閑話1(容姿について)
※ この閑話は[通読に必要でない情報]で構成されています。話の筋に影響するものではありませんので、めんどうくさいというかたは読まずにお進みください。
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さて、お楽しみのところ水を差すようで申し訳ないが(といって私は、ここにつけ加える情報がむしろ読者諸氏にとって、殺伐とした砂漠の中に見出せる一種のオアシスのようなものであってほしいとも願っている)、私はここまで、この小説において最も重要な人物の容姿について、なんの言及もしてこなかった。ゆえに、少々野暮ったいことではあるが、ここに少し、作者の脳内イメージとでもいうようなものを披露したいと思う。
作者としては、まずは彼女の容貌の美点のみを表すのであれば、アレクサンドル・カバネルの描く女性が近いのではないかと思う。すなわち、しゅっとした卵型の顔に切れ長の目、憂いを帯びた表情だ。そしてカバネルといえば、『死刑囚に毒を試すクレオパトラ』という絵がある。別に「クレオ」という名をこの絵からとったわけではないのだが、この絵を見てみると、女性的な輪郭に冷徹な視線……こういう冷たさは、私の書いたクレオという人物にしっくりくるところがある。
しかしながら、私のクレオはファム・ファタル的な悪女ではない。カバネルの描く女性は少々妖艶にすぎる。そのなかでも可憐な少女らしさに近いものがあるとすれば、『イェフタの娘』だろうか。
そこで私が、これならばしっくりくる……と思ったのが、テオドール・シャセリオーの描いたデズデモーナだ。デズデモーナというのはシェイクスピアの悲劇『オセロー』に登場する純潔な女性だ。シャセリオーはこの女性を何作か描いているが、琴を抱え椅子に腰掛けている画像がわかりやすいかもしれない。頰のふくらみはあるが、カバネルの絵と比べるとやや顎が細く尖っているようにも見える。この画家はオリエンタルな画題も扱っているが、このデズデモーナにもどこか、エキゾチックな印象を受ける。また、カバネルのクレオパトラの陶器のような肌よりも、こちらのほうが私のイメージするクレオに近い。興奮するとこの顔が汗ばみ、頰が紅く染まる……こうして文字に表すと読者諸氏に気持ち悪がられる危険もあるため、ほどほどにしておこう。
次に、クレオの体格に関して。この小説には先に書いたようなアクションシーンもあり、彼女には戦闘能力に優れているという設定がなされている。
しかしながら、作者は必ずしも、ギリシャ彫刻のような大柄でガタイのいいイメージをこの人物に対して持っているわけではない。むしろ、彼女は女性的なのだ。
もちろん、エドガー・ドガの『少年たちを挑発するスパルタの少女たち』のような細い身体というわけではない。やはりそれなりに発達した身体つきではあり、それなりの丈もあるだろう。作者としては、背丈は170センチ程度をイメージしている。それでも、私たち日本人から見れば女性としては高いほうかもしれないが……、白状すれば、作者の好きなフランス映画に出演している女優の背丈がこのくらいなのである。ついでにもうひとつ白状すれば……、いや、私の身体的個人情報をここにさらけ出すのは控えておこう。
ちなみに、彼女の戦闘がそれほど腕力に依存しているものではないということをすでに書いたが、これは日本的な武術を意識したものでもある。たとえば効率の良い力の加えかただったり、体重のかけかただったり、計算された動きであったり……、あるいは、相手を観察することで、相手の肩や身体の一部に顕れる動きだしのわずかな前触れ(これを「起こり」という)を察して先手を打つなど、そのようなテクニックである。
もちろん、今後も詳しくその手の描写をすることはないだろうし、アクションシーンでの描写は駆けたり跳んだりという、必ずしも日本的な重心を落とした動きを中心とするものではないが……、その辺りはフィクションということで、彼女の並外れた特殊能力とでも思うほかないのかもしれない。