第3話 暗黒物質と書いてダークマターと読む
あっという間に始業式やホームルームが終わって放課後。まるで待ち合わせしていたかのように秋人とみゆきと帰りが一緒になった。
校庭の隅にある桜の木は、すでに花が散り始めている。おかげで道路は化粧したみたいに散った花で桃色に染め上げられていた。空は穏やかな晴天が広がっていて、まだ昼前なのに羽毛ふとんに包まれたような陽気が眠気を誘ってくる。
春眠暁を覚えず、とはよく言ったものだよな……。
「……ずま、和真?」
「え?」
「どうしたの? ぼーっとして」
秋人の言葉で我に返る。
「カズくん、もしかして寝ぼけてる? 理事長先生のお話長かったもんね」
「ああ、ごめんちょっと考え事してた。何の話だったっけ?」
「まったく……和真もこれから何かしたらって話だよ」
「何かって?」
「いやだって、せっかくの高校生活だっていうのに、部活入ったりせずに3年間過ごすなんてもったいないよ」
みゆきもこちらを向いて言ってくる。
「そーそー。2年生からでもだいじょーぶだよ。春なんだし、何か始めてみたら?」
なるほど。話題は俺についてだったのか。
「うーん」
2人の勧めに、俺は唸る。
たしかにキリのいい時期であることに間違いない。何か始めるにはもってこいなのかもしれない。みゆきのように部活、秋人のように生徒会。むしろ学校という枠にとらわれない活動という選択肢もある。
でも。
「やっぱり今は何かやろうっていう気にはなれないな」
勧めてくれる2人には悪いけど。
「そっか……」
「で、でもしょうがないよね! カズくん家事とか忙しいし!」
若干暗くなってしまった空気を取っ払うようにみゆきが声を上げた。
「そんなことないぞ? 最近じゃ料理とかも楽しくなってきたし」
「まあ、それならいいんだけどね」
心配そうな表情を向けてくる秋人。無理もない。
俺の家には今、両親がいない。高校を入学してすぐに、多額の借金を残して消えてしまった。この時俺は本来なら、某執事コメディーの主人公よろしく路頭に迷ってしまうはずだった。別に1億5千万もの多額の借金ではなかったけど。
だが、俺の両親を勘当していたじいちゃんがそれを見かねて借金を返済してくれた。「昔当てた宝くじを、可愛い孫のために使えるなら本望じゃよ!」とじいちゃんは笑っていた。
じいちゃんはせっかくだから一緒に住もうかとも提案してくれたが、断ることにした。将来働くようになったら1人で生活するつもりだし、その練習も兼ねて自活しておきたかったからだ。せっかく入学した鐘山高校とも別れを告げないといけなくなるし。それに、2人とも離れることになる。
そんな俺のワガママを、じいちゃんは文句ひとつ言わず聞いてくれた。生活費を援助して、困ったことがあったらいつでも相談しろとも言ってくれた。
だから部活やそういう類のことには参加しづらい。時間がとられてしまうことはもちろん、色々と出費がかさむことも懸念事項だ。特に部活なんかは遠征、合宿に参加するとなるとかなりのお金が必要となる。
「バイトできたらいいんだけどなあ……」
「でも、校則違反になっちゃうでしょ?」
「そうなんだよなあ……」
俺としてはバイトして少しでもお金を貯めたりしたいのだが、校則がそれを許してくれなかった。先生に事情を話してみても「ダメ」のとのことだった。さすがは歴史ある高校といったところか。お堅い。
「でも高校生活が嫌っていうわけでもないし、それなりに楽しくやってるよ。こんなに心配してくれる奴らもいるし」
俺はみゆきと秋人にそれぞれ目を向ける。
2人がいることが、俺にとって心の支えになっている。本当にいい幼なじみを持った。口に出すとからかわれるからあんまり言わないけど。
「ありがと。私もカズくんが幼なじみでうれしいよ」
「何かあったら遠慮せず、僕たちに言ってよ」
「サンキュ」
俺は信頼する親友に感謝の意を告げる。
「ま、春なんだし、お前もがんばれよ」
そう言ってみゆきの頭に手を乗せる。なんだか丁度手を置きやすい高さなのだ。うん、持つべきものは低身長の幼なじみか。
「うん……そうだね。がんばる……いろいろ」
俺が乗せた手でなでてやると、彼女は目を細める。
なんて話をしていると、いつもの分かれ道だった。といっても俺たちの家はすぐそこにあるので、分かれ道というほどでもないのだが。
「あ、そうだ」
「どうした?」
みゆきが何かを思いついたらしく、声を上げた。
「せっかくだから今日はごはんみんなで食べない?」
「あ、それいいね、みーちゃん」
「確かに最近あんまりやってなかったよな」
俺たちは小さい頃から代わる代わる誰かの家に集まって食事会のようなものをしてきた。
特にケンカしたあとには、仲直りの儀式としてよくやったものだ。
いわば3人一緒の、大事なイベント。
「じゃあ俺の家でやるか?」
「え、カズくんの家でいいの?」
驚きと遠慮の混じった声で訊ねてくる。俺の家に来るのは気が引けるみたいだ。そりゃそうだよな。でも、なんだか今日はウチでやりたい気分だ。
「いいよ。最近2人とも俺の家に来てなかったし、たまにはウチでやろうぜ」
「わーい、ありがとーカズくん」
その言葉にみゆきは顔を明るくさせる。
「ありがとう、和真」
「いいっていいって」
「じゃ、じゃあじゃあ! 私材料持っていくね。それで、私が作ってあげる」
「お前、そう言って俺たちにとんでもないモノを食わせたことを忘れたのか……?」
あれは忘れもしない中学生の時。「クッキー焼いたの! 食べてみて!」と言って持ってきた暗黒物質を食べた俺と秋人は、数時間トイレに立てこもる羽目になってしまった。文字通り黒歴史だ。
「だ、大丈夫だよ。最近は家でお手伝いもしてるし。私が作った料理、お父さんなんか涙を流しながら食べてくれるんだからね」
「涙って……」
その涙がうれしさによるものか、苦しさによるものかは聞かないことにしておこう。おじさん、ご愁傷様です……。
いや、娘の手料理が食べられるのだ。きっとうれし涙に違いない……多分。
「一応……楽しみにしておくよ」
秋人は笑うが、顔はすっかり引きつっている。
「よし。それじゃ12時に俺の家に集合ってことで」
そう言って別れ、俺たちは各々の家へと向かった。
その後。
みゆきが俺の家のキッチンで新たな暗黒物質の作成にとりかかろうとしたので、俺と秋人が全力で止めたのは言うまでもない。