1 序章
その地は普段であれば穏やかな自然の景色が広がっているはずだった。
それが今では喚声や絶叫が湧き起こり、鎧兜に身を包んだ者たちの激しく入り乱れる光景がある。そしてその武者たちによる、壮絶な斬り合いと組打ちが至る所で繰り広げられていた。
一連のその戦いを後方から督戦する一隊がある。そこへ携帯電話を手にした兵が喚声に負けじとする声を上げる。
「敵部隊は大きく崩れ、後方に退き始めた模様。それを味方が追っています!」
(どうやらうまくいったようだな)
報告を聞くと、馬上の人物は高揚感とともに確かな手応え感じた。兜の下の顔立ちはまだ若く20代半ばである。その若者が冷静さを保つ一方で、その周囲を固める将兵たちは動揺を禁じ得ないでいる。驚愕や唖然、衝撃に至るまで、様々な表情を浮かべていた。彼らはほんの数10分ほど前まで、その若者に不審さしか抱いていなかったのである。だがそれも今では変わりつつあった。
「このまま一気に敵の総大将を討てと伝えろ」
馬上の若者が鋭く命じると、数人の兵が携帯電話を操作し始めた。
戦場では紅と白の二手に分かれた軍勢が戦っていた。甲冑の上に紅色のゼッケンを着用した軍勢が、崩れて敗走する白いゼッケンの軍勢を追う。
逃げる白軍の兵士の背を、紅軍の兵士が追いかけ槍で突く。背中に穂先を受けた白兵は、絶叫を上げてその場に倒れ込んだ。しかしながら傷口から鮮血が吹き出るわけでもない。紅兵は倒れて苦痛にもがく白兵を抑えると、その首に手をかけた。それでいて短刀で首を掻くわけでもなく、白兵の首にかかった紐に手をかける。そして陣傘の飛んだ頭を通して、手早くそれを抜き取った。
別の場でも、倒れた白兵に数人の紅兵が群がり、紐に手をかけて奪い合っていた。どの白兵も傷を負ったわけでもないのに体の自由を奪われ、抵抗することができないでいた。
彼らが血眼になって敵から奪おうとしている物は、紐の先についているケースの中身だった。ケースの中には、氏名の書かれたカードが入っている。一見してそれは、現代のビジネスの場において、社員等が首から下げる社員証やスタッフ証とほぼ変わりはない。だが、そのカードがこの場においては重要な意味を持っていた。
まるで戦国時代の合戦を再現したような戦いは、映画の撮影でもなければ、地方で行われる合戦祭りの類でもない。一定のルールと管理下のもとで行われる、やらせや示し合わせの一切ない完全な実戦である。その実戦において、ある者は生き残りを賭けて、またある者は手柄を立てるために必死に戦っていた。
その後も紅軍の一隊に次々と報告が入る。
「味方の隊が敵副将を撃退した模様!」
伝令の報告に、おおっ、という将兵の歓声が起こる。続けて、「味方が敵総大将の本隊に迫りつつあります」という報告が入る。
「勝利まであともう一押しというところですな」
将兵が声を弾ませながら馬上の若者を見る。その若者は被っていた兜を頭から外し、軽く頭を振った。半分白さの混じるやや長い髪が広がって揺れ、首から下がる紅い紐とケースもあわせて胸元で揺れる。ケースは透明色だが、表の一部分は色のついた透かしになっていて、それが紅軍の指揮官であることを示していた。その中に入るカードの名前の部分がちょうど透かしの位置と重なり、鈴木春一郎という文字を色つきで表示していた。
その春一郎は、優勢な戦況にもかかわらず、周りの将兵を見てやや不快さを覚えていた。しかし、それ以上に不快なのが敵の能力不足に対してである。まだ勝利が決まったわけでもなく、ここまで決して容易く事が運んだわけでもない。だが、もう少し気骨のある敵と戦いたい、という若さゆえの覇気が、満たされない渇望となって胸の奥底で燻っていた。
しばらくすると再び報告がもたらされた。
「申し上げます。敵総大将に迫っていた我が軍、敵の一隊の抵抗を受けて苦戦している模様!」
春一郎は憮然とし、携帯電話を取り出して時刻を見た。残り時間はあといくらもない。
「味方の隊、いまだ敵の抵抗を突破できないでいます!」
前線からの報告を受けて、春一郎がまた時刻に目をやる。
(中高年や歴史オタクごときが手こずらせやがって)
味方へのイラ立ちを募らせながら、春一郎は伝令を呼んだ。
「全軍に伝えろ。一刻も早く敵総大将の首を挙げろと。これより本隊も前進を開始する」
春一郎は自身の率いる本隊に前進を命じ、アクセルを前に踏んで、乗っている馬を進ませた。
馬といっても、それは外見を馬に模した小型二輪車だった。ただ、この戦いに際してのみ使われる特別仕様の物であるため、通常の二輪車とはいくつかの点で異なってはいる
残り時間はあといくらもない。春一郎が馬のアクセルをさらに踏み込み、前線へ向けて本隊を前進させる。そこへ後方から慌ただしく伝令が駆けつけて来た。
「申し上げます!」
伝令は顔を真っ青にして告げた。
「正体不明の武者がこちらへ来ます!」
その声に春一郎が後方を振り返る。
すると視線の先に白い布で頭を覆った武者の姿が確かに見えた。武者はまるで放たれた矢のように、こちらを目掛けて突進して来る。前へ進むか後方に対応すべきかを決めかねて周囲の将兵が混乱を始める。別の者が急いで伝令に命じ味方の来援を要請する。
その間に、白武者は刀を掲げて紅ゼッケンの部隊に躍りかかっていた。不意を突かれた本隊の将兵が、白武者によって次々と蹴散らされていく。
そして白布の奥に光る目が、春一郎のそれと交差した。