で言えば、数多くのギルドがアリカの所在を知りたがり、自らのチームメンバーの一人として加えたがっている事実。それこそライト勢からアマチュア、プロを問わずで。そんなこと何も知らないアリカは受け取った宵闇のドレスへと早速着替え、ご機嫌でその場でターンしたり、鼻歌交じりで裾を摘まみ上げたりと、思う存分に所有欲を満たしていた。
「……申し訳ないんですけど、この後アリカさんって時間あります? 運営側からの相談というか、ご報告がありまして、少しお時間を頂ければ、なんっすよね。もちろん強制は出来ないんっすけど」
「はい、大丈夫ですよー……って、私悪いことしてませんからね!? それってアカウント停止とかの通告じゃないですよね!?」
「勿論違うっす! ていうか、そろそろ移動しましょうか――ここで着替えたのは失敗っすね、こんな数分にも満たないのにアリカさんの位置がバレてるっすよ……ライト版だとメインクエの進行制限があるからなぁ、ウェブでの目撃証言と合わせて、殆どどこの街にいるかを絞り込まれてたみたいっすね」
にわかに騒がしくなり始めた周囲を見渡し眉を顰めつつ、グラスはすぐさま――運営用のシステムコンソールを起動した。なんで私がいると騒がしくなるんでしょう、と、一週間ぶりにログインしたせいでイベントに対しての記憶が報酬と、シリカ・ルーセントハートの言葉しか残っていないアリカ。慣れた手つきでグラスはシステムコンソールへコマンドを入力していく。自らと指定したプレイヤーの座標移動――そのコマンドを入力した瞬間に、アリカとグラスの二人の姿はその場から掻き消えた。
アリカが瞬き一回をする間に移動した先は――静かな森の中、開けた一面に広がるのは透き通っていて太陽の光を反射する美しい湖畔。そのほとりに併設された、一軒の北欧風のレストランだった――。ぱりっとしたシャツと、きめ細やかな黒のスーツを身に纏う初老の男が、グラスとアリカを視界に入れると恭しく頭を下げて一礼。こっちっすよー、と先導するグラスに、宵闇のドレスを翻しながらついていくアリカ。
「――お連れ様は既に到着しております、グラス様」
「承知っす。滅多に使わない空間ですけど、いつも助かるっすよー」
スーツの男が先導するようにレストランの扉をくぐった二人。その中は、大きな長方形のテーブルが一つしかない、贅沢な空間。絢爛豪華なシャンデリア、シックな風体のインテリア。これがVRの世界だと分かっていても、思わず息を飲んでしまいそうな高級感がこの店にはあった――そして長方形のテーブル、上座の位置。そこに腰を下ろし、ティーカップに注がれた紅茶を飲んでいる一人の姿があった。肩まで伸びた黒い髪、黒真珠のように煌めく瞳はグラスに連れてこられたアリカを見ると、嬉しそうに細められた。
「待ってたよ、アリカさん。イベントぶりだね――改めて、シャーロット・シルクス。今日はご挨拶に来たよ?」
「……すいません、グラスさん。これ、なんの集まりです? てっきり重苦しい部屋に通されて、何かしら無視できない事を言われるのかなと思ってたんですけど。大体、アポなしの唐突なイベントはマイナスイベント、って相場が決まってるんですよ」
勿論、あまりゲームをしてこなかったアリカにとってそんなことは分からない。
ウェブサイトで見たことのある見出しそのままである。
「いやぁ、それを説明するにも話が長くなるんで――まずは食事しつつ、お話させてくださいよ。マスター、全員揃ったんで料理出し始めちゃってくださいっす!」
渋々とシャーロットから見て右側の椅子に腰を下ろしたアリカ。グラスは反対側、シャーロットの左側の椅子に腰を下ろす。それと同時に部屋の奥に通じる扉からワゴンに乗って料理が次々と運ばれてくる。現実と違い、この世界では料理は店舗で出来る料理は常にもっともよい状態で提供され、その状態を保持するように作られていた。例えば肉料理は長い時間が経っても焼き立てのままだし、お刺身は瑞々しく新鮮なまま、といったように。食べるのが遅いプレイヤーでも楽しめるように、現実では出来ないコース料理の即提供で目でも楽しめるように、といった計らいだった。
無論、これが適応されるのは料理店だけである。買い食いや持ち運び用の食料は時間経過で味も落ちるし、腐ったりなどもする。
「えーと、シャーロットさん。この前はありがとうございました、それとあのクエストの最後は何もできなくて申し訳ないです……。あれ、リミテッドクエストでしたけど目立った報酬アイテムとかは貰えてないみたいです」
「あー、気にしないでいいよ。自分のデッドは自分のデット、あくまで自己責任だからさ。それに私の方が死ににくい筈なのに先に落ちちゃってごめんね、だよ」
目の前に並べられたカトラリー。シャーロットはその中からスプーンを手に取ると、前菜の一つである淡い琥珀色のスープに手を付け始めた。芳醇な香りはオニオンに近い――テーブルマナーについて明るくないアリカは、シャーロットを真似るようにスプーンを手に取ると、同じようにスープへと口を付ける。確かにこれはオニオンスープだったが、現実で食べるものとどこか違った。現実のものよりも深い風味とコクがあり、その美味さに思わず驚いた表情をアリカは見せる。
「美味しいでしょ。ここって運営さん秘蔵のレストランなんだよね、隠しておきたい話とか、魔王に対してイベントの相談事とか、そんなお願いしなくちゃいけないことをするときにグラスさんとかが連れてくるんだよ。ここのシェフの料理レベル、今解放されてるどの街中の店舗のシェフよりも高いんだよねー。いくつでしたっけ、グラスさん」
「次バッチで解放されるレベルのカンスト値、っすね。驚いたっすか?」
先行体験ということか――何かしら突っ込もうと思ったが、それよりも料理が美味しくて、突っ込むのをやめた。見た目鮮やかな野菜のテリーヌに、海鮮風味のフリット、そして新鮮な海老のようなものと季節の野菜のグリエ。どちらかと言えば洋食に近いフルコースはアリカを夢中にするのには十分過ぎた。苦笑いしながらグラスは実生活に影響がない程度に、と呟いた後に――インベントリから一枚の羊皮紙を取り出す。
「……食事がてら聞いててくれれば僕としてはおっけーなんで、喋っててもいいですか? 僕たちしかいないですし、まぁマナーについてはご愛敬ってことで」
こくこく。どんな話が出るのだろうか――ほんのり梅の味わいがする爽やかなドリンクで喉を潤したアリカ。
シャーロットはにやにやと、これから起こる出来事を知っているかのように食事がてらで話を聞いていた。
「まずはアリカさん! イベントクリアと突発のリミテッドクエストクリアおめでとうございますっす! ――それに加えて、魔王襲名! いやぁ、めでたいの極みですね!」
「ひゅーぱちぱち。……まぁ、あれだけやっちゃえばなるよねえ。グラスさん、それって私の時と同じルーセントハートから? それとも運営から申請?」
「ルーセントハートから、っすね。シャーロットさんの仰る通り、っす」
思わず、アリカの手に持ったナイフとフォークがぴたりと停止した。さて、今グラスは誰のことについて話をしていたのか。ごくりと柔らかなローストビーフを飲み込んで、ドリンクを飲んで口直しをして、改めてグラスへ問い直すことにする。
「……グラスさんって運営の方ですよね? 運営が魔王さんになる?」
「何言ってるんですかー、この流れだと一人しかいないじゃないっすか」
「うんうん。私はもう刻の魔王様、そこのグラスさんは運営プレイヤー。残るはアリカさん一人しかいないよね? やったねアリカさん、今日から一緒に魔王稼業頑張ろうね!」
満面の笑みを浮かべ、あれだけ派手にリミテッドのスキルで暴れまわればまぁ当然だよね、と黒い髪を揺らしながらシャーロットは面白そうに手を叩く。しかしアリカは笑えない。元々、シードオンラインにはのんびり怠惰に暮らすためにログインしたのだ。イベントでは物欲に負けて暴れまわってしまったが、今でもその目的は変わっていない。緩く人間関係を築いて、毎日緩い会話をして――だがアリカ本人が魔王になってしまったらそれは叶わないだろう。なにせ、現行のシードオンラインでは魔王だなんて三人しかいないのだから。
「いやいや、冗談きついですよグラスさん。なんで私が魔王なんですか、村人でいいんですよ村人で。お断りします、断固としてお断りします」
「いやいや、僕の方からしたらそれこそ冗談きついですって! あんだけド派手に暴れまわって、極光の魔王までキルしちゃってるんですから! ……一応、これが運営からの魔王任命なら拒否も出来たんですけどね。シードオンラインにはゲームを統括するルーセントハートっていう名前の基幹AIがいるんですよ。彼女からの任命なので、僕たち運営側でも取り消せないんっすよね」
正確に言えば取り消し申請は出来る。だが――彼女、篠原里香においてはその取り消し申請は通らないだろうとグラスは踏んでいた。ルーセントハートによる魔王の任命は重い。以前、シャーロットが任命された時のことだが、一度は辞退ということで取り消し申請を送っていたのである。ルーセントハートからは却下されたが。
そんな背景もあって、グラスは取り消し申請にしては口にしないことにしたのだ。
「……で、グラスさん。アリカさんはどんな魔王様になるのかな? あ、予想するよ。炎の魔王様とか、紅炎の魔王様、あるいは太陽の魔王様? 絶対、炎は絡むよね」
「おしいっすね。正解は――紅蓮の魔王様っす! よっ、シードオンライン上最速で魔王まで上り詰めた女! いやぁ羨ましいっすよ、僕も運営じゃなかったら魔王になりたかったっすもん」
「そんなヨイショされても私はなりませんからね? 最終手段としてログインを止めます。VRゲームは他にもありますし」
「いやいや、アリカさんは止められないっすよ。シードオンラインの味覚システムって現行のVRゲームの中でも最高の出力ですし。ファンタジー系のVRMMOだと、ユグドラシル・オンラインとかリフレクティアとか色々ありますけど、生活面まで最高のグラフィックと五感出力してるのウチだけっすもん」
「……実際にログインしてみないと分からないですよね? もしかしたら、今あげてもらった二つの方が美味しく感じるかもしれませんし、初めから不味いと思ってしまうことの方こそ良くないこと、そう思いません?」
シャーロットは苦笑いを浮かべて、クソゲーを混ぜないでくださいよ、と苦言を零す。そして過去の経験を思い出したのか、深い溜め息を零してがくっと項垂れて見せた。経験しないことの方がいいこともあるよ、そう言わんばかりに。
「ユグドラシルもリフレクティアもやったことあるけど、シードオンラインとは比較にならないよ。ご飯は粘着いた無味無臭の納豆、味噌汁はあったかい海水。お肉はソース味のゴム……だったかな。その上、AIはカクカクで自然な会話も出来ないし、初めにシードオンラインをやっちゃうと、あっちには行けないと思う」
――ご飯も味噌汁も肉も駄目。ここ最近で食の喜びに目覚めたばかりのアリカに、シャーロットの忠告はよく効いた。シードオンラインじゃないと目の前のような美味しい料理が食べられない、そんな事実を受け入れられないのか、わなわなと身体が震え始める。視界の片隅でぴこんとバイタルラインが黄色まで跳ね上がったのが見えた。
「……まぁ、そんな忌避しなくてもいいものっすよ、魔王。アリカさんにとってはデメリットもあったようですが、メリットもあるのでそれで相殺できるか検討してくださいっす」
「じゃあメリットって何があるんですか……」
「代表的なものだといくつかあって。運営からイベントのお手伝いをしてくれ、って依頼することがあるっす。その場合、魔王様には給与が支払われるっすね――大体は仮想通貨にもなるダラーが多いっすよ、人によってはレアアイテムとかの現物支給がいいってこともあって、都度都度で変わりますけど」
私は三割くらいダラーで残りはレアアイテムだよ、シャーロットはナイフとフォークでローストビーフを一口大に切りながら、そうアリカへと伝えて見せる。器用にソースを絡めた肉を口に含むと、クソゲーとは比較にならないなぁ、とこれ見よがしにアピールしながら食を進めていく。
「ちなみに、金額は?」
「あー、グラスさんじゃ答えづらいから私の教えよっか。先のライト版世界決戦陣、サポートとして参加して七十万ダラーくらい、そこから歩合――アリカさんとの戦闘、アリカさんが一抜けした後の陣営サポートで大体二百五十万ダラー。合わせて三百二十万ダラー、日本円に換算すると百六十万円!」
思わず目を点にするアリカ。どうせ二万ダラーとかお小遣いのような金額ですよね、と踏んでいたら予想の斜め上のジェット機が飛んで行ったかのような金額だったのだ。
「ま、私はレアアイテムの方がいいからね。キリよく二十万ダラーだけ受け取って残りはレアアイテムで貰ったかな。レア枠のアーツクリスタルとか、同じくレア枠のアバター装備とか。……リミテッドもあるにはあるんだけど、流石に高いんだよね。レア枠の素材とか集めるのも大変だし、こういうのでサクっともらえるのは凄い有難いよ」
「シャーロットさんはバリバリの最新バッチ攻略組っすからねー。……もっとも、今回だけじゃなくて日頃から参加していただけたらもっと嬉しいんっすけど?」
「今回は特別。だって――あんなレアスキル持ってる動画見ちゃったんだもん、そりゃイベント参加してくると踏んで、様子も見に来ますよ。……アリカさんが魔王襲名して、何かしらイベントに出るなら私も出るようにするんだけどね?」
そんな会話の中、アリカの頭の中では三百万ダラーという金額だけがくるくると回っていた。もしかして魔王になればリアルで考えていたたっぷり時間を拘束されるアルバイトとかもしなくていいし、むしろ補って余りある収入を手にすることが出来る? と。両親が残してくれた金はまだまだある。継続的に入金が行われ、今も増え続けている。だがそれがいつまで続くかは分からない――自分の収入源を持つのは悪いことじゃないのだ。
「ちなみに、魔王になるメリットってまだあるんですよね?」
「勿論っす。他だと、城っていう陣地が持てるっすねー魔王専用のハウジングっす。後は――配信チャンネルを運営名義で持てることとか。告知も集客も運営任せで済んで、ゼロから始めるよりも流入めっちゃ確保できるっす。広告収入、後はリスナーからの寄付、視聴者数ポイントが美味しいっすね。……あと目立つのは、運営に我儘を聞いてもらえるとか? シャーロットさんの時ってどんなのでしたっけ?」
「ダンジョンとかレイド戦に潜り続けたいから、常に手元から回復アイテムや日常品を買えるようにして、かな。――ほら、こんなの」
シャーロットが公開モードでウィンドウを立ち上げた。通常、自分以外の第三者はウィンドウを見ることは出来ないが、公開モードにされたウィンドウは第三者でも視認することが可能になるのだ。シャーロットが見せたウィンドウをアリカが銀の髪が料理に入らないよう、右手でかき上げながら除き込むと――今まで見たこともない、自分のウィンドウには存在しない、特殊ショップ、というものがあった。
持ち主であるシャーロットが指先でウィンドウをタップして販売品の一覧を見せる。
「高級マナポとか高級ライポ、作らないといけないんだけどここからだと割り増し金額になっちゃうんだけど買えるようになってるんだよね。……と、まぁ。そろそろアリカさんも乗り気になってきたんじゃない、紅蓮の魔王になっちゃう?」
にやにやしながら覗き込んでくるシャーロット。アリカはそっぽを向きつつも、まずいと焦り始めていた。初めこそ断る気満々だったのだが――受けられるメリットを考えると、断る理由がなくなってしまうのだ。継続収入の手段がいくつか手に入って、悠々気ままなハウジングも出来そうで、あんな個人の為だけにメニューの改変までしてしまうような我儘も聞いてもらえる。
「うぐ……こ、断る理由がない……」
「そうなるでしょ。私も迷ったんだけどね……運営からイベントに呼ばれるって仕事も受けるのは自由だし、普段の生活はそんなに左右されないよ。せっかくだし、なってみようよ魔王様。……それにほら、私も少しは手助けするよ、先輩魔王様としてね?」
「……ちょっと話変わって申し訳ないんですけど、シャーロットさんと私ってこの前のイベントくらいしか絡みないですよね。なんでそんなに親切にしてくれるんです?」
「――単純に興味からが一つと、打算ありきが一つ? イベントの時も言ったけど、そもそも私のスキルによる改変が認識できるのって、今まで二人しか見つけられてないんだよね。その一人がアリカさんって訳だよ――私一人だと詰みゲーなところがあって、そこにアリカさんと一緒に行けたらいいなぁ、そんな打算」
随分素直に言ってくれますね――打算と聞かされて一時は警戒したが、聞いてみれば可愛いものだ。人と話すことが、仲が良い友人を作ることが目的のアリカにとって、シャーロットの存在は決して悪いものではない。むしろ、相手の方から好意的に来てくれている分、有難いものでもある。
諦めたようにアリカはこくんと一回頷いた。
「……わかりました、受けますよ、魔王の話。なんでしたっけ、紅蓮の魔王、です?」
「――ありがとうございますアリカさん! いやぁ、断られたら僕が上司にボコボコに叩かれるんでぶっちゃけ焦ってたりもしたっすけど良かったっす! さぁさぁ、この書類にサインを! ささっと気持ちが変わらないうちに!」
差し出された羊皮紙と羽ペン、そしてグラスを見比べて、やっぱり胡散臭い人だな、とアリカは苦笑いを零した。羊皮紙に掛かれた文章の中に、先ほどグラスが話した以上の事はない。エセ契約書というわけでもなさそうなので、アリカは羽ペンで羊皮紙の末尾にサインをする。
――紅蓮の魔王、アリカ・ルーセントハート、と。
「で、追加でお願いなんっすけど。魔王ってキャラ濃いじゃないですか、極光は僕から見たらハーレムチャラ男だし、大海はアル中だし、刻の魔王であるシャーロットさんは――不思議ちゃんですし」
もう少しオブラートに――とアリカが口にするよりも早く、黒い稲妻を纏う短剣、シャーロット・シルクスが担う理滅の短剣が顕現。とすんとテーブルの上に落ちて浅く刺さる。にっこりと笑いながらグラスに視線を向けるシャーロットは単純に怖い――グラスはびくっと怯えつつ、分かりやすく明示に言っただけっす、と咳ばらいをする。
「要は――ロールプレイ、しましょう。紅蓮の魔王様」
ロールプレイ。何かしらのキャラクターになりきって遊ぶこと。あー、とラインハルトの事を思い出して、どこか面白おかしく、思わず頬が緩んでしまうアリカ。でも自分のキャラじゃないな、とお断りを入れることにする。
「私がロールプレイですか、そういうのはちょっと勘弁してほしい――」
「これでも駄目っすか?」
すっと視界の下に表示されるトレード枠。
「――って、トレード枠出さないでくださいよ。何出されても断りま……」
人間、差し出されるものは気になってしまうのだ。見るだけ見るだけ、とそのトレード枠を開けば――アリカが一度も見たことがないような服にアクセサリー。思わず詳細を見てみれば、なんと最新バッチで提供されるレア装備だった。鮮やかなルビーのネックレスは各種属性に対する抵抗値が付いていて、燃え上がるように鮮烈な赤色のドレスには基礎ステータス向上の特殊能力まで。
「ってこれ今回の更新パッチのレア報酬アバターじゃないですか!? えっ、くれる……ふ、ふーん。なるほど、そういう」
首を縦に振らないアリカに、グラスは無言で指先を動かしトレード枠を操作する。
ちゃりん、と軽かな音が響いて――アイテムの他、ダラーが更に追加された。
「……おい、黙っているからってお金も積まないでくださいよ、わかりましたから! 話だけ聞きましょう、話だけ」
「いやー積んでみるものっすね! せっかくなんで、既存の魔王とは別の方向でいきましょ。そうっすね、こう、魔王らしい魔王! がいいっすね。ちょっと待ってくださいね、ちょっと書き出してみるっす」
新しい羊皮紙にさらさらとこんなキャラクターがいい! とグラスは文字を書き記していく。直ぐに終わると思っていたが、グラスは無言で二分ほど書き続けていた。催促しようかとアリカが口を開きかけたところで、グラスはやりきった、と満面の笑みを見せながらアリカへ羊皮紙を手渡す。
「我ながら最高の出来かもしれないっす! これでいけば配信もウハウハ、話題のストリーマー待ったなし!」
「……――性格は高飛車ないし冷酷で薄く笑いつつ煽ってくる感じで、一人称が余。何それめっっっちゃ痛い感じじゃないですか!? 私にそれをやれと!?」
ちゃりん。トレード枠に増えたダラーにうっと満更でもない顔をするアリカ。シャーロットはそれを横目で見つつ、季節の魚のカルパッチョへとフォークを伸ばしてぱくり。アリカさんってゴリ押しとお金に弱いんだねぇ、そう内心で呟きつつ話の行方を見守ることにした――。ちゃりんちゃりん、とそんな軽い音が響く中、私もロールプレイの話を受けてダラー毟っておけば良かったかな、そう苦笑しつつ。




