第12話 待望!お風呂シーン!
1人で生活していると、驚くほど静かな時がある。
自分以外に音源となる生物がいないのだから、当然と言えば当然かもしれない。逆に音が聞こえると不気味で、怖い。
普段家族などと生活している人が、急に一人の生活を開始したならば、この静けさは違和感を、不安を覚えるのかもしれない。
だが、かれこれ1年以上1人で暮らしている俺にとっては、家では静寂こそが当たり前で、むしろ心地よさを感じるほどだ。
……ひとり暮らしを始めたばかりの頃は、不安で夜も眠れなかったこともあったが。
それはさておき、自分1人しかいない家(特に夜は)で急に音が鳴ると、驚きと不信感が押し寄せてくる。
それが、たった今鳴ったインターフォンの音であったとしても。
「こんな時間に……誰だ?」
時刻はすでに午後9時をまわっている。新聞の勧誘やセールスにしては遅すぎる。
「どちら様ですか?」
ドアの前まで行き、ドア越しに訊ねる。……大丈夫。もし不審者だったら玄関に備え付けてある木刀でぶっ倒してやればいい。
「あ、あの……カズくん……?」
ところが返ってきたのは、予想以上にか細い声だった。
「みゆき?」
「うん……今、ちょっといいかな?」
訪問者が幼なじみの少女だったことに拍子抜けしつつも、扉を開く。夜も遅いし、とりあえず家に入れてやった方がいい。
「珍しいな、こんな時間に。どうかしたのか?」
「あっ、あのね……夜遅くに来るのも失礼かなと思ったんだけど……カズくんにしか頼めなくて……」
もじもじしながら、うつむきがちに顔を赤くする。
「なんだよ、水くさい。俺でよければ言ってみろよ」
「え、えと。その……」
「ん?」
「わ、私をお風呂に入れてください!」
「……はああっ!?」
俺が? みゆきを? 風呂に入れてやる?
「お前、何言って……」
「え? あっ、そういうのじゃなくて!」
みゆきは目をぎゅっと閉じて慌てふためく。おい、そういうのってどういうのだ。
数分後。
ひとまず落ち着きを取り戻した俺とみゆきは、居間で向かい合って座っていた。
「……で、家の風呂が壊れた、と」
彼女曰く、お湯が出なくなったのだという。
「うん。今日は私が最後に入るつもりだったんだけど、その前にお父さんが入ってた時に急に水しか出なくなって……」
結果、みゆきだけが今日風呂に入れない事態になってしまったのだとか。なんとも災難な話だ。
いくら春になって暖かくなってきたとはいえ、この時期に水だけというのは無理がある。下手すれば風邪を引きかねない。
「それでお母さんが、カズくんのところで入れてもらいなさいって……」
「なるほどね」
「ごめんね。一人暮らしで大変なのに、急に押しかかて」
小動物のようにしゅんとするみゆき。
「困った時はお互い様だろ?」
いつものように、頭をぽんぽんしてやる。
「そろそろ風呂に入ろうかと思って、丁度お湯を沸かしてたところだったんだ。タイミングばっちりだよ」
「えっ、そうなの? じゃあカズくんお先にどうぞ?」
「何言ってんだ。先に入ってこい」
「にゃふっ」
頭に置いた手をわしわしと荒っぽくなでてやる。ショートカットも髪の毛が、ところどころぴょんと跳ねた。
「……じゃあお言葉に甘えて、先に入るね」
「おう。ゆっくりしてこい」
風呂場に向かうかと思ったら、くるりとこちらを振り向く。そしていきなりにこっ、と笑いかけてきた。
「……それとも、一緒に入る?」
「なっ!」
何かと思えば、とんでもない爆弾を投下してきやがった。
「もしかしてカズくん想像した? えっちー」
「アホか! さっさと入ってこい」
「はーい」
笑い声とともに、トタトタと小さな音が遠ざかっていく。
「まったく……」
しょんぼりしてたと思って甘やかしたらすぐこれだ。
まあ、あいつが元気じゃないとこっちも調子狂うし、これくらいがいいのかもしれない。
「さて、その間俺は皿洗いでもしときますかね」
キッチンへ向かうため、勢いよくソファーから立ち上がる。
ところで。
風呂に入る順番のくだりで、ちょっとだけ新婚のような気分になってしまったのは秘密だ。特にみゆきには絶対に。
「……しまった」
皿洗いを始めようとして、洗剤が切れてしまっていることに気づいた。
「うっかりしていたな」
昨日で全部使い切ってしまったのか。
確か替えの洗剤は洗面所に置いてあったはずだ。こういうのは発見した時に速やかにやっておくに限る。
俺は洗面所に向かい、扉を開ける。
しかしこの時、俺はすっかり忘れていたのだ。この家には1人しかいないということに慣れすぎて。
今この家に客人が来ているということに。
その客人が数分前、風呂場―――洗面所に向かったということに。
洗面所にいる客人は同い年の女の子だということに。
がちゃり。
扉を開けた瞬間、俺の目に入ってきたのは肌色だった。
「ふぇっ?」
程よく引きしまった脚。きゅっとした小ぶりなおしり。なめらかなお腹にぽつんとある蕾のような小さなおへそ。凹凸の少ない身体。おや、肌色の中に桜の花のようなものが二つあるではないか。そしてさらに目線を上に移すと。
熟したリンゴよりも赤くなってしまったんじゃないかと思えるくらいの、紅潮したかわいらしい顔。
ちょうど服を脱いでいる時だったのか、爽やかな水色と白のしましまの布が片方の足に引っかかっているのが見えた。
「あっ……」
全てを悟った時にはもう遅し。俺とみゆき、は見事なまでにご対面してしまっていた。
「きっ……きゃああああああああああ!」
2人しかいない、夜の一軒家に響く声。
ああ、やってしまった……。
そういえばこの家でこんなに大きな声が上がるなんて一体いつぶりだろう。
「ごめんなさい……」
再び静けさを取り戻した我が家。俺は洗面所と風呂場を隔てるすりガラスの扉越しに、土下座していた。
「うっかりしていました。言い訳のしようもございません」
「う、うん。もういいよ。もう怒ってないし。それに……」
まだ狼狽した声と、ちゃぷり、と湯船のお湯が揺れる音だけが静かに聞こえてくる。
「べ、別にカズくんならいいかなって……」
「え?」
「な、なんでもない!」
ばっしゃーん。みゆきの声が大きくなるとともに、豪快な音が。おいお湯がもったいないだろ。
「でも……なんだかこうしてると昔を思い出すね」
「昔……か」
「小っちゃい頃はみんなで一緒にお風呂入ったりしてたじゃない? この湯船に3人並んで浸かったりしてさ」
「……そうだな」
あの頃は、3人で風呂に入って。一緒に100まで数えて。風呂から上がったら母さんがタオルを用意してくれていて――。
「あ、ごめん。変なこと思い出させちゃった……?」
「いや、いいよ。昔のことだし」
過ぎ去ったことを言い出してもどうしようもない。だって、俺たちが歩いていくのは、未来なんだから。
「じゃ、上がったら言えよ」
「あっ、うん。ありがとう」
当初の目的である洗剤を確保して、俺は洗面所の戸を閉めた。
「ありがとうカズくん、お風呂貸してくれて」
「いいっていいって」
あれ以降はなんのトラブルもなく過ごすことができた。同じ過ちはくり返すまい。そういうのは物語の中だけでいい。
「家まで送っていこうか?」
「だいじょうぶだよ、すぐそこだし」
そう言ってみゆきはサンダルを履く。
「明日から……会計のお仕事始まるんだよね?」
「お前、それ」
「うん。今日由夏ちゃんに言われて初めて知ったの」
仕事。今日会長から言われた『会計』の最重要責務。『鍵』の番人。
「がんばってね」
みゆきはこちらに笑いかける。だけどその笑顔は、どこか悲しげに見えた。
そうか。みゆきは部活をしていて、尚且つ部長なのだ。俺の敵にならざるを得ない。
……いや、別に放送部が部費に困っていたりしなければ、俺たちが敵対する必要なんてどこにもない。いつも通りだ。
「おう。お前も部活、がんばれよ」
「うん。じゃあ、また明日ね」
挨拶を交わし、彼女は家へと帰っていった。
そして我が家は、たった1人しか住んでいない家にふさわしい、静けさを取り戻した。




