閑話2(ハードボイルドについて/『カルメン』について)
※ この閑話は[通読に必要でない情報]で構成されています。話の筋に影響するものではありませんので、めんどうくさいというかたは読まずにお進みください。
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さて、いよいよ第三章というところに水を差すようで申し訳ないが、ここでまた、作者としてひとつ語らせてもらいたい。
この小説は「ハードボイルド」というものを意識したつもりだったが、私にはそれができるほど、ハードボイルドと呼ばれる類いの小説の読書経験がなかった。唯一思い浮かぶのは、現代作家の伊坂幸太郎氏の小説『グラスホッパー』くらいだろうか。
映画でいうと、こちらもそれほどまで見ているわけではないが、少なくとも小説よりは知っている。じっさい、この小説のモティーフとして、こんなものが書きたいと浮かんだ作品はジャン・ギャバン主演のフランス映画『望郷』だった(今気がついたが、偶然にもこの映画の監督の名前は「ジュリアン」である)。映画では他にも、ハンフリー・ボガート主演の『マルタの鷹』や『キー・ラーゴ』、また黒澤明監督の『用心棒』、北野武監督『アウトレイジ』など、ハードボイルドと呼ばれる作品を少ないながらもいくつか見てはいる。ゴダール監督『小さな兵隊』も、拷問描写やあっさりとしたナレーションが印象に残っている。
とはいえ、映像で見るのと文章で読むのとではやはり違いがある。それは、先に述べた伊坂小説『グラスホッパー』を読んだときに身をもって体感した。
というのは、映像であれば一瞬で過ぎ去ってしまうようなものが文字で迫ってくるときのグロテスクな感覚が強烈で、しかも冷静で客観的、具体的な描写であるがゆえ、人体に詳しくない読者の脳内であってもリアルな感覚が沸き起こる……、私はそれを、「吐き気」という具体的な感覚をともなって実感したのだ。これが文章の力か……と、感動を覚えたものだ。
しかし私は、拙作にそこまでの残酷描写を取り入れようとは思わなかった。もとより「小説家になろう」への投稿作品であり、ユーザ主催企画ということで、多くの読者も予想される。これを読まれている諸氏も、第一に「ハードボイルド」を求めているわけではないだろう。(特に以後の部分には、多少の叙情的な表現も含まれる。)
そこで私は、ハードボイルドな描写に関しては、映画などで得た知識と感覚をもとに書き始めたわけだが……、たまたま手に取ったプロスペル・メリメの小説『カルメン』が盗賊団の日常を描いていて、それなりに参考になった。ヒロインであるカルメンはファム・ファタルとして有名であり、男を翻弄し気ままに生きる情熱的な女性としてオペラの題材になったりもしているが、彼女の相手役ホセ・ナヴァロによって語られる盗賊団の日常についても、なかなか興味深いものがあった。
たとえば、盗賊団が騎兵による襲撃を受け、怪我を負った仲間を見捨てる描写。盗賊団の悪漢のひとりが仲間の顔面へ銃弾を放ち、敵に捕まっても人相がバレないようにするといった、冷静でリアルな残酷描写。これを語っているホセ・ナヴァロはドラマチックな悲劇の主人公でもあり、根っからの悪漢ではないのだが、こういった状況からしてなかなかハードボイルドなところがある。(この悲惨だった生活を彼が牢の中で回想して、ある種の俯瞰をもって他人に語るという構図も、この作品の描写が冷徹に見える要因だろう。ただそれが、遠い過去の話ではなく、つい最近までつづいていた出来事だということに、妙なリアリティがある。)
私がこの小説を書くうえで影響を受けた可能性のあるものは、まずこんなものだろうか。われながら、この手のものに関しては浅学である。
ちなみに、『カルメン』に関してはすでに拙作中でこのヒロインの名を出してもいるが、危険な女、ファム・ファタルとしての彼女のキャラクターを(多少唐突ではあるが)、拙作のジュリアン青年への対比として使わせてもらっている。




