駅前―チラシ配りの武将①
まさに危機的状況だ。
城は夥しい軍勢に幾重にも取り囲まれている。状況を打開する手立てもなく、いたずらに月日だけがすぎていく。城に立てこもる味方の者たちは、その数もわずかだ。その兵の士気も今ではすっかり低くなり、残った食料も乏しい。そして援軍が来る望みも薄い。
もっとも、当初はこんなはずではなかった。威勢よく旗揚げした頃は、希望そのものに満ち溢れていた。小さいとはいえども、自分たちの城を皆で力を合わせて盛り上げていく・・・はずだった。だが様々な事情が重なり、強大な敵の勢力に追い詰められた結果、今や落ちかけた城とともに滅亡する一歩手前にまで事態は差し迫っている。
攻め寄せる敵は強大な金権国家であり、城の外を埋め尽くさんばかりの旗には「¥」が描かれている・・・。
「なんだあれ? 変な格好のやつがいるぞ」
「頭がおかしいんだろ、だいぶ」
ふと人の声を聞き、立見慧はそこで我に返った。
目の前を人が横切りがてら、怪訝そうにこちらを見たり、薄笑いを浮かべていた。
周りの景色を見て一瞬戸惑いを覚える。中世の世界にいたはずなのに、よく見ると辺りは見慣れた現代の光景そのものだった。陽が傾き始めた駅前一帯に、家路へ急いだり人を待っている様子の老若男女の姿がある。
また妄想にのめり込んでしまった、と立見が恥ずかしげに溜め息をつく。
金権国家相手の籠城戦は、歴史に傾倒するあまり、現代の自分の置かれた状況を歴史世界に変換してしまう彼の妄想癖だった。
「なんだ? 店の宣伝か?」
不意にまた声を向けられたと思ったら、今度は目の前に人の姿があった。その手には自分が配るはずだったチラシのうちの一枚がある。上背のある男の顔は少し赤く、その彼の後ろには数人がいて興味深げな視線をこちらに投げかけている。
(季節は三月。彼らは同じ職場の者同士であり、異動や退職に伴った送別会を終えた後に違いない)
そう立見が軍略家を気取って推測していると、男が上から見下ろすように言った。
「しかし、宣伝ならわざわざそんな格好するより、ネットとかに力を入れるだろフツー」
人数と酒のせいで気が大きくなっているのか、さらに嘲笑うように言う。
「その感じじゃあ、どうせ店っていっても潰れる寸前なんだろ。いるんだよな、コスプレしてあたかも戦国武将にでもなった気で、自分の置かれた現状から目を逸らそうとするやつが」
駅前の通りを行く人々は、立見に対し時おり不審者でも見るような怪訝な顔つきを向けていた。それもそのはずで、立見は鎧兜をまとった戦国武将の格好をしており、「タツミ歴史店」と書かれた旗指物を背負っていたからだ。奇妙な格好をあえてしているのは、少しでも人目を引き、来店へとつなげるための手段だった。
鎧兜をまとっているといっても、それは鉄製ではなく厚紙製の自作品であり、見栄えは良くてもつくりはしっかりしていない。そのせいか、兜の前立にあしらった飯綱権現の神像が真ん中で折れ、上半分が深々とおじぎをするように倒れてしまっていた。
やがて上背のある男は、チラシを野球のボールのように丸めると立見に投げ返した。そしてその後ろにいる者たちが失笑を漏らす。
「あれはくだらん遊びみたいなことやって、絶対まともに働いてねえよ」
「貧乏人はせめて陣笠と胴の雑兵スタイルの方がいいんじゃねえか?」
かつての怒りも思い出して、反射的に立見が腰の刀に手を伸ばす。抜いた刀で斬りつけてやろうか、と思ったのだが、刀はプラスチック製であり紙切れ一枚すら斬れない。
湧き上がってくる怒りをどうにか鎮めようとして、立見が歴史の故事を思い起こす。
(かの徳川家康は、まだ松平元康と名乗りし頃、今川家の人質として艱難辛苦にひたすら耐え、その忍耐力が後に幕府を開くもととなり・・・いや、今川義元の娘を嫁にもらったり〝元〟の字をもらったりして、けっこう厚遇されていたんだったか?)
そんなことを考えていたら、一行の姿は消えていた。彼らは派遣社員として働いていた時の職場の人間だった。
そのうち辺りはすっかり暗くなり、人通りもいくらか減り始めた。日本海に面した地域に吹く風の冷たさに少し身震いする。
(今宵はこのあたりが引き揚げ時か)
そう判断すると、立見は荷物をまとめて帰り支度を始めた。
溜め息をつきながら兜を外すと、散髪を怠って伸びたやや長い髪が揺れる。鎧を外そうとして、立見はふいに手を止めた。改めて自分の格好を見る。
地域柄、子供の頃は戦国武将のような、強くて立派な人物になりたかったような気がする。だが今、自身を振り返ってどうだろう。格好だけは取り繕えても、現実は小さな商店の主でしかなく、しかもその店の経営状態すら危うい。
再び溜め息をついて普段着姿に戻ると、また声をかけられた。
あいつらが戻って来たのか? と思い、立見が刀を握る。