3-2 カエルデ(=カエデ)
「―― 冷たい風が 若さを攫い
夕日の手下が 蛙手を侵す
わずかに染まった 朱が怖い
真っ赤になれば もう美しさ……」
「久しぶりだね、アンリエット」
「ジュリアン……さま……」
「ジュリアンでいいよ、ジュリアンで」
アンリエットのいるカエデの池を、ジュリアンは訪ねた。
「きれいな歌だね、さっきの」
水面に浮かぶ鯉の背を眺めて、彼は言った。
「父と暮らした家にもカエデの木があって……、牢の中で、それを思いだして作った詩なの」
「それで、カエデの見える家が欲しかったんだ」
「無理を言ってごめんなさい」
ちゃぽん……と、ジュリアンは池へ小石を投げた。
「わずかに染まった蛙の手か……。君にはずっと、心細い思いをさせてきたね」
「仕方ないわ。父とあなたの仕えたお方とは、敵同士だったのだから」
「でもいまは……」
ジュリアンは言葉に詰まった。アンリエットの瞳を見ることができない。
「僕は結局、人の心なんかわかっちゃいないんだ」
アンリエットは彼のいじけた声を聞いて、わずかに頬を染めて言った。
「私は恨んでなんかいないわ。……あなたはきっと、あの人が好きなんでしょう」
「え……」
「私をそばに置かないのは、新しいご主人のことを……、いえ、ごめんなさい、こんなこと。……昔の恋は昔の恋 ―― 私たちは、ロミオとジュリエットではないのよね」
「……」
染まりきらないカエデの葉が、枝を離れて水面へと舞い降りた。
ジュリアンは顔を伏せて、低くつぶやいた。
「僕はどうして、君に会いに来たんだろう」
ちゃぽん……と、アンリエットが池に小石を投げた。
「私はね、ジュリアン ――」
木漏れ日を浴びた彼女はまぶしくて、ジュリアンはやはり、まっすぐに見ることができない。
「―― 私はようやく、自分という色が落ち着いていくのを感じるの。それは、あなたと過ごした若いころや、牢につながれていた不安な夜なんかとはまるっきり違う ―― なにより、私自身が確信を持って、ひとつの色へ染まっていける気がしているの。ここは、ここはそんな場所で……、だから、私はあなたとは……。―― わかってくれるわね、ジュリアン」
「……わからない。わからないよ、アンリエット……」
ジュリアンは池を後にした。




