第24話 『鍵』は何処?
「はあ……」
放課後の生徒会室。
俺は机に突っ伏していた。
体育で走ったし、あまり身体を動かしたくない。できれば今日は生徒会室から出たくないなあ。
疲れでいっぱいの頭の中では、依然1人の人間の顔が浮かび続けている。
結局、体育の時間はおろか、学校にやってくるまでの間もまとも会話できなかった。
一体、俺はどうしたらいいのか……。
「はあ……」
「ちょっと先輩、ため息ばかりつかないでもらえます?」
隣に座る貝塚さんがジロリと睨んできた。
「あ、ごめん」
「そんなにため息ばかりついていても、いいことはありませんよ」
確かに、彼女の言う通りだ。俺が沈んでいたってどうしようもない。
「そうだな、ありがとう」
「お礼を言われる筋合いはありません。どんよりした空気を持ち込まれるのが嫌なだけです」
抑揚がなく、それでいて力のある声で言ってくる。
「……」
相変わらず俺に対して当たりが強いんだか弱いんだか……。
「和真君、ちょっといいかな」
「ん?」
会長に呼ばれて、席を立つ。と同時。
バシャリ。
突然、妙な音と、ズボンが濡れる感触が。
「うげ……」
目線を落とすと、机の上に置いてあったペットボトルのお茶を、制服にひっかけてこぼしてしまっていた。さっきまでぼーっとしていたせいだろう、フタを閉め忘れていたのだ。
「何やってるんですか、先輩」
俺が不幸なアクシデントに遭ったというのに、調子ひとつ変えずにコメントしてくる貝塚さん。この子はブレないなあ。
「大丈夫、和真?」
秋人が席を立ち、駆け寄ってきてくれた。
「大丈夫だよ。熱かったわけでもないし」
「だが、制服がシミになってしまうぞ?」
いつの間にか会長もそばにいる。
「とりあえず制服は保健室で洗濯してきた方がいいんじゃない?」
「……そうだな。その方がいいか」
秋人の提案に乗ることにする。
「あ、でも外に出たらまた追われるんじゃ……」
廊下は俺にとって戦場。非常事態が起きたから見逃してくれ、なんて通じそうにない。
「じゃあ、汚れた制服は僕が保健室まで持っていくよ。それなら和真が外に出る必要もないし」
「本当か? 悪いな秋人」
こういうとき秋人がいてくれて助かる。さすがに会長や貝塚さんにこんなことは頼めないし。
「しかし、その間俺は何をはけば……」
まず思い浮かんだのが、体操着のジャージだったが、いかんせん転んで土だらけになってしまったせいで流石にはくことはできない。秋人のジャージも同様だ。
「……ふむ! それなら心配はいらんぞ!」
元気よく言うと、会長は自分のカバンを何やらごそごそと漁り始めた。
「これをはくといい!」
中から取り出したのは、体操服のジャージ(ズボン)だった。シワひとつなく、きれいに折りたたまれている。
「……ってこれもしかして会長のか?」
「もちろん! 君と私はそんなに身長差がないから入るだろう」
両手でジャージを突き出してくる。
「心配はいらん! 今日私は下に短パンしかはいていないから、きれいなままだぞ」
わざわざ長ズボンと短パンの両方を持ってくるなんて、準備のいい人だ。
「……えと」
受け取っていいのだろうか。
隣の秋人も、苦笑しながら固まっている。
「む? どうしたのだ?」
「いや、いいのかよ。俺が会長の使っても。普通敬遠するっていうか、嫌がるだろ」
自分の服を男が着るなんて……。
「なぜだ? 私は別に君にはかれても嫌がったりしないぞ?」
きょとんとした顔で、首を傾げる会長。
「それとも、私のジャージではだめなのか……?」
不安そうに声をだし、表情を曇らせる。
「い、いや! 全然いやじゃないから! 喜んではかせてもらうから!」
「そうか、ならばぐいっといくがよい!」
俺が慌てて返事をすると、一気に明るくなった。そして、差し出されたジャージを受け取る。
手に持ったまま、制止すること数秒。
「あ、とりあえず着替えるからみんな向こう向いといてくれないか?」
「よし、わかった!」
勢いよく返してくると、会長はくるりと180度回転した。
そして、手に持ったジャージを顔の高さまで持ち上げる。
……ごくり。
何を考えているんだ! 会長は善意で貸してくれたんだし、無心無心!
これはただのジャージ、そうただのジャージ!
そう自分に強く言い聞かせて、俺は自分史上最速で着替えを済ませた。
会長の言ったとおり、サイズはほぼピッタリだった。
それにしても。
心なしか、なんだかいい匂いがする。洗剤の香りとはまた違った匂い。会長は今日これをはいていないはずなんだけどな。
これが、女の子の匂いというものなのだろうか。
思わず足を上げて、ちょっと嗅いでみる。やはり俺のものとは異なる、いい匂いがする。
「もういいか?」
「……っああ、大丈夫だ」
「……うむ、ピッタリだな。よかったよかった」
俺の上半身制服、下半身ジャージに会長はご満悦のようだ。見た目は不恰好なことこの上ないが。
「今日は一度もはいていないが、汗臭かったりしないか?」
「あっ、ああ。大丈夫だ」
「さっき嗅いで確認していましたしね」
隣の貝塚さんがぽつりと漏らす。彼女は俺たちがドタバタしていたというのに、顔色ひとつ変えずに机に向って作業をしていた。
「ちょっ……」
何を言っているんだ、この子は!
「貝塚さん、もしかして俺が着替えている間向こう向いていなかった!?」
「何を言っているんですか。あなたのような人の着替えを見て、何が楽しいんですか」
「……だよな、見てもしょうがないしな」
「ですが、あまり嗅ぎすぎるのはよくないですよ」
「やっぱり見てただろお前」
俺がつっこむと貝塚さんは、はあ、と息を吐いて、メガネを指で持ち上げる。
「どうせ嗅ぐなら財津副会長のジャージを借りた時にしてください。その方が燃えます」
「その方がいやだよ!」
何が好きで男のジャージなんぞ嗅がなければならないのだ。というか燃えるってなんだよ!
「……じゃ、じゃあ僕はこれを保健室に持って行って洗濯してくるよ」
顔が引きつっている秋人。
「あ、秋人。ちょっと待ってくれないか?」
「どうかしたの?」
「一応、中のやつを取り出しておくよ」
ズボンのポケットには、『鍵』が入っているのだ。あとお守りのキーホルダーも。それにチェーンまである。
いくら少しの間だからといって、俺の手を離れるのはよくない。それに、こんなものが入ったままで洗濯なんて言語道断だ。
「そうだね。じゃあ、はい」
秋人からズボンを返してもらうと、俺はベルトについたチェーンを外し、反対側の先をポケットから引っ張る。うわあ。
まず出てきたのはリアルな見た目・触感のカエルのお守り。湿っていないのにテカテカと光沢を放つこの感じにはまだ慣れない。
さてもう1つの大事なもの、というか本命の『鍵』だ。
俺はチェーンの先を全部、ポケットから出した。
しかし。
「……ない……」
「え、どうしたの? 和真」
目を疑った。顔から一気に血の気が引いてくのがわかる。頬を伝う冷や汗がなんとも言えない気持ち悪さを増長させる。
「嘘……だろ……?」
「和真君?」
「先輩?」
ポケットの中には。
俺が死守してきた『鍵』が、なかった。




